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「は、はーん」
いかにも面白い獲物がかかった、という風な水谷のニヤけ顔にパンチをお見舞いしたい衝動を抑え、淳はぐっと奥歯を噛みしめた。
「で、その相手の男が誰なのか調べて欲しいってわけな」
「そうや」
「そんなの、チヨさんに直接聞きゃあいいじゃん。スナオちゃん、チヨさんと仲良しなんだからさぁー」
「聞かれへんからお前に頼んどんのやろ」
「ほー、それが人にものを頼む態度?」
淳の眉間のシワが鬼のように深くなる。それを満足そうに眺めた水谷は、「だったらさ」と思った通りに交換条件を提示してきた。
「今度の週末のコンパ、出席で手を打つ」
「アホか、何でそんなもん――」
行かないかんねん、と言いかけて淳は口を噤んだ。たった数時間、アホな話をしながら飲み食いする程度で疑惑が解明されるなら、安いものだ。仕方がないなと諦めて、淳は承諾の意を伝えた。
「行ったらええんやろ」
「やりィ、これで女子メンツが格上げできる」
「で、いつ頃までに調べられんねん」
「ああ、それ最初から知ってた、俺」
「はぁ?」
しれっと答える水谷に、思わず淳の咽喉から素っ頓狂な裏声が出た。
「4年生の田代さんだろ、チヨさんと同じゼミの。ここんとこ彼女にえらくご執心らしいって噂になってんぞ」
「お前、知っとんのやったら最初から言えや!」
「へへ、約束は約束だからな」
半ばはめられた状態で頭から湯気を出す淳に、水谷はぴしっと指を突きつけ、ちゃっかり念押しをしてカフェテリアを出て行った。残された淳はしばらく呆気に取られていたが、やがて頭を抱えた。
脳髄に強烈にインプットされた「4年生の田代さん」、しかしそれがわかった所で、どう太刀打ちするかまでは知恵が回らない。だったら、せめて先手を打つまでだ。取り合えず淳はチヨにLINEを入れた。今日はチヨのバイトが休みの日だ。自分は9時まで宅配のバイトがあるが、その後でちょっと遅い夕飯にでも誘えば、今夜あの男が付け入る隙はないだろう。
――ごめん、今夜はゼミの飲み会なんだ。
返って来た文面の「ゼミの飲み会」という言葉でブチ切れた。チヨは二つゼミを取っているが、何故か田代のいるゼミの方だと確信めいたものがあった。ご執心な男が、飲み会で狙っている女と同席とくれば、仕掛けてこないはずはない。淳はメールでなく、電話でチヨの居場所を確かめた。
「今どこおんねん、え、学食ってどっちの、第一? そっから動いたらあかんで、ええな、すぐ行くから」
ちょうど昼時だった事もあり、チヨはランチの最中らしい。淳はすぐさま第一学食を目指して走った。後の授業がつかえていたが、構うものか。人でひしめき合う巨大な学食中を、焦った顔の眼鏡男が走りぬける様子を、トレイを持った学生達が物珍しそうに眺めていた。
探し始めて数分後、ようやくテラスに近い一画のテーブルに淳の目指す長い髪が見えた。
「海東くん、どしたの」
肩で息をする淳を、チヨが何が起こったのかと訝しがる。その身なりを見て淳は思い切り顔を顰めた。
下はがっちりとジーンズで固められているが、上半身は何とノースリーブ一枚という露出っぷりなのだ。そのうえ首回りが大きく開いているため、ちょっと下を向くと胸元がちらりと見えてしまいそうだ。こんな格好で狼の待つ飲み会に行かせるわけにはいかない。淳はチヨの手首をつかむと、「ちょっと来い」と学食のテラスから外へ引っ張り出した。
「なによ、もう!」
「何考えとんねん」
「は、何がよ」
「そんな裸みたいな格好で飲み会に行くんか」
裸みたいな、と言われてチヨは自分の服装を見回してみたが、別段いつもと変わった所はない。蒸し暑い初夏の事で、学内では薄着の学生が多いし、夜はこの上にカーディガンを羽織って行くつもりだ。それなのに、まるで露出狂みたいに言われる筋合いはない。
「はあ? これのどこが裸なのよ。第一、私が何を着ようが、海東くんには関係ないよね?」
少しイラッとした不快感を含みつつ、チヨは腕を組んで淳を睨みつけた。
しかし彼女は知らない。腕を組んだ事でチヨの控えめな胸が左右から寄せられ、開いた胸元に谷間の影を作っている事を。それに気付いた淳が目を見開き、本能から迸ったとしか思えない大失言を吐いた。
「チチ寄せて見せなあかん男でもおんのか、ゼミに」
「チ、チチ…?!」
一瞬の沈黙ののち「バカ! 変態!」という罵声が中庭に響きわたった。憤慨したチヨの背中が去っていく様を、淳は後悔にまみれながら無言で見送るしかなかった。ひとこと「行くな」と言うだけで阻止できたかもしれないのに、言葉は選び間違えると怖い。あの様子では今夜千葉地方がハリケーンに襲われると言われても、チヨは飲み会に参加するだろう。
学食に戻ると、さっき一緒に食事をしていた友人たちが目を輝かせてチヨの帰りを待ち構えていた。中でも酔っ払い悠花と国際学科のマドンナ梨絵は、淳と面識があるため、いったい二人の仲がどこまで進展しているのか興味津々といった様子だ。
案の定、席に着くなり梨絵が焼きプリンのスプーンを持ったまま、肘でつんつんとチヨをつついてきた。
「お手手つないでドコ行ってたのかなぁ」
「そーゆーのじゃないから」
「んじゃ、どーゆーの?」
適当に流そうとしたところを、今度は悠花が突っ込んでくる。面倒くさいので黙って食事の残りをかきこんだ。せっかくの炒飯定食が、すっかり冷めてマズいことこの上ない。チヨは添え物のシュウマイだけを平らげると、「ごちそうさま」と言ってトレイを片付けようとした、その時。
「海東くん、めっちゃ焦ってたよね」
「やっと気付いたんじゃないの」
悠花と梨絵の不可解な会話が耳に入り、踏み出した足が止まってしまった。
「気付いたって、何に?」
「決まってんじゃん、田代さんがチヨさん狙いだってこと」
「えっ、田代さん?」
「えええ~~、まさか!知らなかったとか言わないよね」
その後、チヨは重たい気分で午後を過ごした。たぶん自分のことには鈍感なのだろう。申し訳ないが、田代さんの秋波には全く気付いていなかった。淳が焦っていたのは、それが原因だったのか。ならば「チチ云々」の話も納得できる。正直言えば、妬いてくれたのは嬉しかった。自分の事をまだ好きでいてくれる何よりの証拠だからだ。
しかしそれと同時に、公衆の面前で罵倒してしまった事が悔やまれてならない。近いうちにきちんと自分から謝ろう。そう決心してチヨはカーディガンの前ボタンを一番上まで止めた。飲み会をキャンセルする事も考えたが、約束は約束だ。田代さんに何か言われた時は、毅然とした態度で断ればいい。すでに自分の中で気持の整理はついているのだから。




