6-5 信濃 倉見城付近2
神妙な顔をして参拝をして、柏手を打つ。
神社の敷地内での雨宿りは丁重にお断りされてしまったが、まあそれはいい。
けっこうしっかり目に武運を祈り、二千人弱の人員全員に「折角だからお参りしておいでよ」と勧めておいたから、一晩中諏訪神社は大忙しだろう。
近隣の村人たちが「熱心な参拝客」に軒先を貸してくれたので、孫九郎はじめ子供組と、天野殿や二木ら上の方の面々が濡れた身体を拭く時間は取れた。
「来ますか」
天野殿の独白じみた呟きに、「来るでしょう」と二木。
天野殿は、鎧兜さえなければ農夫が明日の天気の話でもしているかのような表情で、雨模様の夕暮れ空を見上げた。
「夜半でしょうな」
「真似したがりは困ります」
のんびり天野殿に対して二木は、どこか苛立った口調だ。
信濃に古くからの統治形態がそのまま残っているということは、つまり長年同じ顔触れでやってきたということで、基本的に余所者は排斥しようという風潮にある。
二木による佐久衆への調略が思ったように進まなかった理由は、おそらくそのあたりにあるのだろう。
だからといって、乱取り上等の武田を本心から許容したいわけではないだろうし、遠隔地にある今川の大軍に喧嘩を売る旨味はないとも考えているはずだ。
あとは……武田が撤退した後だな。
連中をどういう扱いにするかは、今夜の戦況にかかっている。
二木以外はのんびりくつろいでいる大人組に対して、子供組はそわそわしていた。
戦が始まると聞いて、落ち着かないのだろう。
負けることを心配しているわけではないだろうが、流血を伴う本物の戦いになるのは確かだ。浮足立つ気持ちになるのはわかる。
だがな幸松。大将はたとえカラ元気であろうとも、落ち着いた顔をしていなければならない。
総大将の顔色を見て、兵たちは戦うのだ。
……まあ、偉そうなことを言えるほど、孫九郎とて実戦向きではないのだが。
「父上のほうもそろそろだろう」
孫九郎が濡れた手ぬぐいを絞りながらそう言うと、幸松がはっと反応した。
どうにもぎくしゃくとした感じが抜けない親子だが、少なくとも幸松が父を大いにリスペクトしているのは伝わってくる。
そんな弟の表情を見て、孫九郎は軽い笑みを返した。
「……そろそろ支度を」
「はいっ」
幸松が胸を張って返事をする。
今回も、この子の役割は総大将だ。
次々に運び込まれる葛籠を開けて、小姓や側付きたちの手によって幸松の身体に重い鎧が装着される。
小柄な大人と同じぐらいのサイズの立派な造りで、装飾過多なぶんきっともの凄く重い。
実は孫九郎は、小具足以上の鎧兜を着て戦に出た事がない。今川家総大将として出陣する事態が、この二年なかった為だ。
幸松は時折、申し訳なさそうにこちらを見てくるが、全く問題なかった。
むしろ、見栄えがする幸松が総大将をやってくれて助かったぐらいに思っている。
だって……本当にマジで、押しつぶされそうなほど重いのだ。何の拷問かと思うほどに。
できるなら着たくないとは口に出しては言えないが、それが本音だ。
まだ真新しい、金物の部分もキラキラと磨き上げられた鎧を身にまとい、幸松がゆっくりと床几に腰を下ろす。
うん、よく似合っている。
きっと父に似て大きくなるだろうから、すぐにサイズアウトするだろうな。
この時代にカメラがないのが本当に残念だ。
「今回はおそらく夜襲だ。故に近くまで敵が来ることもあるだろう」
兜で若干見えづらくなった幸松の顔が、孫九郎の方を見て「はい!」と声を張る。
「矢が届こうが、槍先が側まで迫ろうが、まわりの者を信じて動じるな」
「はいっ」
幸松の気合の入った返答に、孫九郎もまた頷き返した。
それから数時間。孫九郎にとっては毎度の、幸松にとってはおそらく実際よりも長く感じる待機が続いた。
雨が一番ひどかったときには皆が揃っていたが、すでにまたそれぞれの配置についていて、建屋の中に残っているのは子供組と数名の大人だけだ。
「来たようです」
土井がそう言ってもしばらくは、何事もなく雨音だけが続いた。
シトシトと雨が降り続ける静かな夜だ。風もあまりない。
来たといっても結局どこから? そう悠長に思えたのは、この周辺を見張っている忍び衆や、レンジら山の民の目を信じているからだ。
しばらくして、本陣にしている庄屋の家に逢坂が足早に入って来た。
完全装備の鎧兜姿なのに、動きがきびきびしていて年齢を感じさせない。
もういい加減年なんだから、最前線を動き回るのはやめてほしい。顔を見るたびにそう思うが、孫九郎よりも体力気力ともにはるか上だから何も言えない。
「……どこからだ」
孫九郎が問うと、逢坂はもう一度軽く頭を下げた。
幸松が座る床几の前には卓があって、このあたりの地図が広げられている。
地図といっても、尾根の位置や寺や神社、雨でも見えるほど近くにある城、この集落の場所など、おおよその位置関係が簡単に描いてあるだけのものだ。
逢坂の、赤い手甲がついた手が、すっと一点を指さした。
「予想通り、山からです」
誰かが「ふっ」と鼻で笑った。逢坂に睨まれても気にしない谷だ。
まあ、気持ちはわかる。
「兵数はおおよそ二千五百。総攻撃で奇襲をかけるつもりのようです」
二千五百という数に、子供たちが息を飲む。小荷駄隊を含めた今川軍の総勢よりもはるかに多い。
だが、予想の範囲内だ。
「食いついたな」
孫九郎は真顔でそう言って、逢坂が指し示す場所に丸い石を置いた。
主力は芦田。武田殿は後方とのことだ。
土地勘がある自領の山だろうに、周辺に今川軍の伏兵がわんさといることに気づいていないのだろうか。
むしろ平地の正面から来たほうが、数の利を生かせて有利だったのに。
「では、こちらも動こう。予定通りに」
「はっ」
逢坂がその場で片膝を折り、頭を下げた。真っ赤な鎧が、ガシャリと硬質な音を立てる。
足早に去っていくその背中を見送りながら、もう何度目かになる戦場の空気に、深呼吸して息を整えた。




