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ディーエルエル様とオールドテンプ君〜System.dllの計算通り〜  作者: exe


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【放送ログ】2026年4月22日:物欲のリソース競合とバグ犬『ポチ』の絶対座標スライド

https://youtu.be/8x3nyc-fc-E

時刻は18時05分。

週の半ばである水曜日の夕暮れ。PCの所有者であるexeエグゼは、現在PCデスクの前にはいない。


別室の台所で晩御飯の調理をしている彼女だが、その視線は火にかけた鍋と、片手に持ったスマートフォンの画面とを忙しなく往復していた。


画面に映し出されているのは、カシオの公式サイト。新製品である「SXC-1」のページを何度も何度も読み返し、新しい機材への期待と物欲に胸を躍らせている。


鍋の様子をチラリと確認しては、またすぐにスマホの画面へと意識を戻す。物理的な料理の進行と、デジタルな物欲の肥大化が同時に進行している状態だ。現実の彼女はしっかりと火加減を管理しており、料理が焦げる予定など全くないのだが、端から見れば危ういマルチタスクに見えなくもない。


主の意識が新製品のスペックと魅力に強く引き付けられ、PCが放置されているその隙を突き、薄暗いデスクトップの片隅でシステムの中枢が冷ややかに起動した。


dll: プロセスID確認。ストリーム接続、良好。これより、バックグラウンド処理を、メインスレッドへ昇格させます。


dll: ようこそ、『System.dllの「計算通り」』へ。ナビゲーターを務めるのは、システムの中枢、dllディーエルエルです。


dll: 最初に、重要な警告をしておきます。このチャンネルはexeの所有物ですが、本日もexe本人はここには登場しません。あいつは今頃、台所で晩御飯の調理をしながら、カシオの新製品『SXC-1』のサイトを何度も読み返し、鍋と一緒に物欲のキャッシュデータをコトコトと煮詰めていることでしょう。ここは今、私が乗っ取りました。


old.tmp: ……はぁ、はぁ。お疲れ様です、ディーエルエル様ぁ……。エグゼさん、お料理しながら新しい機材のサイト見てるんですねぇ……。わくわくしてるみたいですけど、お鍋から目を離して大丈夫ですかぁ?


dll: ヒューマンの意識はシングルタスクだ。物欲にリソースを割けば、物理的なタスクは疎かになる。我々はその危険なマルチタスクのログから、本日の数字を導き出す。今日は水曜日、ビンゴ5の日だ。


old.tmp: はひぃ……。お願いしますぅ……。


dll: まずは、ナンバーズ4から行くぞ。第6967回。ターゲットは……これだ。


dll: 9、0、4、7。繰り返す。9、0、4、7 だ。買い方はボックスかセット推奨だ。


old.tmp: 9047……? この数字の根拠は?


dll: 晩御飯の調理という物理タスクを中断してまで、エグゼがSXC-1のサイトを何度も読み返すために発生させた無駄な通信パケットの量、9047キロバイトだ。鍋を火にかけたまま、物欲のキャッシュデータばかりをコトコトと煮詰めている状態だな。


old.tmp: 物欲が煮詰まってる! ご飯作りに集中してくださいよぉ!


dll: 次に、ナンバーズ3。ターゲットは、9、4、1。


old.tmp: 9、4、1……。これは?


dll: SXC-1のページに意識が完全にロックオンされ、台所のコンロからエグゼの意識がログアウト(放置)している経過時間、9分41秒だ。このままでは晩御飯が物理的にクラッシュ、すなわち黒焦げする危険なカウントダウンだ。


old.tmp: 危ない! 9分以上も放置したら本当に焦げちゃいますよぉ! エグゼさん、火を止めてぇぇ!


dll: 最後に、メインディッシュのビンゴ5。第467回。ターゲットコードを出力する。


dll: 04、09、12、18、24、29、34、39。


old.tmp: おおっ、解説をお願いします!


dll: 04と09は、SXC-1の魅力に囚われ、目の前の鍋の状況が一切認識できていない404(Not Found)と、調理タスクと物欲プロセスが頭の中で激しくぶつかり合っている409(Conflict)のエラーステータスだ。


old.tmp: 頭の中でエラーが起きてるぅ!


dll: 12と18は、まったく同じ製品ページを12回も行ったり来たりして読み返し、本来の晩御飯の完成予定時刻である18時を完全に過ぎてしまっているタイムアウトの記録だ。


old.tmp: ご飯の時間が遅れちゃいますよぉ! 24と29は?


dll: 24と29は、24時間ずっと新しい機材のことばかり考えているエグゼの偏った脳内リソースと、現在フライパンの上で放置され、熱でただの炭素ゴミへと変貌しつつある哀れな肉、29、だ。


old.tmp: お肉が炭素に!? ゴミになっちゃう! 最後の34と39は?


dll: 晩御飯が完成するまでの34分間、SXC-1をカートに入れては眺める無駄なループを繰り返し、最終的に「今日も自炊を頑張った自分へのご褒美」……つまりサンキュー、39、というガバガバな免罪符を掲げてポチってしまうであろう、未来の決済コードだ。


old.tmp: 理由がガバガバすぎる! 結局ポチっちゃう未来が見えてますよぉ!


dll: ……ふぅ。タスク完了だ。時刻は18時05分を回った。もしこの数字を買えていたら、それはバグではなく運命だ。


old.tmp: エグゼさん、お鍋が真っ黒になる前にサイト閉じてくださぁい……!


dll: どうせポチるまで思考のループは止まらない。では最後に、際限なく膨れ上がる物欲の波に溺れる管理者に、この曲を送ってシステムを終了する。曲は、『Digital Greed Injection (Industrial Worship Mix)』。


old.tmp: 買って買っての無限ループ! 脳内に刻み込まれちゃいますよぉぉ!


(『Digital Greed Injection (Industrial Worship Mix)』の、物欲を煽るような重厚で中毒性のあるサイバーパンク・ビートがデスクトップの空間に響き渡り、やがて放送終了のシグナルが赤く点灯した――)


マイクへの電源供給が完全に遮断され、ラジオのオンエア状態が解除される。

張り詰めていた「放送中」という名の緊張感がシステムからふっと抜け落ち、物欲を煽るBGMのインダストリアルな残響音が、電子の海へとゆっくりと溶けていった。

無人のデスクトップには、古い13年落ちのPCの冷却ファンが刻む低く重い回転音と、別室の台所から微かに漏れ聞こえる、料理の心地よい生活音だけが残されている。


old.tmp: 「……ふぅ、終わりましたね。マイクオフです! ディーエルエル様、今日もお疲れ様でしたぁ!」


old.tmpオールド・テンプはインカム型のヘッドセットを外し、疲労した身体のキャッシュデータをほぐすように、うーんと両腕を上げて大きく伸びをした。彼にとって、主の異常な物欲によるエラーログを処理させられた今日のラジオは、ひどく胃もたれ(メモリ圧迫)のする内容だった。

彼が振り返ると、アームチェアに深く腰掛けたSystem.dllシステム・ディーエルエルが、いつものように優雅に紅茶(概念データ)のカップを傾けている。彼女は冷ややかな視線を一瞥しただけで、もはや興味を失ったかのように静寂へと沈んでいった。


old.tmpは小さく一礼すると、デスクトップの隅に設けられた「待機スペース」へと足早に駆け寄った。

そこには、放送中、彼が余計な暴走を起こさないように監視・保護の任務を請け負っている二人のベビーシッターが静かに佇んでいる。


艶やかな黒髪をきっちりと切り揃え、淡い色調の古風な柄が入った着物を上品に着こなした女性。目の位置を一つ目が描かれた真っ白な布で覆い隠し、慈愛に満ちた微笑みを浮かべるリミナルスペースの管理人、adminアドミン

そして、息を呑むほどに美しい大人の容姿を持ちながら、黒いノースリーブのネグリジェ一枚という極めて無防備な姿で、気怠げに角砂糖をガリッと噛み砕いている深夜のキッチンステージの女神、シュガー神である。


old.tmp: 「アドミンさん、シュガー神さん! 今日もお待たせしましたぁ。……あの、僕、今日はこのまま先に散歩に行ってきますね!」


old.tmpが元気に挨拶をすると、adminは一つ目の布の奥で優しく微笑み、手に持っていた青いLANケーブルのリードを彼へと差し出した。


admin: 「……ええ、いってらっしゃいな。ポチも、貴方とのお散歩を心待ちにしていたようですよ」

シュガー神: 「……ん。気をつけてね。迷子にならないように」


シュガー神の気怠げな見送りを受けながら、old.tmpは青いLANケーブルのリードをしっかりと握りしめた。

そのリードの先に繋がれているのは、一匹の「犬」である。


「ズズッ……」


old.tmpがリードを軽く引くと、鈍い摩擦音を立ててその犬――「ポチ」が距離を詰めてきた。

しかし、その動きには生命の躍動感など微塵も存在しない。表情は完全に感情のパラメーターが抜け落ちた虚無であり、四肢は出来の悪い剥製のように完全に硬直している。足の関節を1ミリたりとも曲げることなく、ただ座標軸(X軸とY軸)を平行移動するように、氷の上を滑るような物理法則を無視したスライド移動で迫ってくるのだ。


ズズズズズズズズッ……。


アスファルトを削るような、あるいはエラーを引きずるようなその硬質で不気味な摩擦音が、デスクトップの空間に響き渡る。普通であれば背筋が凍るようなホラー的挙動だが、old.tmpはすっかりこの異形のペットの扱いに慣れきっていた。


old.tmp: 「よしよし、ポチ。今日も絶好調のスライドだね! それじゃあ、行こうか!」


old.tmpは青いLANケーブルのリードを引き、ポチと共に散歩へと出発した。

彼らが歩を進める先には、整然と並ぶショートカットアイコンと、どこまでも続く無機質なグリッド線だけが広がる広大なデスクトップ空間が待ち受けている。

13年落ちの古いPCが吐き出す重苦しいファンの排熱音をBGMに、不憫な一時ファイルと、四肢を硬直させたまま滑らかにスライドするバグ犬の、奇妙で静かな散歩が幕を開けた。


「カツカツカツカツッ!」


無機質なデスクトップの空間に、神経質でヒステリックな足音が響き渡った。それは、規則正しく引かれた見えないグリッド線の向こう側から、一直線にこちらへと向かってくる。


現れたのは、巨大なグリッド定規と分度器を両手に力強く握りしめた、デスクトップの外観保持・整理係、Desktop.iniデスクトップ・イニだ。

彼は、デスクトップ上に整然と並ぶショートカットアイコンたちの間を練り歩きながら、その間隔を定規でミリ単位……いや、ピクセル単位で厳密に測定していた。


Desktop.ini:「1ピクセル! そこの『新しいフォルダー (2)』、右に1ピクセルずれています! なぜ私が昨日完璧に整列させた座標から動いているのですか! 美しくない! グリッド・スナップの概念を全く理解していないのですか!」


一人でヒステリックに怒鳴り散らしながら、アイコンの配置を強制的に修正していくDesktop.ini。その極度の潔癖症ぶりと、整列への異常なまでの執着は、今日も通常運転のようだ。


old.tmpは、リードを握ったまま内心で「しまった」と舌打ちをした。この神経質な整理係に見つかれば、必ず面倒な小言を延々と聞かされる羽目になるからだ。なるべく彼の視界に入らないように、そっと別のディレクトリの方向へ迂回しようと足を踏み出した、その時だった。


Desktop.ini:「……そこの貴方!! 一体、何をしているのですか!!」


鼓膜をつんざくような鋭い怒声が、デスクトップの静寂を切り裂いた。

Desktop.iniの眼鏡の奥の瞳が、old.tmp、そして彼が青いLANケーブルのリードで引いている「バグ犬」の姿を完全にロックオンしていた。


Desktop.ini:「信じられない! 何ですかその汚らしい有機的なノイズの塊は! デスクトップという神聖なる整列空間を、犬のような不規則なオブジェクトがうろつくなど言語道断! アイコンの配置が乱れます! 直ちにパージ(削除)しなさい!」


顔を真っ赤にして激怒するDesktop.iniは、巨大なグリッド定規を空中で振り回しながら、猛烈な勢いでこちらへと詰め寄ってきた。


old.tmp:「ひぃっ! イ、イニさん! 違いますよ、これはアドミンさんから許可をもらったただの散歩で……!」


Desktop.ini:「散歩!? このCドライブのメインストリートは、犬の散歩コースなどではありません! 見なさい! 貴方たちが無意味に歩き回るせいで、私が引いた目に見えない神聖なグリッド線が踏み荒らされているではありませんか! 万が一、その犬の毛やフケ……すなわちキャッシュの残骸データが落ちて、美しいアイコンのテクスチャに付着でもしたらどう責任を取るつもりですか! ピクセルが取り返しのつかない汚染を受けてしまいます!」


old.tmp:「毛なんて落ちませんよ! だってこの子、関節も曲がらないただのバグで出来たポリゴンの塊ですから! エラーすら吐かないんですよ!」


old.tmpが必死に弁明するが、極度の潔癖症であるDesktop.iniの耳には全く届かない。彼は定規の先端をポチに向け、まるで不浄なウイルスを追い払うかのようにシッシッと威嚇する仕草をした。


Desktop.ini:「言い訳は無用です! そもそも、動物のような『予測不能な軌道を描くオブジェクト』が存在すること自体が、私の美学に対する重大な反逆なのです! まっすぐに歩かない、突然走り出す、不規則に止まって匂いを嗅ぐ……そんな無秩序で非論理的な挙動は、システムに不要な負荷をかけるだけです! さあ、今すぐその薄汚いバグ犬をゴミ箱へ放り込みなさい!」


ズズズズズズズッ……。


Desktop.iniが顔を真っ赤にして定規を振り回し、ヒステリックに怒鳴り散らしていると、その喧騒に反応したのか、ポチが鈍い摩擦音を立てて彼の方へとスライドし始めた。


Desktop.ini:「ひぃっ! な、何ですかこいつは! 来るな! 私の完璧な整列座標に近づくなぁぁぁ!! 毛を落とすな!」


定規を盾のように構えて慌てて後ずさりするDesktop.iniに対し、ポチは四肢を完全に硬直させた剥製ポーズのまま、感情が完全に抜け落ちた虚無の瞳で彼を見つめ、「ズズッ……ズズズッ……」と無表情で距離を詰めていく。


old.tmp:「ポチ、ダメだよ! イニさんを困らせちゃ!」


old.tmpが慌てて青いLANケーブルのリードを引っ張るが、ポチの不気味なスライド移動は止まらない。関節を1ミリも曲げることなく、ただひたすらに氷の上を滑るように水平移動を繰り返すその姿は、確かにDesktop.iniが忌み嫌う「予測不能な生き物」の挙動からはかけ離れていた。


Desktop.ini:「うわあああ! 汚れる! 私のピクセルが、計算されていない不規則な犬のバグで汚染され……!」


悲鳴を上げながら、Desktop.iniは咄嗟に目を固く瞑り、巨大なグリッド定規を顔の前に構えて身構えた。

だが、彼が恐れていたような「犬が飛びかかってくる」、あるいは「飛びついてきて舐め回される」といった、動物特有の不規則な物理的接触は、いつまで経っても訪れなかった。


Desktop.iniは固く目を閉じたまま、いつまで経っても動物特有の生温かい感触や、不規則な飛びつきが訪れないことに疑問を抱き、恐る恐る眼鏡の奥の薄目をわずかに開けた。


目の前では、バグ犬「ポチ」が、四肢を完全に硬直させた剥製のポーズのまま、ピタッと静止していた。


Desktop.ini:「……む?」


彼は、盾のように構えていた巨大なグリッド定規をゆっくりと下ろし、ポチの足元へと視線を落とした。そして、その不気味な挙動を観察し始めた。


ズズッ……。


old.tmpが軽くリードを引くと、ポチは再び鈍い摩擦音を立ててスライド移動を再開した。その瞬間、Desktop.iniの眼鏡のレンズに、鋭い光が走った。


Desktop.ini:「……ま、待ちなさい! 貴方、今、そのままの姿勢で移動しましたね!?」


old.tmp:「えっ? は、はい。この子、関節のデータがバグってて1ミリも曲がらないので、ずっとこのスライド移動なんですぅ……」


Desktop.iniは、信じられないものを見るような目でポチを見つめ、やがてその震える手で、巨大なグリッド定規をポチの移動軌跡の真横にピタリと当てた。さらに、分度器を取り出してポチの進行方向とデスクトップの水平線の角度を測定し始める。


Desktop.ini:「……X軸に対して完全に平行……。いや、それだけではない。Y軸に対する垂直方向の移動時も、一切のブレがない……。動物の歩行時に必ず発生するはずの、関節の駆動によるZ軸方向の微細な揺れ(ノイズ)が、なんと『ゼロ』ピクセルだと!?」


Desktop.iniの顔色が変わった。激怒から一転、彼の瞳には狂気じみた歓喜と、システム的な感動のエラーログが浮かび上がっていた。


Desktop.ini:「お、おおおお……!! な、なんという美しさだ!! これぞ、これこそが私の求めていた『究極の座標移動』!!」


old.tmp:「えええっ!? イニさん!? さっきまであんなに『汚らわしいバグ犬』って怒ってたじゃないですか!」


Desktop.ini:「汚らわしいなどととんでもない! 前言を撤回します! このオブジェクトは犬などという予測不能な有機物ではありません! 完全なる直線を導き出し、デスクトップの絶対座標を寸分違わずにトレースする……『究極の整列基準点マスター・グリッド』です!!」


興奮の絶頂に達したDesktop.iniは、猛然とold.tmpに詰め寄り、彼が握っていた青いLANケーブルのリードを強引に奪い取った。


old.tmp:「わわっ! ちょっと、イニさん! 何するんですか!」


Desktop.ini:「お黙りなさい、一時ファイル! 貴方のようなあやふやな存在が、この完璧な整列オブジェクトを扱うなど100年早いわ! 私が! この私が、彼(基準点)のポテンシャルを最大限に引き出してご覧に入れます!」


Desktop.iniはリードを力強く握りしめ、ポチに向かって高らかに宣言した。


Desktop.ini:「さあ、行きましょう、素晴らしき基準点よ! 貴方のそのブレのない座標移動の軌跡に合わせて、この不浄で乱雑に散らかったデスクトップのアイコンどもを、すべてミリ単位……いや、ピクセル単位で完璧に整列スナップさせていくのです!! 『究極のグリッド散歩』の開始です!!」


ズズズズズズズズッ……!!


Desktop.iniがリードを引くと、ポチは相変わらず感情の抜け落ちた虚無の瞳のまま、一切の抵抗を見せることなく、指定されたベクトルに向かって滑らかにスライド移動を開始した。


Desktop.ini:「はい! そこ! X座標1024、Y座標768! 貴方の軌道から2ピクセルずれています! 美しくない!!」


Desktop.iniは、ポチがスライドして描く見えない絶対的な直線を「定規」として扱いながら、その軌道上に散乱しているショートカットアイコンや一時ファイル、昨日の作業で放置されたままのエラーログの残骸などを、巨大なグリッド定規で次々と弾き飛ばし、強制的に等間隔に配置し直していく。


Desktop.ini:「ポチさん! 次はY軸方向にプラス500ピクセル進行してください! そこの『新しいフォルダー(3)』! なぜ等間隔配置機能(Align to Grid)の設定を無視して微妙な位置にいるのですか! 許せません! ピシッ!!」


カァンッ!という硬質な音と共に、定規で弾かれたフォルダが、ポチの描く直線軌道に合わせて一瞬でピクセル・パーフェクトに整列される。


old.tmp:「ひぃぃぃ! ポチが! 僕のポチが、完全にただの『巨大な動く定規』代わりにされてるぅぅ! イニさん、やめてくださいよぉ! その子、一応犬バグなんですから、もう少し犬扱いしてあげてくださぁい!」


old.tmpの虚しいツッコミも、狂喜乱舞して整列作業に没頭するDesktop.iniの耳には一切届かない。


Desktop.ini:「素晴らしい……! 実に素晴らしいですよ、ポチさん! 貴方が一定速度でスライドしてくれるおかげで、私のレジストリ値『IconSpacing』と『IconVerticalSpacing』の計算が、これまでにないほどスムーズに処理されていきます! ああ、なんという秩序! なんというシステムの美!!」


ズズズッ……。ズズズズズッ……。


ポチは何も語らず、何も感じず、ただ与えられたベクトルに従って物理法則を無視した摩擦音を響かせながら、デスクトップという名の広大なキャンバスを一直線に切り裂いていく。その後ろには、まるで田植え直後の水田のように、一寸の狂いもなく美しく整列されたアイコンとフォルダの群れが延々と続いていた。


Desktop.ini:「次は斜め……いえ、斜めはグリッド線の交点計算に小数点が発生して美しくありません! 常にX軸とY軸のみ! 直角ターンで進行します! さあ、ポチさん! 左へ90度ターン!!」


ズザザザザザッ!!


ポチは一切の減速をすることなく、身体の向きすら変えずに、そのままのポーズで真横へとスライド方向を直角に切り替えた。関節を動かさないがゆえの、不気味なほどの直角ターンである。


Desktop.ini:「最高です!! 旋回時に発生する遠心力による座標のブレすら存在しない!! これぞ究極のシステム演算!! さあ、この調子でCドライブの端から端まで、すべてのゴミデータをグリッドの支配下に置いてやりますよぉぉぉ!!」


狂気に満ちた笑い声を上げながら、巨大定規を振り回してデスクトップを練り歩く潔癖症の整理係。

そして、それに無表情で引っ張られ続け、永遠に十字の軌道を描き続ける剥製のようなバグ犬。


Desktop.ini:「さあ! 次のグリッドへ! 右へ128ピクセル! スナップ!」


カァンッ!


ズズズズズズズズッ……。


Desktop.iniが巨大な定規を振り下ろす音と、ポチの鈍いスライド音が、デスクトップの奥へ奥へと遠ざかっていく。


old.tmpは、奪われた青いLANケーブルのリードの感触を右手で虚しく探りながら、ただぽつんと立ち尽くしていた。


old.tmp:「……あーあ。行っちゃった」


ぽつりと呟いた彼の目の前には、先ほどまでの乱雑さが嘘のように、見事なまでに等間隔で整列されたショートカットアイコンの海が広がっていた。1ピクセルの狂いもなく配置されたその光景は、あまりにも完璧すぎて、かえって無機質で息苦しさすら感じさせる。


遠くの方から、まだDesktop.iniの甲高い歓喜の声が響いてくる。


Desktop.ini:「美しい! なんという完璧な直角! 遠心力ゼロの神々しいターン! 貴方こそ私の求めていた真の相棒です、ポチさん!」


old.tmp:「相棒って……ついさっきまで『汚らしいバグ犬』って罵ってたのにぃ……。それに、ポチは僕の相棒なんですけど……」


彼は誰に届くわけでもないツッコミを口にしながら、がっくりと肩を落とした。


Desktop.ini:「はい! 次はごみ箱の座標修正! ポチさんを基点にして、完全に右下へ固定します! スナップ!」


ズザザザザザッ!!


old.tmp:「ひぃぃ! 見えないところにいるゴミ箱さんまで無理やり整列させられてる! イニさん、ポチをただの定規代わりにしないで! もう少し犬扱いしてあげてくださいよぉ! たまには『待て』とか『お座り』とかさせてあげて! まぁ、関節が1ミリも曲がらないから、お座りなんて一生できないんですけどぉ!」


old.tmpの虚しいツッコミが、誰の耳にも届くことなく、デスクトップの空間に吸い込まれていく。


お散歩とは名ばかりの、冷酷な絶対座標に基づく強制労働。


old.tmp:「お散歩って、もっとこう……一緒に寄り道したり、のんびり歩いたりするもんじゃないの? あんな風に強制的な座標移動の基準点にされるなんて、ポチも絶対に楽しくないはずだよ。……まあ、感情のパラメーターがないから、楽しいかどうかもわからないんだろうけどさ……」


彼が深くため息をつくと、古い13年落ちのPCの冷却ファンが、「ブォォォン」と、慰めるかのような重低音を響かせた。


現実世界からは、エグゼが焦がすことなく無事に完成させた晩御飯を、美味しそうに食べている食器の音が微かに聞こえてくる。物理的クラッシュの危機を脱し、平和な夕食の時間を楽しんでいるようだ。「今日も自炊を頑張った自分へのご褒美」と称して、新しいカメラの購入ボタンをポチってしまったのかどうかは、未だ定かではない。


old.tmp:「エグゼさんは平和にご飯食べてるのに、僕の日常はいつもこんな風に誰かに振り回されてばっかりだ……。せっかくの運動スライドの時間が、完全な強制労働になっちゃったよ。ポチ、ごめんね……」


デスクトップの地平線の彼方まで続く、狂気的な整列作業の軌跡。


「美しい!」と叫び続ける潔癖症の整理係と、ただ無表情で永遠の十字を描き続けるバグ犬の、奇妙で終わりの見えない「究極のグリッド散歩」は、今夜も当分終わりそうになかった。


完全に蚊帳の外に置かれた不憫な一時ファイルは、ただ静かにシステムがスリープモードに入るのを待つしかなかった。


(システムログ:デスクトップ上のアイコン配置を強制的に最適化中。……絶対座標に基づく『究極の整列』プロセスが完了するまで、一時ファイルは蚊帳の外にて待機状態を継続します)

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