3-13 マラヴィン・ド・ベーケス
「失礼します――」
美しく通るセレフィナの声が部屋に響く。
ヨハンに気を遣ってくれているのだろう――今回の直接の報告は、自分が先導して話を進めるという意思を感じる。
それは平民出身が故、目上の存在である騎士団長と会話をする際に粗相をしてしまわないか心配だった彼にとっては大変ありがたい。
「突然の来訪失礼します。騎士団長……少々ご報告を差し上げたいことが――」
「危ないっっ!!!」
部屋に入った直後だった。
ヨハンは咄嗟に、セレフィナの背後に周りその視界を両手で塞いだ。
「よ、ヨハンさんっ――!?」
間一髪だった。
彼女の美しい瞳に、この部屋で何が起きているのか……それを映さないで済んだことにヨハンは心から安堵する。
「……………………ふむ」
紅茶を片手に窓辺に立つ、この男。
「反応は早い……多少は、デキるようだな」
ズボンと下着を降ろし、下半身を顕にしているこの男が――
「(アルカディア王国……『王国騎士団』団長……!!)」
暗闇の中。窓から指す月光で、男の相貌が明らかになる。
背は高く、鍛えて“いた”ことが伺える分厚い身体。
過去に鍛えていたという貯金を切り崩し、若干身体のバランスが怠惰なモノへと変化し始めているとでも表現しようか。
ナイフで切り込みを入れたような鋭い相貌と釣り上がる口端は、女性は当然のこと……同じ男から見ても不快感を抱く。
そして、同じ男だからこそ分かる。
この独特な……倦怠感を漂わせた雰囲気。
「(コイツ…………今しがた“発射”したな…………?)」
発射直後の自分にも心当たりのある……“あの”感じ。
己の持つ異能とは無関係に、男という生き物が持つ生理的な習性として存在する“あの”無気力な時間が、目の前の男を支配していることを察する。
相手は――考えるべくも無い。先程廊下で嘔吐していた少女。
覚えのある生臭さが、換気の行き届いていない部屋中に充満している……この臭いを、そういった知識に疎いセレフィナに嗅がせるのは忍びない。
「ちょ……ヨ、ヨハンさ――」
「そのままジッとしてろ、セレフィナ。
俺が良いと言うまで目も閉じておくんだ」
「えっ、は、はいっ」
俺のいつに無く真剣な声に、セレフィナは素直に従った。
「何の、つもりだ…………アンタ……」
鋭い視線で射抜くように、目の前の不埒者の顔を睨む。
騎士館に着いた際に、衛兵には話を通している。団長は俺はともかく……セレフィナがこの部屋にやってくることは分かっていたはずだ。
たとえ先程まで“事”に耽っていたとしても……ソレが終わったのなら、その下着とズボンは元の位置に戻すべきでは無いのか?
「ふんっ…………」
だがその男として、紳士としての振る舞いに欠けていることへの非難の視線は一笑に付される。
「興が削がれることをする…………」
そしておもむろに下着とズボンを上げて……ベルトを締めた。
それをきちんと見届けてから、ヨハンはセレフィナの顔を覆う手を降ろした。
「…………もういいぞ、セレフィナ」
言いながら、ヨハンはセレフィナの前に陣取る。
なんというか……理屈ではなく、この男とセレフィナの間には自分が立って……万が一のことがあった時にいつでも盾になる必要があると確信した。
実力? そんなのは多分関係ない。
充填が三日目だろうが二日目だろうが……一日目、コイツのように発射直後だったとしても――自分はこうしていただろう。
そう断言出来た。
それほどの、敵意をヨハンは抱く。
「アルカディア王国が誇る王国騎士団団長――『マラヴィン・ド・ベーケス』様。
お初にお目にかかります、私はセレフィナ・ユキ・ラグトゥールと申し──」
「噂は聞いているよ?」
そしてヨハンが漂わせる雰囲気に合わせ、彼との前後位置はそのままに横にズレて挨拶をするセレフィナに、淑女に向けるには些か生々しい目線が飛ぶ。
「魔術学院の一位……そう聞いていたが──うむ、それも頷ける」
顔から舐め回すような視線。
ヨハンとは違い、それを隠そうともせず、むしろ目線を意識させるようにゆっくりと上から……下へ……。
「………………っ……」
その視線に不快さを覚えつつ、相手が目上故に健気に耐えるセレフィナ。
だが彼女はただ耐えるだけのか弱い少女ではない。
「いいえ――私は学院序列第二位。
一位は、彼……『ヨハン・メンザー』さんです」
この男が口にした言葉が自身の容姿をイヤらしく賛美する物だと理解しつつ、セレフィナは巧みにそれを躱す。
それは彼女が言い寄られ続ける人生によって獲得した類まれなる技術――
「キミの姉……ルシアナ君にも劣らない美貌。姉の方は勇ましい凛とした魅力に溢れているが、騎士であるが故少々“武人過ぎる”きらいがある。
反面セレフィナ君はとても女性らしくて……私好みだ」
「……………………姉がいつも、お世話になっております……」
だがしかし。
このセクハラドスケベ男――『マラヴィン・ド・ベーケス』という“本物”には通用しなかった。
コチラの用など関係なく自分の喋りたいことを気が済むまで喋り続けて……セレフィナが困憊する未来が見えたので、ヨハンは強引に話を断ち切ることを決める。
ただでさえ、セレフィナは日中急性魔力欠乏症になったんだ。こんな地獄みたいな時間は早く終わらせてやるに限る。
「悪いけど、報告したいことがあるんでね」
睨みつつ、ヨハンは一歩前へ出る。
「……………………ちっ」
不機嫌さを隠さない舌打ちを返事と解釈し、ヨハンは今日迷宮で見たこと――そして昨日王都に突然現れたコバルウルフのことを騎士団長に伝えた……。
◆◆◆
「…………だからどうしたというのだ」
だがしかし。
「…………………………は……?」
ヨハンの報告を受けて、返ってきたのはそんな言葉だった。
「魔導士団、そして騎士団の一部の戦力が大規模遠征に出る。
そのタイミングで怪しげな動きがある……“可能性”――そんなもの」
椅子にふんぞり返りながら、彼は鼻を鳴らす。
「我々……王国騎士団が居れば、問題なかろう」
そして、
「国家運営のことを何も知らぬ貴様のようなバカに説明してやるが…………たとえどれほどの企てがあったとしても、それを理由に大規模遠征を中止にする訳にはいかん。
遠征には立案され、動き出した時点でそれなりのコストが発生している。そして今回の遠征はそれを支払うべき目的もあるのだ。
…………もしそれを“王都の護りが不安だから”という理由で中止にしてみろ――残る我らの威信に関わる」
ヨハンへ見下す視線を向けつつ、凄む。
「よもや貴様……この私を含めた王国騎士団の戦力に、疑問を持っているとは言わぬな?」
「……………………」
言っていることは……理解出来る。
だが納得いかない。
見下され、ハッキリと“バカ”なんて言われ――それに対する反感を抱いた――ということが大きいか。
「(いや…………それだけじゃ……無いな…………)」
しかし、同じ男だからなのか。
この目の前のいけ好かない、セレフィナに向ける目とは違う攻撃的な視線と……挑戦的な笑みを見て悟った。
「例え“どれだけ優秀な魔導士”であったとしても、この神器――『聖剣』を持つ私の前では、ゴミ同然」
そして今の言葉で。
「(…………なるほど)」
今はまだ充填二日目とはいえ、もう夜も遅い。
ヨハンは内包する魔力が、充填三日目の学院序列第一位に相応しい代物に近づいていることを感じる。
魔力だけではない。
異能の効果により、ヨハンが禁欲で受けられる恩恵は他の男の比では無い。
集中力や洞察力が格段に上昇――相手の表情、その機微に対して受け取れる情報の量は膨大なのだ。
「この聖剣は、あらゆる魔術を無効化する。魔力による干渉を受けない――この刃は魔導士にとっての天敵。
どれほどの魔術を行使しようと、どれほどの魔力をその身に内包していようと…………無価値だ」
何色にも染まらない、返り血にすら染まることは無い純白の剣。
マラヴィンが鞘から抜いたその刃は、甲高く不快な音を鳴らし部屋を揺らす。
そしてその剣を――マラヴィンはヨハンに向ける。
「………………理解、したか?」
そうする彼の目は、己の企みに水を差す生意気な若造を封殺せんとする色に染まっていて……。
「あぁ」
王国騎士団の長という目上の人間であることは勘定に入れず、ただ端的に返し……踵も返す。
「あっ……?」
そんなヨハンに戸惑いつつ、セレフィナは後を追う。
もっと問い詰めるべきなのではないか――そう言いたげな視線を部屋に残しつつ。
「(全部お前の…………企みだってことはな…………!!)」
王都のど真ん中に魔物が現れた件。
迷宮に控えさせていた魔物の大軍。
あの迷宮の魔物達は処理したものの、マラヴィンの反応を見るにアレは氷山の一角だったのだろう。
目的は分からない。
王都に自分を脅かしうる存在が居ないタイミングで……何をするつもりなのか。
だがハッキリしているのは、それは阻止しなくてはならないような物であるということ。
だが恐らくヤツはかなり周到に計画を立てている。
外堀も埋めているだろう――今さら一介の学生に過ぎないヨハンが声を上げても……意味はない。
大貴族の後ろ盾があるセレフィナですら同じ。むしろ彼女の家の者にマラヴィンの息がかかっている可能性だってある。
「(信頼出来る人間だけで…………かつ、ロクでもない企みを防ぐのではなく実行させたうえで阻止する必要がある……)」
しかしそんな無理難題の解決に迫られていることよりも。
ヨハンはずっと抱えていた胸のざわつき――その正体を自覚し、余裕を失っていた。
「(………………ラキア――)」
信頼できる人間。
その中に、友である少女が含まれているのか――その、確信が…………。
◆◆◆
「おつかれさま。どうだ――アイツ、感じ悪いだろ」
「…………感じが悪いってレベルじゃねぇよ」
王国騎士団団長マラヴィン・ド・ベーケスの部屋から退室し……ヨハンと部屋の外で待っていたラキア――その二人の少し後に付いて、セレフィナは歩く。
「(ヨハンさん…………)」
その心中に、先程受けたセクハラ的視線への嫌悪感は無く。
あるのはただ、想い人への憂慮。
「(ラキア・マクルス――“あの”迷宮探索を依頼した張本人……)」
セレフィナもヨハンと同様、マラヴィンの企てを察していた。
学院程度の魔導士など取るに足らない――計画がバレたところで支障はない――そんな、驕りとも呼べる態度。
それを受けて彼女も『計画の実行を防ぐのではなく、実行させたうえで計画を潰す』必要があると悟っていた。
そこまでは彼と同じ。
しかしセレフィナは、ヨハンよりも一つ冷静に状況を考え……捉えることが出来ていた。
それは――
「(彼女が……信頼できる味方なのか、どうか)」
現『宮廷錬金術士』であるラキア・マクルスの件。
セレフィナは理解していた。
現状ラキアを手放しで信頼することは危険だと。
もし彼女が味方で無かったら?
目的は分からない。そもそもマラヴィンの目的だって分からない。
分からないことだらけ。だが、今の状況は。
友情に流されて……友を疑うことを放棄しては、いけない――それだけは、確か。
「まぁひとまずキミは報告義務を果たし、団長も問題ないと言ったんだ。
一旦難しいことは忘れて、しっかり休むんだな」
「…………そ、そうか……?」
「あぁそうだ――なんなら……うん、アレだ、アレ。
明日はキミとボクとの二人きりで王都を回ろう。デートというヤツをしてみたい――」
「…………は……?
デートって…………いや、別に二人で出かけること自体は別に構わないけど、明日…………は……」
ヨハンの表情に影が差す。
疑いが脳裏を過ぎったのだろう――そして同時に、友を疑う罪悪感。
完全無欠な存在と思っていた想い人の、唯一であろう弱点をセレフィナは見た。
情――それこそが、学院序列第一位打ち崩す唯一の……
「何故だ? いいだろ?
友人の頼みじゃないか…………もっとも、明日のデートの内容如何によっては友人から一つステップアップする可能性も無きにしもあらずだが?」
「はぁっ……!? ステップアップって…………てかそもそもデート――」
「冗談だよ」
ヨハンに向ける、その表情。
演技には見えない――本心から紡がれる言葉にしか聞こえない声が。
「(この…………女っっ……!!)」
セレフィナにはもう――悪女のソレにしか思えなくなっていた。
「ヨハンさんっ――!」
騎士館の廊下に、セレフィナが上げた大声が響く。
「……セレフィナ…………?」
引きつった口角、汗ばんだ額。
振り向いたヨハンのそんな顔を見れば。
――その女は信用出来ない。
セレフィナが言いたいことを、理解していることが分かった。
「(ごめんなさい…………ヨハンさん…………)」
分かったうえで、言葉にする。
「明日は…………学院生は皆、王都の護衛と治安維持のクエストを任されます。
……………………ヨハンさんも、そのクエストに臨むべきです」
ヨハンの顔が歪む。
歯噛みしているのがよく分かる。
幾ばくかの逡巡の後――ヨハンが出した、結論は。
「俺は………………ラキアと居るよ。
でも遊ぶ訳じゃなくて……ちゃんと、街の見回りとかはちゃんとしつつ…………その……」
歯切れの悪く、結論とも呼べぬ、揺らいだ言葉だった。
「………………っ……」
それは、セレフィナの足をその場に縫い止めるには十分すぎて。
「………………………………じゃあな」
再びヨハンは歩き出す。
やるべきことを理解しつつ、友を疑いたくないという感情に流され……合理的ではない行動を取っていることも、理解しつつ。
「………………」
そんな彼の隣を歩く小さな少女が、肩越しにセレフィナを見た。
その表情は勝ち誇っているようにも見えて――苦悩しているようにも、見えた……。
◆◆◆
「…………めっちゃ……勃◯してる…………」
翌朝。充填三日目の、朝。
所謂朝◯ちと呼ばれる、愚息の硬化具合を眺めつつ……ヨハンはベッドの上で身体を起こした。
清々しい朝日が窓から差し込んでくる。
この日当たりの良さは、長く世話になっている宿屋で気に入っているポイントの数多くある内の一つだ。
「(過去一番の朝硬化状態――嫌な予感しか…………しないな)」
眩しげに目を細めて、窓から外を睨む。
「(ラキア、何を考えている?)」
王国屈指の権力者である男の計画……それ以上に、ヨハンの頭を支配するのは友の顔。
出会って数カ月の仲だが――それでも自分の心の多くを占める少女。
「(話して…………くれるんだよな………………?)」
ググッ――ズボンを内側から押し上げる音だけが、部屋に響いてその輪郭を消した……。
次話から第一部もクライマックスへと向かいます。
スケベ&バトル展開満載なのでお楽しみに!




