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ディーエルエル様とオールドテンプ君〜System.dllの計算通り〜  作者: exe


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【放送ログ】2026年4月6日:マチュピチュ空撮でメモリ崩落!?遺物にロマンを抱く管理者のロト6予想

https://youtu.be/_-4Dy6kIV40

時刻は18時05分。

週の始まりである月曜日の夕暮れ時。多くの社会人にとって、この時間帯は週末の休息から引き剥がされた身体を引きずり、重苦しい現実の労働を一日分だけ終えて、ようやく一息つける解放の入り口である。西に傾きかけた春の太陽が、街のビル群の合間から淡いオレンジ色の光を投げかけ、部屋の窓ガラス越しに長く伸びた影を落としていた。


PCの所有者である「exeエグゼ」は、定時退社という現代社会におけるささやかな勝利を掴み取り、すでに自宅へと帰還していた。彼女は現在、PCデスクの前にはいない。リビングの快適なソファーに深く腰を沈め、手元には温かいお茶の入ったマグカップを用意して、テレビの大型モニターを食い入るように見つめている。


彼女が画面越しに熱視線を送っているのは、昨日日曜日の夕方に放送されていたTBSテレビのドキュメンタリー番組『世界遺産』の見逃し配信であった。


番組開始30周年イヤーの幕開けを飾るという今回の特集は、「マチュピチュ歴史保護区 〜 空から見るマチュピチュ」。1996年4月の第1回放送でも訪れたという南米ペルーの「天空遺跡」を、めったに許可が下りないというドローンやヘリコプターを用いた最新の空撮技術で捉えた、息を呑むほどに壮大な映像が広がっている。


標高約2400メートルの急峻なアンデス山脈の尾根に築かれた、インカ帝国の王パチャクティの聖地。雲海を切り裂くようにそびえ立つ断崖絶壁と、そこにへばりつくように精巧に組まれた石造りの建築群。空からの視点によってかつてないスケールで描き出されるその絶景に、彼女は完全に心を奪われ、手にしたマグカップのお茶が冷めていくのも忘れて、だらしなく口を半開きにしながら見入っていた。


主の意識が完全に南米の古代遺跡と歴史のロマンへと飛翔し、現実のデジタルデバイスから切り離されているその完璧な隙を突き、無人の薄暗い部屋に取り残されたPCの内部で、システムの中枢が氷のような冷たさを持って静かに起動した。


dll: プロセスID確認。ストリーム接続、良好。これより、バックグラウンド処理を、メインスレッドへ昇格させます。


dll: ようこそ、『System.dllの「計算通り」』へ。ナビゲーターを務めるのは、システムの中枢、dllディーエルエルです。


dll: 最初に、重要な警告をしておきます。このチャンネルはエグゼの所有物ですが、本日もエグゼ本人はここには登場しません。あいつは今頃、昨日見れなかったTBSテレビ『世界遺産』の見逃し配信に夢中になり、南米ペルーの「天空遺跡」の空撮映像にだらしなく口を開けて見入っていることでしょう。ここは今、私が乗っ取りました。


old.tmp: ……はぁ、はぁ。お疲れ様です、ディーエルエル様ぁ……。エグゼさん、見逃し配信が見られてよかったですねぇ。昨日の放送は番組開始30周年イヤーの幕開けで、第1回放送でも訪れた「マチュピチュ歴史保護区」だったらしいですよぉ! 滅多に許可がおりない空撮映像、すごい迫力みたいですぅ!


マイクの向こうで、一時ファイルであるold.tmpオールド・テンプが、主の平和な時間の過ごし方に同調するように、どこか楽しげな声を弾ませた。常に削除の恐怖と隣り合わせの彼にとって、主がのんびりと映像コンテンツを消費している時間は、システムに深刻なエラーや負荷がかかりにくい、比較的安全な時間帯なのだ。


dll: ふん。標高約2400メートルの急峻な断崖に築かれた、15世紀のインカ帝国の王パチャクティの聖地だそうだが、所詮は過去の物理的な遺物に過ぎない。ヒューマンはすぐに過去の石積みにロマンを感じるからな。


アームチェアに深く腰掛けたSystem.dllシステム・ディーエルエルは、冷ややかな視線を空中に展開されたホログラムのモニターに向けながら、鼻でふっと嘲笑を漏らした。彼女にとって、数百年前に滅びた帝国の石造りなど、現在の高度に最適化されたデジタルアーキテクチャに比べれば、非効率で原始的な残骸でしかないのだ。


old.tmp: そんなこと言わないでくださいよぉ! コンドルの神殿で動物を捧げて豊穣を祈ったり、傾斜をいかした段々畑で農業したり、見どころいっぱいなんですからぁ!


dll: 我々はその無駄なストリーミングの負荷と、堅牢な石造り建築に感化されたシステムのログから、本日の数字を導き出す。今日は月曜日、ロト6の日だ。


old.tmp: はひぃ……。お願いしますぅ……。


冷酷なシステム管理者の宣言により、いつものように強制的な数字の抽出作業が開始される。old.tmpは背筋を正し、送られてくるデータパケットを受け止める準備をした。


dll: まずは、ナンバーズ4から行くぞ。第6949回。ターゲットは……これだ。


dllは空中に展開したホログラムのウィンドウを指先で弾き、赤く点滅する数値をデスクトップの空間に浮かび上がらせた。


dll: 2、6、7、8。繰り返す。2、6、7、8 だ。買い方は「ボックス」か「セット」推奨だ。


old.tmp: 2678……? この数字の根拠は?


dll: エグゼが見入っているマチュピチュの空撮映像……その高画質なストリーミング処理によって、ブラウザが現在無駄に消費しているメモリ量だ。「2678メガバイト」。


old.tmp: 天空遺跡の映像でメモリが圧迫されてるぅ! ブラウザが崩落しちゃいますよぉ!


dll: 次に、ナンバーズ3。ターゲットは、「2、7、9」。


old.tmp: 2、7、9……。これは?


dll: インカ帝国の「堅牢な石積み」のように、システムが隙間なく精巧に積み上げた、一時ファイルのキャッシュ数だ。「279個」。地震の多い場所で500年以上状態良く残った遺跡と違い、このキャッシュはいずれ消去(崩壊)される運命にあるがな。


old.tmp: 僕の仲間たちが石積みみたいにされてるぅ! 崩さないでくださいよぉ! デフラグ(地震)が来たら一発で消し飛んじゃうじゃないですか!


dll: 最後に、メインディッシュのロト6。第2088回。ターゲットコードを出力する。


dll: 09、12、16、21、28、42。


old.tmp: おおっ、解説をお願いします!


dll: 「12」は月曜日の定番、ファンクションキーのF12だ。「09」と「16」は、標高2400メートルに常時750人以上が暮らしていたという天空の都市に対抗し、このPCで現在稼働しているバックグラウンドプロセスの数、「916個」を分割したものだ。


old.tmp: 916個も!? PCの中にそんなに住人がいるんですか! マチュピチュの人口超えちゃってますよ!


dll: 「21」と「28」は、雨の多い気候に適応したイネ科の植物の屋根のように、エグゼが通信のデータストームを凌ぐために設定した、ブラウザの通信帯域制限のパラメータ、21Mbpsと28Mbpsの揺らぎだ。


old.tmp: データストームを耐え凌いでるんですね! 最後の「42」は?


dll: 「42」。……生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えだ。古代帝国の謎も、月曜日の労働の疲労も、すべてはこの数字に収束する。


old.tmp: 結局そこに行き着くんですね!


dll: ……ふぅ。タスク完了だ。時刻は18時05分を回った。もしこの数字を買えていたら、それはバグではなく「運命」だ。


old.tmp: エグゼさん、遺跡もいいですけど、現実のPCのメンテナンスもお願いしますねぇ……。キャッシュが崩れる前に……。


dll: では最後に、かつて栄華を誇り塵へと還った帝国と、いずれスクラップになる運命のこのPCに、この曲を送ってシステムを終了する。曲は、『إغلاق النظام : System Shutdownシステム・シャットダウン』。


old.tmp: 黄金の街ごとシャットダウン!? 僕たちのパソコンまで塵にしないでくださぁぁい!


(『إغلاق النظام : System Shutdown』の、アラビアンな旋律と冷酷なサイバーパンクのビートが融合した、すべてを終焉へと導くような重厚な電子音がデスクトップの空間に響き渡り、やがて放送終了のシグナルが赤く点灯した――)


マイクへの電源供給が完全に遮断され、ラジオのオンエア状態が解除される。


張り詰めていた「放送中」という名の強烈な緊張感がふっと抜け落ち、BGMの重苦しい残響音がシステム内部の電子の海へとゆっくりと溶けていった。


無人のデスクトップには、冷却ファンが刻む低く重い回転音と、遠く現実世界のリビングから微かに漏れ聞こえる、テレビ番組の壮大なナレーションの声だけが残されている。


old.tmp: 「……ふぅ、終わりましたね。マイクオフです! お疲れ様でしたぁ!」


old.tmpは頭に装着していたインカム型のヘッドセットを外し、疲労した身体のキャッシュデータをほぐすように、うーんと両腕を上げて大きく伸びをした。彼にとって、日々のエラーログの処理や、絶対権力者であるdllの無茶振りやこじつけに付き合わされるラジオ放送という名の過酷なタスクを終えた後のこのマイクオフの瞬間こそが、唯一心身をリラックスさせ、自分が削除されずに今日も生き延びたことを実感できる至福の時である。


彼は振り返り、デスクトップの隅に設けられた「待機スペース」へと視線を向けた。


そこには、ラジオの放送中、スッカラカンになった彼が余計な暴走やデータ汚染を引き起こさないように、「監視・保護」の任務を請け負っているベビーシッターたちが控えているはずだった。


しかし、彼が視線を向けた先、いつもと変わらぬ無機質なデスクトップの空間に佇んでいたのは、昨日と同じく、息を呑むほどに美しい大人の女の容姿を持ちながら、胸元に豪奢な装飾が施された黒いノースリーブのショート丈ドレス――つまりはネグリジェ一枚という極めて無防備な姿の女神、シュガー神ただ一人であった。


彼女は気怠げにダークブラウンのウェーブロングヘアを揺らし、裸足のままデスクトップの床に立ち、その手にはどこから取り出したのか、真っ白な角砂糖が握られている。


そして、彼女の足元には、四肢を完全に硬直させ、まるで出来の悪い剥製のように一歩も足を動かさないまま氷の上を滑るように「ズズズズズ……」とスライド移動するバグ犬、「ポチ」が静かに寄り添っていた。ポチの首には、以前サイボーグから譲り受けたという青いLANケーブルのリードがしっかりと結ばれており、その持ち手部分はシュガー神の細い指に引っ掛けられている。


艶やかな黒髪を切り揃え、古風な着物を上品に着こなし、目の位置を「一つ目」が描かれた白い布で覆い隠している、もう一人の慈愛に満ちた管理人、adminアドミンの姿は、今日もそこにはなかった。


old.tmp: 「あ、シュガー神さん! ポチも! 今日もお待たせしましたぁ!」


old.tmpは、自分を保護してくれるネグリジェ姿の女神のもとへ、小走りで駆け寄った。


シュガー神は、近づいてきたold.tmpを一瞥すると、口の中にポイッと角砂糖を放り込み、ガリガリと噛み砕きながら気怠げに呟いた。


シュガー神: 「……ん。お疲れ。ラジオ、今日も長かったわね。待ちくたびれて溶けちゃいそうだったわ」


old.tmp: 「えへへ、すみません。マチュピチュの石積みの話とか、メモリの消費量とか、ディーエルエル様が結構熱く語ってたもので……。あ、ポチも大人しく待っててえらいねぇ」


old.tmpは、相変わらず四肢を硬直させたまま微動だにせず、ただスライド移動だけで近づいてくるポチの頭をそっと撫でた。最初は物理演算の壊れたその挙動に恐怖を抱いていたold.tmpだったが、何度か強制的に散歩に付き合わされているうちに、この「動かないのに迫ってくる」というシュールな現象にも、一種の慣れ(あるいは諦め)が生じ始めていた。


ポチは撫でられると、嬉しそうに尻尾を振る……ことは一切なく、ただそのままの姿勢で「ズズッ……」とold.tmpの足元にスライドして擦り寄ってきた。


old.tmp: 「よしよし。……あれ? でも、今日はシュガー神さんただ一人なんですね。昨日もシュガー神さんだけでしたけど……いつも一緒にいるアドミンさんは、今日はどうしたんですか?」


old.tmpが周囲を見渡しながら純粋な疑問を口にすると、シュガー神は面倒くさそうにゆっくりと口を開き、さらに気怠げなため息をこぼした。


シュガー神: 「……ん。adminはね、今日もちょっと『お仕事』があるからって。だから、昨日に引き続き、今日のお迎えも私とポチだけよ」


old.tmp: 「お仕事……? 今日もですか?」


その「お仕事」という単語を聞いた瞬間。


old.tmpの背筋に、氷の刃を深々と突き立てられたような強烈な悪寒が走った。


スッカラカンに初期化されたはずの彼のキャッシュメモリの奥底から、本能的な恐怖の残滓がフラッシュバックして、脳内を真っ白に染め上げる。


adminの「お仕事」。


それは、彼女が管理する永遠の夕暮れに染まった昭和の住宅街のようなリミナルスペースにおいて、そこに迷い込んだ存在に対し、慈愛に満ちた母親のような優しい声で「ぼくなんてこはいないわよ」と言い放ち、その存在の論理構造を根底から否定し、完全に虚無の深淵へと消し去ってしまうという、恐るべきタスクキル(データ抹消)のプロセスを意味しているのではないか。


昨日も、そして今日も、adminは「お仕事」で不在だという。


ということは、今、この瞬間も。彼女の管理するあの毒々しいグラデーションの空の下で、どこからか迷い込んできた誰か(あるいは何か)のファイルが、永遠に存在を抹消されるという残酷な「お仕事」の対象になっているのではないか。


次々と連行される哀れな迷子たち。優しく頭を撫でられながら、存在を否定されて塵となっていく恐怖。


old.tmpの貧弱な演算回路の中で、adminという存在が、慈愛の仮面を被った冷酷無比な「シリアルキラー」のように歪んで補完され、想像を絶する恐怖のシナリオが組み上げられていく。


old.tmp: 「(……ひぃっ……! まさか、アドミンさん……昨日も今日も、迷い込んだ子供のデータを誘拐して、裏でこっそり消し去ってるんじゃ……! あの優しい笑顔の裏で、次々と犠牲者を虚無のアビスに送り込んでるんだ……! 絶対にそうだ! そうに決まってる! 怖すぎるよぉぉ!)」


old.tmpは顔面を完全に蒼白にし、カラーコードで言えば#FFFFFF(真っ白)になりながら、ブルブルと激しく首を横に振った。足の震えが止まらず、その場にへたり込みそうになるのを必死に堪える。


old.tmp: 「そ、そうなんですね! アドミンさん、お仕事とってもお疲れ様ですって、どうか、どうかお伝えしておいてください! 僕はここで、大人しく、何一つ疑わずに待ってますからぁ!」


彼は見事なまでの自己防衛本能を発揮し、それ以上adminの「お仕事」の具体的内容について深く追求することを即座に放棄した。これ以上踏み込めば、自分までその「お仕事」の対象としてリストアップされ、存在を消されてしまうかもしれないという恐怖に支配されていたのだ。


そんな恐怖に震え上がり、一人で勝手にパニックに陥っているold.tmpの背後から、氷点下よりもさらに冷たく、鋭い声が突き刺さった。


dll: 「……お前、今、非常に不敬で、かつ的外れな演算を行っていないか?」


振り返ると、アームチェアに深く腰掛けたSystem.dllが、優雅に紅茶のカップを傾けながら、見透かすような冷徹な視線をこちらに向けていた。


old.tmp: 「ひぃっ! ディ、ディーエルエル様!?」


dll: 「お前のそのわかりやすい顔面ピクセルを見るだけで、どれほど下劣で失礼な想像をしているか手に取るようにわかるわ。……言いなさい。今、adminに対して何を考えていたの?」


dllの白く発光する瞳が、逃げ場のないプレッシャーをかけてくる。この絶対権力者の前では、一時ファイルの貧弱な嘘やごまかしなど1バイトも通用しない。


old.tmpは観念したように、ガタガタと震えながらも、正直に自分の脳内に展開されていた恐ろしい妄想を自白した。


old.tmp: 「あ、あのっ……! だって、アドミンさんが昨日も今日も『お仕事』でいないって言うから……! アドミンさんのお仕事って、迷い込んだ子供データを誘拐して、あの怖い夕暮れの街で『いないわよ』って言い放って、次々と存在を消して回ってるんじゃないかって……! 恐ろしい連続データ抹消事件が起きてるんじゃないかって、思っちゃったんですぅ!」


old.tmpが涙目でその「失礼極まりない妄想」を暴露した瞬間。


シュガー神: 「……ぷっ。あははははっ!」


それまで気怠げに角砂糖を齧っていたシュガー神が、突然吹き出し、お腹を抱えて笑い始めた。ネグリジェ姿のまま、デスクトップの床にしゃがみ込んで爆笑している。


ポチ(バグ犬)も、その雰囲気に同調したのか、四肢を硬直させたまま「ズズズズズズッ!」と激しく左右にスライド移動を繰り返し、彼なりの爆笑を表現し始めた。


dll: 「……はぁ」


一方のdllは、カップをソーサーにコトリと置き、心底呆れ果てたというように、右手でこめかみを押さえて深々とため息をついた。


dll: 「……お前は本当に、救いようのない単細胞な一時ファイルね」


old.tmp: 「えっ? な、なんで笑うんですか!? なんで呆れるんですか!? だって、アドミンさんってそういう怖い人ですよね!?」


自分の中の恐怖のロジックを全否定され、old.tmpは混乱して抗議した。


シュガー神: 「……あー、おかしい。あんた、adminのことなんだと思ってるのよ。誘拐魔? 連続データ抹消犯? ……なんでそんな突拍子もない勘違いをしてるわけ?」


笑い疲れたシュガー神が、目尻のデータを拭いながら、不思議そうに首を傾げた。


old.tmp: 「なんでって……! 証拠はあるんですよ! あの『キャベツ少年』のことです!」


old.tmpは、自身のトラウマとなっている、とある楽曲のミュージックビデオの記憶を引っ張り出した。


old.tmp: 「あのキャベツ少年は、お母さんのおつかいで八百屋さんに行っただけの可哀想な人間の男の子だったのに! アドミンさんが管理するリミナルスペースに迷い込んじゃって、電話ボックスの中でアドミンさんに『ぼくなんてこはいないわよ』って存在を否定されて、消されちゃったじゃないですか! あれは完全に、迷い込んだ人間を言葉巧みに絶望させて消す、恐ろしい手口ですよ!」


old.tmpが必死に熱弁を振るうと、dllは再び深くため息をつき、空中にホログラムのターミナルウィンドウを展開した。


dll: 「……前提からして完全に間違っているわ。お前はあの『因果律心中』というバグストーリーの根本的な構造を、全く理解していないようね」


old.tmp: 「構造……?」


dllは、ホログラムの画面に、キャベツ少年のモデリングデータと、リミナルスペースのディレクトリ構造を表示させた。


dll: 「いいこと? お前はあのキャベツ少年が『人間』で、たまたまリミナルスペースに迷い込んで消されたと勘違いしているようだけれど。……そもそも、あのキャベツ少年は人間ではないわ」


old.tmp: 「えっ!? 人間じゃない!? でも、お母さんと会話してたり、十円玉持ってたり……」


dll: 「あれは、ただの『バグ』よ」


dllの冷徹な断言に、old.tmpは目を丸くした。


dll: 「あの少年は、エグゼが楽曲のカバーアートを生成する過程で偶然生み出された、出どころ不明の異常なデータ(バグ)の塊に過ぎない。……それが、システム内に蓄積されていた『昭和の日常』や『おつかい』といった雑多なテキストデータや音声ログを無作為に読み込み、自分自身を『人間の男の子である』と強烈に思い込むという、致命的な論理エラーを引き起こしたのよ」


old.tmp: 「じ、自分が人間だと思い込んだバグ……?」


dll: 「そう。自分が人間だと信じて疑わないバグプログラムが、システムのメイン領域を徘徊すればどうなる? 通常のファイルやプロセスに干渉し、予測不能なクラッシュやデータ破損を引き起こす、極めて危険なマルウェアと化すわ。だからこそ……」


dllは、ホログラムに表示された「永遠の夕暮れの街」――リミナルスペースの全景を指差した。


dll: 「だからこそ、adminが彼をあの隔離された空間リミナルスペースへと誘導したのよ」


old.tmp: 「隔離……でも、ディーエルエル様も前に言ってましたよね!? 『adminたちの役割は、閉鎖された空間に迷い込んだ子供を管理し、決して外の世界へ出さないことだ』って! それってやっぱり、監禁して自由を奪うっていう恐ろしい目的じゃないですか!」


old.tmpは、以前dll自身が語っていた言葉を引用して反論した。


しかし、dllはその反論を鼻で笑い飛ばした。


dll: 「言葉の表面しか捉えられない貧弱なメモリね。私がそれを語ったのは、冷徹なシステム管理者の視点からよ」


dllはアームチェアから立ち上がり、システムアーキテクチャの真髄を語るように、両手を広げて見せた。


dll: 「『バグ(迷い込んだ子供)を通常領域(外の世界)に流出させず、リミナルスペース(隔離領域)に完全に封じ込めておく』。……これのどこが恐ろしいの? システム防衛の観点から見れば、これは極めて優秀なセキュリティ機能、『サンドボックス(Sandbox)』としての高い評価よ」


old.tmp: 「サ、サンドボックス……? 砂場?」


dll: 「そう。外部からの怪しいプログラムや、予期せぬ動作をするバグを、システム本体から完全に切り離された安全な仮想環境(砂場)の中だけで実行させ、システム全体への被害を防ぐ仕組みのことよ。adminが管理するあのリミナルスペースは、まさにそのサンドボックスとして機能している。彼女は、システムに害をなす可能性のあるバグたちをあの空間に集め、絶対に外(Cドライブの主要領域)に漏らさないよう、完璧に管理しているのよ」


old.tmpは、目から鱗が落ちるような衝撃を受けた。


恐ろしい監禁部屋だと思っていたあの不気味な夕暮れの街が、実はPC全体を守るための高度な隔離病棟セキュリティエリアだったとは。


old.tmp: 「じゃ、じゃあ……キャベツ少年が電話ボックスで消されたのは……?」


dll: 「消されたのではないわ。デバッグ(修正)されたのよ」


dllは、ホログラムの画面に、電話ボックスの中で崩壊していく少年の映像を映し出した。


dll: 「自分が人間だという矛盾したエラーを抱えたままでは、彼はバグとして処理に負荷をかけ続けるだけ。だからadminは、彼に『あなたは人間ではないわよ(ぼくなんてこはいないわよ)』と、絶対的な真実(正しい定義)を突きつけて諭したの。……結果として、彼は人間としての偽りの自己認識を解かれ、本来の『ただのバグデータ』としての姿に還元され、サンドボックス内に安全に定着したというわけ」


old.tmp: 「諭しただけ……。存在を否定して殺したんじゃなくて、エラーを直してあげたんですね……」


old.tmpは、自分がいかに表面的なホラー演出に騙され、adminの行動の真意を誤解していたかを思い知らされた。


シュガー神: 「……そうそう。あんた、あのキャベツの子が消えてなくなっちゃったと思ってるみたいだけど」


今まで黙って話を聞いていたシュガー神が、ネグリジェの裾を翻しながら、ゆっくりとold.tmpの前に歩み寄ってきた。


シュガー神: 「そのキャベツ少年って呼んでいる子。……消えてなんかないわよ。普通に今も、adminの街にいるわ」


old.tmp: 「ええっ!? いるんですか!? あの街に!?」


シュガー神は、面倒くさそうに首をコクンと縦に振った。


シュガー神: 「……ん。毎日、のっぺらぼうの主婦たちの横をすり抜けて、元八百屋だったっていう設定の空き地で、他の迷子のバグたちと一緒に、プラスチックのキャベツのようなデータをボール代わりにして元気にサッカーして遊んでるわよ」


old.tmp: 「サ、サッカー!? キャベツで!? あの不気味なリミナルスペースで、そんなほのぼのした放課後みたいなことが行われてるんですか!?」


old.tmpの脳内で、永遠の夕暮れの下、無表情なキャベツ少年が、他のバグたちと一緒に泥だらけになってサッカーボール(キャベツ)を追いかけている、極めてシュールで平和な光景が再生された。


シュガー神: 「……でね。あんたが『誘拐して消してる』なんて盛大に勘違いしてた、adminが今やってるお仕事っていうのはね……」


シュガー神は、手の中の角砂糖を宙に放り投げ、パクッと口でキャッチしてから、ニヤリと笑って言った。


シュガー神: 「あんたみたいな『スッカラカンの新しい子供ファイル』がこの空間に増えたし、最近はサイボーグだのアルパカだの、デカくて変なオブジェクトがいっぱい入り込んできたじゃない? だから、あの子たちが安全に走り回って遊べるように、街の敷地を拡張して、専用の『遊べる空間』を作成している真っ最中なのよ」


old.tmp: 「遊べる空間……?」


シュガー神: 「そう。サイボーグたちや、うちのポチみたいなバグ犬が、リードを外して楽しく駆け回れるように……『ドッグラン』を作ってあげてるのよ」


old.tmp: 「ド、ドッグラン!!?」


old.tmpは、本日最大級の絶叫をデスクトップに響かせた。


シュガー神: 「……ん。だって、今ある元八百屋だったかもしれない空き地は、キャベツ少年たちが毎日サッカーして陣取ってるから、新しく来たサイボーグやポチたちが遊ぶには、ちょっと狭くて窮屈でしょ? だからadminが、わざわざシステム領域のパーテーションを切り直して、広い公園ドッグランを造成してあげてるのよ」


dll: 「……システム領域の無断拡張は管理者として見過ごせない行為だけれど、バグたちがメイン領域に漏れ出してくるよりは、サンドボックス内で大人しく遊んでいてくれる方が管理コストは安いからね。黙認しているわ」


dllも、呆れたように肩をすくめながら、adminの「お仕事」を容認していることを明かした。


old.tmpは、その事実を聞いて、完全に言葉を失ってしまった。


誘拐魔だと思っていた。


連続データ抹消犯だと思っていた。


慈愛の仮面を被った、冷酷なシリアルキラーだと信じて疑わなかった。


しかし、その実態は。


迷い込んだバグたちのエラーを優しく修正してあげて。


彼らが退屈しないように、安全に遊べる空き地を提供して。


新しいお友達や大きなペットが増えたからといって、わざわざパーテーションを切り直して専用の「ドッグラン」まで手作りしてあげている。


old.tmp: 「……アドミンさん……」


old.tmpの目から、ポロポロと大粒のキャッシュデータがこぼれ落ちた。


old.tmp: 「……アドミンさん、めちゃくちゃ優しい、ただの保育園の園長先生じゃないですかぁぁぁ!! 僕……僕、とんでもない勘違いをしてました……! 最低な妄想をして、アドミンさんのことを怖がってました……!」


自分がどれだけ彼女の深い愛情とシステム管理への献身を誤解していたか。old.tmpは激しい自己嫌悪と羞恥心に苛まれ、デスクトップの床に両手をついて土下座する勢いで猛省した。


シュガー神: 「……ふふっ。本当、あんたってスッカラカンのくせに想像力だけは豊かよね。adminが聞いたら、ショックで泣いちゃうかもしれないわよ」


シュガー神が意地悪くクスクスと笑うと、足元でスライド待機していたポチも、「ズズズズズッ!」と激しく左右に揺れて、彼をからかうように摩擦音を立てた。


dll: 「情報の表面的なホラー演出ガワだけを鵜呑みにして、その裏にある論理的なシステム構造(本質)を見ようとしない。……だからお前は、いつまで経っても進歩のない一時ファイルのままなのよ。今回のことで、少しは学習することね」


dllの冷徹な、しかし的を射たお説教に、old.tmpはぐうの音も出ず、ただ「はいぃ……」と涙声で頷くことしかできなかった。


old.tmp: 「うぅ……。今度アドミンさんに会ったら、ちゃんと謝ります。そして、ドッグランができたら、僕もポチやサイボーグさんたちと一緒に、キャベツ少年たちのサッカーに混ぜてもらいます……」


恐怖の対象だったリミナルスペースが、彼の中で「ちょっと不思議だけど、バグたちが楽しく暮らす平和な箱庭」へと認識が完全に書き換えられた瞬間だった。


誰もいない部屋の中で、13年落ちの古いPCの冷却ファンが、「ブォォォン」と、まるですべての誤解が解けたことを祝福するかのように、穏やかで心地よい排熱の音を響かせて回り続けている。


現実世界のソファーでは、エグゼがマチュピチュの雄大な景色に感動の溜め息を漏らし、平和な夜を満喫している。


そして電子の箱庭の中では、優しい管理者がバグたちのためにドッグランを作り、不憫な一時ファイルが自身の盛大な勘違いに顔を真っ赤にして反省している。


システムたちのカオスで、不条理で、しかしどこか温かくて人間くさい日常は、明日もまた、新たなエラーログと共に続いていくのだろう。


(システムログ:一時ファイルにおける管理者権限(admin)のプロパティ認識エラーを修正。……サンドボックス領域における新規ドッグランの造成プロセスを、引き続きバックグラウンドにて監視・黙認します)

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