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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;4 もう、後戻りできない
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4-11



 半年の契約で受けたアシスタントの仕事だったが、脚本が途中で大幅に変更になるなどして、かなり日程が延びてしまった。エンジンさんの体力もそろそろ限界、というあたりでようやく終わりが見えてきたものの、今度は間もなくチヨが研修という名の軟禁生活に入ってしまう。



「撮影がクランクアップしたら、二人でゆっくりできるかと思っとったんやけどな」


「タイミング悪かったね。私も卒業と同時にカンヅメとは思わなかったよ」



 チヨの就職するホテルは全国に大小合わせて11のプロパティがあり、全国から新入社員が集まって管理職や教育係とともに、箱根にある研修施設で合宿を行う。チヨはすでにアルバイトで実務経験があったが、ゼロから同期と一緒にホテル業務のノウハウを学ぶのだという。



「それ、男女一緒の研修やろ? 2週間も?」


「何よ、あんた、変な心配してるんじゃないでしょうね」


「チヨのことやから大丈夫とは思ってるけど、中にはおかしな奴もいてるしな。用心だけはしといてくれよ」


「わかってるわよ、それより研修中に誕生日が来るのよ。まあいいけどさ、帰ったら何か美味しいものでも食べよう」



 その頃には淳はクランクアップして、正真正銘の無職になっている。きっと職探しで駆け回っているだろうが、またチヨと会う時間ができることが嬉しかった。何しろクランクインした7月から8カ月半、週一回の休みがあればいい方で、チヨの不規則なアルバイトとスケジュールが合うことはほぼなく、せいぜい遅い夕食をどちらかの家で食べ、一緒に映画を観るくらいが精いっぱいのデートだった。



「せやな、高級レストランを予約しとくわ」


「やったー! 私、餃子と天津飯ね!」




 やがてチヨは箱根に旅立ち、淳はラストスパートの忙しさに紛れていった。しかしその2週間が、お互いにとってその後の分かれ道になる火種をこしらえたのだ。まずは事件は淳の方に起こった。






「ねえねえ、久しぶり」



 どこかで見たことがあるのだが、どこでだったか思い出せず、淳が首をかしげていると、その女性がにやっと口の端に笑みを浮かべた。年のころは30歳前くらいだろうか。背がすらりと高く、顔立ちも整っている。しかし撮影所では珍しくない。端役の女優がぞろぞろ出入りしているからだ。



「恩人に向かって冷たいねぇ、岸さんとこのバイト君でしょ」


「あっ、思い出した」



 以前、2浪の先輩が機材の入った段ボールを蹴ったとき、Twitterに証拠動画をアップしてくれたモデルさんである。お陰でうっとうしい2浪はクビになったのだ。



「あの時はありがとうございました。この作品に出てるんですか」


「うん、台詞もないその他もろもろだけどね。君、名前なんだっけ。前はメガネかけてたよね、ここでバイトしてんの?」


「海東です。あっ、呼ばれてるので行きます」



 エーサンをやめてから、顔を隠すためにかけていた大きなメガネを外したので、以前の知り合いからは「誰かと思った」と言われることも多いが、モデル嬢は一発で淳を見分けたので観察眼が鋭いようだ。矢継ぎ早に投げかけられる質問に困っていたところに、エンジンさんから声がかかってほっとした。



「じゃあね~海東君、またね~」



 向こうの名前は聞かなかったが、もう会うこともないはずだ。そう思っていた淳の前に、彼女が再び現れたのはその2日後のことだった。




「やっほ~、海東君! また会っちゃった~! 運命~」


「なんだ、海東、ミホちゃんと知り合いなの」



 べろんべろんに酔っぱらっている例のモデル嬢はミホというらしい。淳がツキちゃんたちとクランクアップの打ち上げをしていた居酒屋に、音声さんチームに連れられてやってきた。ほかにも場所は空いているのに、わざわざツキちゃんと淳の間に割って入り、淳の飲んでいた角ハイボールを取り上げて一気に流し込む。



「トイレ」



 ツキちゃんが席を立って行ってしまった。こういうのは苦手そうなので、たぶんもう淳の隣には帰ってこない。面倒くさいなと思いつつ、淳は新しいハイボールをオーダーした。隣のミホちゃんが肩にしなだれかかってくるが、完全無視である。せっかく楽しくCGについて語っていたのに台無しだ。大学時代に鍛えた仏頂面を決め込み、淳はちびちびと無言でハイボールを舐め続けた。




「ねえ、海東君。いいバーがあるのよ、ちょっと抜けない」



 思った通りミホが淳を誘ってきた。さっきから何を言われても曖昧に流していたのだが、そろそろウザい。あまり邪険にするのも体面が悪いが、会話の成立しない相手に付き合えるほど、海東淳は社交的ではないのだ。



「俺もうそろそろ帰りますんで、みんなと楽しんでください」



 そう言って立ち上がろうとした淳のセーターの裾をミホが引っ張った。派手なネイルの爪が網目に絡んで、淳の怒りがこみ上げる。チヨがクリスマスに買ってくれた大事なセーターなのだ。淳がミホの手をつかんで引きはがそうとした、その時。



「ああん、痛い痛い」



 ミホが大げさに泣きまねをした。ウソだとはわかっているが、周囲の注目を集めて思わず手が離れ、その隙にミホはニヤリと笑って立ち上がり、淳の腕を取って自分のコートとバッグをつかむ。



「私たち、お先で~す」



 もちろん、場のメンツは黙ってはいない。酔っているから大声で品のないからかいが飛んでくる。



「おっ、イケメン海東、ミホちゃんお持ち帰りか」


「彼女に言いつけるぞ~」


「おい、誰かエンジンさんに写真送れ」



 最後のは非常にまずい。さっきクランクアップの挨拶を済ませて家まで送ってきたが、女優に手を出したなど噂が立てば、杖を振り回しながら突撃して来るに違いない。



「ちょ、勘弁してください、俺はまっすぐ帰りますよ」


「嘘つけ~~」



 スタッフに囃し立てられながら、さっさと店を出た。その背中を10㎝ヒールでミホが追う。モデルだけあってチヨと変わらない身長があり、ヒールのぶんさらに大きく感じた。それでも淳の方が歩幅が大きいせいか、どんどん距離が離れていく。



「ちょっと待ってよ、ひどくない~」



 ふらふらしながらミホが追い付くのを待って、淳がくるりと振り向いた。不機嫌120%の表情である。さっきからイライラが限界に達していた。



「あんた、何が目的や」



 2秒ほど真顔になった後、ミホがへらっと相好を崩して淳の腕に絡まってきた。



「デートしようって言ってんのよ。あたし、海東くん気に入っちゃったの」


「ほんまのこと言えや、そんなんちゃうやろ。男引っかけるんやったら、なんぼでも偉いおっさんおったやないか。俺みたいな末端のバイトに何で絡むねん」



 今日のクランクアップには監督、総キャストはもちろん、各プロダクションの関係者、なんなら配給会社の専務もいたのだ。売れない女優兼モデルが体を張るなら、向かう方向が違っている。淳のイライラの原因は、ミホの大根芝居から匂う、ある種の魂胆を感じたからでもあった。



 そういうとミホは再び真顔になり、肩をすくめて観念した。



「あたしを撮ってよ」


「は?」


「あの髪の長い子みたいに撮ってよ。あの動画、いっぺん観たら忘れられないじゃない。私もああいう動画が欲しいの。プロモーション用にしたいのよ」



 なんとまあ、人生最初のオファーではあったが、非常に白けた気持ちで淳は聞いた。全く創作意欲がわかない。チヨなら24時間だって追いかけまわしていたいのに。



「もちろんタダとは言わない。お金はないから、そのぶんサービスする」



 うんざりと聞いていた淳だが、予想通りの台詞が出てきて、ぴしゃりと話を遮った。



「無理」


「なんでよ、悪い話じゃないじゃない、winwinでしょ」


「お断りや、俺は撮りたいと思ったものを撮りたいと思った時にしか撮らん」


「なによ、芸術家みたいに、あんた撮影所のバイトじゃん!」



 化粧で盛られたミホの顔が歪む。まさかバイト風情に断られるとは思っていなかったようだ。淳はなおも続けた。



「バイトやから好きなもん撮るんやろ。クイックルみたいなやつで自撮りでもしとけ」



 そう言うと、淳はくるりと背を向けて、さっきよりさらに速いスピードで駅へと歩き出した。後ろから「最低野郎!」という罵声を浴びせられたが、気分はすっきりしている。人生どうでもよかった頃なら、後腐れのない誘いには乗っていただろうが、今は失いたくないものがある。


 そして、ミホとやり合ったお陰で、なんとなくモヤがかかっていた自分の目の前も、少し晴れたような気がした。「撮りたいものを撮りたい時に」と偉そうに言ってしまったが、撮れと言われて結果が出せるのが本来はプロだろう。しかし、淳の気まぐれな制作意欲は衝動という燃料があってこそ起動する。自主制作をしたいと考えても動けないのは、燃料も点火のきっかけもないからだ。



 最終に近い電車の窓に、繁華街のネオンがギラギラと輝く。この華やかで薄汚い風景の中にも、ブースターの種が潜んでいるのだろうか。


 今回のエンジンさんの助手経験は、多くの学びと感動を淳にもたらしたが、まだ自分がどこに向かえばいいのかは闇の中だ。今はただ、がむしゃらに走りまくって、火花が散る瞬間に賭けるしかない。淳の血管の中を、行き場のない闘志が駆け巡った。



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