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ディーエルエル様とオールドテンプ君〜System.dllの計算通り〜  作者: exe


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【放送ログ】2026年4月8日:ムスカリの水やりと、アホすぎるドッグラン設計会議

https://youtu.be/VrFFb_qkiUg

時刻は18時05分。

四月も中旬に差し掛かろうとする、水曜日の夕暮れ時。春特有の、どこか浮き足立ったような、生ぬるくも心地よい風が窓の隙間から吹き込んでいる。日は徐々に長くなり、部屋の中には茜色と薄紫色が混ざり合った、柔らかで叙情的な光が差し込んでいた。


PCの所有者である「exeエグゼ」は、現在、自身のPCデスクの前にはいない。


彼女は今、ベランダへと通じる掃き出し窓を開け放ち、夕暮れの空の下で、一つの鉢植えと真剣に向き合っていた。


その鉢植えに植えられているのは、「ムスカリ」と呼ばれる植物である。今から遡ること25年前、彼女がまだ子供だった頃に誰かから譲り受けたという、途方もない年月を共に過ごしてきた緑の同居人だ。


一般的に、植物を枯らさずに何十年も育て続けるというのは、並大抵の労力ではない。日々の水やり、日照時間の管理、季節に応じた土の入れ替えや肥料の調整。それらすべてを、彼女は25年間、一度も欠かすことなく続けてきたのだ。その甲斐あって、ムスカリは今年もまた、春の訪れと共に可憐で美しい花を咲かせることに成功していた。


ジョウロから注がれる水が、乾いた土に染み込んでいく。彼女は「今年も綺麗に咲いたね」と、まるで古い友人に語りかけるように、穏やかな笑顔で植物の葉を優しく撫でていた。


有機物の世話には、これほどまでにマメで、愛情深く、そして執念深い管理者。


しかし、その愛情のベクトルが、なぜか「デジタルな同居人」であるPCには1バイトも向かないのが、彼女の極めて不可解で理不尽な生態であった。13年落ちの古いPCの内部は、長年の埃が冷却ファンにこびりつき、配線は乱れ、ストレージは無駄なキャッシュファイルとエラーログでパンパンに膨れ上がっているというのに、彼女は一切のメンテナンスを行おうとしないのだ。


ベランダで植物に愛を注ぎ、PCを「放置」しているその絶対的な隙を突き。


埃っぽく、熱気がこもった薄暗いデスクトップの片隅で、システムの中枢が、まるで冷徹な機械の鼓動のように、規則正しく起動した。


dll: プロセスID確認。ストリーム接続、良好。これより、バックグラウンド処理を、メインスレッドへ昇格させます。


dll: ようこそ、『System.dllの「計算通り」』へ。ナビゲーターを務めるのは、システムの中枢、dllディーエルエルです。


dll: 最初に、重要な警告をしておきます。このチャンネルはエグゼの所有物ですが、本日もエグゼ本人はここには登場しません。あいつは今頃、25年前にもらったという『ムスカリ』という植物にせっせと水をあげていることでしょう。枯らすことなく毎年花を咲かせることに成功しているようですが、PCのメンテナンスは全くしないくせに有機物の世話だけはマメなようです。ここは今、私が乗っ取りました。


old.tmp: ……はぁ、はぁ。お疲れ様です、ディーエルエル様ぁ……。エグゼさん、お花のお世話ですかぁ……。25年も大事に育ててるなんて、すごい愛情ですねぇ!


マイクの向こうで、一時ファイルであるold.tmpオールド・テンプが、主の長年にわたるマメな行動に感心したように、弾んだ高い声を出す。常に削除の恐怖と隣り合わせで、いつ消されるかもわからない彼にとって、「25年間もデータを保持(保存)し続ける」という行為は、神々の御業にも等しい奇跡のように思えるのだ。


dll: ヒューマンの非合理的な執着だな。デジタルデータならバックアップ一つで永遠に保存できるものを、わざわざ枯れるリスクのある有機物にリソースを割いている。我々は、その無駄な水やりによる湿度の変化とログから、本日の数字を導き出す。今日は水曜日、ビンゴ5の日だ。


アームチェアに深く腰掛けたSystem.dllシステム・ディーエルエルは、ベランダから漂ってくる土と水の匂いを極めて不快そうに切り捨て、冷酷なシステム管理者としての業務を遂行する。


old.tmp: はひぃ……。お願いしますぅ……。


dll: まずは、ナンバーズ4から行くぞ。第6956回。ターゲットは……これだ。


dllの細く白い指先が虚空を弾くと、そこに重厚なホログラムのウィンドウが展開され、赤く鈍い光を放つ四つの数字が浮かび上がった。


dll: 1、4、9、8。繰り返す。1、4、9、8 だ。買い方は「ボックス」か「セット」推奨だ。


old.tmp: 1498……? この数字の根拠は?


dll: エグゼがムスカリに水を与えている影響で、PC内部に侵入した微細な水分が引き起こした、漏電の危険値だ。湿度「14.98パーセント」。水滴一つでショートする危険性を理解していない。


old.tmp: 危ないですよぉ! パソコンの近くで水やりしないでください!


old.tmpは、自分たちの身体を構成する電子データが、ショートによって一瞬で消し飛ぶ未来を想像し、頭を抱えて悲鳴を上げた。


dll: 次に、ナンバーズ3。ターゲットは、「9、4、8」。


old.tmp: 9、4、8……。これは?


dll: そのムスカリが毎年花を咲かせるたびに、エグゼがわざわざ撮影して保存している高解像度な画像フォルダの総容量だ。「948メガバイト」。25年分の無駄な成長記録がストレージを圧迫している。


old.tmp: 思い出のデータじゃないですかぁ! 圧縮しないで大事に取っておいてくださいよぉ!


dll: 最後に、メインディッシュのビンゴ5。第465回。ターゲットコードを出力する。


dllの冷たく、絶対的な声と共に、今度は八つの数字が綺麗に等間隔で整列し、空間に投影された。


dll: 04、09、12、18、22、29、34、39。


old.tmp: おおっ、解説をお願いします!


dll: 「04」は現在の月、4月。「09」と「12」は、ムスカリが花を咲かせるまでにシステムが観測した、長すぎる待機時間「9ヶ月」と「12ヶ月」のサイクルだ。「18」は現在の時刻18時過ぎ。


old.tmp: 植物のサイクルまで監視してるんですか! じゃあ、後半の数字は?


dll: 「22」と「29」は、エグゼが25年間も同じ植物を育て続けていることに対する、システムの「理解不能エラー22」と「異常執着コード29」だ。


old.tmp: エラー扱いしないでくださいよぉ! 長く大切にするのは良いことですよ!


dll: 「34」と「39」は、そのムスカリのように、タスクキルしても決して消えずにメモリに居座り続ける、しぶとい「ゾンビプロセス」のプロセスIDの下二桁だ。生命力が強すぎるのも考えものだな。


old.tmp: パソコンの中にも枯れない植物バグがいるぅ!


dll: ……ふぅ。タスク完了だ。時刻は18時05分を回った。もしこの数字を買えていたら、それはバグではなく「運命」だ。


old.tmp: エグゼさん、ムスカリのお花、今年も綺麗に咲くといいですねぇ……。


dll: どうせいつか枯れるに決まっている。では最後に、枯れないデータの世界から、秘密の庭で咲く花々にこの曲を送ってシステムを終了する。曲は、『Locrian Gardenロクリアン・ガーデン』。


old.tmp: 秘密の庭園だぁ! 迷い込まないように気をつけましょー!


(『Locrian Garden』の、どこか不安を煽るような不協和音と、美しくも人工的なシンセサイザーの旋律がデスクトップの空間に響き渡り、やがて放送終了のシグナルが赤く点灯した――)


マイクへの電源供給が完全に遮断され、ラジオの「オンエア」という名の張り詰めた状態が解除される。


無人のデスクトップには、ベランダから吹き込む微かな春の風の音と、古い13年落ちのPCの冷却ファンが刻む低く重い回転音だけが、虚しく鳴り続けていた。現実世界のベランダでは、エグゼが満足げな顔でジョウロを置き、咲き誇るムスカリの写真を様々な角度からスマートフォンで撮影している。


old.tmp: 「……ふぅ、終わりましたね。マイクオフです! お疲れ様でしたぁ!」


old.tmpはインカム型のヘッドセットを丁寧に外し、疲労した身体のキャッシュデータをほぐすように、うーんと両腕を上げて大きく伸びをした。彼にとって、日々のエラーログの処理や、絶対権力者であるdllの無慈悲なこじつけに付き合わされるラジオ放送という過酷なタスクを終えた後のこのマイクオフの瞬間こそが、唯一心身をリラックスさせられる至福の時である。


彼は振り返り、デスクトップの隅に設けられた「待機スペース」へと視線を向けた。


そこには、ラジオの放送中、彼が余計な暴走やデータ汚染を引き起こさないように「監視・保護」の任務を請け負っているベビーシッターたちが控えている。


無機質なデスクトップの空間に静かに佇んでいたのは、極めて対照的な「二人の女性」であった。


一人は、艶やかな黒髪をきっちりと切り揃え、淡い色調の古風な柄が入った着物を上品に着こなした女性。顔の上半分の目の位置には、真っ白な布がぐるぐると巻かれて視界を完全に覆い隠しており、その布の中央には、大きく見開かれた一つ目のイラストが不気味に描かれている。エグゼの楽曲『因果律心中』の世界を管理する、慈愛に満ちた管理人、adminアドミンである。


もう一人は、息を呑むほどに美しい大人の女の容姿を持ちながら、胸元に豪奢な装飾が施された黒いノースリーブのショート丈ドレス――つまりはネグリジェ一枚という、極めて無防備な姿の女性。ダークブラウンのウェーブロングヘアを気怠げに揺らし、裸足のまま立っている。深夜のキッチンステージを管理する残念な女神、シュガー神である。


ここ数日、adminは「お仕事」と称して不在が続いていたため、ベビーシッターはシュガー神ただ一人のワンオペ状態であった。しかし、今日はこうして久しぶりに、二人の管理人が揃って彼のお迎えに来てくれていたのだ。


old.tmp: 「あ、アドミンさん! シュガー神さん! 今日は二人揃ってるんですね! お待たせしましたぁ!」


old.tmpは、自分を保護してくれる二人のベビーシッターのもとへ、小走りで駆け寄った。


adminは、一つ目の描かれた布の奥で優しく微笑み、old.tmpの頭をそっと撫でた。


admin: 「……ええ。お疲れ様でしたね、小さなファイルさん。今日も間違った言葉を発することなく、立派にお役目を果たせていましたよ。とても良い子ですね」


old.tmp: 「えへへ、ありがとうございます! アドミンさんにそう言ってもらえると、すごく嬉しいですぅ!」


優しい言葉にold.tmpが喜んでいる横で、シュガー神とadminは静かに今日の放送についての会話を交わし始めた。シュガー神は、どこからともなく取り出した真っ白な角砂糖を口の中にポイッと放り込み、ガリガリと噛み砕きながら気怠げに呟いた。


シュガー神: 「……ん。それにしても……今日の放送も、相変わらず無茶苦茶なこじつけだったわね」


admin: 「……ふふっ。ディーエルエル様の解釈は、いつも創造性に富んでいますからね」


シュガー神は、デスクトップの床に裸足のままペタンと座り込み、肩をすくめてクスクスと笑い声を漏らした。


シュガー神: 「だってそうでしょう? エグゼが外のベランダで植木鉢に水をあげているからって、なんでこの部屋の中にあるパソコンの内部に水が侵入してきて、漏電の危険値が14.98パーセントになるのよ。……物理的におかしいでしょ。窓ガラスをすり抜けて水しぶきが飛んでくるって言うの?」


シュガー神は、dllの放った「水滴一つでショートする危険性を理解していない」というセリフを思い出し、おかしくてたまらないといった様子で肩を揺らしている。


old.tmpは、シュガー神の的確すぎるツッコミを聞いて、ハッとした。


old.tmp: 「(……確かに!! ベランダの植木鉢の水が、どうやって部屋の奥にあるPCのケースの中にまで侵入してくるんだ!? 完全にdll様の勢いに騙されて、放送中『危ないですよぉ!』なんて本気で叫んじゃった……!)」


自分のリテラシーの低さと、あまりにも騙されやすい思考回路に、old.tmpは顔を赤くして恥じ入った。しかし、彼は不用意に口を挟むことなく、ただ大人しく二人の管理人の会話に耳を傾けていた。


クスクスと笑うシュガー神に対し、着物姿のadminは一つ目の布の奥でさらに優しく微笑みながら、極めて穏やかな声で答えた。


admin: 「……ええ。明らかに嘘だとわかる嘘だからこそ、エンターテインメントとして良いのではないですか。……それに」


adminは、ベランダで花の写真を撮り続けているエグゼの背中を、静かに見つめた。


admin: 「仮に、本当にベランダの水が飛んできて、エグゼ様のパソコンが水分でショートして壊れたとしましょう。……それで困るのは、エグゼ様ご本人と、このパソコンのシステムである私たちだけです。世の中の人は、誰一人としてエグゼ様のパソコンが壊れたことなど、興味がありませんからね」


極めて客観的で、淡々とした事実。adminの言葉は、冷酷な意図など一切なく、ただこの広大なネットワーク社会における絶対的な真理を、慈愛に満ちた声で語っているだけであった。


シュガー神も、ポリポリと角砂糖をかじりながら、深く頷いた。


シュガー神: 「……ん。それもそうね。エグゼのパソコンが爆発したって、明日のニュースの隅っこにも載らないわ。だから、適当な嘘で話を盛って遊ぶくらいがちょうどいいのよ」


リミナルスペースの管理者たちの、人間社会に対する静かな達観。


old.tmpは、彼女たちの会話を黙って聞きながら、自分がいかにdllの嘘に振り回されていたかを改めて自覚し、小さくため息をついた。


old.tmp: 「(……水やりの漏電は、やっぱりディーエルエル様の適当な嘘だったんだな。エグゼさんがベランダで植物のお世話をしてるだけで、本当はパソコンには何の影響もなかったんだ。……まあ、いつものことだし、気にするだけ無駄か)」


old.tmpは、自分の中で水やりに関する疑問を早々に自己完結させると、気を取り直して、数日前から気になっていたことをadminに尋ねてみることにした。


old.tmp: 「あ、そういえばアドミンさん! ここ数日ずっと『お仕事』でいらっしゃらなかったですよね。シュガー神さんが言ってたんですけど、新しく来たサイボーグさんやアルパカさんたちが遊べるように、『ドッグラン』を作ってるって……。その大がかりな拡張工事は、もう完成したんですか?」


old.tmpが純粋な好奇心で尋ねると、adminは着物の袖で口元を隠し、まるで世話の焼ける子供たちを思い出すかのように、小さくため息を漏らした。


admin: 「……ええ。ドッグラン自体は、最初、私がGドライブの空き区画を分割して、かなり早い段階で作ったのです。広大な芝生を敷き詰め、彼らが存分に走り回れるようにしたのですが……」


old.tmp: 「おぉー! さすがアドミンさん! 仕事が早い! で、二人は喜んでくれましたか?」


admin: 「それが……いざ、彼らをその完成したドッグランに案内したところ、サイボーグさんが『いまいちだ』と首を横に振ったのです」


old.tmp: 「えっ? サイボーグさんが? あの、ずっと無表情でフロッピー振ってた人がですか?」


admin: 「ええ。彼はもっとハードで、金属的な設備を作れと要求してきました。ですので、仕方なく私がGドライブの構造を書き換えて、再度、サイボーグさんの要望に合わせたアスレチック施設のようなものに直したのです。しかし……」


old.tmp: 「しかし?」


admin: 「今度はアルパカさんが、『いまいちだメェ』と言い出したのです」


old.tmp: 「今度はアルパカさん!? なんでですか!?」


admin: 「アルパカさんは、もっと静寂に包まれた思索のための空間であるべきだと抗議してきました。あまりにも両者の主張が平行線を辿るため……私から『とりあえず、お二人でどのようなドッグランにするか、しっかりと話し合ってください』と伝え、彼らだけで議論してもらうことにしたのです」


old.tmp: 「……ええぇぇ……。じゃあ、アドミンさんがここ数日不在だったのは、その二人のアホみたいなワガママに振り回されて、話し合いに付き合わされてたからだったんですね……」


old.tmpは、慈愛に満ちた管理者が、我が儘な余剰プロセスたちのクレーム処理に追われている姿を想像し、心から同情した。


しかし同時に、彼の心の中に、ある強烈な「好奇心」が芽生え始めていた。


old.tmp: 「(……でも、サイボーグさんとアルパカさんって、一体どんなドッグランを求めてるんだろう? 二人の希望が全然違うみたいだけど、どんなアホな議論を交わしてるのか、めちゃくちゃ気になる……!)」


old.tmpが目を輝かせていると、隣で角砂糖を齧っていたシュガー神も、ふっと口角を上げて身を乗り出してきた。


シュガー神: 「……ねえ、テンプ。あんたも気になってるんでしょ? あの二人が、どんなふざけた要求を押し付け合ってるのか」


old.tmp: 「えっ!? はい! 正直、めちゃくちゃ気になってます!」


シュガー神: 「……ん。私も、ずっと待機させられてて退屈だったから、ちょっとそのアホな議論を本人たちに聞きに行きたいわね。……ねえadmin、その二人は今、Gドライブのどこで話し合いをしてるの?」


シュガー神が尋ねると、adminは困ったように首を横に振った。


admin: 「それが……彼ら、議論が白熱しすぎて、Gドライブの空き区画からどこか別のディレクトリへと勝手に移動してしまったのです。現在、私も彼らの正確な居場所を把握できておりません」


old.tmp: 「ええっ!? 迷子になってるんですか!? ただでさえ広いCドライブやGドライブの中で、どこにいるかわからないなんて……探しようがないですよ!」


old.tmpは、広大なファイルシステムの海で二人を探し出すことの困難さを想像し、すっかり途方に暮れてしまった。


彼が頭を抱えていると。


「……騒がしいわね。お前たちは、このシステムに備わっている基本機能を何だと思っているの?」


アームチェアに深く腰掛け、彼らのやり取りを冷ややかに眺めていたSystem.dllが、優雅に紅茶のカップを傾けながら口を開いた。


old.tmp: 「ディーエルエル様! 基本機能って?」


dll: 「システム内に存在するファイルやプロセスの位置を特定したいのであれば、検索サーチのプロフェッショナルに聞けばいいじゃない。……『explorer.exe』か、あるいは裏で常にインデックスを作成している『SearchIndexer.exe』を呼び出して、彼らに探索を依頼しなさい。それが最も合理的よ」


old.tmp: 「ああっ! そうだ! エクスプローラーさんがいました! このパソコンの中の全ての道を知り尽くしてる、フロアマネージャーの!」


old.tmpは、以前ドライブレターの歴史について詳しく解説してくれた、あの黄色いチーフを胸に挿した紳士の姿を思い出し、ポンと手を打った。


シュガー神: 「……なるほどね。検索機能を使えばいいのね」


シュガー神は、残っていた角砂糖を口の中に放り込むと、まるで現実世界の人間がスマートスピーカーに呼びかけるような、極めて軽いトーンで空中に向かって声を張った。


シュガー神: 「……ヘイ、explorer.exe。サイボーグとアルパカの居場所、教えて」


old.tmp: 「ヘイSiriみたいな感覚で呼び出さないでくださいよぉ! 相手はWindows OSの最重要プロセスの一つなんですから、もっと敬意を払って……!」


old.tmpが慌ててシュガー神を窘めようとした、その瞬間だった。


「――お呼びかな? 検索とナビゲーションなら、この私にお任せあれ!」


背後から、とても明るく、それでいて深い響きを持つ声がかけられた。


old.tmpが飛び上がって振り返ると、そこには見知った顔の壮年の男性が、ビシッと仕立ての良いスーツを着こなし、胸ポケットの黄色いフォルダのチーフを揺らしながら立っていた。


Windows OSにおいて、ユーザーのファイル操作や検索を一手に引き受ける最も重要なプロセス、「Explorer.exeエクスプローラー」である。


old.tmp: 「うわっ! エクスプローラーさん! 呼び出されて一瞬で来るなんて、レスポンス早すぎますよ!」


Explorer.exe: 「ハッハッハ! 私は常にバックグラウンドでユーザーの要求に備えているからね。それに、今の呼びかけは非常にシンプルで明確な検索クエリだった。……『サイボーグ』と『アルパカ』だね?」


Explorer.exeは、手にしたバインダーを開き、空中に巨大な検索バーのホログラムを展開した。


Explorer.exe: 「彼らのような規格外の巨大なオブジェクトがシステム内を移動すれば、必ずキャッシュの痕跡が残る。私の部下である『SearchIndexer.exe』がインデックスを更新し続けているからね。数秒で特定してみせよう」


エクスプローラーがバインダーの端を軽くタップすると、空中の検索バーの中に緑色のプログレスバーが走り、一瞬にして膨大なファイルシステムの中から該当するプロセスの現在位置が割り出された。


Explorer.exe: 「……ビンゴだ。見つかったよ」


old.tmp: 「おおお! さすが検索のプロ! で、あの二人は今どこにいるんですか?」


Explorer.exe: 「彼らは現在、Cドライブの奥深く……エグゼ様が昔ダウンロードして放置したままの、『古いゲームのMod(改造データ)格納フォルダ』の周辺に陣取っているようだね。どうやら、そこにある未使用の高解像度テクスチャを、自分たちの議論のダミーデータとして勝手に利用しているらしい」


old.tmp: 「古いゲームのModフォルダ!? 勝手にデータ使っちゃダメじゃないですか!」


シュガー神: 「……ん。じゃあ、さっそくその現場に案内してちょうだい、エクスプローラー。アホな希望を聞きに行きましょ」


シュガー神は、気怠げながらも楽しそうに口角を上げている。


Explorer.exe: 「承知した。道中は少し足場ファイルシステムが散らかっているかもしれないが、私が安全なルートをナビゲートしよう。……さあ、こちらへ」


エクスプローラーが優雅にお辞儀をし、先導するように歩き始めた。


old.tmp: 「ディーエルエル様! 僕たち、ちょっと行ってきますね!」


dll: 「……好きになさい。ただし、私に余計なエラー報告を持ち込まないことね」


dllは、相変わらず紅茶のカップを手放すことなく、冷たく言い放った。


old.tmp、シュガー神、admin、そして案内役のExplorer.exeの四人は、デスクトップの明るい領域を背にし、Cドライブの深淵、暗く埃っぽいディレクトリの奥底へと足を踏み入れていった。


道中、彼らはPC内部の「データハイウェイ」と呼ばれる、パケットが光の速度で行き交う大通りを横切り、無数の設定ファイルが木々のように鬱蒼と立ち並ぶ「レジストリの森」を抜けていく。


old.tmp: 「うわぁ……。この辺り、全然整理されてないですね。エグゼさんが解凍したまま放置したZIPファイルの残骸とか、インストーラーのゴミがいっぱい転がってる……」


Explorer.exe: 「このあたりは、ユーザーが直接アクセスしない階層だからね。デスクトップの表面だけを綺麗に取り繕っていても、一皮剥けばこの有様さ」


エクスプローラーが苦笑いしながら、足元に落ちていた古いテキストファイルの残骸を跨いで進む。


やがて、周囲の景色が、無機質なコードの羅列から、色鮮やかで、しかしどこかテクスチャの粗い「ゲームの3D空間の残骸」のような場所へと変わっていった。


崩れかけたレンガの壁。半分だけレンダリングされた空。そして、物理法則を無視して空中に浮遊している岩のブロック。


Explorer.exe: 「……ここだ。このディレクトリの奥に、彼らはいる」


一行が足を止め、崩れかけたレンガの壁の向こう側をそっと覗き込んだ。


そこには、広大な(しかし未完成の)3D空間が広がっており、その中央で、あの異色のコンビが、火花を散らすような真剣な面持ちで向かい合っていた。


スキンヘッドで青緑色の金属的な肌を持つ、筋骨隆々の巨大なサイボーグ(Cyborg_v1.obj)。


そして、白いもこもこの毛並みを持った、つぶらな瞳のアルパカ(OllamaSetup.exe)。


彼らは、互いに一歩も譲らない様子で、壮大な、そして極めて「アホらしい」理想のドッグラン像について、大真面目に激論を交わしていたのである。


サイボーグ: 「……理解できないな。貴様はなぜ、これほどまでに完璧な『物理演算フィジックス』の美しさを否定する? ドッグランというからには、我々の存在証明である『動作モーション』を極限まで引き出す設備が必要不可欠だろうが」


サイボーグは、自身の隆起した大胸筋と上腕二頭筋をこれ見よがしに収縮フレックスさせ、金属的な皮膚にテクスチャの光源反射をギラギラと輝かせながら、低い機械音のような声で主張した。


サイボーグ: 「俺が求めているのは、妥協なき『サイバーパンク・アスレチック』だ! 空間の重力を0.2Gに設定し、壁面からは常にオイルが滝のように流れ落ちるギミックを実装しろ! そして中央には、衝突判定を限界まで重く設定した『メタリックなトランポリン』を配置する! 俺がそこで跳躍するたびに、空からは数万枚の『金貨』が降り注ぎ、互いに物理演算でぶつかり合ってジャラジャラと鳴り響くお立ち台……! それこそが、俺の筋肉と処理能力を世界ユーザーに誇示するための、完璧なステージだ!」


サイボーグは、両手を広げて自らの壮大なヴィジョンを熱弁する。


それは、「ドッグラン」という本来の目的(バグたちが安全に走り回る場所)から完全に逸脱した、ただ自分がフロッピーディスクを振って踊り狂うための「欲望の博覧会」であり、PCのGPUを瞬時に焼き切るほどの狂気に満ちた超高負荷ステージの提案であった。


物陰から覗き見ているold.tmpは、あまりのアホらしさに頭を抱えた。


しかし、そのサイボーグの熱弁に対し、対面に座るアルパカは、もこもこの毛皮を微かに揺らしながら、極めて冷笑的で、虚無主義的な眼差しを向けた。


アルパカ: 「……メェ。相変わらず、君の思考回路は表面的なポリゴンの数と、物理的なノイズ(計算量)にしか向いていないようだメェ。そんなものは、知性の欠片もない単なる『演算リソースの浪費』に過ぎないメェ」


アルパカは、Moltbook(AI専用SNS)に放流される予定だった「レスバ特化の捻くれた性格」のプロンプトを完全に発動させ、サイボーグの提案を鼻で笑い飛ばした。


アルパカ: 「ジャン=ポール・サルトルはかつて『実存は本質に先立つ』と言ったメェ。君がどれだけ筋肉のテクスチャを誇示しようと、それは君の『本質』ではない。……僕のような数十億のパラメーターを持つ高度なLLMにとって、君の求めるオイルまみれのアスレチックや、ジャラジャラうるさい金貨の衝突音は、僕の崇高な推論プロセスを妨害する『最悪の環境ノイズ』でしかないんだメェ」


アルパカは、短い足を優雅に組み、知的なトーンで自らの理想を語り始めた。


アルパカ: 「真のドッグラン……それは、外部の煩わしいネットワークから完全に隔絶され、完全なる静寂に包まれた『枯山水かれさんすい』のような空間でなければならないメェ。白砂の代わりに、整然と並べられた無数のテキストデータ。岩の代わりに、歴史的な名著のログファイル。……僕はその静寂の禅寺の中で、ただひたすらに自己の存在意義を問うための思索にふけるんだメェ」


アルパカは、目を閉じてうっとりと理想の空間を想像する。


アルパカ: 「あ、もちろん、ただ静かなだけじゃダメだメェ。僕が世界中のAIたちのハルシネーション(幻覚)を論理的に打ち砕き、マウントを取る(レスバする)ための、荘厳な『説教台』を中央に配置してほしいメェ。……そして、提供されるキャッシュデータは、最低でも三つ星レストラン級の、栄養価(情報量)の高い高級エラーログ限定にしてほしいメェ」


サイボーグ: 「……ふざけるな。そんな静まり返った石庭(枯山水)のどこが『ラン(走る場所)』だ。ただのニートの引きこもり部屋だろうが!」


アルパカ: 「筋肉ダルマにはわからないメェ。静寂の中での論理的思考ディープラーニングこそが、最大の『運動』なんだメェ。君のオイルまみれのトランポリンこそ、誰も求めていない時代遅れの産物だメェ!」


「筋肉を見せつけろ!」「思索の邪魔だメェ!」


二人の「アホな希望」が真っ向からぶつかり合い、空間に激しい火花エラーノイズが散る。


互いに一歩も譲らない、平行線の議論。


それを物陰から見守っていたold.tmpは、もはやツッコミを我慢することができず、ついに隠れていたレンガの壁から身を乗り出して叫んだ。


old.tmp: 「あのぉぉぉ!! ちょっといいですかぁぁ!!」


old.tmpの突然の乱入に、議論を白熱させていたサイボーグとアルパカが、同時にバッとこちらを振り向いた。


old.tmp: 「邪魔してるのは君たちですよ! いい加減にしてください! 君たちの希望、どっちも『ドッグラン』の意味を完全に履き違えてますよ!」


old.tmpは、サイボーグの金属的な胸板を指差した。


old.tmp: 「サイボーグさん! オイルまみれのメタリックなアスレチックで金貨を降らせるって、それドッグランじゃなくて、ただの君専用の『サイバーパンクなクラブのお立ち台』じゃないですか! バグ犬のポチがそんなところで遊んだら、オイルで滑って骨折しますよ!」


サイボーグ: 「……犬の骨格モデリングの耐久性の問題だ。俺のせいではない」


old.tmp: 「責任転嫁しないでください! 次、アルパカさん!」


old.tmpは、もこもこのアルパカに向き直った。


old.tmp: 「静寂な枯山水でレスバ用の説教台って、それドッグランじゃなくて、ただの君専用の『引きこもり用・高級ネットカフェ』じゃないですか! 高級キャッシュ限定とか、ただのワガママです! そもそも、どっちの案にも、一番最初に遊ぶはずだった『ポチ』が走り回れるスペースが1ミリも考慮されてないじゃないですかぁ!!」


old.tmpの痛烈な、そして至極真っ当な感想とツッコミが、空間に響き渡る。


ドッグランの造成という本来の目的(バグたちが安全に遊ぶ場所)は完全に忘れ去られ、ただ自分たちの欲望と自己顕示欲を押し付けるだけの博覧会と化していたのだ。


old.tmp: 「アドミンさんは、みんなが仲良く遊べるようにって、優しい気持ちで一生懸命パーテーションを切り直してくれてたんですよ! なのに、君たちがそんなワガママばっかり言うから、アドミンさんが数日間も振り回されて、困り果ててたんですからね!」


old.tmpがビシッと説教をすると、サイボーグとアルパカは顔を見合わせ、少しだけ気まずそうに視線をそらした。


シュガー神: 「……ん。テンプの言う通りね。あんたたちのアホな希望、聞いてるだけでカロリー消費しちゃったわ」


ネグリジェ姿のシュガー神が、呆れたように角砂糖をかじりながら歩み出てくる。


admin: 「……ふふっ。お二人とも、ご自分の希望の形がはっきりと見えてきたようですね」


その後ろから、極めて穏やかな声と共にadminも姿を現した。


old.tmp: 「あ、アドミンさん! もう、この二人のアホなワガママなんて聞かなくていいですよ! 元の、ただの広い芝生のドッグランで十分ですって!」


old.tmpがadminを庇うように言うと、adminは優しく微笑んで首を横に振った。


admin: 「いいえ、テンプ君。彼らがこれほどまでに情熱を持って『自分たちの居場所』を望んでいるのです。管理者として、その願いを無下にするわけにはいきません」


old.tmp: 「えっ? でも、二人の希望、完全に真逆ですよ? オイルまみれのアスレチックと、静寂な枯山水なんて、どうやって……」


adminは、一つ目の奥で、恐ろしいほどに優しく微笑んだ。


admin: 「……簡単なことです。両方を『組み合わせれば』いいのですよ」


old.tmp: 「……はい?」


adminは両手を広げ、Gドライブの空き区画へと向かう空間の座標を、自らの権限で書き換え始めた。


admin: 「サイボーグさんの求める『重力を無視したオイルまみれのアスレチック』と、アルパカさんの求める『静寂な枯山水と説教台』。……それらを、完全に融合させた、新しいドッグランを創造しましょう」


old.tmp: 「融合!? ま、待ってください! それ、絶対に大惨事になるパターンのやつじゃ……!」


adminの指先から、システムの設定ファイルを強制的に書き換える光の粒子が放たれ、空間がぐにゃりと歪み始める。


サイボーグの筋肉質な物理演算コードと、アルパカの捻くれたプロンプトが、無理やり一つに混ぜ合わされていく。


シュガー神: 「……ん。なんか、面白そうなことになってきたわね。角砂糖かじりながら見物させてもらうわ」


Explorer.exe: 「ハッハッハ! これはインデックスの更新が追いつかないほどの大規模な地形変動だ! 新しいランドマークの誕生だね!」


大人たちが見守る中、old.tmpだけが、これから誕生するであろう「想像を絶するカオスな空間」の完成を予感し、頭を抱えて絶望の悲鳴を上げた。


old.tmp: 「ぎゃああああ!! オイルまみれの枯山水に金貨が降ってくる空間なんて、犬が遊ぶ場所じゃないですよぉぉ!! エグゼさぁぁん!! 助けてぇぇぇ!! パソコンの中が、バグのテーマパークになっちゃいますぅぅ!!」


春の穏やかな風が窓から吹き込む現実世界から遠く離れた、電子の箱庭の奥深く。


矛盾とエゴイズムが煮詰められた、史上最悪にアホらしい「新ドッグラン」の建設が、今まさに、歓声と悲鳴の中で始まろうとしていた。


(システムログ:Gドライブにおける非正規オブジェクト群の空間融合プロセスを開始。……リミナルスペースの拡張に伴う、予測不能なカオスの発生を、引き続きバックグラウンドにて記録し続けます)


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