第9話 あの日、私は株に夢を見た
「葵ー!」
背後から名前を呼ばれ、私は振り向いた。
見ると、由美と薫が小走りで駆け寄ってきた。
「もう、今日の授業おしまい?」
「うん。もう帰ろうかなって」
「じゃあ、飲みに行こうよ!」
「カラオケも行こう!」
私は、少し考えた。
今日はバイトもないし、時間はある。
ただ、お財布の中身は、ちょっと寂しい。
「まあ、時間はあるけど……」
言い終わる前に、二人に両脇を固められた。
「よし、決まり!」
「そうこなくっちゃ!」
……まあ、いいか。
◇
「じゃあ、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
私たちは、駅前にあるバルの片隅でグラスを重ねた。
この店は野菜料理が充実していて、女子会にはぴったり。私たちもよく利用している。
「とうとう、就活の時期が始まったね」
由美がサラダをつつきながら、つぶやいた。
「そうね。エントリーシート、いっぱい書かなくっちゃ」
薫も相づちを打つ。
「やっぱり、八月になったらインターンに参加する?」
「当たり前でしょう?」
「理工学部は学校推薦もあるけど、必ず受かるわけじゃないらしいしね」
「やっぱりそうよねー」
由美が、ふと私の顔を見た。
「葵、あんた、インターンまでにその金髪、染め直さないとダメだよ?」
「そうよ。あんた、ただでさえ見た目が派手なんだから」
「わかってますよぉ。夏にはちゃんと就活生っぽくなりますよ」
……あんたたちも十分派手だけどね。
私は心の中でつぶやき、ワインをひと口飲んだ。
それにしても。
就職活動か。
この前、大学に入学したばかりだと思っていたのに。
いよいよ、遊んでばかりはいられないということだ。
気分が下がる。
なにより、気になるのはお金のことだった。
「就活が始まると、バイトを減らさないといけないよね?」
「そりゃそうでしょ?」
「確実に金欠になるわね。うちの親、仕送り増やしてくれないかなあ」
「うちは無理ね」
「私のところも無理だわ」
私も同調した。
私の両親は、決して裕福ではない。
それでも、私が志望校に合格したときは、進学を喜んでくれた。
高い学費を払ってくれたうえ、一人暮らしまでさせてくれている。
本当に、頭が上がらない。
だからこそ、これ以上、親に負担をかけたくはなかった。
でも。
家賃込みで月八万円の仕送りでは、到底足りない。
キャンパスライフを楽しみたいし、女の子は生きているだけでお金がかかる。
服や化粧品だって欲しいし、友達との付き合いもある。
足りない分は、自分で稼ぐしかない。
私は居酒屋のアルバイトを週四日、四時間ずつこなし、月に七、八万円を稼いでいた。
おかげで、なんとか学生生活を楽しめている。
けれど、就活が本格化すれば、今までどおりには働けない。
この収入が大幅に減ったら、いったいどうやって生活すればいいのだろう。
「どうしたものか……」
私はため息をついた。
薫も、同じようにため息をつく。
そのとき。
「いいこと、教えてあげようか?」
ふいに、由美が不敵な笑みを浮かべた。
「これ、見て!」
由美がスマホの画面を私たちに見せた。
そこには、右肩上がりの赤い線のグラフが表示されていた。
「これは、株価のチャートね!」
由美が得意げに言った。
「株価?」
「株価?」
私と薫は、そろって首をかしげた。
「そう。私、実はこの前から株取引を始めたんだ」
「由美、すご!」
「大人だ!」
「ふふん。サークルの先輩に教えてもらったのよ」
由美は、どこか誇らしげだった。
「で、今持っているのが、この株。ダブル・スコープって会社。通称、ダブスコ」
「ダブスコ?」
「聞いたことない」
「そうでしょうね。電気自動車に使われる電池の部材を作っている会社なんだけど、子会社の上場が近いとかで、今すごく注目されているのよ」
「へえー」
「へえー」
「これからは電気自動車の時代でしょ? だから、EV関連の株はまだまだ伸びるって言われているの」
由美は、スマホのチャートを指でなぞった。
「ほら、こんなに右肩上がり。すごいでしょう?」
確かに、見事な右肩上がりだった。
「私、十五万円で買ったんだけど、今は二十万円。たった一か月で五万円も儲かってるのよ!」
「たった一か月で五万円?」
「なにそれ。チート?」
薫と私は、思わず顔を見合わせた。
五万円。
居酒屋で何十時間も働いて、ようやく手に入る金額だ。
それが、たった一か月で?
「しかも、まだまだ上がりそうなのよね。私、買い増しするつもり!」
由美は自信満々だった。
私は、スマホの画面に釘付けになった。
もし、本当にこんなふうにお金が増えるのなら。
就活でバイトを減らしても、生活に困らずに済むかもしれない。
親に、これ以上負担をかけなくてもいいかもしれない。
「ねえ。その株取引って、難しいの?」
薫が身を乗り出した。
「スマホがあれば簡単よ」
由美は、にっこりと笑った。
私は、思わず口を開いた。
「由美、それ、私にも教えて!」
「もちろん!」
由美は、満面の笑みでうなずいた。




