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チヨに叱られ、どうにか出席日数は確保するようになった淳だが、思わぬ伏兵が背後から忍び寄っていた。何かを自分がしでかしたわけではないのだが、人の悪意とはどこから生まれるかわからないことを知った、貴重な人生経験であった。
ただし、それは後になったからそう思えることであって、そのときは理不尽で腹が立って、うまい立ち回りが出来なかった。そういう精神的なバランスの崩れは、往々にしてトラブルの連鎖を生む。それもこのとき学んだ教訓である。
まず、その第一弾はある日、新宿のとあるスタジオで発生した。その日の撮影は淳のバイト先にしては大きなクライアントで、ナレーターを起用して地方局の空き枠で流す45分のインフォマーシャル、いわゆる通販番組を作成する仕事だった。
このような規模になると、カメラや照明のクルーの他にプロデューサーやディレクター、メイクやスタイリスト、編集プロダクションやスポンサーまで、数十人もの人間が入れ代わり立ち代わり訪れる。中には何をしているかよくわからない人も多く、そんな中に30歳くらいのスーツ姿の男がいた。
「海東君?」
声をかけられたものの、相手が思い出せず眉間にしわを寄せていたら、「俺、俺」と人懐こそうな笑顔を見せた。タイトなスーツにツーブロックの髪。広告代理店の営業マンだろうか。
「劇団で一緒だった、長谷川。覚えてない?長谷川望」
「ああ、テンちゃんのお兄さん」
劇団の同期、長谷川典夫はテンちゃんと呼ばれるお調子者で、その兄が望である。淳は二人と一緒にレッスンを受けていた。会うのは劇団をやめて以来なので、3年以上は経っている。まさか大阪の昔馴染みに、こんな場所で会うとは。懐かしい反面、嫌な予感がした。
「久しぶりやな、なにしてんの」
「バイトです。スーツ着てはるからわからんかった」
「こんなとこで会うとはな。いま俺ここにいてんねん」
そう言って長谷川が差し出した名刺には、今回の企画を取り扱う広告代理店の名前が記されていた。やはり業界マンか。あまり絡みたくはなかったので、淳は礼を伝えて仕事に戻ろうとした。
「すいません、サボってたら怒られるんで戻ります」
そのとき、淳の後ろから岸社長の声がした。今日はプロデューサーとして撮影の進行を監督しているのだ。
「知り合い?」
長谷川がすかさず名刺を出し、「どうも」と岸に手渡す。お互いの名刺交換が終わったところで、長谷川が淳の腕をつかんで自分に引き寄せた。
「僕ら大阪の劇団で一緒やったんです。知りません?『家族の肖像』っていうドラマ。この子、天才子役で大ブレイクしたんですよ」
その声が聞こえたのだろう。話をしていたスタジオの出入り口に、ぞろぞろと人が寄ってくる。中の一人、クライアントの中年女性が「私、知ってる!」と言ったのがきっかけで、それぞれが淳を質問攻めにした。
「人気あったよね、もう芝居はやらないの?」
「大学生? 撮影助手やってるのは将来の俳優業の勉強?」
そのたびに、淳はもう芝居はやめていること、就活中でまだ進路は決まっていないことなどを答えたが、6歳のころのテレビ出演で、いまだにいじられることに嫌気がさした。「あの人は今」のリアル版である。みんな無責任にほじくって、どうせすぐに忘れてしまうのだ。
やがて次の撮影準備が整い、各人が持ち場に散る。岸が淳を一瞥し、表情の読み取れない顔でぼそっとつぶやいた。
「履歴書にはそんなの書いてなかったよね」
「子どものころなんで」
そのまま再び撮影が始まり、淳は軍手をはめてケーブルさばきに戻った。まさかこれが火種としてくすぶり、後の発火に至るとは。出る杭は打たれる日本社会の不条理を、淳はいずれ身をもって知ることになる。
そんな事があったが、撮影の仕事は相変わらず面白かった。特にひそやかな楽しみとして淳が熱中していたのが「監督ごっこ」で、人一倍映画を観ているせいか、フレーム内のバランスや光の使い方など、こういうアイデアはどうかというメモを、仕事の台本に書きつけては妄想を膨らませた。
もちろん、現場には本物の監督がいるので口には出さないが、こっそり終了した台本を持ち帰っては、自身のアイデアで脳内に上書きしていく。それがまるでメガホンを執っているようで、淳にとっては新鮮な遊びだったのだ。
遊びといえば、チヨをモデルとした動画撮影も、最近の淳の趣味となっていた。まだ付き合う前、二人で遊園地に遊びに行ったころから、スマホでチヨの表情を撮影してはこっそり眺めていた。今では恋人になったので隠し撮りする必要もないが、ふとした瞬間に見せるきらめきを、映像に収めるのは非常にときめくことであった。
「狙って撮れるもんじゃないでしょ、あたし女優じゃないんだから」
「女優やないから、ええんやないか。なんでもないときに、めっちゃええ顔することがあんねん。うまく説明できんけど」
「いつもはいい顔じゃないのかよ」
「そんなことは言うてへんやろ。なんかな、瞬間的にきたきた、いう感じの図が来ることがあんねん、知らんけど」
「知らんのかい!」
そんなチヨの「きたきた」の瞬間を切り取った映像をつなぎ合わせ、やがて淳は1本のムービーに仕上げた。言うなれば、初監督作品である。わずか3分程度の動画ではあったが、この女性が好きでたまらない、という気持ちが観る者に伝わる良い作品であった。
チヨの承諾を得てアップロードした動画サイトでは、瞬く間に「いいね」の数が増え、それで気をよくした淳は第2弾、第3弾と動画をシリーズ化した。素人作品ではあったが、淳の撮る動画は愛とユーモアにあふれ、従来にない新鮮なタッチであったため、コメント欄には好意的な意見が寄せられた。
しかしその一方で、それを快く思わない人間もいる。淳の他に何人かいる、学生アルバイトの一人が特に辛辣だった。彼は大学を2浪しているので、立場的には先輩にあたる。
「海東、チューバ―なんだってね」
「いやいや、趣味で遊んでるだけです」
普段から面倒くさい男だったので、彼に動画を見られたのは失敗だった。バイト先の人間には教えていなかったはずだが、どこかで拾ったのだろう。英字にしていたとはいえ、本名で出したのはまずかった。アカウントを新しく作るのが面倒くさいからと、そのまま既存のものを使ってしまったことを淳は反省した。
「映像のアルバイト始めたら、クリエイターになったような気がする奴、いるんだよね」
はははと愛想笑いをして流そうとしたが、敵は思いのほかしつこかった。段ボールを抱えて移動する淳の後ろをついてくる。仕事せえよと思ったが、バイトにも順列があるため、追い払うわけにもいかない。2浪はなおも続けた。
「バイトしたぐらいで感性なんか磨かれないし、芸術はそんな甘いものじゃない」
ああ面倒くさい、芸術ときたか。楽しんでるだけなのに、うざ絡みする奴はどこにでもいる。自分こそいっぱしの芸術家きどりじゃないか。その前にまず大学を卒業してから言えよと思ったそのとき。
「天才子役だったからって、映像のセンスがあるとは限らないし」
淳はくるりと振り向いた。きっと獲物を狙う鷹のような眼をしていただろう。2浪がはっとしたように立ち止まり、「まずい」という顔をした。気が弱いくせに先輩を笠に着るタイプだ。
「誰から聞きました、その話」
「えっ」
「俺が子役やってた話、誰から聞きました?」
2浪が周りをちらっと見渡して、小声でぶつぶつと言った。
「社長が言ってたんだよ、飲み屋で。なんでそんな有名人がうちでバイトしてんのって、みんな不思議がってたよ」
それだけ言うと、バタバタと逃げて行った。「みんな」ということは、自分以外は情報が共有されているようだ。子役をやっていたのは事実だが、どんなアルバイトをしようが本人の自由である。自分がいない所で噂をされたことに、淳は久々に怒りを感じた。




