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この間までTシャツ一枚で汗をかいていたのに、最近は夜など原チャリに乗る手が凍えそうになる。薄くなった壁のカレンダーを見て、今年もあと1ヶ月半で終わるのだと思うと、淳はやりきれない気分になった。
生まれ育った街を離れ、勢いで入学した大学での生活も来年は3年目を迎える。それなのに何の将来も思い描けない自分に苛立ちを感じて仕方がない。「淳くんは何になるの」と聞かれるたび、迷いなく答を返せた少年時代。あの頃の自分は幻だったのだろうか、それとも今の自分が嘘吐きなのだろうか。考えるほどに自分という人間がわからなくなる。
時々、「お前はいったい何がしたいのか」と、自身に問いかけてみるが答えは返ってこない。見えない明日にどこかで怯えながら、淳は今年初めてのセーターに袖を通した。
まもなく12月になろうかという週末の午後、淳は珍しく新宿のミニシアターに足を運んだ。お目当ては「ビハインド・ザ・サン」というブラジル映画のリバイバル上映である。DVDでは観ていたが、大きなスクリーンでぜひとも鑑賞したかった。
日本で公開されたときは上映館がわずかだったが、今日は思ったより観客が多い。何しろ監督が「セントラル・ステーション」のウォルター・サレス。ブラジルの僻地に暮らす二組の家族の確執を描いたもので、ロミオとジュリエット的な許されぬ恋が甘い色彩を加えていく。
血なまぐさい展開が続くその中にあって、ブラジルの大地の壮大なスケール、そしてロドリゴ・サントロの完璧な美貌が、逆に何とも言えない哀しみを際立たせる作品だった。
流石はウォルター・サレス、マニアが賞賛するだけの事はある。そう感慨に耽っているうちにエンドロールが終わり、明るくなった館内に残った客はたった二人。気付けば何とひとつ後ろの列の椅子3つ向こうという至近距離で、チヨが目を真ん丸くしていた。
「あっ」
「おっ」
お互い、会うたびいつも驚いているような気がする。それほど偶然会ってしまうのは、よほど出没ポイントがシンクロしているせいだろう。取りあえず良い映画を観た後でこの面合わせとなれば「大いに語るしかない」と、二人は手近なカフェに飛び込み、即席の映画評論大会を設けることにした。
「久しぶりだよね」
熱々のカフェモカをすすりながらチヨがにかっと笑う。九十九里浜までのドライブから早1ヶ月半。その間、何度もお互いに連絡を取ろうと思いながら、取り立てて用事がないことに腰が引け、メールのひとつも送れないままでいた。
そんな不器用で意地っ張りな彼らにとっては、今日の偶然は願ってもない幸運であり、何よりまた映画の話ができる事が嬉しくて仕方がなかった。最悪だった初対面の印象から比べると、何という進歩だろうか。
「まさかあんな所で知り合いに会うとは思わんかった」
「私もだよ、しかしエンドロールまで気付かないなんてね」
「けっこう内容がしんどいからな。入りこんどったわ」
「ロドリゴめっちゃ綺麗だったよねぇ」
火がついた映画話は一気に加速し、淳もエスプレッソ・コンパナを片手に、本日の映画はもちろん最近観たおすすめ作品についても熱く語り上げた。
普段の淳を知っている人間がその様子を目撃したら、まず他人の空似と思うに違いない。ノリノリでマシンガントークの海東淳など、真夏の雪に匹敵する椿事である。それほど彼らはよく喋り、笑い、自己を開放して時間を過ごした。
「あ、もうこんな時間」
ふと時計を見ると2時間近く喋っていた。初冬の早い夕闇が空に仄かな翳りを落としている。あと1時間もしないうちに辺りはとっぷり暮れてしまうだろう。
「何か用事あんのか」
「うん、これからバイトなの」
「例の通訳?」
「ううん、今日は飲み屋さんのアルバイト。今度おいでよ、食事もお茶もあるし、そんなに高くないから」
チヨのアルバイト先は、大学に近い駅裏の飲食ビルにある「ジェイズ」というレストラン・バーで、アメリカ人がオーナーをしている関係で客も外国人が多い。そのため、英語が多少喋れるチヨは高待遇で雇ってもらっているらしい。ここ1年ほど、週末はほとんどその店に入っているとチヨは言った。
賑やかな場所にあるそのビルは、淳もよく前を通るエリアで中のテナントを利用したこともある。そんな身近な場所で生活が交錯していると思うと、淳は不思議な気持になった。知り合う前の彼女と、どこかですれ違っていたかもしれない。
淳は決して運命論者ではないが、夕暮れに染まるチヨの長い髪を眺めていると、ふと柄にもなくポエティックな気分になるのが自分でも可笑しかった。
「ほな、そろそろ出よか」
淳は苦笑し、ジャケットを持ち席を立った。今度、突然チヨの店に行って驚かせてみようかなど、およそ彼らしくない企みを胸に秘めながら。




