序-4:お願い
カビ。放っておいたら増えてる憎いやつ。なるほど、この体も耐久力はありそうだ。
現に今、落ち込んでいる私を、ミーシャがベリベリと私を岩肌からはがしているが、痛みは特に感じない……ってそうじゃないわ!
(まぁまぁ、サーシャ、そんなに落ち込まないでぇ。今はカビでもぉ、この先成長したらどうなるかわからないんだよぉ。ボクだってぇ、今じゃあ立派な樹妖精だけどぉ、この世界に来たときはどんぐりだったもぉん。手も足も出なかったよぉ)
それはあんまり慰めになってない気がする。でも、動けないのもそれはそれでいやだな。
私は動けただけマシ、なのかなぁ?
(まぁ、世界を歩く者が前の世界とは違う姿になるのは、よくあることだしねぇ。召喚されたんじゃない限り、世界を渡るときに肉体はついてこられないんだってぇ。そんな中で前の世界と同じ種になれたら、とぉっても運がいい人だよねぇ。ボクもねぇ、前の世界ではヒトっていう動物だったんだよぉ)
(え! 私も、ヒトだったんですよ! 気づいたら胞子だったけど……)
(そうなんだぁ、奇遇だねぇ。もしかしたら、同じ世界から来たのかもねぇ)
ところで。
さっき、さりげなく岩肌からはがされた。
と、いうことは、今私はミーシャに持たれているわけで。
で、空気の流れとかから、私は今移動していることがわかる。
(ミーシャ、私をどこへ連れて行くつもりで?)
(サーシャはこの世界のこと何も知らないし、行く宛ても帰る場所もないでしょぅ? 色々教えてあげようと思ったけどぉ、あそこじゃなんだからボクの家に案内するよぉ)
案内するって……。そこに私の意思がなかったらお持ち帰りというか、ただの拉致じゃ……
でもまぁ、いっか。行く宛ても帰る場所もこの世界にない、というのも事実だし。
道すがらにも、いくつか聞き逃したことも聞くことができた。
まず、ミーシャは自分のことを樹妖精だと言っていたが……どうも、この世界自体が、前の世界で言うファンタジーみたいなものらしい。
次に、この世界にも人間はいるということ。……なんだけど、どうも自らを人間と主張する種族が複数あるらしく、お互いを人間と認めたり認めなかったりでひどくギスギスしているようだ。
そして、サーシャという名前については、「サトルだから、サーシャだよぉ」と、軽くあしらわれてしまった。いまいち納得できない名づけだ。そもそも、サーシャってなんか女の子っぽい。まぁ、そもそも私に性別ってあるのか? カビは植物じゃない気がするけど、植物だとしたらイチョウでもなければ雌雄同体だし。……あれ、だとすると楢のミーシャは……うん、性別については深く考えない様にしよう。
最後にもう一つ。この世界での名前を与えられなかった時の最期。名前を与えられずに五十日程度――詳しい時間はよくわかっていないらしい――が過ぎると、魂の崩壊、と呼ばれる現象が起きるらしい。文字通り、世界からの圧力に魂が耐えられなくなって、崩壊してしまうのだという。しかも、崩壊した後の世界を歩く者の体には、新しくこの世界の魂が入るため、見かけ上は何も変化がないのだとか。
自分がそうならずに済んだことを、ミーシャに強く感謝しつつ……私の心配事が、もう一つ増えた。
(そうそう。それでねぇ……実は、サーシャ、キミに頼みたいことがあるんだぁ)
(頼みたいこと?)
急に、どうしたんだろう?
いや、そうか――私に頼みたいことがあるから家に連れてきた、そういうことだろう。
でも……私の魂を助けてくれたんだ。だから、お願いを聞くことで、その恩返しができるなら。
(あのね、サーシャ。ボクはねぇ、この森の外に出られない、そういう体なんだぁ。カチュアの森も悪い場所じゃぁない。むしろ、とぉっても素敵な場所だよぉ。だけどねぇ、長く生きてると、だんだん退屈になっちゃうんだよぉ。だから、キミが代わりにこの世界を旅してきて、それで時々帰ってきて、見聞きしたことをボクに話してくれたらうれしいなぁ、って)
退屈、か。確かに、退屈、というのは痛みよりも苦痛な毒だろう。
ミーシャの退屈を紛らわすこと、そのために旅に出ること。それら自体は問題ではない。
……そもそも、真理の情報をつかむには旅に出るほかないのである。でも。
(ごめんなさい。目も見えないし耳も聞こえない私じゃ、旅に出ても何も見聞きできないですから……)
(あはは、そうだったねぇ、サーシャは。じゃあねぇ、誰でも光を感知できる簡単な方法があるんだけどぉ、魔納ってわかるぅ?)
(いや、わからないです)
(うん、マナっていうのはぁ、この世界にあるちーっちゃい粒でねぇ、これがいっぱい集まると、不思議な動きをするんだけど、この粒ねぇ、どうも力をため込む性質があるんだぁ。ボク達はその力を、魔力って呼んでるのぉ。まずねぇ、魔力の流れを感じられないとお話にならないからぁ、今からサーシャの体に魔力を流すよぉ)
魔力? という疑問を持っている間に、ミーシャは私を持ち上げた。
ミーシャがそういうと、体の下から上に向かって何かが流れるような感触がした。
すると体が少しずつ、少しずつではあるが……重力に逆らって、上に引っ張られていく。
どこかくすぐったいような、それでいて心地いい、そんな感じの流れだ。
(どこかで、感じたことがある、ような……)
(お? 魔力の流れが、わかるかぁい? じゃあ、次にマナについて話そうかぁ。マナは、魔力をため込んでいる状態と、ため込んでいない状態があってぇ、後者を特に空マナって言うんだけどぉ、この空マナ、もう魔力がないはずなのにぃ、光が当たると当たった方向に魔力を流す性質があるんだよぉ! 後は、言いたいことはわかるねぇ?)
(空マナを並べて、魔力が流れたら、そっちから光が来ていることがわかるから、そこから推測しろ、と)
……なるほど、論理はわかった。でもさぁ、これ、めちゃくちゃ難しいよね?
自分で答えといて、その魔力の流れを感知したところでそれがどう視覚に結び付くのかがよくわからないけれど。
補遺:サーシャの性別
サーシャの性別ですが、断言しておくと男でも女でもありません。
そもそも、元にした生物の場合はmatA・matBの少なくとも2種類の遺伝子が、両方とも異なっている場合のみ子孫を残せるのですが、この二つの遺伝子、今のところどちらも15種類は見つかっています。つまり、性別という概念に直せば225以上! これだから生物学は面白いんですけどね。




