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チヨの総て  作者: 水上栞
Vol;3 カミングアウト
33/77

3-10



「高校に入って、めっちゃ好きな女ができた。友達の従姉妹で、その頃は地元でタレントしとった」



 淳が小学校2年の時、橋本というお調子者が劇団に入ってきた。無口な淳と陽気な橋本は不思議に意気投合し、以来親友として付き合う仲になったのだが、高校2年の夏休み、たまたま橋本の家に遊びに行った時に従姉妹を紹介された。それが当時、地元タレントとして人気が出ていた4歳年上の笙子だった。



「今やったら何やこのケバい女、て思うんやろうけど、その頃はガキやから夢中になってしもて」



 笙子は流行のブランドファッションで身を固め、長い脚を惜しげもなくミニスカートから覗かせていた。そんな女豹のような女が純情な年下男の魂を抜くのに、そう時間はかからない。会って一週間後、淳は笙子に呼び出された戎橋のホテルで童貞を奪われ、その翌日には一月前から付き合い出した同じ年の彼女に、一方的に別れを切り出した。


 そうなると後は泥沼にはまるばかりだ。日がな笙子の事を考え、次はいつ会えるのか、悶々としながら過ごす毎日が続いた。その時はそれが恋だと思っていたのだが、今から思えば性の虜になっていたのだと淳は顧みた。



「そこで、その女の正体に気付いとけば良かってんけどな」



 結局、笙子の都合のいい時に呼び出されるだけの付き合いが1年近く続いた。笙子は夜中であろうが構わず電話をしてきたので、そのたびに八尾から原チャリを飛ばして会いに行く。デートの金を捻出するため、学校で禁止されているバイトも入れた。それくらい淳は笙子に溺れた。


 ただひとつ、不満と言えば普通の恋人同士のようなデートがなかった事だ。一度UFJに行こうと誘った事があるのだが、事務所がうるさいから無理だと断られた。人気商売のため、恋人の存在を公表できないのだと涙を零す笙子に、淳が易々と騙されたのは言うまでもない。


 しかしとうとうある日、笙子の本性が発覚する事件が起こってしまった。



「劇団の稽古の帰り、ホテルから笙子が出てくるのを見たんや」



 男とべったり腕をからめて歩く姿を、最初は見間違いかと思った。しかし、エルメスのバッグにミニスカートの後姿は確かに笙子のものだ。男は見たところ40代半ばで頭髪が薄く、どうしてそんな男と笙子がホテルにいたのか、淳はパニック状態に陥った。


 そのうち男の手が淳のものであるはずの笙子の腰を引き寄せ、厭らしい笑いを浮かべて彼女の唇を吸い始めた。笙子もそれに嬉しそうに応えている。たった今まで二人が何をしていたかなど、誰が見てもわかる事だ。しかし淳には目の前の光景が信じられなかった。やがて二人は拾ったタクシーで走り去り、淳の前には滲んだミナミの夜景だけが残された。




 淳はその後、笙子が自分だけでなく仕事に役立ちそうな男となら、誰とでも寝ることを知った。現実を突きつけられてようやく、辻褄の合わないことの理由が理解できたのだ。


 笙子はテレビ関係者から始まり、実業家、プロ野球選手、政治家とも関係を持っていた。自分の場合は天才子役の再ブレイクでも狙って種まきしていたのだろう。それを知るうちに、淳は常軌を逸脱した行動に出てしまった。



「婚姻届を出した。18歳になってすぐ」


「それって、相手の承諾は」


「ない。私文書偽造、犯罪や」



 淳はもはや開き直ってしまったのか、コーヒーを一口含むと、再び淡々と話を続けた。



「書類は揃えようと思えば何とかなる。未成年の場合は親の同意書がいるけど、これも勝手に作れる。ザルみたいな法律や」



 そして婚姻届は受理され、笙子が知らぬまま淳は法律上の夫になった。しかし、淳の目的はその先にあった。笙子と関係のある男へ自分が彼女の夫であると名乗り出て、浮気の証拠写真を突きつけ、今すぐ別れるか裁判をするか選べと迫ったのだ。



「笑うで、みんな同じことしよる。最初はガキがふざけんな、って相手にされへんけど、正式な夫やとわかったら金包んで逃げる。別に金よこせとか言うてないのにな。政治家のおっさんなんて100万包んできよったわ」


「逮捕されなかったの」



 チヨが怯えるのも無理はない。少年法に守られているとは言え、脅迫に等しい行為だし金銭の授受もある。しかし結果的には何事も起こらなかった。もちろん笙子にはバレてボロカスに罵られたが、相手の男たちは世間を恐れて沈黙した。


 その後は家裁で婚姻無効の調停が行われただけで、淳の親と笙子の実家で内密に話し合い、淳が受け取った総額約350万円を笙子に渡すことで話がついた。このことは親戚や淳の弟にも知らされていない。



「それからは劇団もやめて、親とも喋らんようになって、受験もどうでもよくなって。大阪におりたくなかったから、千葉に来た」



 以来、淳はまた子供の頃と同じように、感情を閉じこめてしまうようになった。事件から時間が経って頭が冷えるとともに、自分の内面に巣食う狂気や闇がくっきりと照らし出され、再び感情が動くことでそれらが噴出するのではないか。それが怖くてたまらなかった。



「人と関わるのはやめよう、女には二度と惚れん、そう思うとった。チヨに会うまでは」




 そこまで語って淳は、ゆっくりと大きな溜息を吐いた。相当テンションを張りつめていたようで、表情に薄っすらと疲労が見える。



 長い間、そのまま二人は黙っていたが、やがてチヨが席を立ってやかんを火にかけた。熱いコーヒーを淹れなおして、しっかり考えをまとめてみたかった。淳は一昨日の問題だけではなく、過去もふくめた自分への裁きを望んでいる。ならば、彼の曝け出したものを一旦すべて自分の中に受け入れたうえで、そこから答を導き出さねばならない。


 大変な作業だと思った。正直、淳が口にした事の衝撃が重すぎて、チヨにはどうしていいかわからなかった。




 湯がわいて、やかんが笛をふく。ハッと意識を取り戻したチヨは、さっきより少し濃い目にコーヒーを淹れ、再び長い時間をかけて淳と向かい合った。


 今までの自分がそうしてきたのとはまた別の意味で、目の前の男もある一瞬から時間を止めて生きてきた。しかし彼はチヨに出会い、再び今を生きようとしている。錆びついた彼の秒針が動き出すかどうかは、これから出されるチヨの答え次第だろう。それが彼を受け入れるものにせよ、突き放すものにせよ、彼らの関係が今日を境に変わる事は避けられまい。



 小さな部屋を支配する空気とは対照的にぎらつく窓外の陽光を眺めながら、チヨは眩暈を起こしそうな混乱に陥っていった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] なんと…… 海東くんたら! そんなことをしてたんですかい! 若気の至りですか! やりますね! それにしても笙子……魔性のおなご!
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