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淳に好きなことを見つけろと言ったチヨだが、これから進むホテル業は目指していた夢ではない。ガイドの仕事を手伝っていたのは、国際交流の一端を担いたかったからで、ホテルは業界としては近いがジャンルで言えば接客業である。理想と現実には違いがあるということは納得しているが、仕事と並行して自分の糧になる何かを模索したかった。
――初仕事はどうだね?
今日から映像のアルバイトに行っている淳に、LINEでメッセージを入れた。既読にならないところを見ると、まだ仕事の最中なのだろう。チヨは本屋に入ると、スクールガイドの棚の前に立った。ずっと学生だったら幸せなのにと思いつつ、その中で目についた一冊に手を伸ばす。
アメリカにいたころ、ドミトリーのルームメイトからHard worker(ガリ勉)と言われていた。合格していた日本の大学を蹴って、わざわざアメリカにやってきた。わずか1年という限られた時間と潤沢でない予算の中で、どれだけのものを得られるか。18歳のチヨにとっては、人生をかけたチャレンジであった。
朝は6時前に起きて、学生が無料で読める地元新聞に目を通す。寮の仲間とマシンガンのようにおしゃべりをしながら朝食を取った後は、8時半から18時まで授業に没頭。アフタースクールも活発に活動し、夜は1時か2時まで勉強。移動時間などはイヤフォンで英語のラジオを聞く。日本人とは一切かかわらない。とにかく眠っている時間以外は英語のシャワーを自身に浴びせかけた。
ある日、ドミトリーの仲間に聞かれたことがある。
「どうしてそんなにストイックに勉強するの」
「欲しいものを手に入れるのに、それしか方法がないから」
チヨは自分が天才型ではなく、努力型の人間だと確信している。実際、積み重ねた努力は自分を裏切らない。わずかな在米期間で誰もが驚くような英語スキルを身に着けたのは、死に物狂いの勉強の成果であって、今もそれがチヨの中で大きな成功体験になっているのだ。
淳のはじめての助手仕事は、ビルの中のレンタルスタジオでの30秒動画撮影だった。もっとたくさんのスタッフで撮影するのかと思いきや、なんと行ってみたらカメラマンと二人きり。照明やセッティングはカメラマンが行い、淳は言われたとおりに物を動かしたり、箱を開けたり、コーヒーを買いに走ったりする雑用係である。スキルはいらないと言われた理由がわかった。
「テレビ局みたいにスタッフがいっぱいいると思ったでしょ。こんなもんよ、予算がない撮影は。ムダにいっぱい人が来るときもあるけど」
40代くらいの、人の好さそうなカメラマンは福井さんという。フリーランスと言えば格好がいいが、前にいたスタジオが経営難で閉鎖して以来、正規雇用にありついてないらしい。年齢的に条件が合うところは厳しいという。
「海東君は大学生?しっかり就職活動して固いところに入った方がいいよ。俺みたいになっちゃうよ~」
どう答えていいやら難しかったので、いやいやとごまかしつつ、ガムテープで土台のほこりを取る。今日のブツ(商品)はがんに効くと言われているらしい、怪しげな成分のサプリメントだ。その成分を抽出する海藻の粘りを表現したり、カプセルをキラキラと光らせろとクライアントから注文が入っている。
インターネットの自社サイトに埋め込むPR用で、実際には静止画面も挿入されるため、撮影する動画の部分は15秒である。今までは15秒と聞くと「たった」という認識だったが、映像の世界では15秒で様々な表現ができることを知った。さらには照明の位置を変えるだけでモニターの中の風景が劇的に変わったり、肉眼で見るより物が美しく見えるなど、映像の面白さの一端を知る機会となった。
しかし、そうそう面白い仕事ばかり回ってくるわけはなく、それ以後の仕事は多くが肉体労働であった。ロケの荷物の運搬や弁当の買い出し、軍手をはめてケーブルをさばくなど、クリエイティブな部分にはほぼ関わることはなかったが、それでも試写を見るたびに「あのセットがこういう図になるのか」と感動するのだった。
なによりもっとも淳にとって新鮮だったのは、現場が終わった後の飲み会である。いちばん下っ端の淳は、有無を言わさず連れ回されるのだが、照明、音声、カメラに脚本、みんなフリーの多国籍軍は、考え方が柔軟な自由人ぞろいだ。彼らの体験談を聞き、時には好きな映画の感想を交わすひとときは、それまで狭い世界に閉じこもっていた淳には果てしないワンダーランドに思えた。
「なんか、楽しそうだね」
「おう、俺、映像の仕事は向いてるかもしれんわ」
久々にチヨと会ったエーサンの学食で、淳は目をきらきらさせて映像アルバイトの魅力を語った。淳が楽しそうにしているのはチヨにとっても嬉しかったが、水谷からの情報で、どうもここしばらく学校をサボりがちだというのが気になった。
「ねえ、出席日数は足りてるの? 肝心の就活は止まっちゃってるよね。映像業界に就職口があるなら話は別だけど」
チヨとしては、淳の興味の方向性や可能性を探るために、いろいろな業界を知って欲しいと思ってアルバイトをすすめたのだが、そのお節介が思わぬ方向に転んでしまったようだ。いま働いているスタジオでは新卒募集はないらしいし、だったら募集を出している映像関係の企業にエントリーしてみればと思うのだが、淳は「そこが問題やねん」と顔をしかめた。
「映像は進行やら編集を管理する制作会社と、カメラ回したり現場の仕事をする技術屋に分かれるんやけど、どっちに進むかで大違いやねん。今はまだ現場におるのが楽しいだけで、どっちがやりたいかわからん」
現在のアルバイト先の制作スタジオは技術屋に当たるが、ほとんどの業務を社外の契約スタッフに依存している。正社員は社長の岸さんと経理の奥さん二人だけ。映像技術系はフリーランスの巣窟であり、仕事に合わせて様々なフリーの技術屋でチームを組むスタジオは少なくない。
「何度か仕事させてもらった福井さんっていうカメラマンも、めっちゃ腕がええんやけど正社員では難しい言うとったしな。副業で実家の手伝いしてるって言うてはったわ」
「だったら、就職先としては可能性が薄いよね。楽しいならバイトは続けてもいいけど、ほかの業界も調べてみない?他には何か興味あることないの?」
淳はスマホで先日撮影した試写を眺めている。普段なら穴が開くほどチヨの顔を見つめて過ごわんこ系男が、最近は心ここにあらずといった風だ。それもチヨには不愉快だった。ちょっと前までチヨがいないと大騒ぎしていたくせに。もう興味が他に移ってしまったのか。チヨはなおも問いかけた。
「もうそんなに時間は残ってないよ。まずは出席日数が不足しないように、学業優先でいこうよ。アルバイトで留年でもしたら、本末転倒だよ」
「そやな」
肯定の返事だが、まったくそう思っていないのがチヨにはわかる。どうやらこいつ、ハマりやがった。どうして女といいバイトといい、出会い頭にどハマりするのか。お前はジャック・マイヨールか。もっと広い世の中を見ればいいのに。淳はどんどん深みに潜っていく。
そんな恋人の姿に、チヨはため息をついた。情熱家で制御ができない、ロケットみたいな淳の性質は、コツコツ型の自分とは正反対のものである。付き合い始めたとき、彼が暴走したら容赦なく引き戻すと言ったが、どうやらそろそろ手綱をしっかり握っておいた方がいいのかもしれない。




