第4話 なぜか自転車を買うことになりました
次の週末。
俺は、葵ちゃんに連れられて自転車屋さんにやってきた。
店内には、ずらりと自転車が並んでいた。
ママチャリしか乗ったことがない俺にとって、こうしてスポーツタイプの自転車をじっくり見るのは初めてだ。
よく見ると、どの自転車も、なんていうか、かっこいい。
ママチャリとはフォルムが全然違うし、カラーリングもいかにもスポーティーだ。
最初はあまり乗り気ではなかったが、こうして眺めていると、少しずつ自転車に興味が湧いてきた。
「自転車って、こんなにいろいろあるんだね。感心するよ」
「そうでしょう? 見て回るだけでも楽しいよね」
「ところで、この前言っていたロードバイクとクロスバイクって、どう違うの?」
「大きな違いはハンドルね。ロードバイクはハンドルが曲がっていて、本格的な長距離走行やスピードを求める人向け。そのぶん、高価なモデルも多いわ」
葵ちゃんは、ロードバイクの一台を指さした。
「それに対して、クロスバイクはハンドルがまっすぐ。街乗りや、ちょっとしたお出かけ、週末のサイクリングなんかに向いているの。だから佑太くんには、こっちがおすすめなのよ」
そう言いながら、葵ちゃんはいくつかの自転車を見比べ始めた。
どうやら、俺に買わせる自転車の候補を絞り込んでいるらしい。
「佑太くんにはタイヤが太めのタイプがいいと思うわ」
「タイヤが太め?」
「そう。細いタイヤの自転車は舗装路を速く走るのに向いているけれど、太めのタイヤなら安定感があるし、多少荒れた道でも走りやすいの。公園や田舎道をのんびり走るなら、ちょうどいいと思うわ」
「どれもよさそうだけど、どれがいいんだろう?」
「このあたりのモデルなら、変速機もシマノ製だし、ディスクブレーキも付いているから、普段使いには十分よ」
「シマノって、有名なの?」
「自転車の部品では有名なメーカーよ。まあ、細かいことを気にするより、あとは見た目で選べばいいわ。見た目は大事よ」
……意外と、最後は感覚なんだな。
俺は何台かを見比べた末、GIANTの『GRAVIER DISC』というクロスバイクを選んだ。
黒を基調にしたボディが、実にかっこいい。
これなら、乗っているだけで気分が上がりそうだ。
自転車本体に加え、ヘルメットや鍵、ライトなどの備品も購入する。
安全に走るためには、こうしたものも必要らしい。
結局、合計で十万円ほどの出費になった。
決して安い買い物ではない。
それでも、自分で選んだ自転車を眺めていると、不思議と後悔はなかった。
むしろ、早く乗ってみたいという気持ちが湧いてくる。
「どう? まんざらでもないようね?」
葵ちゃんが、俺の顔を覗き込んできた。
その表情は、まるで自分のことのように得意げだ。
「うん。思っていたより、ずっとかっこいいね」
「でしょう? これから、二人でいろんなところに行きましょうね」
そう言って、葵ちゃんはうれしそうに笑った。
……まあ、これだけ喜んでくれるなら、買った甲斐もあったというものだ。
◇
それから最初の週末。
俺たちは、さっそく自転車で出かけることにした。
葵ちゃんの後ろを走りながら、俺は慣れないギアチェンジに戸惑っていた。
ペダルを漕ぐ力を調整しながら、ギアを切り替える。
最初は少しぎこちなかったものの、しばらく走るうちに、だんだんと操作にも慣れてきた。
風が頬を撫で、街並みが後ろへと流れていく。
少し先を走る葵ちゃんの背中を追いかける。
遠くに見える山並みと、青い空。
普段の通勤では味わえない、のんびりとした時間が流れていた。
「どう? 気持ちいいでしょう?」
少し先を走っていた葵ちゃんが、振り返って笑った。
「うん。これは、なかなかいいね!」
正直、ここまで楽しいとは思っていなかった。
自転車なら、電車代もかからない。
しかも、目的地までの道のりそのものを楽しめる。
なるほど。葵ちゃんが自転車を勧めてきた理由が、少し分かった気がする。
……まあ、葵ちゃんと一緒だから、というのもあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は彼女の後を追った。
それからというもの、俺たちは毎週末、二人で自転車に乗って出かけるようになった。
葵ちゃんは近辺の地理にも詳しく、川沿いや田んぼ道など、サイクリングにうってつけのコースをいくつも知っていた。
行く先々で景色を楽しみ、休憩がてら公園に立ち寄る。
お金をかけなくても、二人で楽しめることは意外とあるものだ。
もちろん、俺たちのデート代は、ほとんどかからない。
……いや、待て。
自転車を買うのに十万円も使ったんだから、節約になっているのかどうかは、少し疑問が残る。
とはいえ、これから何年も乗るのなら、悪い買い物ではないだろう。
それに何より、葵ちゃんと一緒に過ごす時間が増えた。
……うん。やっぱり、買ってよかった。
◇
そんなサイクリングデートを重ねるうちに、季節はいつしか夏を迎えようとしていた。
葵ちゃんと付き合い始めて、もうすぐ三か月になる。
今のところ、俺たちの交際は順調そのものだった。
ただ、会社の人たちには、同期も含め、俺たちが付き合っていることを話していなかった。
別に秘密にしているわけではない。プライベートなことだし、なにより、わざわざ報告するのは照れくさい。
だから会社では、あくまで同じ部署で働く、ちょっと仲のいい同期という関係を装っていた。
俺は今の状況に不満はないし、葵ちゃんも同じ考えのようだった。
そんなある日、俺は課長に呼び出された。
「今年の新入社員が研修を終えて、うちの部署にも一人配属されることになった」
「長瀬、お前も仕事に慣れてきた頃だろう。新人の指導を任せたい」
「わかりました」
そんなわけで、俺は新入社員のチューターという大役を任されることになった。
「どんな子が来るんだろうね?」
「そうだね。やる気のある子ならいいんだけどね」
そんなことを葵ちゃんと話していた。
そして、いよいよ配属の日。
課長に連れられて、彼女はやってきた。
「山根涼香です。よろしくお願いします」
課長の横で、ペコリと頭を下げる彼女。
女の子だったのか……。
顔を上げた彼女は、にこりとほほ笑んだ。
それにしても。
ウェーブのかかった茶色の髪。ひらひらとした、かわいらしい服装。
ナチュラルなメイクに、屈託のない笑顔。
葵ちゃんとは正反対の雰囲気の子だな。
それが、俺の第一印象だった。




