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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;4 もう、後戻りできない
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4-1



 めでたく恋人同士になったチヨと淳だが、彼らの前に立ちはだかる問題があった。それは「就職活動」である。


 栄架産業大学、通称「エーサン」のような中の下大学にもその波は押し寄せていて、彼ら3年生ではすでに春から活動を始めている学生も少なくない。淳も学生課の指導を受けつつエントリーカードを提出したり、企業説明会などに参加したりはしていたものの、何しろ目標がいまだ曖昧で、何の業種に絞り込んでいいのかわからない。


 実家の父親が工場を経営しているので、一応は社長の息子ではあるのだが、両親ともに息子に継がせる気はなく、昨今の不景気から自分たちの代で事業をたたむつもりでいるらしい。父はまだ50代前半なので、しばらくは続けるだろうが、そういうわけで将来的に実家を手伝う選択肢はない。




 一方チヨは、帰国以来サポートをしてきた外国人向けツアーガイド会社からの紹介を受け、現在は外資系ビジネスホテルのアルバイトをしている。これが事実上のインターンシップとなり、あとは4年生になってから形式上の面接を受ければ、ほぼ就職は内定するといったところまでこぎつけている。



 この「格差」は淳には非常にきつかった。ただでさえ彼女の方が年上で賢く、何かにつけリードされている。就職という一生の問題を前にして、どうにか男としてしっかりせねば格好がつかないと考えてしまうのだ。




「淳の好きなこと、まずは探してみることからだね」



 ようやく名前で呼んでくれるようになった恋人が、長い髪をゴムで縛ってラーメンに挑む。口をすぼめて麺をすする姿もセクシーだなと淳が鼻の下を伸ばしていると、チヨの容赦ない叱責が飛んできた。



「だいたい、あんたは自己分析ができてないのよ」




「好きなこと」と言われて真っ先に浮かぶのは、目の前の本人であるが、それを言うと「うざい」と言われることはわかっていたので、黙っておいた。付き合い始めの熱は、冷めるどころか活火山のように噴火を続け、淳がチヨの周りをついて回る光景はエーサンではおなじみになった。


 周囲では、不愛想の帝王をどうやって飼いならしたのかと、チヨの手腕が高く評価されている。しかしなんのことはない、あの仏頂面の下にわんこが隠れていただけだ。むしろ大学の仲間が見ていた海東淳がフェイクなのである。



「こういうの面白そうだね。映像制作の助手だって。映画いっぱい観てるし、向いてそうな気がする」



 チヨがアルバイト探しのスマホサイトで見つけた募集要項を見せてくる。確かに映像には興味はあるが、どれも時間が不規則で時給が激安だ。夜中や明け方にも呼び出され、安い金でこき使われるイメージがある。



「面白いかしらんけど、就職には結びつかんやろ、それ」


「あくまでも一例としてよ。だいたい、今やってる宅配バイトだって就職には関係ないでしょ。とりあえず、こういうサイトで募集要項を見るだけでも、いろんな業界の実情がわかるんじゃない」


「まあ、参考にはなるわな」


「アルバイトと就職は違うけど、興味がある分野というのは大切だと思うよ。私もいまのバイト、興味から就職につながったし」



 募集サイトを眺めていると、映像の助手がいくつかあった。アルバイトの需要が高い職種なのかもしれない。その中に家から比較的近く、労働条件の合うスタジオがあった。制作内容はテレビCM、企業販促用ビデオなど。ちょっと興味がわいてきた。



「もちろんインターンで入れるところがあれば飛び込んで、アルバイトもちゃっかり利用すればいいんじゃない。学生の特権なんだから、やってみたいことは何でも今のうちにやっとくべきよ。その中から当たりがあればラッキーじゃない」


「おっしゃる通りでございます」



 アルバイトの身分なら、身軽であるのは確かだ。まずは「この先、何がしたいか」を探すために、興味のあることは手あたり次第ぶつかっていくしかない。それをチヨは感覚的につかんで早々にスタートしていたのだ。自分も負けてはいられない。


 淳は制作会社の申し込みフォームを開いて、面接の申し込みを取り付けた。就活中とはいえ、仕送りに頼る貧乏学生にとってアルバイトは不可欠だ。どうせ稼がねばならぬなら、少しでも面白い方がいい。






 雑居ビルの5階にある制作スタジオ「有限会社Σ(シグマ)エンターテイメント」に、淳が訪問したのはその翌週。チヨいわく「エンターテインメント」が正しいらしいが、細かいことは気にしないでおいた。段ボール箱や撮影小物と思われる物体で雑然としたオフィスの片隅に、ようやく開けられた対談スペースで、ザビエルにちょっと似た中年の面接担当者から「いつから来れる」と聞かれた。



「え、採用なんですか」


「基本、バイトは雑用と体力仕事なので、特にスキルはいらないよ。海東くん、体弱いとかじゃないよね」



 ザビエル氏は岸さんといって、名刺には代表取締役/制作部プロデューサーと書かれていた。全員で10人に満たないはずの会社で、いくつ部門があるのか。とりあえず数日後に短い動画の撮影があるので、そのアシスタントに入ってくれとのことで、淳は了承した。


 しばらくはこの臨時アルバイトと宅配とのかけもちで、その間に就職セミナーなどにも参加する。なかなか忙しいが、一部の優秀な学生や親族企業への就職が決まっている者以外、大学の後半はみんな必死だ。それでも停滞していた流れが動き始めて、淳の心は軽かった。チヨがいてくれたら、何でもうまくいきそうな気がしてくる。






 チヨのアルバイトは、都内にあるビジネスホテルのレセプション、いわゆる受付業務である。本社企業はシンガポール資本で、日本の小規模なホテルチェーンを買収して勢力を伸ばそうとしている。チヨは当初、雑務担当として裏方仕事をしていたが、流暢に英語が話せることと、すらりとした容姿が見込まれて受付業務に移動となった。


 実はチヨはこれが気に入らない。ホテル経営のノウハウを学ぶには裏の仕事の方が適しているし、学生アルバイトの分際で花形ともいえる受付担当になったことで、先輩社員の反感を買っているからだ。先日もそれとなく嫌味を言われた。



「瀬川さん、うまいことやったよね。アルバイトなのにレセプションなんて」


「インバウンドのおじさんたちに受けるよね、そのうち大陸にお持ち帰りされる日も近いんじゃない」



 曖昧に笑ってやり過ごす。無事に入社したら昇進試験を受けて、お前らを使う側に回ってやる。首を洗って待っとれよと、チヨは心の中で鼻息を荒くした。こういう人たちは、どの会社にも一定数いるのだ。相手にするだけ時間の無駄である。それより今の間にやっておきたい勉強がある。



 チヨはエセ笑顔を張り付けたまま「お疲れ様でした~」とロッカールームへ向かい、いつものジーンズとシャツを身に着けた。さあ、これからが自分磨きの時間。駅前に新しくできた大型書店で将来のためのヒントを探すのだ。




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