序-3:ミーシャ
バシャア!
突然、体に水がかかったようで、眠気が一気に吹き飛ぶ。
そうだ、体は……動く!
思いっきり伸びをして、腕(のような体の一部)をぐるぐる回す。
思ったよりこの体、自由に動くようだ。
そう考えていたその時、腕を何かに挟まれた。そして、
(ねえキミ、面白いねぇ)
何かが聞こえた。でも、不思議だ、流れる水の音ですら聞こえないのに、どうしてこの声は聞こえるんだろう?
幻聴か?
(キミ、どこから来たんだぁい? 朝はいなかったのにこんなに大きくなるなんてぇ、普通の子じゃないでしょぅ?)
訂正。幻聴ではないようだ。
とは言っても、どう返したもんだか。喋れないし。
とりあえず、返事代わりに腕を出してぴょこぴょこさせてみる。
(うぅん、聞こえてはいる、のかなぁ? 丸描いてみてぇ?)
言われた通りに、空に丸を描いてみる。
うまく描けているかは、わからないけど。
(おぉ、言葉も理解できてるぅ! でも喋れないのぉ?)
そう! と、叫びたかったけれども、できないので激しく腕を動かしてみる。
これで伝わってくれればいいんだけど。
(うんうん、喋れないんだねぇ。でもねぇ……聞こえてるよぉ。今の「そう!」ってのもねぇ)
聞こえてるんかい! と、心で突っ込みを入れつつ、どう返事をしたものかと考え……あ。
(もしかして、今のも聞こえてました?)
(うん、ばっちりきこえてるよぉ。それでキミ。どこから来たんだぁい?)
どこから、か。でも、胞子であったあの場所なんて、名前は知らない。
というか、そもそもここはどこなんだ。
(わかりません。気づいたらここにいて)
(「気づいたらここに」ねぇ。じゃあ、ここがどこだかわかるかぁい?)
(わかりません。そもそも、目も見えてないですし)
(うん? もしかして、キミ、いや……。うん、キミは何て呼ばれていたのかなぁ?)
(呼ばれていた、とは?)
(あぁ、そっか。先にボクのことから話そうかぁ。ボクは、ミーシャ・ムィチェンスク・チェルニーヒウ・ルーシ。みんなからは、ミーシャ・ムィチェンスクとかぁ、単にミーシャとかねぇ)
あぁ、名前を聞いていたのか。何ならそう言ってくれればいいのに。
(あ、そういうことですか。私は、聡。石神井聡)
(やっぱりかぁ! いつまでもキミじゃあなんだし、キミにこの世界での名前をあげよう!)
(この世界での名前? それって、どういう……)
(サトル、サトル……うん、キミは、サーシャだぁ!)
私の疑問も届かぬうちに、声の主――ミーシャが高らかに宣言した。そして。
突然、脳裏に声が響いた。
ミーシャのそれとは違う、無機質な声だ。
【アカシック・セカンドが、情報を再構築します。
当該個体のアストラルにアクセスしています……解析しています。】
(ふふふ、驚いているようだねぇ。聞こえるでしょぅ、大霊樹様の声がぁ!)
ミーシャ曰く、大霊樹様とは、この世界全ての情報を管理する、神聖なる霊樹のことらしい。
真理のことも当然情報を持っていそうだから、直接会いに行ければいいな、と思ったけれども、今はそもそもの接触自体が不可能らしい。
というのも、その本体はかつてはカチュアの森――今いる森のことだ――の最奥部にあったらしいが、既に朽ち果て、今はそこにはいないとのこと。
じゃあどうやってこの声を響かせているのかとも思ったが、こうやって私たちに語り掛けてくる時点でそういった議論が意味をなさない存在なのだろう。
【解析が完了しました。情報を、再構築します。
個体名:サーシャ・タカトオ・ナガノ・ニホン……登録されました。
ようこそ、世界へ】
(あの、ミーシャさん)
(ミーシャでいいよぉ。それでなぁに、サーシャ?)
(いや、そのサーシャってのは……)
(あぁ、どこから話そうかぁ。まずねぇ、他の世界から渡ってくる子たちのことを、世界を歩く者って言うんだよぉ。でもねぇ、どうもこの世界は、世界を歩く者達を異物とみなして消そうとしてくるんだよぉ。だからねぇ、消される前に大霊樹様にこの世界の存在だと認めてもらって、情報を再構築してもらわなきゃいけないんだよぉ)
ってことは、つまり……
(世界の、免疫?)
(そうそう。だからそのために、この世界での名前が必要なんだよぉ。ごめんねぇ、驚かせちゃってぇ。でも、これでサーシャ、キミもこの世界の一員だよぉ)
(でも、どうして私が世界を歩く者だと?)
(いやぁ、最後までわからなかったよぉ。でもねぇ、サーシャ。「見えてない」って言ったねぇ? でも丸を描けたんだよねぇ。つまりぃ、キミは丸がどういう形なのか知っているんだぁ。それにねぇ、「目も見えてない」っていってたけどねぇ。「見える」ってことがぁどういうことなのかぁ、そして、「目」が何なのかを知っていないとぉ、言えない言葉だよねぇ! だけれどもサーシャには目がないねぇ? つまり目のある存在からカビになった、そういうことだよねぇ?)
うわ、怖い。名探偵の前でポロっとボロを出してしまった犯人の心情が、今ならすごくよくわかるような気がする。
だって、これだけの情報から、私がカビに……カビに……カビ?
(あの、私って……カビなんですか?)
(うん、カビだよぉ)




