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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;4 もう、後戻りできない
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4-5



 いよいよ大学の最終学年がやってきた。大学生という、居心地の良いモラトリアムもあとわずか。エーサンの4年生たちも、一年後には小さなボートで社会という荒海に漕ぎ出さねばならない。



「無事に卒業できればね」



 相変わらずアルバイトにかまけている淳に、チヨがツッコミを入れる。叱られて一時期は真面目に学校に出てきたものの、淳は最終学年でもぎりぎりの橋を渡ることになりそうだ。3年までにきちんと単位を取っているならいざ知らず、なまけた上にさらになまけを重ねているから、つい口調が厳しくなるのも仕方のないところだ。



「今日ぐらい機嫌ようしときいな」



 慣れないハンドミキサーでホイップクリームを泡立てながら、淳が指先で甘みの加減を見る。チヨは「ちょっと泡立てが足りないんじゃないの」と思ったが、本人が満足そうなので言わずにおいた。きっと今夜はゆるゆるデコレーションのケーキが食卓を飾ることだろう。


 今日はチヨの24回目の誕生日で、ちょっと洒落た店でディナーでもどうかと誘った淳に、チヨが「外食より、たまには何か作ってよ」とリクエストしたのだ。メニューは、チーズ入りSUNAO特製カレー。隠し味に焼き肉のタレを加えてコクを出すのが秘訣だ。そして市販のカステラとクリームチーズを使ったフルーツケーキ。


 最近は週に2回は淳がチヨの家に通って、映画を見たり食事をしたりするパターンだったが、今夜は淳の小さなワンルームでお祝いをする。淳がキッチンに立っている間にチヨは床をコロコロの粘着ローラーで掃除し「隊長!長い髪の毛を発見しました!」「お前のやろ!」というミニコントをくり返していた。






 やがて食事の用意が整い、淳がテーブルをセッティングしてスマホの動画を撮影し始めた。食卓の光景もワンカット入るようだ。たぶん後でケーキのろうそくを吹き消すシーンも撮るだろう。ワンテイクで終わりますようにとチヨが考えていると、カメラが回ったまま目の前に小さな箱が差し出された。



「なにこれ」


「誕生日おめでとう」



 チヨの笑顔が花のように咲いた。三日月の口から白い歯がこぼれ、彼女の周りだけ発光しているようなオーラに包まれる。淳のスマホカメラはその輝きを逃さなかった。愛する女性が自分のために笑顔を見せる、その至福の瞬間は視聴する人々にとっても破壊力満点だったようだ。淳のアカウントで過去最高の「いいね」がついたのも、この動画である。



「開けていい?」



 うん、と淳が頷いた。子どものように目をキラキラさせて、チヨが箱を開ける。そこには、ひしゃげた太陽の形のプレートと、黒いベルベットのリボンが入っていた。2秒ほど固まった後、チヨが「これ!」と、目を真ん丸にした。どうやらそれが何であるかわかったようだ。



「マチルダのチョーカー!」



 チヨの大好きな映画「レオン」に出てくる、マチルダがつけていた黒リボンのチョーカー。そのレプリカである。ナタリー・ポートマンはショートのボブヘアだったが、ストレートロングのチヨがつけてもきっと似合うだろう。



「つけて」



 チヨがくるりと後ろを向き、髪をかき上げてうなじが見える。たまらず首筋にかぶりつき、おそらく想定内であろういたずらをした。「こら」と言いながら、チヨがけらけらと笑う。カレーの香りとシャンプーの香り、チヨの笑い声と不透明な未来。相反するものがないまぜになったカオスの中、淳はやわらかなチヨの髪に鼻先を埋めた。






 チヨはアルバイト先のホテルへの就職が早々に内定し、あとは卒業を待つだけとなった。淳と違って出席日数も足りているので、自由に使える時間がたっぷりとある。そこで、その時間を利用して専門学校に通うことにしたらしい。決して青春を遊んで謳歌しようとは思わないのが、がっちり思考のチヨである。



「ダブルスクール、っちゅうやつか」



 あれ以来、淳はお菓子作りにハマってしまったようで、今日はアーモンドミルクを使ったブラマンジェに挑んでいる。「よっしゃ」と言いながら容器を冷蔵庫にしまい、手を拭きながらキッチンの椅子に腰かけた。



「正確にはトリプルだね。ビジネス英語と翻訳」


「時間あるんか、大学にも行かなあかんやろ」



「毎日授業があるわけじゃないよ。確かにスケジュールはぎっしりだけど、将来のためにはなるし」


「その根性は尊敬するわ、輸血してくれ」


「普通それ、爪の垢を煎じて飲むって言うよね。だいたい死んじゃうでしょ、私の血を輸血したら」



 チヨはA型、淳はAB型である。O型以外は違う血液型への輸血はできないのではなかったか。しかし、淳がなぜかドヤ顔である。



「できんねんな、それが。もちろん一致するのが一番ええねんけど、AB型は抗体のない血液型やから全ての血液型から輸血してもらえるんや。もしもの時には頼んだで」


「へーっ! あんた、性格は誰とも適合しないのに、血はフレンドリーなのね!」


「やかましわ!」



 そう返しながら淳は、チヨが「O型とAB型の相性は~」などと、科学的根拠のない占いを引き合いに出すような女でなくてよかったと心から思った。淳は星座を聞かれると「ギョウザ」と答える、占い嫌いの偏屈野郎なのである。



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