2-7 愚かな一歩
紛うことなく、裕福だった。
欲しいものは苦労することなく与えて貰えたし、将来に不安を感じることなど一切無かった。
――が、故に。
彼は不安に駆られた。
生まれる前から予め用意された道を歩きさえすれば。それを受け入れさえすれば、何の不安も感じず何一つ苦労すること無く人生を全うできる恵まれた境遇に。
恵まれているが故の悩み――恵まれぬ者からすれば、失笑に値する思考。
「(どうしてだ……? どうして何も起きない…………?)」
朝起きてから服を着ることすらせず、宿のベッドの上で苛立つソウロ・ミコスリン。
親指の爪を噛む悪癖が出てしまっていることに気づかないくらい、彼は苛立つと同時にパニックに陥っていた。
「(聞いてた話と違うぞ……?
この村で待っていれば…………全て上手くことが運ぶ筈じゃなかったのか……?)」
親に用意された道――彼はその道を従順に歩き続けることに耐えきれなかった。
一歩だけ道を外れてみたい……そんな欲求に従って、彼は今回特殊指定個体討伐のクエストに臨んだ。
“とある計画”に手を貸す形で。
「(騙された……? いや、でもこんな風に僕を騙して彼らに何のメリットが……?
クソっ……!! 結局セレフィナとはお近づきになれないし…………!!)」
今回のクエストにセレフィナをパーティに入れて出発出来たこと――そこまでは完璧だった。
後は宿で強引にでもセレフィナと関係を持ち……肉欲を満たすのと同時に、自分の家など足元にも及ばぬ大貴族ラグトゥール家との繋がりを作る――それは、親に決められた“程々に満足な”人生を上回る最高の人生の第一歩となったはず。
自分で選び勝ち取った――それが重要なのだ。
なのに、なのに、
「(一体どうすれば……? しばらくこの村で待ってた方がいいのか…………?)」
思考がまとまらなかった。
否――彼は散り散りになっていく思考を纏める方法を知らなかった。
何故なら彼は今までの人生で、真に自分で考えて動いたことが無かったのだから――
「ソウロさまぁ~」
親指の爪が唾液でふやけてきた頃合いに、間の抜けた声でソウロを呼びながらビッティとターレが部屋に入ってきた。
そういえばセレフィナの様子を見て来いと指示していたんだっけか――指を口から離しつつ彼は苛立ちを隠そうともせずに問う。
「…………どうだった」
昨晩身体を重ねた相手に向ける声色とは思えないくらい凄んだ声だったが、彼女達はそれを一切気にしない。
「セレフィナさん、宿にはもう居ないみたいですぅ」
「なんかぁ、朝から村で聞き込みしてるっぽいですよぉ?」
「…………………………チッ……」
淡々と、事務的に、指示されたことだけを遂行した彼女達の言葉にソウロは舌打ちを一つ。
そして――
「(クソっ……分からない…………!
…………で、でも取り敢えず……セレフィナにはしばらくこの村でジッとしておいてもらうのが一番……だ…………うん、そうだ……きっとそうなんだ……!)」
そんな、問題の先送りに等しい決断を自分に言い聞かせつつソウロは急いで服を着てセレフィナを追うように宿を出る。
その“何の魅力も見いだせない”姿を見るビッティとターレの顔に浮かぶは嘲り。
ソウロが彼女達を肉欲処理の道具として見ていないのと同様、彼女達にとってソウロもまた、将来の安泰の為の道具に過ぎないのだ――
◆◆◆
「セレフィナ――!」
昨日までのすました態度から一変し――何やら妙に慌てている様子のソウロが大声を上げながら近づいてくる。
後ろには取り巻きの女二人。
「…………随分と遅いお目覚めで。
どうも昨晩は……お楽しみ過ぎたようなのでは?」
一通りの聞き込みを終えたセレフィナは、昨晩休息を邪魔された腹いせに渾身の嫌味を口にする。
美人特有の冷たく鋭い視線を向ける彼女に怯みながらも、
「フッ――キミも混ざれば、もっと楽しい夜になったと思うよ?」
焦りを隠しつつ、そんな思い切ったアプローチ(彼にとっては)をするソウロは気づかない。
「「「………………」」」
一瞬の沈黙の中交わされた、女性陣三人の目配せに。
「………………フッ――」
昨晩が楽しい夜であった……なんてことは一切無く。
ビッティとターレが楽しい夜を“演出”していただけということをセレフィナも気づいていて――ソウロだけがそれを知らない。
決して口にはしない――だが三人とも、心の中でソウロを馬鹿にしていた。あまりにも、哀れ。
「そ、それより…………何やら、聞き込みをしているんだって?」
そんな哀れなソウロは、己の予定を崩す行動を取っているセレフィナの様子を探る。
「えぇ――村の人達に、最近何か変わったことが無かったか……些細なことでも教えてほしいと聞きまわったところ一つ気になることが」
「…………気になること?」
「近隣の村や行商の人達が角雷鳥竜に襲われ始めてから、どうやら他の魔物の目撃数が減っているようですね。特に――ゴブリンの目撃数が」
「………………っ……」
ソウロと取り巻きの二人はセレフィナの言葉を聞き、僅かに目を見開く。
だがソウロの反応にあって、二人の反応には無い物があった。それは、焦り。
「正直関連があるかどうかも不確かな情報です。ですがこのまま何もせずにココで時間を無為にする訳にもいきません。
ですから、この村の西側――一番近い場所にあるゴブリンの巣の様子を見に行きましょう」
住人に場所を教えてもらったのであろう――印を付けた地図を開きながら段取りよく出発の準備をするセレフィナを、
「ちょ、ちょっと……!」
「?」
「も……もしかしたら…………ほ、ほらっ! せっかくゴブリンの巣を調べに行っても、無駄足になるかもしれないじゃないか!
そうなるくらいならもう少しこの村に滞在して様子を見て――」
ソウロは大した言葉の用意も無く呼び止めるが、
「…………このままココで貴方と大人しく過ごせと?
……フンッ――それこそ、私にとっては無駄足でしょう?」
一笑に付されて撃沈。
だが無理もない。魅力だけでなく、彼自身には大したチカラ――学院序列第一位であるセレフィナを止めるだけの実力は無いのだから……。
◆◆◆
その雷は見据えていた。
鷲のような頭に大きな一本の角。竜の如き飛行能力を持つその魔物は、微かな魔力の残滓を感じ取る。
普段は温厚な色に染まっている双眸は、人間に対する怒りで染まっていた。
だがそこに、僅かだが困惑の色も混ざる。
人里の方に感じる残滓――そこへ向かおうとした矢先だった。
一度調べたはずの場所から、また違う場所へ――“ソレ”が動いているのだ。
パチッ――魔物の角から、小気味よい雷音が鳴る。
しばしの思考の後、ひとまずは達観を決める――内に秘めた怒りを抑え、冷静に状況を見極める。
その姿は、禍々しい雷雲が天罰を落とす場所を見定めるかのようで――




