1-3 駿河 今川館3
父からの書簡を一読し、思わず顔を渋くした。
内容を知りたがっているだろう逢坂に、読んだ書簡を広げたまま渡す。
父の気質をそのまま表した豪快な筆跡で書かれていたのは、甲斐戦線からしばらく引きたいという願い出だ。退きたいと言っても軍全体を引くわけではなく、渋沢らは残るので、つまり父とその周辺の数名の事のようだ。
春の侵攻が一段落つき、梅雨の時季と真夏は避けるだろうから、おそらく秋まで大きな侵攻はないだろう。
露骨に秋の収穫を狙った侵攻は、毎年大きなものになる。それまでには戻ると父は言っているが……いやいやいや。
「また信濃で暴れる気ではないでしょうな」
孫九郎が思った事そのままを、逢坂が口にする。
「そんなことはない」とは誰も言わない。
「殿が直接出向かねばならないほどというのは、よほど源九郎様の周辺が不穏なのでしょうか」
「いえ、違います」
藤次郎の不安そうな言葉に続いて、大人たちのやり取りをじっと聞いていた幸松がはっきりとした口調で言った。
「双子の顔を見に行くのだそうです」
それがそもそも不安なのだが、素直な幸松は父の言葉のそのままを受け取っているようだ。
孫九郎の脳裏に浮かぶのは、髭もじゃと頭つるつるの双子の叔父の姿だ。
頼もしい二人は、父の実弟として、福島家を長く支えてくれていた。
海野の嫡男にと望まれるのなら、悪くはない話だ。ただし、そうではない方。嫡男として選ばれなかった方はどういう扱いになる?
かつての叔父たちのように育てられるのならいいが、そうでないのなら……。
「問題がありそうなら、川久保か柳原の養子にする気かもしれんな」
下手な育ち方をして、兵庫介叔父や庶子兄亀千代のようになっては可哀そうすぎる。
「取り急ぎ、祝いの品を揃えさせます。日向屋の佐吉に任せても?」
孫九郎は奥平の言葉に頷いた。
思い出していたのは、かつての高天神城での自身の幼少期だ。
中のひとがいない状態のまま生き延びたとして、まともな人間に育っていただろうか。
もちろん不幸な育ちをしたからと言って、悪い人間になるとは限らない。ハングリー精神が旺盛で、負けん気が強い人間になっていた可能性も大いにある。だがしかし……
「……子供は大切にされて育つべきだ」
孫九郎の噛みしめるような言葉に、事情を知る者たちが神妙な顔をして頭を下げる。
「幸松は書簡の返事を持って掛川へ行くのか?」
孫九郎が問うと、幸松は嬉しそうに笑った。
「はい!」
まだ髭が生える気配など微塵もない、そのつるりとした赤い頬を見ながら、孫九郎は頷いた。
「ではともに参ろう。祝いの品が揃うまで待て」
子供の二年というのは大きい。
二年前まではあれほど馬酔いし、掛川に到着するまでにグロッキーになっていたのに、最近では随分と移動が楽になった。
楽になったというよりも、慣れてきたというべきか。
この時代の武士に生まれて、馬に乗れないというのは大問題なので、逢坂から徹底的な特訓を受けた。
おかげでかなり馬に慣れてきた。……上達したとは言わないが。
逢坂家に行くと、幸松よりも幼い子供が軽々と馬を操っている。あのレベルにもまだ達していないのだから、上手いとは言えない。
ただ、掛川までなら人並みの速度で行けるようになった。
二年前はタンデムで、しかもグロッキーだったことを思えば、随分な進歩だと思う。
孫九郎は、苦言を呈しそうなふたりに軽く手を振った。
奥平は口を噤み、おそらくは頭の中で護衛の算段をしているのだろう。逢坂のほうは、今にも小言を言いそうな顔だ。
「ずっと文机の前に座っていると根が生えそうだ。たまにはよかろう」
こちとらお子様だぞ。まだ十歳そこそこの子供に、文仕事ばかりやらせておくなんて可哀そうじゃないか。
まあ、急ぎの要件がないというのはある。
国境が比較的落ち着いているというのもある。
このあたりで少し気晴らしをしてもいいだろう。
「お勝殿の出番ですね!」
「幸松様!」
ものすごく楽しそうな幸松を、逢坂が大声で窘める。
その怒声にもびくともしないあたり、肝が据わっているというか、めげないというか。
孫九郎は苦笑した。
「またですか」
数日お忍びで出かけるというと、護衛部隊の谷が呆れたように言った。
勝千代から孫九郎になっても、引き続き仕えてくれる福島家系列の家臣は態度が変わらない。新たな家臣たちが不敬だと憤るほどの態度を取る時もある。
だが別にへりくだってほしいわけではない。不遜な口だろうが、ちゃんと仕事をしてくれると知っている。
「掛川に行く」
「はあ」
谷はたいして興味なさそうに言った。
「明後日だ」
「……また『お勝殿』ですか? やめてほしいんですけど」
「孫九郎として動くと予算がかさむ」
「今川家御当主が何言ってんですか」
孫九郎の言い訳を、谷は鼻で笑った。
……本当の事だぞ。
今川家当主として動けば、供回りの者も大勢必要になる。それにかかる費用というのがまた馬鹿にならない。
そんな見栄だけの為に金を使うなら、今建設作業中の富士川の堤の費用に充てたい。
……多少は、準備などに日数がかかりすぎるという、せっかちには大問題の事情もあるが。
「まあ、護衛の方はお任せください」
谷はそれ以上深く聞いてこず、軽く数回頷いて了承した。
この男のこういうところが気楽でいい。だが今はそれよりも……
「ところで其の方、今日は何を食っている」
孫九郎がそう言うと、谷はさっと広げていた包みを懐にしまった。
この男の休憩時刻を狙って、護衛の詰め所にわざわざ出向いたのは、これがあるからだ。
最近、谷に菓子の差し入れをしている女中がいるらしい。
いや別に、谷が誰とどういう付き合いをしようが、ニヤニヤするだけでいっこうにかまわないのだが、その差し入れというのが問題だ。
「なんでもないです」
「甘味だろう」
「なんでもないです」
「一個だけ」
「嫌です」
本人曰く、毒見もできていないからだそうだが、その頬に詰まっているのは何だ。
なおもじーっと見ていると、諦めた様にため息をつかれた。
「逢坂様には内緒ですよ」
「うん」
こそこそと差し出されたのは、小さな丸いアラレのようなものだ。
ただし甘い。うっすらと甘い味でコーティングされていて、この時代にしてはなかなかの甘味だ。
孫九郎の差し出した手に、コロンといくつか乗せてくれた。
あとで幸松にも分けてあげよう。
孫九郎はもらったものを懐紙に包み、懐にねじ込んだ。
うっすらアイシングされた雛アラレのイメージ
かりんとう的な? ちょっと違うかな。
戦国時代に作れそうな甘味について考えてみました
実在したかどうかはわかりません




