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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;4 もう、後戻りできない
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4-6



 チヨと話をしたり、彼女の頑張りを見ているときは、自分も勉強するべきだと思う淳だが、いざ一人になると自分の興味に引っ張られてしまう。目下集中していることは、やはり映像のアルバイトだ。


 子どものころから凝り性で、小学生のころ学校に行かずにプラモデルを作っていて、てっきり登校したと思っていた親が驚いたことがある。熱中するとすべてが飛んでしまうのだ。チヨにも「猪突猛進スタイル」と分析された。自分では気づかなかったが、深く狭く潜り込むタイプのようだ。



 最近は人のいいカメラマン、福井さんと組むことが多くて非常に嬉しい。彼はアグレッシブに仕事を取りに行く人間ではないが、受けた仕事にはとても誠実で、下っ端の淳にも説明しながらセッティングを教えてくれるので、知識が増えるのが楽しかった。そして自分でも図書館で映像技術の本を借りてきて読んでいる。つい熱中すると時間がわからず、朝になっていて学校に行きそびれることもしばしば。そしてまたチヨに怒られるのだ。



 映画の観方も変わった。以前はストリーミングであっても途中で止めるなど愚の骨頂だと思っていたが、どうしても気になる構図や照明の使い方があると、止めてメモに書きつける。そしてそれが妄想用のマイ台本に反映されていくのだ。


 自分でもたぶん「もう止まらない」というのは気づき始めていた。わがままを言って地方の大学で勉強させてもらっている身分というのは理解している。親の顔、チヨの顔が頭をちらちらする。それでも、内から湧き出るものを抑えておくのは限界が近かった。



「海東君、何か事情があるなら聞かせてください」



 ついに学生支援センターから呼び出しが下った。4年生では出席が停滞する学生が多いのだが、淳の場合は危ういにもかかわらずレポートも出していないし、就職活動も行っていなかった。当然ではあるが、このままでは卒業要件を満たせない、と担当教官の口から恐ろしい言葉が出た。



「もし内定したとしても、取り消される場合もありますよ」


「はあ」



 返事ができない。100%自分がダメなのはわかっている。今の時期は卒業と就職に全力投球するべきなのだ。それなのに、どちらもお留守では話にならない。



「卒業する気は、あるんですよね」



 間髪入れず「はい」と答えるべきところなのだが、淳は答え淀んでしまった。どうなのだろう、卒業したいのだろうか。卒業したら何かが変わるのだろうか。目的もなく入学したエーサンで、いったい自分は学歴以外に何が得たかったのか。淳は迷路に迷い込んでしまった。






 その翌週の撮影は、肝機能を高めるサプリメントのネット用PR動画で、酩酊したサラリーマンが「もう一軒いこ!」と後輩を誘う内容だった。集合時間は午後5時。終わって解散したのが朝の7時であった。みんな空腹だったので、24時間営業の牛丼屋になだれこんだ。



「君は大学生? 夜の撮影、きつかったでしょう」



 主役、と呼んでいいのか。酔っぱらい役で10秒ほど出演する役者さんが、カウンターの隣に座って朝定食の卵を割る。納豆をつけていないところに好感が持てた。淳は「まだまだいけます」と答えた。好きな事なら二日くらい寝なくても平気な体質だ。



「何年生?」


「4年です、就活しないとダメな時期なんですけど」


「あ~、昔の俺を見るみたい!」



 わははと笑って役者さんが豪快に卵かけご飯をかきこむ。新潟から大学のため上京し、気がついたら留年して役者になっていたそうだ。この業界ではよくあるパターンだが、リアルなサンプルが隣で飯を食っている。淳は耳がぴくぴくした。



「あの、留年したこと後悔してますか?」


「いんや、全然。翌年、中退した」



 留年して取りあえず4年生をやり直すつもりだったが、そのころはもう役者になることしか考えておらず、ほぼ劇団で過ごす生活の中で「学費が無駄だ」と退学を決めたらしい。親にはさんざん叱られ、就職もせず、35歳の今までバイト生活でつないでいる。


「たまにこうして、表に出る仕事があると張り切っちゃうね。まだ諦めてないんだ、売れるより、好きな芝居をいつまで続けていられるかだな」




 帰り道、淳の自問自答はピークを極めた。35歳の自分はどこで何をしているのだろう。今の自分に何を伝えたいだろう。もうあと少しで22歳を迎える。日本人の平均寿命が84歳だとしたら、まだ1/4しか生きていないのに、もう死ぬまでの予定表を埋めないといけないのか。朝の通勤ラッシュに巻き込まれながら、淳は悶々と見えない未来に目をこらした。






 ストリーミングで観ていた映画が終わり、チヨがリモコンで画面を終了させた。いつもなら淳がエンドロールの最後でぴったり止めるのだが、ちょっと今日はやる気がなさそうだ。チヨは淳に「なんか飲む?」と聞いた。淳は「いらん」と言ってリビングからチヨの部屋に入り、ごろりとベッドに横になった。



 最近では週に2回ほど、二人で映画を観るのが習慣になっている。経費節約のため、それぞれ入っていた動画サイトをひとつに絞り、チヨの家のテレビで見るようにした。このところはお互い忙しくて予定が合わなかったが、久しぶりに休みが重なったので、前から淳がおすすめだった「グロリア」を観ることにしたのだ。



 1980年の古い映画だが、やさぐれた女の母性をジーナ・ローランズが見事に演じていて、脚本と芝居、カメラワークでぐいぐいと観る者を惹き込んでいく。チヨはこれぞ映画、という満足感で満たされた。タフでかわいい女が出てくる作品は大好物である。



「チヨ」



 ベッドに仰向けに寝転んだまま、淳がチヨを呼んだ。やはり何となくいつもの淳ではない。チヨは映画の余韻もそこそこに、テレビの電源を切って部屋に入った。



「どした」



 淳が無言で腕を広げた。ここに来てのサインだ。チヨがベッドによじ登り淳の鎖骨に頬をのせると、背中に腕がまわり、ぎゅっと抱きしめられた。



「あのな」


「うん」


「俺、映像の道に進もうと思ってる」



 しばらくチヨは淳の心臓の音を聞いていた。落ち着いている。腹が決まっているのだろう。



「そっか」



 もうすぐ出会って2年になる。心を閉ざして無気力に生きていた彼が、はっきりとした意欲を持ち、本音を晒してくれる。そのことがチヨには何よりも嬉しかった。



「話、聞いてくれるか」



 淳の首筋に顔を埋めたまま、チヨがこくりと頷いた。



 淳は正直に今の気持ちをチヨに語った。就職に関して、チヨに置いていかれている自分が情けなく、焦る気持ちばかりが空回りしていたこと。エーサンは大阪から逃げ出す目的だけで入学した大学で、それ自体に何の意味も感じていないこと。



「せやけど、映像の仕事に出会って、どんどん面白みがわかった。最初は一時的なもんかと思うたけど、このまま突っ走りたい気持ちがどうにも抑えられへん。就職には向かんし、大した稼ぎにはならん。それでも、ここで手放したら後悔すると思うんや」


「もう気持ちはスタートしてるのね」


「たぶんな、そこでチヨに相談や」


「なあに」


「もちろん正規雇用で雇ってくれる会社を探すけど、卒業してもしばらくは、いや、もしかしたらずっと非正規かもしれん。そんな甲斐性なしやけど、愛想尽かさんといてくれるか」



 3秒ほどの沈黙の後、チヨが反撃した。



「あほか」



 思いもよらぬ関西弁に淳がキョトンとしていると、チヨがむっとした表情で口を尖らせた。



「非正規だろうが無職だろうが、そんなことは関係ないわよ。むしろ、何も目的がないまま何となく生きてる男より何倍もマシだわ。あんたが好きなことやりたいって言うなら応援する。ただし、へこたれたり世間や誰かのせいにして言い訳するなら、そのときは覚悟しなさいよ」



 最後がちょっと仁王だった。淳は身震いした。武者震いということにしておこう。覚悟が決まれば、あとはやるだけだ。映像の仕事と言っても業種は様々である。アルバイトをしながら貪欲に情報を吸収し、自分の道を切り拓いていくのだ。



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