1-4 禁欲とコミュ力の相関関係
「え……えっと……」
コバルウルフと命の獲り合いを繰り広げていた時よりも、焦っているのが分かる。
ジワリと脂汗が額に浮かぶ……のだが、どうにも達者な言葉が出てこない。
「……ヨハン?」
「よ、ヨハンさん…………そ、そちらの方は……?」
そんなヨハンに痺れを切らし、エヴァからは催促、セレフィナの方からは質問が。
エヴァの表情は険しく──視線はセレフィナの顔、胸、服装──そしてもう一度胸に。
そしてセレフィナの視線はヨハンとエヴァの右手に付けられた『同じデザインの腕輪』を交互に行き来し……彼女は自身の心がざわつくのを、止められない。
「ん……?
あ、あぁ……コイツはエヴァ──学院に入学する前からの仲で──」
泥臭い戦い方をしていたことに対する質問が飛んでくるかと思っていたが。
まぁ初対面の人間がその場に居たらそれが先だよな──そう頭を巡らせつつ、エヴァの方にもセレフィナを紹介する。
「で……この人はセレフィナ・ユキ・ラグトゥール。
学院の──知り合いだ」
エヴァのことはともかく、セレフィナのことを紹介するとなると──関係性をどう表現するかで迷う。
迷った結果知り合い──と紹介したが、別に間違いではないだろう。
「…………っ……」
「………………」
それを受けて、双方無言。
だがその反応は対照的だった。
セレフィナは『知り合い』と表現された彼と自分との関係性については納得出来た。
友人やそれ以上の仲である──とは、到底言えないような関係性しか“まだ”築けていないのだから。
しかし“コイツ”と“この人”、“自分の方だけフルネームでの紹介”──そんな、ヨハンの中にあるエヴァという少女と自分との『親密度の違い』が如実に示されたことに、息が詰まってしまったかのような錯覚を覚えていた。
そしてエヴァの方は──
「よろしく、セレフィナさん?
ヨハンとは冒険者時代からの仲で……パーティメンバーよ」
そう補足して、彼との絆を示すお揃いの腕輪がよく見えるように腕を胸の前で組む。
セレフィナが、ヨハンと自分が付けている腕輪をチラチラと見ていたことに彼女は気付いていたのだ。
どこからどう見ても、エヴァとヨハンの関係性の深さが分かる……示すモノを“敢えて”見せる。
「そ……そうだったんですね……よ、よろしくお願いします……」
ピリリとした緊張が場に走る。
エヴァとセレフィナは互いに理解していた。相手が、この頬を掻きながら曖昧な笑みを浮かべる男を巡るライバルであること。
そして、男との関係性における“リード”を自分が取っており──反対に取られていることを。
「(ヨハン……ほんと、相変わらずよね……)」
横目で己の想い人を見て、内心溜息をつく。冒険者時代から彼に想いを寄せる女は多く居たが、その度に今回のような“小競り合い”があった。
故に“女同士なら宣戦布告と分かる”態度を示したのだが──
「…………っ……」
相対する黒髪の美少女は、その宣戦布告──および挑発に、乗ってこない。
それどころか……どうしたらいいのかわからないといった様子で、両手を身体の前でモジモジさせている。
腕を伸ばしながらそうしているものだから、その大きな胸がグッと寄せられてしまい、同じ女であるエヴァですら、視線を向けてしまう。
男であるヨハンなら尚更視線を吸い込まれてしまうことだろう──そう思って彼の顔を覗いてみたら何故だろうか、白目を剥いていた。
……え? 本当に、何故?
「そ、そうだセレフィナ……! どうして、こんなところに? 悲鳴を聞いて駆けつけたんだろうけど……貴族がこの辺りを歩くのは、珍しいんじゃないか?」
(禁欲的に)とても危険なセレフィナの胸元を見ないよう、彼女の顔──眉間辺りを凝視しながらヨハンは話題を変える。
チラ見したい欲求がムクムクと膨らんでくるが、断腸の思いで堪える。
充填期間が短い時は動体視力等が溜まっている時よりも数段劣る。
そんな時にチラ見をしてしまうと、その視線は酷く緩慢で勘付かれる恐れがあるのだ。
高い動体視力と集中力を得た状態……せめて充填二日目まで、チラ見は我慢だ、我慢……。
「え、えぇ……クエストに向けた準備をしていたんです」
「クエスト?」
準備というと装備や道具の調達だろうか?
だがそうだとしても、この辺りの庶民が行き交う場所に構えた店より“富裕層”を標的とした店のあるエリアの方が良さそうなものである。
しかし──
「はい──二日後に大規模な遠征へ……宮廷魔導士団と騎士団が数隊、向かうのはご存じですよね?」
「へっ? …………あぁ、うん」
知らなかったなコイツ──彼の態度で即座に理解して、エヴァは呆れた目でヨハンを見る。
「王都の戦力、その大多数がこの街を空けることになります。
ですからその遠征中は、学院生も残った騎士団達と合同で街の護衛及び治安維持を任されます──クエスト、という形で」
真面目だなぁ──純粋にヨハンは思う。
「なので──今からでも、普段足を運ばない通りの土地勘を身につけておこうと思って歩いていたら、悲鳴が……」
彼女の真面目さの原動力──それはおそらく学院序列を決める“ランクポイント”だろう。
ランクポイントは主にクエストを受注し、達成することで加算される。
強力な魔物の討伐などは特にその加算ポイントが多い傾向にある。
他にも学院や王政の意向が強い……セレフィナが話す、今回の王都の護衛・治安維持のクエスト等も同様だ。
だが、そういったクエストはポイント面では割が良いが“報酬金”という面ではほぼ期待出来ない。
故に少しでも金を稼ぎたいヨハンは、魔物の討伐クエストばかりをこなしている。
「(その結果、不真面目な僕が学院序列第一位に認定されるんだから、何となく申し訳ない気持ちが……)」
しかしその状況は、出身は関係なく純粋な成績が評価に反映されている──という、学院の運営が公正であるという証でもあるのだが。
「…………王都の中でコバルウルフが現れるなんて、聞いたことがありません。
どこから迷い込んできたのか……とにかく、コレは報告の必要がありますね」
「そうだな……セレフィナ、代わりに──」
「ご一緒するくらいなら構いませんが、実際にトラブルに対処した方が報告の場に不在というのは…………流石に……」
「ですよね……」
参ったな。
昨日から約束していたのに、コレではエヴァが──
「別に良いわよ、気にしないで」
そんな申し訳無さそうな表情のヨハンに気を使ったか、
「事が事だしね。それに、そんな返り血まみれの格好じゃ……落ち着いて街も回れないだろうし」
エヴァは気丈に振る舞いつつ、今彼が頭の隅で心配しているであろう問題に触れる。
「そ……そうだな…………すまん」
「…………埋め合わせは、してもらうわよ」
一応クエストだったとはいえ、昨日から楽しみにしていた二人きりの時間。
その不完全燃焼感は非常に心惜しいが、他の女──それも“今までで最も強大なライバル”であろう爆乳美少女の前で、みっともなく彼に縋るような弱さを見せる訳にはいかない。
余裕たっぷりに……それも、ライバルが彼と時間を過ごすことも容認出来る――そんな強い女を演じなくては。
「(ところで……この返り血、綺麗に落ちるか…………?
クリーニング代も馬鹿にならないぞ……)」
そんな彼女の葛藤には気付かない呑気なヨハンは、汚れた制服の心配。
「(そうだっ……! 報告しに学院に行くなら……制服のクリーニングは“アイツ”に頼むか──)」
「ところでヨハンさん……先程の…………」
「…………」
そしてセレフィナは本題──と言わんばかりに、ヨハンにずっと聞きたかったであろう問いを投げかける。
「コバルウルフ──貴方の魔術なら一瞬で倒せるような相手の筈……どうして、あんな方法で?」
やはりセレフィナは、ヨハンがエヴァと協力して魔物を倒した一部始終を見ていたのだ。
学院序列第一位の実力を考えると不自然な泥臭い戦い方──凡人の戦い方を。
「(……どう…………説明するかなぁ〜……)」
今日はオナ禁してないから君が知ってる実力を発揮できないんだよ! ……なんて、異能のことを話す訳にもいかない。
そもそもセクハラだし。
「……周り、見てみなさいよ」
「?」
ヨハンが返答に困っていると、エヴァが呆れた様子を隠さず──ため息混じりに、彼の代わりに答えた。
「ヨハンの魔術で一瞬? 確かにそうかもしれないけど、それやると──周りの“物”も一瞬で壊れるんじゃないかしら?」
「……あ…………」
「ここは裏通りだけど……小さな露店を構えてる人も居るし、実際に住んでる人も居る。
商品は当然だけど、洗濯して干した服も家も……もし壊れたら直さなきゃいけないし、それが無理なら買いなおさなきゃいけない。お金がかかるのよ」
その口調は「貴族には分からないだろうけど」──という皮肉が多分に含まれていて、
「ヨハンは周りをよく見て、住人のことを……生活のことを考えて“敢えて”こういう戦い方をしたのよ」
「そ……そうだったんですね…………」
そ、そうだったんだ……?
単純に充填日数が足りなくて、こんな風にせざるを得なかっただけなんだけど。
だがこういった展開は過去にも何度か覚えがあった。
日頃の行い──というより印象というのは案外重要なようで、異能の恩恵を最大限受けている時とは違う行動をとったとしても今回のように勝手に都合よく解釈してくれるのだ。
つまり、自分に対する周囲からのハードルがドンドン上がっていく……という訳で。そのつもりが無くても周りを騙すことになるから精神衛生上あまりよろしくない。
「そうよ──」
そんな彼の心労を知る由もないエヴァは大きな瞳を心酔の色に染め、腰に手を当てつつ大きく息を吸って──
「ヨハンはね、本当に凄いのよ。いつも本当に強くて頼りになるし何度も守ってくれたし助けてくれるしカッコイイしそれだけじゃなくて今回みたいに周りをよく見て色んなことに気づいて色んな人のことを考えてて凄く優しいしクエストの時とか自分だけで解決出来るのにそうしようとせずに程よく頼ってもくれて存在意義を感じられるように気を遣ってくれたりでもでも意外と完璧人間って訳でも無くてちょっぴり天然さんみたいな一面もあったり抜けてる時もあったりでそういうところは凄く可愛くて全部全部あぁもう考え出したらホント好き──あっ…………んっ………………」
級に早口で捲し立てはじめたと思ったら、突然顔を真っ赤にしてプルプル震え出したぞ?
あまりにも早口過ぎてほぼ──特に後半は全く聞き取れなかったけど……エヴァさん? 胸元まで真っ赤になってますがどうしました?
「……っ、……しゅ、しゅてきっ!
──素敵なんだからっ! ハイ!」
あまりにもうっかりな失言を誤魔化せているのか微妙なラインだが、勢いでどうにか誤魔化した“感”を出すエヴァに──
「…………ふふっ……そ、そうですね、素敵ですよね」
セレフィナは思わず──といった様子でくすりと微笑み、彼女の意見に同意する。
先程敵意たっぷりに、皮肉まで言われていた……にも関わらず。
「──っ!?」
実際には微笑ましいライバルに敵意を削がれただけではあったのだが、その微笑はエヴァから見れば“余裕”にしか映らない。
密かに自信を抱いていた己の身体……それを遥かに凌駕する抜群のプロポーション。
自分なんて足元にも及ばない(周囲から見ればそこまで差は無い)美貌。
そして相手の嫌な態度や皮肉に取り合わず、むしろ微笑んでみせる……大きな度量。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!!」
悔しさ半分、恥ずかしさ半分──エヴァは自分の狭量さが居た堪れなくなり、
「そ──それじゃあっ……!!
アタシ、帰るからっっっ──!!」
「ちょっ──エヴァ!?」
逃げるように、その場から立ち去ってしまった。
「「………………………………」」
静止の声も届かない勢いで走り去っていくエヴァの後ろ姿に、手のひらを向けた格好でヨハンは固まってしまう。
「元気な方ですね」
背後から上機嫌なセレフィナの声。
その声色には、先程までの“妙に険悪な雰囲気”は内包されておらず、寧ろエヴァのことを好意的に受け止めている――そんな様子が伺えた。
「あぁ……昔から、あんな感じだ」
出来ることなら自分の友人を悪く思われたくない――そう思うのは自然なことなので、ヨハンは内心ほっとしつつ、セレフィナに向き直る。
「私にこう……あんな風に遠慮無く話してくれる人はあまり…………居ませんから」
例えば学院生。
ラグトゥール家という大貴族の令嬢であり、優秀な魔導士であるセレフィナは“一目置かれている”と言えば聞こえは良いが、“親睦を深める”という目的の前では、その優秀さと家の権威はあまりにも恐れ多い。
純粋な友情を持って接してくる同世代の人物は片手で数えられる程度。
……他に接してくる者といえば、ラグトゥール家に取り入ろうとする野心家に、彼女の美貌目当ての下心まみれの下衆――と、相場が決まっていた。
「………………そうでしょう?」
そんな彼女にとって、エヴァとの間に感じた『ヨハンを巡る問題』を抜きに考えれば、先程の遠慮のない少女の態度は心から好ましいモノで。
「そういう……モノかねぇ」
「そういうモノです」
そして、それはヨハンからのセレフィナへの態度も含まれている――そんなことを、言外に伝えてくる。
直接的ではない、含みを持たせた言葉で表現される好意。
それに対し、上手い言葉を返すには相当な高レベルの対異性コミュニケーション能力が求められる。
数瞬――もどかしいような、気まずいような時間が流れる。
相手の感情を読み取れても“今の”自分には上手い返答が出来ないと――悟っている彼は、
「それじゃあ――早く学院に行くか」
話題を打ち切り、騒ぎを聞きつけた衛兵にコバルウルフの死体を運ぶように頼む。
「(充填が溜まっていたら……僕はさっき何て返していただろうか……)」
異能『禁欲魔導』──その効力の一つ“コミニュケーション能力の上昇”。
異能に限らず、オ◯禁によって放出されずに体内に蓄積され続けたテストステロンは、オ◯禁を行った男のコミニュケーション能力……特に対異性へのそれを向上させるチカラを持つ。
体内の男性的体内物質自体が、女性を本能から刺激するだけで無く、操る言葉や仕草まで……女性にとって魅力的に感じるであろうモノに持ち主を変化させるのだ。
つまり禁欲期間が長ければ、男は自然にモテるし格好の良い(キザな)言動を取れるようになる──という訳だ。
また、男性的体内物質の多い男は同性にとっても頼り甲斐のある優れた男である為、ヨハンは男からもモテる。
そして同性からの信頼が厚い男という事も、これまた女性からの“モテ”に作用するので──
「(コレこそが“オ◯禁をすればモテる”──という説の正体。
僕の異能はオ◯禁で得られる効力を何倍もの大きさで得られる訳だから、目に見えてそのメリットを実感出来る)」
だがその大き過ぎるメリットは、それを失った時──強大なデメリットに転じる。
「――えっ………………えぇ……そう、ですねっ……」
「……………………」
「……………………っ……」
女性からの懸命なアピールに気の利いた言葉を返せず、気まずい雰囲気を生み出してしまうダメな男――それが、本来のヨハン・メンザーという男なのだ。
「……ぁ……ぅ…………ぅ…………」
自身のアピールをスルーされて、寂しさと恥ずかしさで構成された朱色で顔を染めるセレフィナの表情を横目で伺いながら、二人は足早に学院へと向かう。
「(禁欲でモテたとしても…………男女の関係、その行き着く先である“発射”――それをしてしまえば失望されるに決まってる。
それだけじゃない。発射したら異能で得ていた“最強”の座も失う…………。
…………僕にとって、異能の効力によって女の子からチヤホヤされるのは、メリットよりも能力を奪われかねない誘惑――デメリットにしかならないな)」
共に歩く彼らに弾む会話は無く。
ヨハンは自分のチカラに対し日頃から抱いている見解を深めつつ、
「(はぁ…………どこかに異能無しの『素の僕』を好いてくれるような女の子…………居ないかなぁ……)」
そんな子が現れて、もし仮に恋に落ちたとしても。
結局、学院序列第一位の座と恋――もとい“発射の誘惑”を天秤にかける葛藤が待ち構えているのだが。
やがて彼は答えの出せない問いから、汚れた制服への対処という取り掛かりやすい問題に思考を傾けるのだった――。




