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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;4 もう、後戻りできない
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4-13



 研修がようやく終わり、解散式をして、チヨが自宅最寄りの駅に着いたのが土曜の昼すぎ。箱根に出発してからきっちり2週間後のことだった。



 研修自体は、すでにチヨにとってはアルバイト時代に身に付けたことが多かったため、特にハードに勉強をするようなものではなかったが、とにかく精神的にぐったりした。あれ以来、先輩社員から嫌がらせを受けることはなかったが、かわりに同僚となる研修生から距離を置かれた。



 どこから情報が漏れたかは知らないが、チヨが上司に反抗的な態度を取り、関わらない方がいい人物だという評価が出回ったようだ。それならそれで、かえって都合がいいとチヨは思った。集団の輪を乱すつもりは毛頭ないが、仲良しごっこをするつもりもない。仕事は仕事と割り切って、マイペースでやっていく方が性に合っている。






「ああ、お腹が空いた」



 地元に帰ってきたと思うと、安心したせいか強烈な空腹を覚えた。どこかでランチを食べようかとも思ったが、スーツケースを持っていたので一旦帰ろうと歩き出したところで、斜め前のガードレールに淳が座っているのに気づいた。チヨの姿を認めると、パッと笑顔になり駆け寄ってくる。



 お気に入りの薄青のシャツに、カーキ色のジャケット。見慣れたスニーカーが一歩ずつこちらへ向かってくる。それがやけに新鮮に見えて、チヨは淳から目が離せなかった。やがて淳がチヨの前に立ち、もう一度笑顔を見せた。




「おかえり」



 チヨのみぞおちのあたりで、何か熱いものがじわっと滲み出る気がした。どう反応していいか迷っているチヨの手から淳がスーツケースを受け取り歩き出す。



「真美ちゃんから、これくらいの時間に帰ってくるて聞いとったんや」



 淳が肩越しに振り返り、ぼんやりしているチヨを促す。



「どうした、疲れたか? とりあえず家に帰ろ」


「いや、まさか来てると思わなかったから、びっくりしちゃって。ありがとう」



 じわじわした気持ちに戸惑いつつ、チヨは通いなれた家路についた。いつもはうんざりと往復する駅と家を結ぶ風景が、今日はきらきらと輝いているように思える。淳に会えただけでも嬉しいのに、こんなに甘やかされていいのだろうか。


 しかし家に到着したチヨを、さらなるサプライズが待っていた。キッチンに食事の用意がされていたのだ。淳が真美の許可を得て、朝からせっせと準備したらしい。



「2週間ぶりに帰って来ると思うたら、ちょっと張り切ってしもたわ。冷蔵庫にデザートもあるで。ちなみに、これは帰宅記念で、誕生日はまた別に考えてるから」



 メニューは、ハーブの効いたローストポークと春野菜のマリネ。チヨと付き合い始めてから始めた料理だが、凝り性の淳らしく本格的なレシピで作られている。嬉しくて飛び上がりそうになる気持ちを抑え、とりあえず着替えて椅子に座ると、



「昼やけど、休みやしええやろ」



 と、スパークリングワインが注がれた。ソムリエにしては手つきがあやしいが、精一杯格好をつけてボトルを扱う淳を見ていると、再び胸に温かいものがこみ上げてきた。



「ありがとう、嬉しすぎて泣きそう」


「おかえり、チヨ」



 カチン、とグラスを合わせたその時、チヨの中で何かが弾けた。「おかえり」という言葉が全身に染み込み、やがて涙腺から涙となってこぼれ落ちてくる。



「おいおい、なんで泣いとんねん」


「だってぇ」



 チヨはグラスを置き、椅子を立って淳の首に抱きついた。たまらず子供のようにすすり上げる。



「だって、寂しかったんだよ、淳に会いたいけど会えなくて、我慢してたの。だから、おかえりって言われて嬉しかったの」



 外では気丈にふるまうチヨではあるが、本当はかなりの寂しがり屋だ。そんな彼女の本質を知っているだけに、たまにこうして素顔を晒して甘えられると、淳はチヨが可愛くて愛しくてたまらなくなる。



 長い髪をさらりと撫でながら、肩口でなおもべそをかく恋人に、淳は2週間ぶんの愛を呟いた。



「俺も寂しかった、もうどこにも行かんといてくれ」




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