4-1 女児しゃがみ
ギシッ――ギシッ――過去一番の朝硬化状態が治まるのを待った後。
ヨハンは古びたせいで歩く度に音が鳴る酒場宿『木漏れ日のやすらぎ亭』の階段を降りる。
自分が踏む度に鳴るこの音を聞くと、少々うんざりすることもあるが……隣の部屋を借りているエヴァが帰宿する際にも音が鳴るので、総合的には感謝を向けていると言わざるを得ない。
男磨きに耽っている時(右手の上下運動に夢中で聞こえない場合もあるが)、エヴァの接近を察知して男磨きの中断、服を着る――それで何度、救われたことか。
「ありがとう………………」
感謝の念を足から伝え踏みしめるようにして、階段を降りる。
すると、降りた先の酒場スペース――そこには朝だというのに、大勢の人で賑わっていた。
「…………何の騒ぎだ?」
一階は満席状態。
さらには席が無いので、卓の周りに立って食事を取る者まで居る。
「おはようヨハン」
その光景に困惑していると、見慣れた茶髪の少女が声を掛けてきた。
エヴァ・フィン――充填三日目の股間に悪い、スタイル抜群の少女……。
「………………いつから冒険者は朝から勤勉に動くようになったんだ?」
右手を自身の胸元辺りで挙げて挨拶に代えつつ、目の前の光景と少女の様子を茶化す。
「ふふっ――大体冒険者の朝は酔って潰れてるか、起きてても二日酔いだしね」
「……そんな酔いも吹き飛ぶようなクエストが?」
というのも…………。
「朝からそんな…………フル装備で」
目の前の少女の格好。
いつも通りの革で作られたビキニタイプのアーマーと丈の短いホットパンツ。教会のペンダントに、腰元には短剣。そして革の篭手と腕輪というのはいつも通りなのだが、左篭手に装着するように装備された『小ぶりな盾』。
彼女が臨むクエストに対する気持ちを量る物としては十分で、昔馴染みの男としても、若干心配してしまう。
そんなフル装備をしなくてはならないクエストに挑むなんて――
「あ、もしかして心配してくれてる?
…………大丈夫だよ、別に難易度が高いクエストに行くわけじゃなくて」
そしてヨハンの表情からその気持ちを汲み取ったエヴァは、申し訳なさと心配してくれたことに対する嬉しさを混ぜたような顔で続ける。
腰元に右手を当て、無自覚に胸を張りながら、
「例の非正規クエスト、あったでしょ?」
エヴァは盾を装着した左腕を顔の横に挙げて人差し指を立てる、教鞭を取るような仕草と共に説明した。
「(例の非正規クエスト…………充填一日目にエヴァと途中まで一緒にやった『荷物を指定の場所から別の指定の場所へ運ぶ』だけでフリュー銀貨十五枚とかいう…………割りの“良すぎる”クエストか)」
ヨハンはエヴァの胸元をチラリと見て、勃◯を抑えつつ想起した。
「アレと似たようなクエストが今朝早くに発注されたみたいなの。しかも大量に。
だから皆…………こうなってるって訳」
「なるほどな」
ここに居る者だけでなく、別の酒場を拠点にしている冒険者どころか、まさに王都中の冒険者がこのクエストに殺到しているだろう――そんな予想を語るエヴァに、
「でも、なんでフル装備なんだ?」
店を見渡せば、エヴァだけでなく全員が大剣に魔導銃に鎧――街中で動くには面倒な程のフル装備。ラクなクエストなら、余計に不可解なのだが、
「あぁ……それは何故かは分からないけど、この前と違って今回は『フル武装してクエストに臨むこと』が受注条件に含まれてるのよ。
多分みんな意味分かってないけど、割が良いクエストだし大人しく条件を呑んでるって訳」
武装するだけならタダだしね――ニヤリと笑うエヴァの白い並びの良い歯を横目で見つつ、ヨハンは店全体を俯瞰して息を吐く。
「(フル武装が条件……?)」
胸騒ぎの原因が、また一つ。
だがその件を深く思案する間もなく、エヴァの話は続く。
「ヨハンも一緒にクエスト受ける? 何か予定あった?」
その確認に、期待感は含まれていなかった。
おそらく先日セレフィナと会った時に、彼女が口にしていたことを覚えているからだろう。
宮廷魔導士団全員と騎士団が数隊王都を離れる大規模遠征中に、街の護衛・治安維持のクエストに学院生は駆り出されるという話を。
そう……冒険者としてではなく、学院生として過ごさなくてはならないのだと――
「(多分ココで頷けば……エヴァは死ぬほど喜んでくれるんだろうな)」
彼女の顔を見て、ヨハンはそう察する。
女性の気持ちを汲むチカラが向上する充填三日目――その恩恵を受けていなくても、分かること。
「ごめん、今日は用事があるんだ」
短く、告げる。
「…………ん、それじゃあまたね」
残念そうな形を綺麗な眉尻が作る……その寸前。ヨハンを気遣って何でも無いような表情を強引に貼り付けて、背を向ける彼女は腹ごしらえも佳境な仲間達の元へと歩いていく。
いつもの三人の卓へとヨハンは右手を挙げた後、静かに宿を出た。
冒険者でも無く。そして学院生としてでも無い。
今日の用事…………“彼女”はデートと言っていたが、それを馬鹿正直に受け取る程ヨハンは楽天家では無かった。
外に出ると、空は重い雲で覆われていた。
◆◆◆
制服のポケットに手を突っ込みながら、王都を歩く。
昨日ラキアが指定した待ち合わせ場所へは、この調子なら時間通りに着くだろう。
「(洗濯ポーションで洗ったばっかりだったのに…………ジャケット汚れちまったな……)」
ヨハンは自身の一張羅である魔術学院の制服――その左腕を確認しつつ、溜息を吐く。
セレフィナを庇うために、そして暴発を防ぐために支払った対価は……少々大きい。治癒魔術で身体は治せても、服の汚れは落とせない。
制服のシャツとズボンは当然替えがあるのだが、このジャケットはかなり値が張る。予備のジャケットは購入しておらず持っているのは一枚のみ。
だがそれも無理はない。このジャケットは『織蜘蛛の糸』――それも天然のA級品をふんだんに使用されており、下手な鎧よりも強度が高い。
ヨハンのような庶民には到底手が届かない高級品なのだ。何枚も替えを持っている富裕層がおかしいだけで。
行き交う人々、王都の交通網を支える水路。そこを牽舟獣を利用して進む水路艇――ぼんやりと眺めながら歩き……待ち合わせ場所に到着した。
「ラキア――」
見慣れたシルエット。だがこうして街中でこんな風に会うのは初めてじゃないだろうか?
そんな風に考えながら声を掛けると、
「やぁヨハン――」
振り返った少女の方も、
「…………こうして街中で会うのは中々どうして、新鮮だね」
自分と同じことを考えていたようで、なんだかもどかしい気分になってしまう。
「………………?」
そしてその気分を誤魔化すために、彼女の顔に視線を向けると……違和感を感じた。
「…………………………」
いつもと同じ格好に、ツインテールのいつもの髪型。
だがチラチラとヨハンの顔を窺いつつ、前髪の具合を気にしているような仕草。
普段の彼女がしない……エヴァなんかが良くやる、女子らしい動きでヨハンは“ソレ”に気づいた。
「なんか…………いつもと雰囲気が違うな?」
雰囲気と形容したその違い――それは化粧だった。
とはいえ悪目立ちする程の厚い化粧ではなく、素材と見た目年齢を活かす程度の薄く要所を押さえた彩りが、整った少女の顔を飾っていた。
ハッキリとした瞳をより主張させるアイラインを引き、長い睫毛はカールを僅かに上向きへと調整。
頬はあどけなさを演出するように淡いチークが乗せられて。仕上げには、幼い少女が背伸びをしているような可愛らしさを感じる――けれど大人っぽさも感じて“しまう”紅が、唇を演出していた。
そこへ視線が吸い込まれ、唇で連想するあらゆる行為――脳裏に浮かんだ光景が、胸をドキリとさせる。
おそらく男である自分が気づいた場所以外にも、様々な部分で試行錯誤が行われているのであろう――そうでなければ、こんな美しい女性は完成しない。
彼女の元来の見た目だけでなく、その高い化粧技術の賜物がこの場に置ける彼女の存在感に寄与していた。
そう感激すると共に、ヨハンは自分がいつも通りの一張羅で、いつも通りの髪型……で、今日の約束に臨んだことに妙な罪悪感を覚えてしまっていた。
彼は自身の経済状況もあって、お洒落には人より無頓着。むしろ男が着飾るという行為に対して冷笑的態度を取っている部分さえあった。
しかし、悟る。お洒落をしないと、罪悪感を覚えることがあるのだと。
「あ、あぁ…………今日は、デートだから……な…………?」
余裕が出たら服を買おうと決心しつつ、ヨハンはちょっぴり頬を染めるラキアの言葉に反応した。
「デートねぇ。
まぁ…………良いけど……」
気を引き締めつつ。そして、何をするのかはラキアに任せるとその態度で示した。
「それじゃあ、取り敢えず適当に街を回ろうか。
こうして――」
「!」
「手でも……繋いで」
そんな消極的にも見える彼の手を、ラキアはその小さい手で取る。
小さく細い指先と、柔らかな手のひらの感触が、ヨハンの手を支配した。
不意打ち――ドキリとしたことを悟られぬよう、意識的に平然を保とうとする。
妙な積極的な態度。そして友情以上の展開を望むような行動に、平然を保とうとしても動揺は免れない。
彼女が隠している、秘めているであろうことを話してくれるのか。
話してくれないのだとしたら聞き出さなくては。
…………聞き出したら、彼女との関係はどうなってしまうのか。
まるでその感情を以て、ヨハンの行動を縛るかのように……繋がれた手は鎖となる。
「(簡単だ…………『お前はどこまで知っている?』――そんな風に質問して。
『何も知らない』と――ラキアが調査クエストを出したのと、俺達がその迷宮で遭遇した物は単なる偶然のめぐり合わせだと――そんな答えを貰えれば、いいだけ)」
だがしかし。
ヨハンは問うことが出来ない。
それ以外の答えが彼女の口から出た時に、どうすれば良いのか決めることが出来ないでいたから。
「フフッ――」
「…………っ」
隣の彼女から、笑みがこぼれる。
葛藤を見透かされ、嘲笑われたと思ったが――
「いやぁ……気分が良いねぇ」
「………………?」
そこにはただ純粋に機嫌良く歩く少女の姿があった。
「こうしてキミのような『いい男』と歩いていると、周囲の女性達の羨望の眼差しが向けられて、分不相応にも『恋愛勝者』にでも自分がなったような気分になって――快感すら、覚えるよ」
「お、お前な…………」
聡明な彼女らしくない発言に、ヨハンは呆れを含んだ視線と溜息で返す。
自然と周囲に注意を向けると……なるほど、確かに周りを歩く女性達は皆ヨハンとラキアの二人を、前者には色っぽい目で、後者を羨望を含んだ目で見ている。
だがこの状況はラキアの認識とは少々異なる。ヨハンが周囲から『いい男』と認識されているのは、あくまでも異能の効果により男性的体内物質のチカラが女性達の本能に強く働きかけ、魅力的なオスだと認識させているのが理由なのだ。
「(…………いや、これは…………)」
そう考えて。
ヨハンは周囲からの視線の大多数が『微笑ましい物』を見る時の感情であることに気がついた。
通常、恋愛的・性愛的要素を受けて向けられるのであれば、ラキアは嫉妬心も含んだ目を向けられるだろう。
しかし……そういった感情は、今の視線には乗っていない。
どちらかというと、
「(『優秀な遺伝子を持ち合わせている』ことへの羨望――そんな、感じ……)」
優秀なオスを手に入れたメスへの嫉妬心。
それは、『自分がもしかしたら手に入れることが出来たかも知れない優秀なオスを独占している』ことに対する嫌悪感がもたらすもの。
勿論、その状況にも嫉妬心を抱かずに羨望のみを向けるメスも居るだろう。しかし、ラキアが向けられている羨望はどちらかというと生物の個として抱く代物。将来生む己の子孫を交えた感情ではなく、純粋に己とラキアを比べて……その遺伝子の優劣に対する感情――
「こうしているとほら――まるでボク達二人は恋び――」
「あの二人、兄妹かな?」
「美男美女兄妹……羨ましい~っ!」
「遺伝子レベルで私達とは違うわ…………」
「普通の兄妹でベタベタ手を繋いでたりしてたら気持ち悪いけど、あれだけビジュが良かったら許されるわ」
「「………………………………」」
聞こえてくる言葉で、解は出た。
…………まぁ見た目年齢的に、兄妹に見えなくも無いですよね。
「ラ、ラキア」
何というか、ホラ、あれだ。
多分歳頃の女の子的にはやっぱり子供っぽく見られるというのは耐え難いものだろう。良いフォローの仕方なんか分からないけど、取り敢えずなんか言っておかなくては。
「周りのことなんか、ほっとけ。
それに…………一応言っておくと、妹に見えるような見た目でも、俺はその辺気になるようなタイプじゃないぞ」
「彼女達は『きょうだい』と発言していただけでそれだけでは『兄妹』なのか『姉弟』なのかは分からないと思うのだがキミは完全にボクの方が歳下で子供っぽく見られるに決まっていると認識していることは理解したぞ」
ジトっとした視線を向けつつ早口で捲し立てるラキア。
適当なフォローが墓穴を掘ったか。
「まぁ…………ボクが密かに抱えるコンプレックスである――この子供っぽい見た目と幼児体型に対して、フォローを入れてくれているのも理解した。一応、礼は言っておく」
「お、おう……?」
正解だったのか? 横顔を見ても判別が出来ない。
「それに考えてみると、恋人で無くても兄妹――キミのような兄がいる……それはそれでアリな気がするしな。
もしそうなら周りに自慢する為に連れて歩くなんてことも絶対考える」
「そんなもんか?」
「そうさ――キミも、ボクみたいな妹が居たら連れて歩きたいと思わないか?」
「んー………………」
言われるままに想像する。
ラキアが妹――確かに見た目は美少女そのものだし、将来有望なのは(実年齢のことを考えなければ)間違いない。
だがヨハンは既に、ラキアで――
「(うっ…………!!)」
思い出してしまう。
ラキアの裸を目撃して――暴発してしまった日のことを。
さらに何度かその光景を触媒にして男磨き、そして発射をしてしまっていることを。
妹相手には絶対にしないであろう行為……。
「何かの本で読んだことがあるぞ。男の中には妹という存在に劣情を抱く連中も居るそうじゃないか。
ボクが妹なら、キミはボクにこう呼ばれるんだぞ――『お兄ちゃん』――と」
「――!!!!」
ドクンッ――!
股間が、脈動した。
無理もない。
ラキアのあられもない姿。そしてそれを触媒にして発射した時に脳内で繰り広げた『創作』。
彼女が絶対に言うはずのないセリフと、起こり得ない展開の数々。
そういった諸々が先程の『お兄ちゃん』発言で、罪悪感と背徳感を伴い欲求を刺激してきた。
「むっ……!?」
ヨハンの異変に勘付いたか――ラキアは魔力を視認できる魔導器であるその大きな眼鏡をキラリと光らせる。
「コレはっ、デカ魔力――」
ヨハンの股間辺りを至近距離で凝視しつつ、デカ魔力発言。
「(まずい)」
たまらず、ヨハンはしゃがみ込む。
そうしなければならない理由は明白。衆人環視の中、硬化状態により股間に張られたズボンのテントを晒す訳にはいかないのだから。
「どうしたっ」
そんなヨハンの顔を、ラキアも同様にしゃがみ込んで覗き込む。
しかし、そのしゃがみ方が……まずい。
「(パッ――パンッ――ツ――)」
ラキアのしゃがみ込んだ両脚の間――そこに見える、とある布があった。
その色は黒――見た目とのギャップ感がまた、背徳感を刺激する。
「(コレは――“女児しゃがみ”……!)」
ヨハンは思わず歯噛みする。
仮に歳頃の……自分が女子・女性であることへの自覚を十分に備えた少女であれば、しゃがむ時はきちんと脚を閉じてくれるもの。
さらに女性的な二次性徴期を身体が迎えていれば、皮下脂肪を蓄える過程で太ももは肉付きが施され、その奥……パンツへの扉は塞がれることになる。
だが、しかし。
ラキアの身体は決して肉付きが良いとは言えず、それは当然太ももだって同じ。
つまり、そんな開脚角度でしゃがんだりなんかしちゃった日には……そのちょっぴり背伸びした感のある黒いパンツがお見えになってしまうのですことよ?
しかしそんな精神攻撃に屈する学院序列第一位では無い。
彼は咄嗟に、攻撃を防ぐ秘技を発動させた。
「(白眼――!!)」
拳による興奮キャンセルは間に合わないので、四肢を動かすこと無く出来る技を行う。
普段から頻繁に行う秘技“白眼”――まぁ純粋に白目を剥いて視覚情報をシャットアウトするだけのものなのだが……。
「ど、どうしたっ」
そう――この秘技には副産物とも呼べる優秀な点が一つある。
それは、白目を剥く必要がある状況をもたらした女性に対する反撃にもなるということ。
彼女達にとっては、突然目の前の男が白目を剥いたという状況――色っぽい雰囲気などが漂っていた場合はそれらは霧散するし、不意の色気であれば動揺することで状況は動く。
「キミのデカ魔力が、さらに大きくそそり勃つように蠢いたと思ったら――突然しゃがみ込み、白目を剥いて――」
「あー!!! ああぁぁぁぁーーーー!!!!! 聞こえないっっ!! 聞こえないぃぃぃっっっ!!」
ちょっと! そのデカ魔力発言やめてくれる!?
デカ◯ラみたいに聞こえちゃって興奮しちゃう!! 大きくそそり勃つ発言もお控えください!!!
「どうしたっっ!! 一体キミはどうしたというんだっっっ!?」
たとえ異能『禁欲魔導』のチカラがあったとしても。
「「「「「(うっわぁぁぁ………………)」」」」」
ここまでの奇行――先程までの羨望の眼差しが消失したのは、言うまでも無い……。




