3-4 縛りと鼻血
迷宮。
それは、地脈や大気中のマナの流れが作用・影響して生み出される特殊な空間である。
山から川、海へと流れていく水にも、流れの勢いやその量が様々であるのと同様。
この世界を流れるマナが何らかの理由で“溜まる”ことで生まれた――人類がこの人知の及ばぬ空間に対して出した一つの仮説である。
迷宮には様々な種類がある。
その中でも、今ヨハンとセレフィナが赴いたこの迷宮は『文明型』と呼ばれる空間だった。
「まるで…………石造りの地下空間のような……」
その入口――その先へと視線を向けるセレフィナが声を漏らす。
森の中。元々洞窟があったかのような場所に、その迷宮の入口はあった。
そこにあるのはあまりに不自然である鉄製の扉。
それを開けると、まるで城や大屋敷の地下……石壁と石畳の空間が“伸びる”。
人一人が通れる程度の細い石道に、等間隔で小さな松明が灯されている様相は明らかに人の手――文明の色を感じさせた。
だがそれでも、この空間は正真正銘“自然に”生み出されたものだ。
地脈や大気、そして魔物や人間の魔力はその営みの中で混ざり合うモノ。
その過程の中で、人の記憶や培った文明の歴史がマナに影響を及ぼし――結果、文明的な建造物の様相を呈する迷宮が生み出されたと考えられているのだ。
「(このタイプは多分、蜘蛛の巣のような長い通路に多数の小部屋と大部屋が存在し…………その各部屋に魔物が待ち構えている。
道中にもきっと罠が仕掛けられているぞ)」
迷宮に足を踏み入れ、興味津々に多方へ視線を向けながら歩くセレフィナに対し、彼女の後ろを歩くヨハンは冒険者時代の経験からこの迷宮の仕様を推測していた。
そしてその経験則は正しい。
数多ある迷宮の中でも、この迷宮は特段珍しい点も無い平凡なタイプだった。
「(国の登録リストに無い迷宮……ってことは、新しく生まれた場所なんだろうな…………アイツらが知ったら喜ぶぞ)」
そんな風に考える余裕が生まれたことで、ヨハンの胸中に懐かしい想いが沸く。
冒険者時代、エヴァ達と共に幾つものクエストをこなして来たが、皆が最も高いテンションで臨んでいたのは迷宮探索だった。
難易度が高い分、クエスト報酬だけでなく採取による収入も見込める。また、未知の探索という要素でも、迷宮は非常に魅力的なのだ。
「(さて………………)」
そんな辺りで、ヨハンは懐古な感情を強引に断ち切った。
理由は一つ。
「……へー…………ふむふむ……」
セレフィナが何故か、迷宮内の石壁を“無防備にしか見えない”様子で触れながら歩いていたから。
それだけでなく、石畳の床の感触を確かめるように、つま先でコツンと叩く有様。
「(何をしてるんだ…………?
そんなあっちこっちに触れたり叩いたりしたら…………罠とか……あるかもしれないんだぞ……?)」
ハッキリ言って、今の彼女の姿は“迷宮初挑戦”で“真っ先に死ぬタイプ”にしか見えなかった。
だがしかし。
今目の前に居るのはあのセレフィナ・ユキ・ラグトゥール。
異能のチカラでトップに君臨出来たヨハンを除いて、このアルカディア王国が誇る魔導士育成機関『王立魔術学院』の実質的なトップ。
「(きっと……うん…………俺が知らない……そう…………罠感知の魔術とか……そういうの使ってるんだよね……?
…………うん、そうに決まってる……)」
今自分の脳裏に過ぎったような展開が、起きるはず無いのだ。
そう――『やっぱりな!』なんて叫びたくなるような展開なんて――
「あら? 何かこの壁の部分ちょっと押せるようになってて――」
――カチッ。
小気味よい“作動音”が、密室空間に響いた。
「「………………………………」」
沈黙と、見つめ合う二人。
「ひょっとして私何かやっちゃいまし――にゃあああああああ!!!!」
何の変哲も無い罠が作動!
天井から伸びた縄がセレフィナの身体を勢い良く持ち上げた!!
「~~~~~~~やっぱりなぁ!!」
◆◆◆
「ひゃ――ひゃあああああ!!!」
セレフィナは生まれて初めて『恥ずかしすぎて死にたい』という気持ちに襲われていた。
もし部屋で一人の時に、この感情に襲われてしまったら……縄で首を吊ってしまいかねない程の、激情。
「み、見ないでくださいっっっっ!!!」
……無理もない。
愚かにも――迷宮探索初心者でも引っ掛からないレベルの罠に掛かった彼女。
その事実だけでも悶絶モノではあるのだが、彼女に“恥ずか死”感情を抱かせる主な原因は――今の彼女の格好。
天井から伸びた縄は、一瞬の内にセレフィナの身体を……その肉感たっぷりな肉体を縛り上げ、天井へと吊るした。
己の自重――それがより彼女の肉体に縄を食い込ませ、ただでさえ欲情を刺激する極上ボディを更に扇状的な代物へと進化させている。
襷縛りと呼ばれる形で天井に吊り下げられるセレフィナの胸は、その大きさと柔らかさを強調されてまるで飛び出す絵本であるし、まともに見ればその者の目玉は飛び出てしまうこと間違いなし。
まるで人の意思を感じさせる程の巧みな繋縛術は、彼女を捕らえるというより引き立てる――と表現するのが正しいと思えるほど見事な手際だった。
迷宮が生まれる際――誰かの記憶が影響を及ぼした結果……ということなのだろうか?
……ふざけるな。こんなすっごい危険な姿を見せられる身にもなってみろ――そんな気持ちで、ヨハンはセレフィナに背を向けて怒りに震えていた。
「だ、大丈夫…………一瞬しか見て、無いから……」
それだけ告げて、ヨハンは“落ち着く”のを待つ。
「えっ――あ、は、はい…………」
その後ろ姿を見て、セレフィナはまたしても自分の中に不可解な想いが生まれるのを自覚した。
「(し、紳士なのはとても素敵ですし結構なのですけど…………そんなにすぐ、紳士な振る舞いをしなくても良いのに…………少し……ほんの少しくらいなら、ヨハンさんになら見られても――)」
しかしその想いは、あまりにも不埒な感情であることをセレフィナはすぐに悟る。
「(な……っ……なんて破廉恥なことを……!? 私、どうかしているんじゃないですか……!?)」
こんな姿を見られても良い? むしろ今自分は見てもらいたいなんて考えていなかったか?
あまりにも不埒。変態そのものである。
「(…………そもそも、私のこんな恥ずかしい格好なんて……ヨハンさんはきっと興味が無いでしょう――にっ!?)」
だがしかし。
セレフィナが目にしたのは――
「ヨ、ヨハンさん……!?
は……鼻から血…………鼻血が……!?)」
目を瞑ったままでコチラに振り向いたヨハンの顔……鼻の部分から、大量の出血が見られたのである。
「あぁいや…………コレは……何でも無いぞ」
それを見て。
「(………………あっ――)」
セレフィナは、自分の心が昂揚するのを感じた。
嬉しい――に近い、感情。分析し………………思い、至る。
「(昔読んだおとぎ話で読んだことがあります……!
その物語のとある場面……『性的に魅力を感じる女性の裸を見た殿方が興奮のあまり鼻血を出してしまう』…………という場面。
読んだ当時は、そんな馬鹿な事があるのか――なんて思っていましたが)」
今の……この状況は。
まさに――まさに――その物語の状況と、同じなのではないか?
「~~~~~っっ!!」
そうだ――そうに違いない!
自分が想いを寄せ、気になって仕方が無い人は今!
他でもない己の『身体が強調されるように縛られた姿』を魅力的に感じ、そのあまり鼻血を出してしまった!
「(ヨ……ヨヨヨヨハンさんが、私で…………興奮を……!)」
女としての昂揚。
魅力的に想う相手に、同等以上に魅力的に想われたいという女の本能が満たされていく感覚。
「(ふ……ふ〜〜〜ん……?)」
一瞬しか見ていない――そう言っていたが、その一瞬でしっかりと見て“くれて”いたのだ!
恥ずかしい思いをした甲斐があった……そう断言できる程の愉悦は、先刻まで不機嫌に膨らんでばかりいた彼女の頬を緩めきるには十分過ぎて――
◆◆◆
「(っ痛~~~……!!)」
ヨハンは自ら視界を閉じ。
そして“自ら痛めつけた鼻っ面”の痛みに、悶絶したくなるのを堪え……ただ、耐える。
「(ギリギリ…………だったな――)」
セレフィナが罠に掛かった瞬間。
天井から伸びた縄が、彼女の身体をいやらしく縛り付けるその刹那に、ヨハンは凄まじい速度で後ろを向いた後、自らの興奮を鎮める為に『思い切り自分の鼻を殴りつけた』のだ。
そうしなければならなかった。
そうしなければ……今頃は。
「(迷宮探索…………どころでは、無かったぞ……)」
そのあまりに(禁欲的に)危険なセレフィナの緊縛姿を目にして――暴発してしまったに違いない。
人間の急所の中で、鼻という部位は強い衝撃を受けると、戦意の喪失等様々な意欲・感情を断ち切られてしまう急所中の急所である。
その特性を、ヨハンは己の身を守るために有効に活用した。
肉を切らせて骨を断つ――この痛みは代償としては、むしろ軽すぎる。
「と、取り敢えず……俺は目を瞑っておくから、セレフィナの方から指示を出してくれ。
その通りに俺はその縄を短剣で切るから」
自分の腰元から、今日クエストに出る前に買っておいた安物の短剣を抜きながらセレフィナに指示を出す。
また何か起きる前に、縛り上げられているセレフィナと視界を潰された自分という、この無防備な状況をなんとかしなくては。
「ふへへぇ…………わ、分かりました〜……」
そして何故だか分からないが上機嫌なセレフィナ。
縄を切って解放してやった後もそんな調子が続いていたので、
「(これは……“色々な意味で”危険だから、俺が前を歩いた方がいいな)」
そう判断し、ヨハンは迷宮探索の陣形を検討し直すのだった。




