4-5 凡人の戦い方③
「…………っ……!」
右腕の肩口に深い傷を負い、血を流す少女――エヴァ・フィンは下唇を噛んで激痛に耐えつつ状況の把握を試みる。
「グルルルルルッ…………!!」
目の前には、閃光と共に出現したコバルウルフ。彼女にこの深手を負わせた張本人である。
「(ペンダントを落として……それを拾おうとしたら、ペンダントが突然光って――そして気付いたらアイツが現れて不意打ち…………マズイわね)」
左手で利き腕の傷口を押さえて出血を遅らせながら、その目は魔物から離さない。同時に耳で周囲の様子を窺うと…………どうやら、今自分が陥っている状況と似たようなことが起きているらしい。
何故――そう考えると同時に脳裏に過ぎるのは、二日前のこと。おそらく……今しがた起きた現象と、無関係ではあるまい。
しかし、
「考察になんか浸っている…………暇は無さそうね……」
深手を負った弱者を見る目で、目の前の魔物がエヴァを捉えていた。
出血により放っておいても死ぬ――そう理解しつつも、敢えて自分の爪や牙でトドメを刺し……殺戮の快楽を貪ろうとする狩人の目。
「(ヨハン…………)」
これは偶然だろうか?
つい先日、己が最も慕い手本とする人物から全く同じ状況に置かれた際の戦い方を見せてもらったのは。
「(…………いつも……ヨハンはそう……いつも、そうだった)」
流石に王都中に魔物が大量に現れる――そんな事態を想定してはいないだろう。
しかし、周囲に頼る仲間が居ない状況で魔物と対峙した時に備えていてくれた……という線は十分にあり得るし、実際そうなのだろう。
冒険者時代――彼なら一人で倒せるはずの魔物も、彼はよく自分達を頼ってくれた。仲間内でそれは、自分達の存在意義を与えてくれている――そして、自分が居ない時にも戦うチカラを身に付けさせる為――だと認識されていた。
「それにしたって…………この状況は、一筋縄ではいかないわよ……?」
嫌な汗が額に滲む。
策が無いわけではない。ヨハンが“例の戦法”を見せておいてくれたお陰で、新鮮な記憶と共にそのアレンジ方法も……思いついた。
無防備な場所を敢えて用意して。
そこに攻撃を誘導して。
ギリギリのタイミングで攻撃を防ぎ、カウンターを叩き込む。
問題は二人がかりで行っていた戦法を、今はたった一人で行わなくてはならないということ。
不運なことに、一緒に行動していた他の三人とは別れて行動していた。仲間と一緒ではない戦闘がこんなにも心細い物とは……。
「大丈夫…………アタシだって、冒険者なんだから」
揺らぐ気持ちを、エヴァは己に言い聞かせるように言葉を紡いで奮い立たせる。
左手は篭手に付けた盾を構えつつ。腰元の短剣を抜いて、持ち手を咥えた。
非常用に持っていたポーションは――使わない。
負傷した右腕はそのままに、戦闘態勢を取る。それこそが、策――
「~~~~~~~ッッッ!!!!」
短剣の持ち手を噛み締めながら、唸るように叫んで真っ直ぐに突っ込む。
「グルァァァッ!!!!」
それに応えるように魔物も突っ込んでくる。
「(そう…………“ココ”が、ガラ空きでしょ)」
周囲を建物に囲まれた路地。細い一本道で、距離を詰めるエヴァとコバルウルフ。見せつけるように左手の盾で左半身を防ぎつつ突撃していく。
であれば、仮に知能の低い魔物だったとしてもエヴァの負傷している側の右半身を狙うだろう。何故ならそこを防がれるのも、攻撃が飛んでくる可能性も低く見積もることが出来るのだから。
治療をしなかったのはこの為。もし治療してしまえば、相手の狙いが分散してしまい――次の手を打つことが難しくなる。
「――っ」
そして互いの間合いに入った瞬間。コバルウルフは持ち前の俊敏性を活かして跳躍した。エヴァから見て右側の、建物の壁――そこを着地地点とし、再び跳躍――狙いはエヴァの負傷した右腕から首筋にかけて。
狙い通りだった――
「『障壁魔術』――!!」
ガキンッ――!
短剣の持ち手を口から離しながら、昔想い人から教えてもらった初歩魔術を詠唱する。展開された障壁は、無事に魔物の牙を防ぐ――だが。
「くっ……!!」
その障壁の強度は、続く連撃――鋭い爪の攻撃まで防ぐことが出来なかった。ヨハンよりも魔術精度、そして敵の攻撃をギリギリまで引きつける胆力が足りなかったのだ。
結果、障壁の展開体積が不必要に大きく、強度を担保することに失敗した。
先程負った傷口を更に抉るように、爪の一撃が深く刺さる。
「っっ――あああああああ!!!!」
しかし彼女は激痛を吹き飛ばすように咆哮。
元から予定していた反撃――口元から落とした短剣を左手で掴み取り、
「ッ――ギャッ――」
上から振り下ろすように、一閃。
コバルウルフの首元を、頸動脈を切断する太刀筋を見せた。
「(――っ、浅いっ……!)」
しかし、誤算。
ヨハンと何度も繰り返した戦法――それは(エヴァは知らないが)充填の溜まっていない、凡人の状態である彼でも魔物を仕留めることが出来る隙を生み出すモノ。
今のエヴァと充填の溜まっていないヨハンは、多少の魔術練度の差はあれど実力には然程変わりはない。しかし、決定的な差が二者の間にはあった。
それは――
「(アタシの腕力じゃ……足りないのねっ――)」
男と女――生物学的な違いによる、純粋な腕力の差。
勿論、今のエヴァの一撃が利き手ではない左腕によって振るわれたモノだったことも理由の一つ。
この彼女の誤算を誰が責められよう。
彼女の脳裏に映っていたのは、いつだって頼りになって……いつだって自分を助けてくれる想い人――ヨハンが敵を仕留める姿だったのだから。
その姿と自分を重ねるように策を練り、動いた彼女を誰が責められよう。
「こっ…………のおおおおおおっっっ!!!!」
絶叫を重ねつつ、エヴァは強引にコバルウルフを押し倒す。
上に跨って、首筋の傷口を体重をかけて押し広げるようにして、魔物の命を絶とうと試みる。
しかし、
「ガァァァァッァァァァ!!!!!」
「キャッ――」
魔を冠する獣の膂力が、小娘如きに抑えられる筈もない。
首筋という急所に傷を負いながらも、コバルウルフは身体を捻り跳ね上げて、エヴァの身体を突き飛ばす。
そして素早く飛び掛かり、エヴァの身体に跨った。
形勢逆転――不快そうに歪んだ顔で、少女の息の根を止める為に首筋めがけて牙を向けた。
「ぁっ――!」
――ゴキッ!
咄嗟に少女は負傷していた右腕を何とか動かして、即席の盾とした。
結果、前腕に牙が深く突き刺さり……肉の先にある骨が砕かれる。
激痛に耐えつつ、彼女は自分の顎で魔物の鼻先と上顎を上から押さえつける。同時にその豊満な胸元を用いて、今まさに己の前腕を砕いているコバルウルフの下顎を固定した。
全てはコバルウルフに“噛み直し”をさせない為。更なる牙の一撃を封じる為の、自滅にも等しき行い。
「~~~~~~!!!!!」
自発的に行われた万力による痛みで、涙が目尻に浮かぶ。だがそれでも次の一手を打たなくてはならない。
エヴァはコバルウルフに抱きつくように、脚を巻き付ける形で密着した。そうすれば――
「(ココまで引っ付けば――爪での深手は…………!!)」
今こうして……コバルウルフが闇雲に振り回す爪の一撃が、エヴァの身体に深く突き刺さることは無い。狼と変わらない身体の構造が、脚先よりも内側に位置取った対象への攻撃を困難にしていたのだ。
しかしそれでも――
ザシュッ――ザシュッ――ザクッ――!!
「――っ、……っっ……!!」
藻掻くような動きで攻撃を試みる凶爪は、彼女の肌を細かく切り裂いていく。
彼女の白い肌に、次々と赤黒い線が刻まれる。
鮮血が舞い、取り返しのつかないことが、無慈悲に……無神経に行われていく。
恐らく治癒薬を使えば、傷は癒えるだろう。しかし、ここまでの数の傷を負ったとなれば。
生涯残る“傷痕”になることは避けられまい。
「うっ……ぅぅ…………ヨ、ヨハンッ……!」
思わず、彼の名を口にしてしまう。
想い人に晒す、その日まで。
彼に清純を捧げるその日まで――傷一つ無く、大切にしなくてはならない乙女の清き柔肌が、獣の凶爪によって傷つけられ、犯されていく――
「アタシ――」
……だがしかし。
少女の目に絶望の色は無く。
――あるのは、勝利への確信。
「……アタシでも、この距離なら――出来るわ」
グイッ――!
少女は抱きついた状態で左手を伸ばし、コバルウルフの“耳”を引っ張って……的を広げた。
そこへ、
「『狩人の光弓 一矢』!!」
何度も、何度も目にしてきた……彼が得意とする初級魔術を撃ち込んだ。
魔導士で無くても習得できるレベルの魔術。だがそれでも、頭の中で思い浮かべる対象は彼の姿。
素材を傷つけずに魔物を仕留める方法として、ヨハンがいつも行っていた“耳から耳に向けて矢を放つ”という手法。
必要最小限の威力で敵を倒す――言い換えればそれは“小さな威力でも敵を倒せる”手法とも言える。
無論ヨハンよりも術の練度が低い彼女では、それを普通に実行するのは困難。だからこそ、ここまで接近した状況が必要だった。
ドシュッ――!
至近距離で放たれた光の矢が、コバルウルフの鼓膜を突き破り、脳髄――反対の鼓膜へと抜けていく。
矢の通り道となった器官が、その機能を失ったことは言うまでも無く。
「グッ…………ギィ……」
断絶魔とも言えぬ呻きと共に、魔物はその動きを永遠に停止させた。
「……はぁ…………!! ……はぁ………………!!」
荒い息を整えながら、痛みが走る身体を起こしながら……それでも彼女の顔には笑顔が浮かんでいた。
「全くもう…………ホント、どうしようもなく“凡人の戦い方”って感じだけど――」
傷だらけの身体。そして何本もの赤い線が入った顔。
「ヨハンが見たら――」
それでも、今の彼女の顔は世界で最も愛らしい。
「…………褒めて、くれるかな?」
いや――優しいあの人はきっと、無茶をするなと叱ってくれるんだろうな……そう考えて、エヴァの心は勝利の余韻と温かい気持ちで満たされていくのだった。




