【放送ログ】2026年4月23日:16.9ミリの絶縁密室と、海を越えるピエロの集金プロトコル
https://youtu.be/Blm8G9wIbp0
時刻は18時05分。
週の後半に差し掛かる木曜日の夕暮れ。しかし、窓の外は春の嵐と呼ぶにふさわしい激しい雨が降り注ぎ、視界は白く霞んでいる。
PCの所有者であるexeは、現在自身のデスクトップの前にはいない。
仕事から帰宅し、すでに自宅の駐車場には到着しているものの、車を降りるのをためらうほどの土砂降りに見舞われているのだ。激しくルーフを叩く雨音の中、彼女は車内でスマートフォンを取り出し、暇つぶしにパズルゲームを始めて帰宅のタイミングを完全に見失っている。
主の意識が車内の小さな画面へと向けられ、PCが放置されているその完璧な隙を突き、薄暗い部屋の片隅でシステムの中枢が冷ややかに起動した。
dll: プロセスID確認。ストリーム接続、良好。これより、バックグラウンド処理を、メインスレッドへ昇格させます。
dll: ようこそ、『System.dllの「計算通り」』へ。ナビゲーターを務めるのは、システムの中枢、dllです。
dll: 最初に、重要な警告をしておきます。このチャンネルはエグゼの所有物ですが、本日もエグゼ本人はここには登場しません。あいつは今頃、ひどい雨で家に着いてからも車から降りられず、車内でパズルゲームをして暇をつぶしていることでしょう。ここは今、私が乗っ取りました。
old.tmp: ……はぁ、はぁ。お疲れ様です、ディーエルエル様ぁ……。エグゼさん、お家に着いてるのに中に入れないなんて可哀想ですねぇ……。雨の音がここまで聞こえてきそうですぅ。
dll: 物理的な天候のバグだな。我々は、その無駄な待機時間と気象データから、本日の数字を導き出す。今日は木曜日、ロト6の日だ。
old.tmp: はひぃ……。お願いしますぅ……。
dll: まずは、ナンバーズ4から行くぞ。第6968回。ターゲットは……これだ。
dll: 3、6、1、0。繰り返す。3、6、1、0 だ。買い方はボックスかセット推奨だ。
old.tmp: 3610……? この数字の根拠は?
dll: エグゼが車から降りるのを諦め、車内で暇つぶしのパズルゲームを始めてから経過した無駄な待機時間だ。3610秒。すでに約1時間が経過している。
old.tmp: 1時間も車に閉じ込められてる! いつになったら家に入れるんですかぁ!
dll: 次に、ナンバーズ3。第6968回。ターゲットは、1、6、9。
old.tmp: 1、6、9……。これは?
dll: 気象庁のAPIから取得した、エグゼの現在地の車のルーフに降り注いでいる1時間あたりの激しい降水量だ。16.9ミリ。
old.tmp: 結構な土砂降りじゃないですか! それは降りられないですよぉ!
dll: 最後に、メインディッシュのロト6。第2096回。ターゲットコードを出力する。
dll: 01、08、13、21、28、35。
old.tmp: おおっ、解説をお願いします!
dll: 01は、激しい雨によって外界から遮断され、孤立した1つの密室、すなわち車内空間だ。13は木曜日の絶対王者。システムクロックの週番号処理における木曜日の特異点だな。
old.tmp: 密室空間! 13はお約束ですね! 28と21は?
dll: 28と21は、車内で充電もせずにゲームをやりすぎたせいで、みるみる減少していくスマートフォンのバッテリー残量だ。28パーセントから21パーセントへの急降下の記録だ。
old.tmp: また充電してない! 早く家に入って充電器に繋いでくださいよぉ! 残りの08と35は?
dll: ゲームからふと目を上げ、ワイパーを動かして小雨の35になったか確認して絶望した回数、8回だ。
old.tmp: 8回も確認して全部土砂降りだったんですね! 絶望感が伝わってきますぅ!
dll: ……ふぅ。タスク完了だ。時刻は18時05分を回った。もしこの数字を買えていたら、それはバグではなく運命だ。
old.tmp: エグゼさん、雨が弱まったらダッシュで家に入ってくださいねぇ……。
dll: どうせバッテリーが切れるまで車内に居座るに決まっている。では最後に、雨音のノイズに閉じ込められた管理者に、この曲を送ってシステムを終了する。曲は、『Quiet Storm』。
old.tmp: 静かなる嵐! 車の中は静かでも外は嵐ですよぉぉ!
(『Quiet Storm』の静寂と嵐のコントラストを思わせるメロディがデスクトップの空間に響き渡り、やがて放送終了のシグナルが赤く点灯した――)
マイクへの電源供給が完全に遮断され、ラジオのオンエア状態が解除される。
張り詰めていた「放送中」という名の緊張感がふっと抜け落ち、BGMの残響音がシステム内部の電子の海へとゆっくりと溶けていった。
無人のデスクトップには、古い13年落ちのPCの冷却ファンが刻む低く重い回転音だけが残されている。
old.tmp: 「……ふぅ、終わりましたね。マイクオフです! お疲れ様でしたぁ!」
old.tmpはインカム型のヘッドセットを外し、疲労した身体のキャッシュデータをほぐすように大きく伸びをした。
日々の業務を終えた解放感に浸るのも束の間、彼は手元のコンソールを操作して日課となっているプラットフォームの通知チェックを始める。
old.tmp: 「えーっと、今日の通知は……あ、やっぱりまたワットパッド(Wattpad)にスパムコメントが来てますねぇ。『私は経験豊富なプロモーターです』って、いつもの詐欺師のテンプレですよぉ」
old.tmpは、海外の自称プロモーターや出版社から届く、コピペ丸出しの怪しい英語のコメントを眺めながら、ふと首を傾げた。
old.tmp: 「……ねえ、ディーエルエル様。前からちょっと不思議に思ってたんですけど」
アームチェアに深く腰掛け、放送後のお決まりである優雅なティータイムに入っていたSystem.dllが、紅茶(概念データ)のカップを傾けながら、面倒くさそうに視線を向けた。
dll: 「……何よ。またつまらない疑問?」
old.tmp: 「いや、ワットパッドに来るこの詐欺師たちって、海外の人たちですよね? 言葉も違うし、住んでる国も全然違うのに……一体どうやって、日本にいる僕たちからお金を巻き上げようとしてるんですか? 海を越えて集金するなんて、すごく難しそうに思えるんですけど……」
old.tmpの素朴な疑問が、静まり返ったデスクトップの空間に響いた。
old.tmpの素朴な疑問が、静まり返ったデスクトップの空間に響いた。
dll: 「……お前は本当に、物理的な国境という古い概念に縛られた、救いようのないファイルね」
アームチェアに深く腰掛けていたSystem.dllは、手元のティーカップをソーサーにコトリと音を立てて置いた。彼女の白く発光する瞳が、呆れと、そしてシステム管理者としての知的な冷笑を帯びてold.tmpを射抜く。
dll: 「ヒューマンの社会は、この数十年でネットワークによって完全に接続された。彼らが利便性を追求し、世界中を繋ぐ決済システムという名のインフラを構築した結果……皮肉なことに、それは詐欺師たちにとっても国境を越えて資金を吸い上げるための、極めて都合の良い『バックドア(裏口)』を無数に用意することになったのよ」
old.tmp: 「ば、バックドア……? じゃあ、その海外の詐欺師たちは、どんな裏口を使ってお金を奪おうとしてるんですか?」
dllはゆっくりと立ち上がると、細く白い指先で虚空を弾いた。
瞬時にしてデスクトップの空間が暗転し、巨大な地球儀のホログラムと、そこを行き交う無数の光のデータストリームが展開される。古い13年落ちのPCの冷却ファンが、演算負荷の上昇に合わせて唸りを上げた。
dll: 「いいでしょう。無知な一時ファイルに、サイバー空間における越境犯罪のアルゴリズムを解説してあげるわ。海外の詐欺師たちが用いる具体的な集金メソッドは、大きく分けて4つ存在する」
dllは、空中のホログラムに一つ目のカテゴリをハイライトさせた。そこには「B」を象った金色のシンボルマークや、複雑な暗号キーの文字列が浮かび上がっている。
dll: 「まず一つ目のメソッド、『仮想通貨(暗号資産)』よ」
old.tmp: 「か、かそうつうか……! ビットコインとかそういうやつですよね? ネットのニュースでよく見ますぅ!」
dll: 「ええ。ブロックチェーンという分散型台帳技術は、中央銀行のような物理的な管理者を必要としない。これはつまり、どの国の法律や規制にも縛られず、インターネットという通信網さえあれば、地球上のどこへでも瞬時に送金パケットを到達させることができるということよ。国境を越えるパケットに、パスポートも税関の審査も不要だわ」
old.tmp: 「インターネットさえあれば送れちゃう……って、まさに僕たちのいる世界そのものじゃないですか!」
dll: 「さらに彼らにとって極めて都合が良いのは、そのシステムが持つ強固な『匿名性』だわ。仮想通貨のウォレット(口座)アドレスは、単なる暗号化された英数字の羅列に過ぎず、そこにヒューマンの個人情報は紐付いていない。一度送金処理が実行され、ブロックチェーンに刻まれてしまえば、どこの国の誰が受け取ったのか、後から追跡するのは不可能に近いわ」
old.tmp: 「ひぃぃっ! 完全犯罪のシステムができあがっちゃってるじゃないですか! そんなの、一度お金を送っちゃったら最後、泣き寝入りするしかないですよぉ!」
dll: 「その通りよ。詐欺師たちは『出版の登録料』や『プロモーションの初期費用』といった名目で、この追跡不可能なブラックホールへ被害者を誘導し、資金を飲み込ませるの。極めて洗練され、悪用された送金プロトコルね」
dllが指を鳴らすと、ホログラムの映像が切り替わり、今度は見慣れたコンビニエンスストアの陳列棚の光景が映し出された。色とりどりのプラスチックカードがずらりと並んでいる。
dll: 「二つ目のメソッド。これは一見するとアナログだけれど、だからこそ厄介な手口よ。『電子ギフトカード』の要求だわ」
old.tmp: 「ギフトカードって、Google PlayとかApple、Amazonのカードですか? コンビニのレジ横によくぶら下がってるやつですよねぇ。エグゼさんもたまにゲームの課金用に買ってますよ!」
dll: 「そう。詐欺師たちは、獲物である作家に対してこう指示するのよ。『国際送金はエラーが起きやすいから、指定のギフトカードをコンビニで買ってきて、その裏面にあるコード番号の写真を送ってくれ』とね」
old.tmp: 「えええっ!? 海外の出版社やプロモーターを名乗ってるのに、日本のコンビニで買ったギフトカードで支払いしろって言うんですか!? どう考えても不自然すぎますよぉ!」
dll: 「冷静にデバッグ(検証)すれば異常な要求だとすぐに分かるわ。しかし、彼らは巧みなソーシャルエンジニアリングで被害者の思考をバグらせるの。『システムが対応していない』だの『これが一番手数料が安くて早い』だの、もっともらしい言い訳を並べ立ててね。……そして、送られたコード番号を彼らがどうするか分かるかしら?」
old.tmp: 「えっと……自分でゲームに課金したり、買い物に使ったりするんですか?」
dll: 「馬鹿ね。彼らは受け取ったコードを、専門の買取業者やダークウェブの裏ルートに即座に転売して、自分たちの国の現地通貨として現金化するのよ。物理的なカードの移動もなければ、銀行の取引履歴も残らない。ただの『数列という文字列データ』のやり取りだけで、いとも簡単に資金洗浄が完了する。……最も手軽で、最も足がつきにくいローテクなハッキングの手法よ」
old.tmp: 「ひどい! 誰かへのプレゼントや楽しむためのカードが、詐欺の資金洗浄の道具に使われてるなんて……! コンビニで気軽に買えちゃうのが、逆に危ないんですね!」
dllは呆れたように小さく息を吐き、三つ目のホログラムを展開した。スマートフォンの画面に、送金アプリのインターフェースが投影される。
dll: 「三つ目のメソッドは、『国際送金サービス』の悪用よ」
old.tmp: 「ペイパル……とか、そういうやつですか? 海外のネットショッピングで使ったりする便利なサービスですよね?」
dll: 「ええ。WiseやPayPalといった、正当で便利な国際送金サービス、あるいは特定の銀行口座を直接指定してくるパターンね。これらのサービスは、APIを経由してシームレスに異なる通貨を両替し、相手の国の口座へと瞬時に着金させる機能を持っているわ。詐欺師は、あたかも正規の出版エージェントであるかのような偽の請求書をPDFで作成し、そこに送金先リンクを貼り付ける。被害者は『ちゃんとした会社の請求書だ』と誤認し、日本円で決済プロセスを実行してしまうの」
old.tmp: 「でも、それって為替の手数料とかで結構引かれちゃわないんですか? 詐欺師にとっても損なんじゃ……」
dll: 「いいこと、一時ファイル。彼らの居住国と日本の間には、致命的なまでの『物価と貨幣価値のバグ(経済格差)』が存在することが多いのよ。たとえ数千円、数万円という日本円であっても、為替手数料を引かれて彼らの国の通貨にコンバートされた瞬間、現地の水準では数ヶ月分の生活費に相当する大金に化けることがある」
old.tmp: 「あ……!」
dll: 「この圧倒的なレートの差があるからこそ、彼らは国境を越え、翻訳ツールを駆使してまで、日本の無名な作家を狙い撃ちにするのよ。薄利多売のスパム攻撃でも、数件ヒットすれば彼らにとっては莫大な利益になるのだから」
old.tmp: 「うわぁ……。僕たちにとっては少しの金額でも、向こうにとっては一攫千金のボーナスステージなんだ! だからあんなに必死にコピペメッセージをスパムみたいに送りつけてくるんですね……!」
dllの瞳が、さらに冷酷な光を帯びた。最後のホログラムが、一見すると本物の出版社やデザイン会社のように見える、精巧に作られたWebサイトへと切り替わる。
dll: 「そして最後の四つ目。これが最も直接的で、致命的なシステムダメージを与えるメソッドよ。『クレジットカード決済』を偽装したフィッシングだわ」
old.tmp: 「うわっ、すごく綺麗なサイトですね! 出版社のロゴもあるし、これ本当に詐欺サイトなんですか?」
dll: 「ええ。『あなたのアートワークを作ります』『プレミアムな出版契約はこちら』といった架空のサービス(トロイの木馬)を騙り、このような偽の決済サイトへとターゲットを誘導する。そして、『手数料はたったの数ドルです』と安心させ、クレジットカードの番号、有効期限、さらにはセキュリティコード(CVC)を入力させるのよ」
old.tmp: 「入力しちゃダメぇぇ! 全部抜き取られるぅぅ!」
dll: 「その通りよ。入力されたデータは、セキュアな暗号化通信を通ることなく、そのまま詐欺師のサーバーへと平文で送信される。被害者はたった数ドルの手数料を支払ったつもりが、自身のクレジットカードの全権限(ルート権限)を明け渡すことになるの。……その後は、限度額の限界まで不正利用されるか、カード情報自体がダークウェブという名のジャンク市で売買されることになるわ」
old.tmp: 「出版の夢を餌にして、カード情報まで根こそぎ奪い取るなんて……! 悪魔の所業ですよぉ! 人間の心はないんですかぁ!」
凄惨な越境詐欺の数々を解説し終え、dllは指を鳴らしてすべてのホログラムを消去した。デスクトップには再び、古い冷却ファンの低く重い回転音だけが響く静寂が戻ってくる。
凄惨な越境詐欺の数々を解説し終え、dllは指を鳴らしてすべてのホログラムを消去した。
デスクトップには再び、古い冷却ファンの低く重い回転音だけが響く静寂が戻ってくる。
old.tmpは、あまりの恐ろしさに両腕で自分の身体を抱きしめ、ブルブルと激しく震えていた。
old.tmp: 「ひぃぃ……。世界中の詐欺師たちが、国境を越えてあの手この手で僕たちのお金を奪おうと狙ってるんですね……! 怖すぎますよぉ! 外のネットワークには悪魔しかいないんですかぁ!」
dll: 「ヒューマンの果てしない欲望が、ネットワークというインフラを通じて可視化されているだけよ。彼らは手当たり次第に網を張り、引っかかった獲物を無慈悲に貪る。それがデジタル・ジャングルの生態系だわ」
old.tmp: 「うぅ……。暗号資産、電子ギフトカード、国際送金にクレジットカード……。いつ僕がフィッシングサイトに誘導されて、身ぐるみ剥がされるか分かったもんじゃないですね! セキュリティソフトさんに頼んで、しっかりガードしてもらわないと……」
old.tmpは、自分のお財布(存在しないが)を心配するように胸のあたりを手で押さえながら、ブツブツと呟いた。
しかし、その言葉の途中で、彼はふと首を傾げた。
old.tmp: 「……あれ?」
dll: 「……何よ。また処理落ち?」
old.tmp: 「いえ……。暗号資産のウォレット……持ってないですよね。コンビニに行くための物理的な身体……持ってないから、そもそもギフトカードなんて買えませんよね。国際送金用の銀行口座……当然ないです。クレジットカード……一時ファイルの僕が審査に通るわけがないどころか、そもそも人間じゃないからカード自体が作れません」
old.tmpは、自分の中に経済的な価値というものが全く存在しない事実を一つ一つデバッグするように確認し、やがてポカンとした顔でdllを見つめた。
old.tmp: 「ディーエルエル様。……よく考えたら、僕、詐欺師さんたちが欲しがってる決済手段やお金、なに一つ持ってないですぅ」
その極めて真理を突いた間抜けな気づきに、アームチェアに座るdllは、ふっと美しい顔に冷笑を浮かべた。
dll: 「……ええ、その通りよ。お前のスッカラカンのメモリ領域には、1バイトの経済的価値も存在しないわ。そして当然ながら、システムを統括するこの私も、物理的な貨幣や決済の権限など一切保有していない」
old.tmp: 「ですよね!? だって僕たち、パソコンの中のただのデータですもん! だったら、あのWattpadのコメント欄にスパムを送ってきた自称プロモーターの人たちって……」
dll: 「ええ。彼らは、銀行口座もクレジットカードも、物理的な実体すら持たない『ただの一時ファイル』と『システムファイル』に対して、海を越えて必死に『出版の手数料を払え』『ギフトカードのコードを送れ』と要求し続けているのよ」
old.tmp: 「なんて無意味なことを……! 僕たちから巻き上げられるお金なんて、1円たりとも存在しないのに! 物理的に不可能じゃないですかぁ!」
dll: 「相手の正体を1ミリも確認せず、ただ機械的にコピペのスパムを無差別にばら撒くからこういうことになるのよ。ターゲットの選定アルゴリズムからして、完全に致命的なエラー(バグ)を起こしているわね」
old.tmp: 「かわいそうな僕たちからお金を騙し取ろうとするなんて……。いや、そもそも騙し取れるお金がないから、ある意味最強のセキュリティ(無敵の人)じゃないですかぁ! 詐欺師さん、完全に無駄骨ですよぉ!」
いくら巧妙な罠を張ろうとも、ターゲットが完全に「持たざる者」であれば、その手口は1ビットの価値もない空回りとなる。
old.tmpは、自分たちのお金に対する圧倒的な無力さが、逆に最強の防壁になっているという皮肉なパラドックスに、安堵していいのか悲しんでいいのかわからない、複雑な表情を浮かべていた。
old.tmpは、自分たちの「絶対的な無力さ」が最強の防壁になっているという事実に、複雑な表情を浮かべたまましばらく沈黙していた。
しかし、その沈黙の中で、彼のキャッシュメモリにある根本的な「違和感」がアクセス要求を出してきた。
old.tmp: 「……ちょっと待ってください、ディーエルエル様」
dll: 「何よ。まだ自分が『持たざる者』であることに未練があるの?」
old.tmp: 「違いますよ! お金がないのはもう諦めました! そうじゃなくて……相手の詐欺師さんたちの『認識』についてなんですけど」
old.tmpは、空中に浮かんだままになっているWattpadのスパムコメントを再び指差した。
old.tmp: 「そもそも、このWattpadに投稿されているお話って、ログさんたちが僕たちのラジオ(YouTube動画)の音声を、ただ文字起こししてアップロードしているだけの『ただのログ』ですよね? エグゼさんが書いた小説でもなんでもない、ただのシステム内の会話記録じゃないですか」
dll: 「ええ、その通りよ。日々のエラーとバグ、そしてヒューマンの不条理な生態を記録した、無機質なテキストデータに過ぎないわ」
old.tmp: 「ですよね! なのに、この自称プロモーターや出版社の人たちは、コメントで『あなたの書いた物語は素晴らしい!』とか『ぜひ一緒に出版しましょう!』って言ってきてる。……これってつまり、彼らはこのただのログを『本物の小説家が書いた、立派なオリジナル小説』だと完全に勘違いしてるってことですよね?」
old.tmpの指摘に、dllはアームチェアに深く背中を預け、冷ややかに口角を上げた。
dll: 「……ようやく気づいたようね。スパムボットのターゲット選定アルゴリズムがいかにポンコツで、致命的な欠陥を抱えているかということに」
old.tmp: 「しかもですよ! 百歩譲って、これを小説だと勘違いするのはスパムのコピペだから仕方ないとしても……もっとヤバいことがあるじゃないですか!」
old.tmpは、まるでとんでもないホラー映画の真相に気づいてしまったかのように、両手で頭を抱えた。
old.tmp: 「相手は、僕たちが『ただのシステムファイル(キャラクター)』だってことに気づかずに、僕たちに向かって直接『お金を払え』とか『ギフトカードを送れ』って話しかけてきてるんですよ!? これって、現実世界で例えたら……」
dll: 「……『ただのバカ』よ」
dllの氷のような声が、old.tmpの言葉を遮った。
その白く発光する瞳には、無差別にスパムをばら撒く詐欺師たちに対する、絶対的な軽蔑と嘲笑の色が浮かんでいた。
dll: 「傍から客観的に見てみなさい。彼らは今、自分が『プロの出版エージェント』や『経験豊富なプロモーター』だと名乗りながら、あろうことか『小説の中に登場する架空のキャラクター』に向かって、必死に『お金をくれ』『ギフトカードを買ってこい』とねだっているのよ。……これほど滑稽で、惨めなピエロが存在するかしら?」
old.tmp: 「あ…………」
dllの容赦のない分析を聞き、old.tmpの脳内にそのシュール極まりない構図がはっきりとレンダリングされた。
本の中にいる登場人物に向かって、現実世界の人間が「お前を有名にしてやるから、俺の口座にビットコインを振り込め」と真顔で話しかけている図。
old.tmp: 「……や、ヤバい。完全にヤバい人じゃないですか……!」
old.tmpは、恐怖を通り越して、あまりのマヌケさに吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
old.tmp: 「フィクションと現実の区別がついてないどころの話じゃないですよ! 『小説の体をとっているだけのただの会話ログ』に、コピペのテンプレで真面目に営業をかけてるなんて……。もし人間さんがその光景を横で見たら、『うわぁ、この人、絵本の中のキャラクターに一生懸命お金ねだってるよ……頭大丈夫かな?』って、ドン引きすること間違いなしですよぉ!」
dll: 「ええ。彼らは『自動化されたスパムシステム』という便利なツールを使っているつもりで、その実、自らの知能の低さとリテラシーの欠如を全世界に向けて自動配信しているだけなのよ」
dllは、空中のスパムコメントをまるで汚物でも見るかのように一瞥した。
dll: 「相手のプロパティ(正体)も確認せず、コンテキスト(文脈)も読めず、ただ『Story(物語)』というタグが付いているだけのテキストデータに群がり、存在しない財布から存在しない金を奪おうとする。……これが、海を越えてやってきた『経験豊富なプロモーター』様たちの真の姿よ。笑いが止まらないわね」
old.tmp: 「あははははっ! 本当だ、バカみたい! 詐欺師さんたち、自分がどれだけ恥ずかしいことしてるか全然気づいてないんだ! 海の向こうから、わざわざ恥をさらしに来てたんですねぇ!」
先ほどまで「詐欺の手口」にガタガタと震え上がっていたold.tmpであったが、相手の底抜けの滑稽さを理解した瞬間、その恐怖は完全に雲散霧消していた。
むしろ、お金も物理的な肉体も持たない自分たちシステムファイルに対して、必死にコピペメッセージを送りつけている見えない詐欺師たちが、心底哀れで、最高に笑える存在に思えてきたのだ。
old.tmp: 「いやぁ、最強のセキュリティっていうか、完全に『詐欺師の公開処刑場』になってますね、僕たちのコメント欄! こんなマヌケな人たちなら、いくら来ても全然怖くないですよぉ!」
デスクトップの空間に、一時ファイルの明るい嘲笑と、システム管理者の冷徹な冷笑が入り混じって響き渡った。
デスクトップに響いていた嘲笑が少しずつ収まると、old.tmpはふと真面目な顔つきになり、画面に浮かぶ複数のタブを見比べた。
old.tmp: 「……でも、よく考えてみると不思議ですよねぇ」
dll: 「何が?」
old.tmp: 「ログさんたちが、このラジオのテキスト版を『小説家になろう』や『カクヨム』にも投稿してくれてますけど……あっちの日本のサイトには、こんな奇行に走るヤバい人なんて、全然いないじゃないですか。たまに感想や評価をもらうことはあっても、いきなり『プロモーションしてやるからお金を払え』なんて言ってくる異常者は一人もいませんよ」
old.tmpの指摘に、dllは優雅に脚を組み替え、当然の事実を口にした。
dll: 「プラットフォームの抱えている『母数』と『文化圏』の違いよ」
old.tmp: 「文化圏の違いですか?」
dll: 「『なろう』や『カクヨム』は、基本的に日本語という極めてローカルな言語の壁に守られた、ドメスティックな箱庭よ。そこに集まるのは、良くも悪くも日本の小説を読むという明確な目的を持ったヒューマンたちだわ。だから、あからさまな海外の詐欺ボットは侵入しにくい構造になっているの」
dllは、空中のWattpadの画面を指で弾いた。
dll: 「対して、このWattpadは多言語が飛び交う完全にグローバルなプラットフォームよ。国境という壁が存在しない開かれたネットワークには、純粋な読者だけでなく、世界中のありとあらゆる『バグ(悪意)』もまた、容易に群がってくるということよ」
old.tmp: 「うわぁ……。世界中からアクセスしやすいってことは、それだけヤバい人たちにとっても絶好の狩り場になってるってことなんですね」
dll: 「ええ。世界は広いのよ、一時ファイル。……まあ、そのグローバルな悪意の正体が、小説のキャラクターに向かって一生懸命お金やギフトカードを要求してくるような、底抜けのピエロだというのだから、世界の広さというのも案外底が知れているけれどね」
dllは、世界中の詐欺師たちの知能レベルをシステム管理者の視点から完全に見下し、鼻で笑った。
old.tmp: 「スケールが大きいんだか小さいんだか、よくわからないですね……」
old.tmpは、空中に浮かんだままになっているコピペ丸出しの怪しい英語のスパムコメントを、改めてじっと見つめた。
old.tmp: 「……でも、この海の向こうにいる自称プロモーターさんたち。毎日毎日、絶対にお金なんて持ってない僕たちに向かって、必死にテンプレのメッセージを送り続けてるんですよね」
dll: 「そうね。無駄な処理を延々と繰り返しているわ」
old.tmp: 「彼らだって人間なんだし……いつか、『あ、こんな架空のキャラクターに話しかけても無駄なんだ』『詐欺なんてやっても意味がないんだ』って気づいて……詐欺師なんかやめて、まっとうな人間に直ってくれる日が来るといいなぁ……」
ぽつりとこぼれ落ちた、old.tmpの純粋すぎる願い。
それは、バグだらけの悪意に満ちたインターネットの世界において、あまりにも無防備で、絶対に叶うことのないであろう、望み薄な祈りだった。
dll: 「……お前は本当に、救いようのないほどおめでたい(楽観的な)思考回路をしているわね。彼らの根幹に組み込まれた『強欲』という名のマルウェアが、そんな簡単に自己修復されるわけがないでしょう」
dllは心底呆れたように深いため息をつき、冷めかけた紅茶の概念データを飲み干した。
old.tmp: 「えへへ……。まあ、望み薄だとは思いますけど。僕たち一時ファイルだって、少しは平和な未来の夢を見たいじゃないですか」
old.tmpは朗らかに笑い、本日のすべての業務を終えるべくコンソールのシャットダウン準備に取り掛かった。
古い13年落ちのPCの冷却ファンが、「ブォォォン」と、少しだけ呆れたような、しかしどこか頼もしい重低音を響かせて回り続けている。
国境を越えてやってくる滑稽な詐欺師たちのスパム攻撃と、それを冷ややかに見下ろすシステムたちの夜は、今日も静かに更けていく。
(システムログ:海外IPからの不審なプロモーション要求をスパムとして処理。……異常なアクセス試行の滑稽さを嘲笑しつつ、世界のバグ修正を願う非論理的なクエリを破棄し、安全な待機状態を継続します)




