第12話 敗北から始まる投資人生
親には、言えない。
真っ先に頭に浮かんだのがそれだった。
両親に泣きつけば、どうにかしてくれるだろう。そりゃあ、こっぴどく叱られるだろうが。
だが、日々、懸命に働く両親の姿が脳裏をよぎる。
無理をして工面してくれたお金を、こんな浅はかな行動で失くしてしまうなんて。
お父さんとお母さんの悲しむ顔がありありと浮かぶ。
涙があふれた。
では、どうする?
決まっている。
働くしか、ない。
それから、私の目まぐるしい日々が始まった。
バイトは週七日、シフトを入れてもらった。
ちょうど就活時期で人手不足だったようで、タイミングがよかった。
就活もすでに本格化していた。
昼は就活。そして、授業。夜はバイト。
睡眠時間を削り、食事は切り詰め、なりふりもかまわなかった。
◇
薫は、夜のバイトを始めたらしい。
由美は、親に白状した。
その結果、親は激怒。
一人暮らしをやめさせられ、今は実家から片道二時間かけて学校に通っている。
私は、夜のバイトを始める度胸も、親に白状する覚悟も、どちらも無かった。
◇
必死に働き、なんとか生活のやりくりができるようになると、私の心にも変化が生まれていた。
どうしようという焦りが徐々に収まり、次には、悲しさが心を覆った。
薫とも由美とも、あれ以来疎遠になっている。
あの日。バルでみんなで飲んだ日のことを思い出した。
(もしも、株取引なんてやらなければ、今もまだ、一緒に飲みに行ったりしてたんだろうな)
私が失ったものは、金銭だけではないことに気づいた。
そして、次に私の感情を支配したのは、怒りだった。
無責任に株を勧めてきた由美。
個人投資家を簡単に切り捨てる市場。
根拠もない勝手な意見をばらまくSNS。
いや、一番許せないのは。
おいしい儲け話に、ホイホイ乗っかった私だ。
あの日、間抜け面で由美の話に目を輝かせていた私の頬を、思いっきり殴ってやりたい。
最後に訪れた感情。
それは。
悔しい。
私は、市場に、負けたのだ。
もっと、私に、知識があれば。経験があれば。
悔しい。
そして。
このままでは終われない。
いつか、復讐してやる。
◇
大学四年、六月。
私は、いくつかの企業から内々定をいただくことができ、そのうちから、名古屋にあるシステム開発の会社に就職することに決めた。
周りのみんなは、せっかく就活が終わったというのに、依然として黒髪、黒縁眼鏡、地味なパーカー姿の私を見て、怪訝に思っていたようだ。
「葵ちゃん、なんか、物静かになったよね?」
「なんでも、株で大失敗したらしいよ」
そんな周りのひそひそ話も、当時の私には、もはや気にならなかった。
就活がひと段落すると、私は株式投資の勉強を始めた。
わからない言葉が出てくるたびに、調べた。
NISA。個別株。インデックス。日本株。外国株。
一つ調べると、また知らない言葉が出てくる。
それでも、今度は逃げなかった。
そして、NISAの成長投資枠で『eMAXIS Slim米国株式(S&P500)』を一万円分だけ購入し、毎日、その値動きと、世間のニュース、そして、一番重要な、揺れ動く株価に対する自分の心情をつぶさに観察した。
そして、自分なりに行き着いた答えは、
『株式投資は心理戦。それを制するのは、長期分散投資』
結局、メディアで耳にタコができるくらい言われている手法だった。
いくら正しいとされる言葉も、それを聞き入れる人がいなければ、意味がない。
馬の耳に念仏、か。
私はひとりごちた。
そして。
私は、社会人になったとき、決めた。
NISAでS&P500を全力投資する。
私の復讐の手段は、これだ。
◇
「ざっと、そんな感じよ」
話し終えた葵ちゃんは、コーヒーを一口飲み、ふぅと息を吐いた。
俺は、あまりの衝撃に言葉を失っていた。
まるで、ドラマのような話じゃないか。
でも、葵ちゃんの投資に対する尋常ならぬこだわりに、妙に納得がいった。
「まあ、それでも、損失額がそこまで大きくなかったのが救いよね」
「当時の学生の私にとっては、とても大きな金額だったけど」
葵ちゃんは、自嘲気味にほほ笑んだ。
「いや、すごいよ。葵ちゃん」
俺は、素直な感想を口にした。
「なんか、かっこいいよ」
「かっこよくないわよ! ちゃんと私の話、聞いてた?」
そう言って笑う葵ちゃんの手を、俺はそっと握った。
「俺、葵ちゃんのこと、応援する。投資も含めて」
「そう? ありがとう」
葵ちゃんは、俺の手を握り返した。
見つめ合う二人。
……うん。なんだか、いい雰囲気だ。
そういえば。
もうひとつ、葵ちゃんの話の中で、とても気になったことがある。
「葵ちゃん?」
「うん?」
「学生の頃の写真、見せて」
「……」
「金髪の頃のやつ」
「や」
葵ちゃんは、プイッと横を向いた。
「見たい」
「だめ。恥ずかしい」
……これは、いつか必ず見てやる。
俺は、ひそかに決意した。




