第13話 花火大会と彼女のNISAの使い道
いよいよ、秋が訪れようとしていた。
そんなある日、俺は葵ちゃんを花火大会に誘った。
夏に比べると、秋の花火大会は少ない。
それでも、暑さの和らいだ夜に花火を眺めるのは、なかなか乙なものだ。
それに、お金を使わない葵ちゃんとのデートには、うってつけのイベントだった。
なんせ、花火を見るだけなら無料。必要なのは、会場までの電車賃くらいだ。
そんなわけで、葵ちゃんを誘ってみたところ、二つ返事でオーケーしてくれた。
ただし。
「食べ歩きは無しね?」
「えっ?」
「屋台って高いから」
……ぶれない。
◇
花火大会当日。
俺たちは、最寄りの駅で待ち合わせることにした。
待ち合わせ場所に現れた葵ちゃんを見て、思わず声が漏れた。
「おお……」
白を基調に、青い模様が入った浴衣。
いつもと違う雰囲気に、思わず見とれてしまう。
「葵ちゃん、浴衣かわいいね。よく似合ってる」
「ふふ。ありがとう」
葵ちゃんは、少し照れくさそうに笑った。
……うん。
やっぱり、かわいい。
「そういえば、葵ちゃん。今日はいつものリュックを背負ってないんだね?」
「さすがに、浴衣にリュックはおかしいからね」
葵ちゃんは、なぜか少し憮然とした表情で答えた。
「佑太くんも、浴衣姿の彼女がリュックを背負っていたら嫌でしょう?」
「そうだね。なんというか、風情が台無しって感じがするね」
「そうでしょう? さすがの私でも、それくらいの常識的なセンスは持ち合わせているよ?」
そんなたわいもない会話を楽しみながら、俺たちは電車に乗り込んだ。
車内を見渡すと、浴衣姿の乗客がちらほらと目につく。
カップルも多い。
みんな、これから花火大会に向かうのだろう。
俺は隣に座る葵ちゃんを見た。
なんだか、世間一般的なデートをしているようで、妙にうきうきした。
やがて、電車は目的の駅に到着した。
駅を出ると、花火会場へ向かう人々の流れができていた。
俺たちも、その流れに従って歩き始める。
人が多い。
浴衣姿で歩く葵ちゃんの歩幅に合わせながら、俺はそっと手を差し出した。
手をつないで、ふたりで歩く。
ああ。
これぞ、デートだ。
俺はひとり、感慨にふけっていた。
ただし。
葵ちゃんは、道沿いに並ぶ屋台をするすると素通りしていく。
さすがだ。
どうやら、葵ちゃんの眼球には、お金のかかるものを自動的にシャットアウトする機能が備わっているらしい。
ふと、気になったことがあった。
「ねえ、葵ちゃん」
「なに?」
「葵ちゃんって、いつまでNISAを続けるつもりなの?」
「そうねえ……」
葵ちゃんは、少し考えてから答えた。
「とりあえず、非課税保有限度額の1,800万円まで投資するつもりよ」
「1,800万円って、すごい大金だね」
「そうね。今のペースだと、十五年かかるわね」
「十五年かあ。先は長いね」
毎月十万円を積み立て続けて、十五年。
言葉にするのは簡単だが、実際に続けるとなると大変だろう。
「でもさ。そんなにお金を貯めて、何に使うの?」
俺が尋ねると、葵ちゃんはきょとんとした。
「使わないわよ?」
「……え?」
思わず、聞き返してしまった。
「使わないの?」
「つまりね」
葵ちゃんは、俺を見上げた。
「1,800万円を投資して、仮に年5%の利回りで運用できたとするでしょう?」
「うん」
「単純計算すれば、一年間で90万円分、資産が増えることになるの」
「90万円……」
葵ちゃんは、少しだけ声を弾ませた。
「この場合、月平均では75,000円になるわね」
「毎月75,000円か。それは大きいね」
「でしょう?」
葵ちゃんは、満足そうにうなずいた。
そして、少し遠くを見つめた。
「たとえば、そのころには、お金がたくさん必要になっているかもしれないでしょう?」
「お金が必要?」
「うん。たとえば、子供の養育費とか、学費とか」
「……子供?」
思わず、反応してしまった。
「もちろん、結婚するかどうかも、子供ができるかどうかも、まだわからないわ。でも、もしそうなったとき、少しでも余裕があれば、選べることが増えると思うの」
「選べること?」
「そう。お金がないから、子供にやりたいことを諦めてもらうとか。家族で出かけたいのに、我慢するとか。そういうことを、少しでも減らしたいの」
葵ちゃんは、ふっと笑った。
「もちろん、私自身も含めてね」
その表情は、いつもの彼女と変わらなかった。
けれど、その言葉には、俺が知らなかった葵ちゃんの思いが詰まっているような気がした。
「それに、たぶん物価も税金も、今より上がっているだろうし」
「……すごいよ、葵ちゃん」
俺は、素直にそう言った。
「そんな先のことまで考えているなんて」
俺なんて、そんなこと、これっぽっちも考えていなかった。
毎月の給料をもらって、必要なものを買って、残ったお金を貯金する。
将来のことといえば、せいぜい老後に困らないくらいのお金があればいい、という程度だった。
「まあ……」
葵ちゃんは、少しだけいたずらっぽく笑った。
「結婚するとも、子供ができるとも、決まっていないけどね?」
そう言って、俺を見つめる。
にっこりと。
……なんだろう。
今、俺は、とんでもないボールを渡された気がするぞ。
「佑太くん?」
「えっ? あ、なに?」
「もうすぐ着くみたいよ」
顔を上げると、いつの間にか、俺たちは河川敷に到着していた。
周囲には、花火の打ち上げを待つ人々が集まっている。
空はすっかり暗くなり、川面には街の明かりが揺れていた。
やがて、ドンッ! という轟音とともに、大輪の花火が夜空に開いた。
「わあ……!」
葵ちゃんが思わず声を上げる。
赤、青、緑、金色。色とりどりの花火が夜空を彩り、遅れて届く轟音とともに消えていく。
社会人になってから、花火大会なんて、ずいぶん久しぶりだった。
次々と打ち上がる花火に見入っていると、隣の葵ちゃんも目を輝かせていた。
その姿を見て、誘ってよかったと思った。
四十分ほど続いた花火も、いよいよクライマックス。大輪のスターマインが夜空を埋め尽くし、最後の一発が開くと、会場から大きな歓声が上がった。
やがて、拍手が広がっていく。
「……きれいだったね」
「うん。すごかった」
満足そうに笑う葵ちゃんを見て、俺も自然と笑顔になった。
◇
会場を出ると、駅へ続く道は大混雑だった。
人の流れに身を任せ、俺たちは再び手をつないで歩いていく。
浴衣姿の葵ちゃんは少し歩きにくそうだったが、その表情は満足げだった。
……よかった。
それにしても。
先ほどの、葵ちゃんの話。
結婚。子供。将来の家庭。
俺は、ふと想像した。
いつか、俺と葵ちゃんと子供たちが、ひとつ屋根の下で暮らすようになったら。
想像すると、胸の奥が温かくなった。
……悪くない。
いや。
そんな未来が、本当に訪れたらいいなと思った。
俺は、つないだ手に、ほんの少しだけ力を込めた。
葵ちゃんもまた、そっと握り返してくれた。




