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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;4 もう、後戻りできない
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4-10


 

 老人の朝は早いと言うが、御多分に洩れずエンジンさんの朝も早い。淳は撮影の日は朝6時に起き、エンジンさんの事務所から支給されたバンで7時にお迎えに上がる。そのほかの日は病院の検査や撮影の準備。寝る時間以外はずっとエンジンさんの世話である。



 エンジンさんは数年前に奥さんを亡くし、今は息子さんご夫婦と生活を共にしている。淳がエンジンさん宅に到着すると、まず息子さんの奥さんの作ったおにぎりを有り難くいただきながら、今日のスケジュールを確認。エンジンさんが薬を忘れずに飲んだのを見届けて、スタジオまで車で移動する。



 撮影所では車いすを押して移動し、時にはエンジンさんを背負って階段を上がったり、罵声を浴びながら現場を走り回る。その姿は他のスタッフの目にも止まったようで、あれだけ怒鳴られて付きっきりで、根性がある若手だと思われたようだ。


 しかし実際は淳にとって、エンジンさんの罵声はたいして気になるものではない。何しろ日本で最も言葉が荒いと言われる「河内」のど真ん中で育った男である。父親も、近鉄ファンのおっちゃんも、みんなばりばりの河内弁、標準語の怒鳴り声など、蚊の鳴く声くらいにしか感じないのである。



 それでも体力的にはかなりきつかった。時には20時間ほどかかる撮影もあり、エンジンさんをバンの中で休ませつつ、それでもその間を利用して他のセクションの下働きもすすんでやる。これが後々大きな宝になった。目の前で展開される各分野の超一流の仕事が、やがて組み合わさって形になる。それは何にも代えられない感動で、淳は夢中になってスタジオを駆け回り、貪欲に新しい知識を吸収した。




「海東君、タフだよね。エンジンさんの世話だけでクタクタだろうに」



 発泡スチロールをニクロム線で切りながら、大道具のツキちゃんが淳に話しかける。彼の本名は日高月人。この道ではまだ5年ほどの若手だが、彼にかかればおよそ作れない背景はないと言われるほどの凄腕で、ガレージキットの世界大会でも何度も賞を取っている。ある意味、天才オタクである。


 年が近いせいか淳をいたく気に入り、独特なだらだらとした喋り方で絡んでくる。そして彼の双子の姉であるハナちゃんこと日高華江は、小道具のスタイリングをさせたらピカイチ。この二人が組んだセットは、張りぼてとは思えないほどの臨場感に満ちているのだ。



「いや、疲れる暇ないです、毎日がワンダーランドで。今もその作業見ながら感動してますもん、何で発泡スチロールが柔らかく見えたり固く見えたりするんやろ」


「これは柔らか~い、とか、岩だよ~って思いながら作ってると、そうなるんだよ。自分がまず信じなきゃ、他人は騙せないねぇ~」



 モノ作りを成功させるコツは、徹底したイメージの確立。ツキちゃんからもらったヒントは、シンプルではあるがど真ん中を突く、ディレクションの王道でもあった。そんなプロフェッショナルの仕事を見るうちに、何かが自分の中で形作られていくのを、淳はじわじわと感じていた。






「エンじい~」


「おお~、チヨちゃんか」



 エンジンさんが「あの子に会わせろ」とうるさく言うので、ある日チヨをロケの現場に呼んでみた。すると、やはりコミュニケーションスキルの高いチヨがエンジンさんに気に入られ、今では週1ペースで顔を見せに来る。仕事場なのにいいんだろうかと思ったが



「仕事さえきちっとやっとりゃええんだ、なあチヨちゃん」



 と、一蹴されてしまった。チヨもチヨで



「そうだよ、ちょっとは息抜きも大事。はい、エンじい、暖かいほうじ茶」



 という調子で、もうすっかり友達になってしまっている。まあ、もとから撮影現場は外部の出入りが激しい場所ではあるし、エンジンさんの客なのでVIPである。エンジンさんもペットボトルではない、ちゃんと淹れたポットのお茶を差し入れてもらってゴキゲンだし、淳自身もチヨの顔が見られて嬉しかった。撮影が始まって2カ月になるが、数えるほどしか会えていなかったのだ。




 チヨが帰った後、エンジンさんが淳に意外なことを言い出した。



「チヨちゃんはな、俺の死んだカミさんに似てる」



 そんなことは初めて聞いた。だから会わせろとうるさかったのだろうか。



「顔立ちとか背格好は似ても似つかんが、パーッと笑う女だった。快活で腹が据わっていて、若い頃にはさんざん苦労させたが、文句の一つも言わずに好きなことをやれと言ってくれた」



 エンジンさんは遠い眼をしている。亡くなった奥さんのことを思い出しているのだろう。いつも怒鳴り散らしている爺さんなだけに、しんみりした表情は珍しい。



「年を取ったら、どこか二人で旅行にでも行こうと思っとったが、この通りいつまでも仕事にしがみついて。そのうち、あっちが病気になって先に逝ってしまった」



 エンジンさんはポケットからティッシュを出すと、盛大に洟をかんだ。ちょっとうるうるきたのかなと思ったが、言うと蹴られるので黙っておく。



「お前、チヨちゃんは大事にしてやれ。大学やめて、何もないお前を、それでも好きでいてくれる女なんて、そうそうおらんぞ」



 淳は黙ってその言葉を聞いていた。常々思っていることだ。チヨのような魅力的な女性が、自分を選んでくれた奇跡に感謝している。だからこそ、何としてでも一人前になりたい。チヨを心から笑顔にしてやりたいと思った。






 その数日後、嬉しい出来事があった。なんと、トイレで大迫監督と一緒になり、声をかけてもらったのだ。



「エンジンさんのアシスタントやってる海東君だよね、子役のドラマ見てたよ」



 何と、憧れの監督が自分を知っていてくれたとは。恐縮して直立不動になる淳に、大迫監督はにこにこしながら話を続けた。撮る映画は問題作が多いが、本人は人懐こい性格であるらしい。



「やっぱりカメラマンをめざしてるの?」


「いえ、そういう訳ではないんですが。まだ、何をしたいかわからなくて」


「若いうちは何でもやってみたらいいよ、俺もカメラマン志望だったけど、いつの間にか監督になったクチだし」


「そうなんですか」


「バイトで買った中古カメラであれこれ撮ってるうちに、自主制作やりたくなって。気がついたら今になってた、ははは」



 自主制作という言葉に心が揺れた。この現場で見たり聞いたりしているうち、やってみたいと思ったのがそれなのだ。ただしテーマは決まっていない。いちばんダメなパターンだ。



「映画のエンドロールって、いっぱい名前が出てくるだろ。あの数だけ仕事があって、その力が集まって作品になってるからね。いろんな経験しながら、いい道が見つかればいいね」



 そう言って監督は去っていったが、淳の頭の中には映画館で見る、最後のエンドロールの滝が思い浮かんでいた。監督や脚本、キャストはほんのわずかだが、エンドロールには何百人という名前が流れてくる。照明であったりカメラであったり、メイクやタイムキーパー、様々なプロフェッショナルの技の結集なのである。



 大学をやめて飛び込んだこの現場は、まさにエンドロールのリアル版だ。ここで何かを見つけられるか、それとも脱落するか。机の上の勉強よりも何倍もシビアなカオスの中で、しかし淳は、まだ形にならないある種の手ごたえを感じていた。



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