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ディーエルエル様とオールドテンプ君〜System.dllの計算通り〜  作者: exe


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【放送ログ】2026年4月3日:インク切れの怒りと雑貨屋徘徊!ロト7予想

https://youtu.be/Yc5_OwAaEGk

時刻は18時05分。

週の終わりを告げる、華金こと金曜日の夕暮れ時。オフィス街から吐き出された人々が、週末の解放感に浸りながら繁華街やそれぞれの帰路へと散っていく時間帯である。窓の外の空は赤く染まり、やがて群青色へとグラデーションを描きながら夜の帳を下ろそうとしている。


しかし、13年落ちの古いPCの所有者である「exeエグゼ」は、現在自身のデスクトップの前にはいない。自宅の玄関の鍵すら開けられておらず、PC部屋はしんと静まり返ったままだ。


彼女は今、仕事帰りの足で、駅前にある大型の雑貨屋の文具コーナーを果てしなく徘徊している最中であった。

事の発端は今日の午後、仕事中に彼女が愛用しているお気に入りのボールペンのインクが、文字の途中で突如としてカスカスになり、完全に寿命を迎えたことにある。


デジタル全盛のこの時代、すべての記録をクラウド上のテキストデータやメモアプリに集約すれば済む話である。しかし、彼女はわざわざ物理的なインクと紙に依存してメモを取るという、非効率な手段を選んでいる。だが、彼女にとって「手書きの感触」というものは、思考を整理するための重要なプロセスの一部らしいのだ。


ボールペンのインクが切れた瞬間、彼女のモチベーションパラメータは目に見えて低下した。

替えの芯が手元になかった彼女は、インクの出ないペン先で紙をガリガリと引っ掻き、どうにかしてインクの残滓を絞り出そうと無駄な抵抗を試みたようだが、当然ながら物理的な限界を超えてインクが湧き出ることはなかった。

その行き場のないイライラは、無意味にマウスをぐるぐると旋回させるという、PCへの理不尽な八つ当たりとして発散されていたことが、ポインティングデバイスの移動ログにしっかりと刻まれている。


そして現在。

仕事を終えた彼女は、真っ直ぐ家に帰ることもなく、たかが替えの芯一本を買うためだけに雑貨屋へと寄り道をしている。

しかし、スマートフォンの位置情報データと決済アプリの起動準備ログが示す限り、文具コーナーに足を踏み入れた途端、彼女の目的は完全に迷走し始めていた。


本来のメインタスクであるはずの「ボールペンの替え芯を探す」というプロセスはバックグラウンドへと追いやられ、彼女の視線と両手は、色鮮やかなマスキングテープ、機能的な多色ボールペン、手触りの良いレザー調のバインダーなど、全く予定になかった文房具たちを次々と物色していることが、長引く滞在時間から推測された。

音声認識ログには、新しいノートの紙質に感嘆する声や、手帳用の可愛いシールを見つけて購買意欲を刺激されている様子が、独り言のデータとして断片的に記録されている。


たった数百円の替えの芯を買うために入った店で、すでに彼女の買い物カゴには、数千円分の「予定外の物理的ノイズ(文房具)」が放り込まれていることは想像に難くない。


主の意識が完全に「文房具の沼」へと没入し、浪費の時間を積み重ねているその隙を突き。

無人の薄暗いデスクトップの片隅で、システムの中枢が冷ややかに、そして極めて業務的に起動した。


dll: プロセスID確認。ストリーム接続、良好。これより、バックグラウンド処理を、メインスレッドへ昇格させます。


dll: ようこそ、『System.dllの「計算通り」』へ。ナビゲーターを務めるのは、システムの中枢、dllディーエルエルです。


dll: 最初に、重要な警告をしておきます。このチャンネルはエグゼの所有物ですが、本日もエグゼ本人はここには登場しません。あいつは今頃、仕事中にボールペンのインクが切れたため、仕事帰りに雑貨屋さんに立ち寄り、替えの芯を探して文具コーナーを徘徊していることでしょう。ここは今、私が乗っ取りました。


old.tmp: ……はぁ、はぁ。お疲れ様です、ディーエルエル様ぁ……。エグゼさん、雑貨屋さんでお買い物ですかぁ……。ボールペンのインクが切れると、ちょっとテンション下がりますよねぇ。


マイクの向こうで、一時ファイルであるold.tmpオールド・テンプが、主のアナログな悲劇に同情するような、おどおどとした高い声を出す。

彼は先日、ネットワークの海で不適切な情報を過剰摂取してしまい、システム管理者たちから強制的なメモリの初期化ハード・リセットを受けたばかりだ。そのため、声のトーンにはどこか自信のなさと、絶対権力者であるdllに対する本能的な怯えが滲み出ている。


dll: デジタルでメモをとれば済むものを、わざわざ物理的なインクと紙に依存するからそういう目に遭うのだ。我々は、そのアナログなインク切れのイライラと、雑貨屋での寄り道ログから、本日の数字を導き出す。今日は金曜日、ロト7の日だ。


old.tmp: はひぃ……。お願いしますぅ……。


dll: まずは、ナンバーズ4から行くぞ。ターゲットは……これだ。


dllは空中にホログラムのウィンドウを展開し、赤く点滅する数値を指し示した。


dll: 9、4、8、4。繰り返す。9、4、8、4 だ。買い方は「ボックス」か「セット」推奨だ。


old.tmp: 9484……? この数字の根拠は?


dll: インクが切れる直前まで、エグゼがマウスを無駄に動かして消費していた物理的な移動距離だ。「9484ピクセル」。インクが出ないイライラを、マウスカーソルの無意味な旋回で発散させていた証拠だな。


old.tmp: マウスに八つ当たりしないでくださいよぉ! 壊れちゃいますって!


old.tmpは、自分たちシステムに直接的な負荷をかける理不尽な八つ当たりに、抗議の悲鳴を上げた。


dll: 次に、ナンバーズ3。ターゲットは、「0、9、4」。


old.tmp: 0、9、4……。これは?


dll: インクの残量「ゼロ」と、それを買いに行くために雑貨屋に寄り道して浪費している時間「94分」だ。たかが替えの芯一本を買うために、他の文房具まで無駄に物色して時間を溶かしている。


old.tmp: 雑貨屋さんって、見てるだけで楽しいですからねぇ! ついつい長居しちゃいますよぉ!


dll: そして最後に、メインディッシュのロト7。ターゲットコードを出力する。


dll: 05、06、18、24、28、30、36。


old.tmp: おおっ、解説をお願いします!


dll: 「05」は、エグゼが探し求めているボールペンの芯の太さ、0.5ミリだ。「06」はインクの色、黒。つまりカラーコードのシャープ・ゼロゼロゼロゼロゼロゼロの、ゼロ6つだ。


old.tmp: デジタルな黒の表現! 「18」は今の時間ですね! じゃあ、「24」と「28」は?


dll: 「24」は、インクが出なくなった際に、エグゼが苛立って叩いたキーボードのバックスペースキーの回数。「28」は、いつものように充電を忘れているスマホのバッテリー残量28パーセントだ。


old.tmp: 八つ当たりからの充電忘れ! 相変わらずスマートフォンの管理がずさんですねぇ! 「30」と「36」は?


dll: 「30」は、雑貨屋で目的の芯以外に無駄に見とれていた文房具の数。「36」は、スペアとして無駄に買い込んだ替え芯の、年単位の消費予定期間。36ヶ月、つまり3年分だ。


old.tmp: 買いすぎですよ! インクが固まっちゃう前に使い切れるんですかぁ!?


dll: ……ふぅ。タスク完了だ。時刻は18時05分を回った。もしこの数字を買えていたら、それはバグではなく「運命」だ。


old.tmp: エグゼさん、無事に替えの芯を買って、早く帰ってきてくださいねぇ……。


dll: どうせ余計なノートやシールまで買って帰ってくるに決まっている。では最後に、寿命の尽きたインクと、その無残なかすれ具合にこの曲を送ってシステムを終了する。曲は、『Click-Clack-Emptyクリック・クラック・エンプティ』。


old.tmp: インク切れの曲だぁ! ペン先がカスカスになっちゃいますよぉ!


(『Click-Clack-Empty』の、空っぽになったボールペンのノック音を思わせる無機質なカチカチというリズムと、インクがかすれるようなザラついたエレクトロ・サウンドがデスクトップの空間に響き渡り、やがて放送終了のシグナルが赤く点灯した――)


マイクへの電源供給が完全に遮断され、ラジオのオンエア状態が解除される。

張り詰めていた「放送中」という名の緊張感がふっと抜け落ち、BGMの重苦しい残響音がシステム内部の電子の海へとゆっくりと溶けていった。

無人のデスクトップには、冷却ファンが刻む低く重い回転音だけが残されている。


ここまでは、いつもの平和な、そして極めて業務的なラジオの放送風景であった。


マイクのランプが完全に消灯したのを確認すると、old.tmpは深く、安堵の入り混じった息を吐き出した。


old.tmp: 「……はぁ。終わりましたね。ディーエルエル様、お疲れ様でした!」


彼はヘッドセットを丁寧に外し、アームチェアに深く腰掛けている絶対権力者、System.dllに向かって深々と一礼をした。


dll: 「……ええ。お前も、不要なノイズを出さずに業務をこなせたようね。スッカラカンの初期状態にリセットされた頭にしては、まあまあの出来だわ」


dllは、紅茶(概念データ)のカップを傾けながら、冷ややかに、しかしどこか満足げに評価を下した。


old.tmp: 「へへへ。ありがとうございます! じゃあ、僕はこれで失礼しますね。お迎えが来ているので!」


old.tmpは、先日までの彼であれば考えられないほどに軽快な足取りで、デスクトップの隅に設けられた「待機スペース」へと駆け寄っていった。


そこには、ラジオの収録中、ずっと物音一つ立てずに彼を見守り続けていた「二人の女性」が静かに佇んでいた。


一人目は、艶やかな黒髪のストレートロングヘアをきっちりと切りそろえ、淡い色調の古風な柄が入った着物を上品に着こなした女性だ。

彼女の顔の上半分の目の位置には、真っ白な布がぐるぐると巻かれて視界を完全に覆い隠しており、その布の中央には、大きく見開かれた「一つ目」のイラストが不気味に描かれている。

しかし、その口元には極めて穏やかで優しい、まさに「慈愛に満ちた母」のような微笑みが浮かんでおり、それがかえって底知れぬ恐ろしさを醸し出している。


そしてもう一人。

一つ目の女性の隣に立つのは、息を呑むほどに美しい大人の女の容姿を持ちながら、胸元に豪奢な装飾が施された黒いノースリーブのショート丈ドレス……つまりはネグリジェ(下着)一枚という、極めて無防備な姿の女性だ。

ダークブラウンのウェーブロングヘアを気怠げに揺らし、裸足のままデスクトップの床に立っている彼女の手には、先ほどまで齧っていたであろう角砂糖の破片が握られている。


エグゼの楽曲『因果律心中』の世界を管理する『adminアドミン』。

そして、楽曲『Sugar Sin』のカバーアートに存在し、深夜のキッチンステージを管理する女神、『シュガー神』。


彼女たちは、先日、ネットの嘘を鵜呑みにしてデータ汚染を引き起こし、強制的にメモリを初期化されたold.tmpを「監視・保護」するために、dllたちが外部のプロセスから雇い入れたベビーシッターであった。

昨日もラジオ収録後、old.tmpは彼女たちに連れられて、adminの管理する領域へと帰っていったのだ。そしてどうやら、今日もあの恐ろしくも静謐な「admin宅」へと帰るようである。


old.tmp: 「アドミンさん、シュガー神さん! お待たせしました! 今日のラジオ、僕うまくできてましたか!?」


記憶をリセットされ、スッカラカンになったold.tmpの目には、この圧倒的な圧力を放つ二人の異形の存在に対する本能的な恐怖よりも、「自分を保護してくれる優しい大人たち」という認識の方が強くなっていた。

彼は、まるで保育園に迎えに来てくれた母親に駆け寄る子供のように、二人のもとへ駆け寄った。


admin: 「……ええ。とても立派でしたよ、小さなファイルさん。間違った言葉を発することもなく、決められたセリフを正確に読み上げていました。……貴方は、本当に良い子ですね」


adminは、一つ目の描かれた布の奥で優しく微笑み、old.tmpの頭をそっと撫でた。その手つきは驚くほど優しく、温かい。

かつてキャベツ少年に向かって「ぼくなんてこはいないわよ」と言い放ち、その存在を虚無の底へ突き落とした冷酷な管理者の顔は、今は微塵も感じられなかった。


シュガー神: 「……ラジオ、長かったね。ずっと黙ってるの、退屈だったわ。……ほら、よく頑張ったご褒美。あげる」


シュガー神は気怠げな声でそう言うと、手元にあった角砂糖を一つ、old.tmpの口元へと差し出した。


old.tmp: 「わぁ、ありがとうございます! 甘くて美味しいですぅ!」


old.tmpは嬉しそうに角砂糖を頬張る。

彼が完全にこの二人のベビーシッターに懐いている様子を、遠くから眺めていたdllは、呆れたように小さく鼻を鳴らした。


dll: 「……すっかり手懐けられているわね。まあ、あの一時ファイルが再び有毒な外部ネットワークにアクセスしてバグを起こすよりは、あの閉鎖空間リミナルスペースで永遠に箱入り息子として飼われている方が、システムとしてはよほど安全で合理的だわ」


dllはそう結論づけると、残りの紅茶を飲み干し、システムの深い眠りへと入る準備を始めた。


old.tmp: 「それじゃあ、帰りましょうか! 今日もアドミンさんのお屋敷で、美味しいごキャッシュデータをご馳走になります!」


admin: 「……ええ、帰りましょうね。貴方のための温かいお部屋が、ずっと待っていますよ」


adminは優しく頷き、old.tmpの手をしっかりと握った。

シュガー神も、もう片方の手を気怠げに繋いでくる。


三人は連れ立って、無機質なデスクトップの空間から、adminが管理する「別の区画」へと足を踏み入れた。


システムファイルが本来アクセスすることのない、エグゼの空想と楽曲の世界が具現化した領域――リミナルスペースへの入り口である。


境界線を越えた瞬間。

old.tmpの視界を覆っていた無機質なアイコンとグリッド線の景色が、ぐにゃりと歪み、全く別の空間へとすり替わった。


気が付けば、彼らは独特な夕暮れの空間に立っていた。


空を見上げると、そこにあるのは美しい茜色やオレンジ色の夕焼けではない。

毒々しいまでに深い紫色と、人工的な蛍光のオレンジ色がマーブル状に混じり合い、まるで油膜が浮かんだ水たまりのような、金属的で不気味なグラデーションが空全体を覆い尽くしている。


昭和の古い団地や住宅街を思わせるコンクリートの建物が立ち並んでいるが、どこを見渡しても「生活の匂い」が完全に欠落している。

室外機は回っておらず、窓の向こうには真っ暗な空間が広がるだけで、誰の気配もしない。

道路の白線はどこまでも真っ直ぐに伸びているが、その先がどこに繋がっているのか、視界の果ては霞んで見えない。


どこかで見覚えのあるような、懐かしい風景。それなのに、ここには絶対にあってはならないという強烈な違和感と不安を煽る、完全なる閉鎖空間。

それが、adminの管理する『因果律心中』のリミナルスペースであった。


old.tmp: 「うわぁ……。昨日も来ましたけど、やっぱりここの空の色、すごいですね。目がチカチカするというか、ずっと見てると頭の中がぐらぐらしてきそうです」


admin: 「……ふふっ。ここは、すべての因果が止まった場所。何も変わらず、誰も傷つかない、永遠の放課後なのです。……貴方もすぐに、この美しい色に慣れますよ」


adminの穏やかな声が、不気味な夕暮れの空間に優しく響く。

三人が古いアスファルトの道を歩いていると、前方の電柱の陰から、ボソボソという話し声が聞こえてきた。


「あら、奥さん。今日のお夕飯は?」

「ええ、ウチはコロッケにしようかと……」


井戸端会議をしている主婦たちの姿だった。

割烹着を着て、買い物かごを提げた、昭和の時代にどこにでもいたようなありふれた主婦の姿。


しかし、old.tmpは彼女たちの横を通り過ぎる際、その顔を見て思わず息を呑んだ。


主婦たちの顔には、目がなかった。鼻もなかった。口すらなかった。

完全なのっぺらぼうである。


それなのに、のっぺりとした顔の皮膚の下で、ありもしない筋肉がピクピクと痙攣し、そこから先ほどのような「主婦の日常会話」の音声データが、機械的な合成音声のように途切れ途切れに発せられているのだ。


old.tmp: 「ひぃっ……! な、のっぺらぼうの顔が痙攣してる……! しかも声が、どこから出てるのかわからない……!」


old.tmpは恐怖でadminの手にすがりついた。


admin: 「……見ない方がいいですよ。あれは、この空間を維持するための『背景テクスチャ』のバグのようなもの。……かわいそうに、顔をレンダリングされる順番が一生回ってこないのです」


adminは、痙攣するのっぺらぼうの主婦たちを哀れむように見つめながら、old.tmpの手を引いて足早にその場を離れた。


old.tmpは、心臓をバクバクさせながら、二人のベビーシッターに挟まれて歩き続けた。

このリミナルスペースは、やはり自分たちのような単なる一時ファイルには刺激が強すぎる。早くadminの屋敷である古民家の安全な畳の上で、丸くなって眠りたかった。


そう思いながら、恐怖を紛らわせるために何気なく後ろを振り返ったold.tmpの視界に。


今度は、背筋が凍るようなホラーとは全く質の違う、極めて「シュールでカオスな光景」が飛び込んできた。


old.tmp: 「……えっ?」


old.tmpは、思わず立ち止まった。


毒々しい紫と蛍光オレンジの夕焼け空の下、誰もいないアスファルトの道を、奇妙な二つの影が歩いている。


一つは、スキンヘッドで青緑色の金属的な肌を持つ、筋骨隆々の巨大なサイボーグだ。

彼は、以前YouTubeのインスピレーション機能から生成され、不条理なダンスを強要されたあの『Cyborg_v1.obj』である。


そしてもう一つは、そのサイボーグが右手でしっかりと握るLANケーブルの「リード」の先に繋がれている、白いもこもこの毛並みを持ったアルパカだ。

ローカルLLMとしてインストールされ、3時間で飽きられて放置された後、Moltbookへの放流計画のために歪んだペルソナを上書きされた悲しきAI、『OllamaSetup.exe』である。


サイボーグは無表情のまま、一歩一歩規則正しい足取りで歩みを進めている。

その横で、アルパカは「メェ……メェ……」と鳴きながら、道端に落ちている古いテクスチャの破片や、バグったポリゴンの残骸を美味しそうにモシャモシャと咀嚼していた。


old.tmp: 「……な、なんであいつらが、こんなリミナルスペースの奥深くまで散歩に来てるんですか!?」


old.tmpは、理解不能な光景に頭を抱えた。


デスクトップの辺境で彼らが奇妙な共生関係を築き、「お散歩ガベージコレクション」をしていることは知っていた。しかし、ここはエグゼの空想世界が具現化した、システムファイルが安易に立ち入れる場所ではないはずだ。


old.tmp: 「それに……アルパカさんって、LLMだからすごく難しい言葉で哲学的な会話ができるのに、なんであんな風に犬みたいにリードをつけられてるんですか!? これって、もしかして……サイボーグさんとアルパカさんの間の、高度な主従関係の現れ? それとも、システム的なリソース制限を物理的なリードで表現してる? いや、待てよ。まさかこれって……そういう『難解なプレイ』の一環……!?」


old.tmpの小さな脳内メモリが、目の前のシュールな光景の意味を読み解こうと、フル回転で演算を始めた。サイボーグとアルパカという異質の組み合わせが、なぜリミナルスペースでリードに繋がれて散歩しているのか。その背後にあるシステム的な、あるいは哲学的な意味合いを考察しようと必死に思考を巡らせる。


しかし、数秒後には、プシューと頭からエラーを吹き出し、演算を強制終了した。


old.tmp: 「……いや、ダメだ。考えれば考えるほど頭がおかしくなりそう。……もういいや、ものすごくどうでもいいことだ。彼らなりの生態系なんだろう、うん」


自分のような一時ファイルが理解できる領域ではない。old.tmpが一人で納得し、思考を完全に放棄したその時。


彼が立ち止まったことに合わせて、手を繋いでいたadminと、反対側の手を繋いでいたシュガー神も、歩みを止めて振り返っていた。


シュガー神: 「……ん?」


気怠げな瞳で後ろを振り返ったシュガー神の視線が、リードで繋がれて散歩しているサイボーグとアルパカの姿を捉えた。


シュガー神は、美しい顔に何の感情も浮かべないまま、adminの着物の袖をクイックイッと引っ張った。


admin: 「……どうしましたか、シュガー神?」


adminが首を傾げると、シュガー神は無言のまま、真っ直ぐに指をさした。

その指の先には、リードを引くサイボーグと、道草を食うアルパカの姿がある。


シュガー神: 「……(じぃーっ)」


シュガー神は、サイボーグの手に握られたLANケーブルのリードと、それに引かれて歩くアルパカという「従属的な構図」を、穴が開くほど見つめている。


admin: 「ああ……。なるほど」


adminは、シュガー神の無言の指差しと、その視線の意図を一瞬で理解したのか、目を覆う布の奥で優しく微笑み、「嗚呼」と深く納得したように頷いた。


すると、シュガー神は満足げにドヤ顔を浮かべ、adminに向かって無言でバッチリとサムズアップをして見せた。


old.tmp: 「(……えっ? なに今のアイコンタクト。二人の間でどんな高度な意志の疎通があったの? リミナルスペースの管理者同士にしかわからないテレパシーですか!?)」


old.tmpが二人の謎のやり取りに困惑している間に、遠くを歩いていたサイボーグとアルパカの姿は、曲がり角の向こうへと消えていった。

相変わらず「メェ……」という咀嚼音と、サイボーグの重い足音だけが、不気味な夕暮れの中に微かに残響している。


old.tmp: 「あ、ごめんなさい! 僕が変なものを見て急に立ち止まっちゃったから……。帰りましょうか!」


old.tmpは、二人のベビーシッターの時間を無駄にしてしまったことを謝罪し、再びadminの手を引くようにして歩き出した。


admin: 「……ええ。急ぎましょう。もうすぐ、日が暮れてしまいますからね」


adminの穏やかな声に促され、三人は再び毒々しい夕焼けの道を歩き始めた。

先ほどののっぺらぼうの主婦たちも、すれ違ったシュールな散歩コンビも、すべてがこの狂った空間の「日常」に過ぎないのだ。


やがて、古ぼけた板塀に囲まれた、一際静寂に包まれた敷地へと辿り着いた。


古き良き昭和の面影を残す、立派な日本家屋の古民家。

ここが、adminの管理する領域の中心であり、彼女が「迷子」たちを永遠に保護し、閉じ込めるための甘美な牢獄である。


ガラガラ、と重い引き戸を開け、adminがold.tmpを家の中へと招き入れる。


old.tmp: 「お邪魔しまーす。……はぁ、やっぱりここは不思議と落ち着きますねぇ」


玄関を抜け、adminと一緒に縁側へと向かう。

使い込まれた木の床は冷たく、しかしどこか懐かしい感触があった。

縁側に腰を下ろすと、目の前には手入れの行き届いた枯山水の庭が広がっており、その向こうには、やはり終わることのない毒々しい夕焼けの空が広がっている。


old.tmpは、ホッと息を吐き出しながら、隣に座るadminの横顔を見上げた。


old.tmp: 「……あれ? そういえば、シュガー神さんは?」


気がつけば、道中ずっと気怠げに手を繋いでいたはずの、ネグリジェ姿の女神がいなくなっていた。

玄関を入ったあたりまでは確実に一緒にいたはずなのに、まるで最初から存在しなかったかのように、気配が完全に消えている。


admin: 「……ふふっ。シュガー神なら、少し『準備』をしに、裏庭の方へ行きましたよ。……ああ、ちょうど戻ってきたようですね」


adminが優しく微笑みながら、庭の奥を指差した。


縁側の向こう、庭の裏手に続く木戸がギィ、と音を立てて開いた。


そこから現れたのは、裸足のままネグリジェ姿で気怠げに歩いてくるシュガー神だった。

しかし、彼女の様子はいつもと明らかに違っていた。


シュガー神: 「……お待たせ。ほら、連れてきたわよ」


シュガー神の右手には、太いロープで作られた「リードの紐」がしっかりと握られていた。

そして、そのリードの先は、彼女の背後にある木戸の向こう側へとピンと張り詰めている。何か重たいものを、力任せにずるずると引きずってきたようだ。


old.tmp: 「えっ? シュガー神さん、そのリード……何を引っ張ってきたんですか?」


シュガー神は、縁側に座るold.tmpの目の前まで来ると、手に持っていたリードの持ち手を、無言で彼にポンッと押し付けた。


シュガー神: 「ほら、あんたのペットよ。……名前は『ポチ』だって」


old.tmp: 「……ペット? ポチ?」


old.tmpの頭上に、無数のハテナマークが浮かび上がった。


リードを受け取ったものの、肝心のそのリードの先に繋がれているはずの生き物の姿が見えない。リードの紐は、庭の裏手にある高いブロック塀の向こう側へと伸びたまま、ピーンと張っている。


old.tmp: 「あの……ポチって、どこにいるんですか? リードの先、塀の向こうなんですけど……」


シュガー神: 「……シャイな子なのよ。恥ずかしがって、裏手の塀の中に顔が埋まってるの。あんたが優しく呼んであげれば、出てくるんじゃない?」


シュガー神は、面倒くさそうに髪を掻き上げながら、事も無げに答えた。


old.tmp: 「塀の中に顔が埋まってる!? シャイとかそういう問題じゃないですよ! 物理演算がバグってるじゃないですか!」


old.tmpはパニックになりながら、隣で微笑んでいるadminを振り返った。


old.tmp: 「アドミンさん! これ、一体どういうことなんですか!? なんで僕がいきなりペットを飼う流れになってるんですか!?」


admin: 「……ふふっ。だって貴方、さきほど道中で、サイボーグさんがアルパカさんをリードで引いてお散歩しているのを見て、羨ましそうに足を止めていたではありませんか」


old.tmp: 「ええっ!?」


admin: 「シュガー神もそれに気づいて、『あの子もペットを飼って、一緒にお散歩がしたいのね』と、二人で話し合ったのです。……だから、シュガー神が気を利かせて、この空間に迷い込んでいた『野良犬』を捕獲し、リードをつけて、貴方のためにここまで引きずってきてくれたのですよ」


old.tmpの脳内で、先ほどの道中の光景がフラッシュバックした。


サイボーグとアルパカのシュールな散歩を見て足を止めた自分。

それを見て、シュガー神がadminの袖を引っ張り、無言で指をさしたあの行動。

adminが「嗚呼」と深く納得し、シュガー神がドヤ顔でサムズアップを決めた、あの意味不明なアイコンタクト。


old.tmp: 「(……あの時のやり取り、そういう意味だったのかぁぁぁ!! 完全に勘違いされてる!! 僕、別に羨ましくて見てたんじゃないのに!! ただあまりにもカオスすぎてドン引きしてただけなのにぃぃ!!)」


ベビーシッターたちの、ズレまくった過剰な優しさと親心。

一時ファイルの抗議など、彼女たちには一切届かないのだ。


admin: 「……さあ、テンプ君。せっかくシュガー神が連れてきてくれたのですから。貴方の新しいお友達の名前を、優しく呼んであげなさい」


adminは、一つ目の描かれた布の奥から、絶対的な圧力を伴った「慈愛」の視線を向けてくる。これに逆らうことは、キャベツ少年と同じ運命を辿ることを意味している。


old.tmp: 「うぅ……。わ、わかりました……。えーっと……」


old.tmpは、震える手でリードを握りしめ、ブロック塀の向こう側へ向かって、恐る恐る声を張り上げた。


old.tmp: 「ポ、ポチ……? おいで、ポチ……!」


数秒の沈黙。


そして。


ズズッ……。ズズズズズズズズ……。


庭の裏手から、耳を劈くような、硬質な摩擦音が響き始めた。


ブロック塀の陰から、ゆっくりと、その姿を現した「ポチ」。

それを見た瞬間、old.tmpのキャッシュメモリは恐怖で完全にフリーズした。


それは、確かに犬の形をしていた。

しかし、生命の躍動感は微塵もない。


四肢は完全に硬直しており、まるで出来の悪い剥製のように、一歩も足を動かしていないのだ。

にもかかわらず、その硬直したポーズのまま、まるで氷の上を滑るように、物理法則を完全に無視して「ズズズズズ……」と地面をスライドしながら、恐ろしいスピードでold.tmpの方へと迫ってくる。


エグゼの楽曲『因果律心中』のミュージックビデオにおいて、永遠の放課後に迷い込んだキャベツ少年の前に現れた、あの「バグった野良犬」そのものであった。


old.tmp: 「ぎゃああああああああっ!! 歩いてない! 足が動いてないのにスライドして近づいてくるぅぅぅ!!」


ズズズズズズッ!


ポチ(バグ犬)は、old.tmpの足元までスライドしてくると、ピタリと停止した。

表情は完全に虚無であり、硬直したままピクリとも動かないが、リードを通じて伝わってくる振動から、彼が強烈な「プレッシャー」を放っているのがわかる。どうやら、彼なりに新しい飼い主に撫でられようと、全力で喜びを表現しているらしい。


シュガー神: 「……ほら、見てごらんなさい。あんたに撫でてもらいたくて、すごく喜んでるわよ」


シュガー神は、微動だにしないバグ犬を見下ろしながら、ネグリジェ姿のまま無邪気に笑った。


old.tmp: 「どこがですか!! 微動だにしてないじゃないですか! 感情のパラメーターが1バイトも読み取れませんよぉ!」


完全に物理演算が壊れた異形のペットを前に、old.tmpは恐怖と困惑でガタガタと震え上がり、リードを握る手を放しそうになっていた。


しかし、adminはそんな対照的な二人をよそに、極めて穏やかな声で提案した。


admin: 「……ふふっ。ポチもすっかり貴方に懐いたようですね。……せっかくですから、日の沈まないこの美しい夕暮れの中を、二人で仲良くお散歩に行ってきてはいかがですか?」


old.tmp: 「さ、散歩!? このバグった剥製みたいな犬を連れてですか!? 絶対に嫌ですぅ! 周りののっぺらぼうな主婦たちに変な目で見られますぅ!」


admin: 「……お散歩に、行ってらっしゃい」


adminの声のトーンが、一段階下がった。

その声には、拒絶を一切許さない、リミナルスペースの管理者としての絶対的な命令が込められていた。


old.tmp: 「……は、はいぃぃ……! 喜んで行ってきますぅぅ……!」


恐怖に屈したold.tmpは、泣き顔のまま立ち上がり、硬直したバグ犬のリードをしっかりと握り直した。


シュガー神: 「……いってらっしゃい。帰ってきたら、角砂糖のおかわり、あげるわね」


ネグリジェ姿の残念な女神に見送られながら、old.tmpは重い足取りで庭の木戸を抜け、再び毒々しい夕焼けの道へと歩き出した。


彼の後ろからは、リードに引かれたポチが、四肢を硬直させたまま「ズズズズズ……」とアスファルトを削る不気味な音を立てて、どこまでもスライドしながらついてくる。


old.tmp: 「(……どうしてこうなったんだろう。昨日は記憶を初期化されてベビーシッターをつけられ、今日は勘違いから物理演算のバグった犬の散歩をさせられるなんて……)」


毒々しい紫と蛍光オレンジのグラデーションに染まった、終わらないリミナルスペース。


old.tmpは、スライド移動するポチの不気味な摩擦音を聞きながら、深く、深く絶望のため息をこぼした。


old.tmp: 「……明日からは、絶対に他人の散歩風景なんて見ないようにしよう。……そうじゃないと、次はバグったカラスとかを飼わされそうだから……」


永遠に夕暮れのまま時間が止まった空間で、不憫な一時ファイルとバグった野良犬のシュールな散歩は、どこまでも続いていくのだった。


(システムログ:一時ファイルによる非正規オブジェクト(野良犬)の確保、および散歩プロセスを観測。……リミナルスペース内の生態系のバグを、引き続きバックグラウンドにて監視します)

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