番外編 お兄ちゃんの憂鬱
ユージーン視点。
でも一番の苦労人は……?
ナタリアが鼻歌交じりで姉さんとエルとの「女子会」と称するお泊りをすると言っていた日、俺は最初から嫌な予感がしていた。
ちょうど父さんに相談事があり、アッシュリートン領の城に寄った頃、フレデリック殿下からの緊急の呼び出しを受け、「あぁ終わった」と思った。
以前と違ってしがらみも増えたこの立場では、この国の一貴族としても、一領土の領主候補生としても、殿下からの呼び出しを断ることなどできるはずもない。
ナタリアに伝達魔法で殿下に呼び出されたことを伝えてから諦めの気持ちと共に屋敷を出た。
「ユージーン・ハットレルです。フレデリック殿下からの呼び出しにより馳せ参じました」
自分の名前を名乗って、魔術によって速達で届けられた王家からと分かる紋章入りの招待状を近衛に手渡すと、そう面倒な手続きもなくすぐに王城の殿下の私室に案内された。
くそっ、こんな仰々しい王家紋章入りの招待状さえなければ気づかなかったふりをして――無理か、無理だよな。
「お、主役が来たな」
どうあがいたって逃げることのできない強制力を持った招待をされてはどうしようもない。それでも、愉快気な殿下の声と共に案内された先にいた面々を見た途端、俺は心のままに踵を返したくなった。
「おい、殿下から呼ばれてどうして後ろを向こうとするんだ」
「……失礼いたしました。つい心のままに身体が動きまして」
「その言い回し、誰かを彷彿とさせる。気に食わないな」
「まぁまぁ、キール。身元も分かっている客人をそんなところで止めるものじゃない」
「……承知しております、イアン様」
苦々しい顔で俺を睨みながら肩を掴んで俺を引き留めたのは、殿下付きの新しい宮廷魔術師となったキール・クロフティン殿。初っ端からけんか腰のクロフティン殿を止めたのが、殿下付きの護衛のイアン・ジェフィールド殿。部屋の奥では、俺を呼んだ主であるフレデリック殿下が悠々とソファに深く腰掛け、その近くには、同情と憐憫を感じさせるまなざしを俺に向けてから、周囲から見えない程度に小さく手を上げて合図して見せたヨンサム・セネットが立っている――と、くれば、当然――
「僕の敬愛するお義兄様は僕たちと酒を酌み交わすのは嫌みたいだね、悲しいなぁ」
ソファの背もたれ越しにこちらを覗いてもっともらしく残念そうな表情をして見せたのは、俺が一番、可能な限り、会いたくなかった男だ。
あぁ、うざってぇ。全力で煽りに来やがった。
なるべくそちらを見ないようにし、苛立ちを押し込めてから俺は殿下の前で膝をつき、臣下の礼を取って挨拶をする。
「殿下からお呼び出しを受けたため、馳せ参じました。遅参いたしましたこと、心からお詫び申し上げます」
「構わん。急に呼んだのはこちらだ。それに今日は無礼講だからな」
上機嫌な殿下は、手に持ったウイスキーと思われる琥珀色の液体の入ったグラスを軽く揺らして見せた。
「お言葉に甘えまして僭越ながら伺いますが、本日はどのようなご用向きで私めを呼ばれたのでしょうか」
「今日はあれだ。気兼ねなく男だけで飲むのはどうかと思ってな。巷では何と言ったか。ヨンサム、説明してくれるか」
「はい。えーっと、いわゆる、というほど浸透しているかは分かりませんが、男子会?なるものを開催されたい、そうです」
巷も何も旅をしていた俺すらそんなもの聞いたことねぇよ。
「左様でございますか。ところで殿下、どうして私め如きをこのような気の置けない仲間内での会に呼ばれたのでしょう?」
そんなに仲良くねぇぞ。という意味を込めて尋ねると、殿下は何が楽しいのか、くくっと喉の奥で笑ってから答えた。
「なに。内輪で酒でも酌み交わせば義家族の仲も良くなるのではないかと思ってな」
「生憎、殿下がご心配されるほどのことはございません」
「そう?」
ルビー色の瞳が面白そうに輝き、俺を見た。口元の笑みが完全に面白がっていやがるなこの野郎。
「僕がエルといると殺意のこもった目で見てくれるから、てっきり僕ともっと個人的に話したいのかなと思って」
「個人的に、ということでございましたら、お付き合いいたしますよ。幸いお互いの領地の距離もそう遠くないですし」
わざわざ遠い王城に来させて殿下を巻き込むんじゃねぇ、という気持ちを込めるが、分かっているだろうにあえて無視した男は続ける。
「僕にとってもものすごく不本意だけど、フレディも、一応、義兄ってことになるし、末っ子になる僕としては、一度くらい家族団らんの機会があってもいいかなとも思ったんだよね」
「私としては十分家族団らんはできていると思っております。家族とは、ですけれども」
「僕も家族になるんだけどなぁ」
「そうですね、記録上は」
面白がってしかいない目の前の天使面の男に頭の血管がブチ切れそうになりながら、それでもどうにかこうにか社交用の笑顔を崩さずに答えると、まぁまぁと殿下が仲裁に入ってきた。
「まぁそう言ってやるな。君がグレンに苦手意識を持つのは分かるが、妃も君とグレンとの仲を心配していてな。可愛い新妻の頼みを聞かないわけにはいかないだろう?それで今日こうして来てもらったというわけだ」
「ま、妃殿下がエルたちを呼び出してて、女子会?とやらをしているせいで、仲間に入れない殿下が暇っていうのがここにいる人間が巻き込まれた理由の8割だけどね」
「つまり暇つぶしということだ。そう固くなるな」
殿下がここまで出しゃばってくるのはなんでだろうかと思ったけど姉さんのせいか!姉さん、いらない!その気遣い全くいらない!
「ちなみにエルは、『あの二人は水と油だから放置でいいんじゃないですか』とこないだ雑に呟いていたんだが、ヨンサムは何か聞いているか?」
「いえ、同じ話しか聞いておりません」
殿下から少し離れたところで遠い目をした騎士たちが呟いているのが聞こえてしまう。同時に殿下付きの宮廷魔術師は深い深いため息をついた。
おい。エル、そう思ってるなら自分の夫の手綱くらい握っておけよ頼むから!
「まぁそういうわけだから今日は付き合ってくれ」
どういうわけだか分からないが、権力者に逆らえるわけもなく、俺は、苦痛と不安しかない男子会とやらに強制参加させられることになった。
「酒はイケる口なんだな」
近寄ってきたイアン様が、俺に気遣ったのか、何気なく話を振ってきた。
「たしなむ程度です」
「あ、ユージーンは強いですよ。エルが自分より強いって言ってましたから」
俺に会話を振られても、この面々の中で俺は気兼ねなく話ができる立場にはないから世間話程度に答え、ヨンサムが補足した。空気は固めだ。
せめてヨシュアがいてくれたらもう少し違った雰囲気になるだろうに。あいつは空気を読むのも話を繋げるのも上手い。
酒だけが進む当初のあまりの味気無さを見るに見かねた殿下から、ある程度くだけてもいいから会話を繋げるようにと無茶な命令を受けたヨンサムが、目を泳がせながら笑顔で話し始める。
よく考えたらこいつ、いつも不憫な役回りだよな。
「そ、そういえば、妃殿下がまだこういう立場になられる前のことですけど、学園の男どもの中で結構話題だったんですよね~、妃殿下。深窓の美姫だって――」
「ヨンサム、メグを狙っていたのはどこのどいつだ、教えろ、今すぐにだ」
「フレディ、落ち着け、昔の話だ。男が深窓の美姫に妄想するなんてよくある話だろうが」
「うわぁ、僕感動したよ。あのイアンが女性について語れるようになったんだね?おめでとう、今日は祝い飯かな?」
「ふん、どこかの誰かが色々耐性をつけてくれたおかげでな」
「昔だろうがメグのあの美しさと可憐さは人を惑わせるんだ!トチ狂ったやつがこの立場に置いてもなおメグに何かしようとしないとは限らない。芽は早く潰すに限る。グレン、その気を失せさせる程度に叩きつぶすネタくらいすぐに用意できるだろう?」
「当たり前でしょ。僕を誰だと思ってるの?」
「グレン様、そこは止めていただかないと……。グレン様が仰ると冗談になりませんから」
「冗談じゃなければいいんだね。最近暇してたし――じゃあ、キール、そろそろぷちっとつぶした方が良さそうなやつの候補出して」
「はい、それでしたら――」
「ヨンサム、このままだとグレンの暇つぶしでどこかの貴族がつぶれるぞ。話題の選択を間違えるな」
「すみませんっ、イアン様!」
基本的には面白がっているとはいえこの場を唯一丸く収めることのできる最高権力者の男が唯一錯乱する話題を出すなんてヨンサム、血迷いすぎだろ。
俺が半眼のまま注いだワインを飲み干すとヨンサムは焦ったように話題を替えた。
「え、エルは――えーっと……エルも、ある意味、そういう目で見られてたな……男だと思われてたのにな……」
エルの夫になった男を窺いながらおそるおそるという感じで話すヨンサムに、男はにっこりと笑ってひらひらと片手を振った。
「大丈夫、大丈夫。とっくに全部駆除済みだから」
「駆除!?」
「そうですね、手元のメモだと、グレン様が何かしらの理由を付けていつの間にやら不祥事でいなくなった貴族男子のうち、6人が――」
「カウントしないでくださいよキール様!なんでそんなことご存知なんです?」
「なんだ、セネット。俺がグレン様のそのあたりの行動を知らないわけないだろう?」
俺の中で変態の狂信者との位置づけが確定しつつあるクロフティン殿が堂々と言った。正直、こいつにはあまり近寄りたくない。
途端、ヨンサムは、はっとしたように、駆除が趣味の男に縋りついた。
「お、俺、一応、学園ではエルと一番近かったと思うんですけど、俺もいつか駆除されるんですか!?俺、エルのことをそういう目で見たことはな――!ない、はずです!」
「……ちょっと目が揺らいだな?」
「いえ、エル本体であれば全くの潔白です。その、エルと同じ容姿の本当の女の子がいたらなぁなんて考えたことがむかーし一度くらいあった気がしますけど、それもエルとの会話の中で出てきただけで!」
「落ち着けヨンサム、錯乱するな。今となってはだが、エルは女だったわけだ」
「そそそそうですけど!」
イアン様の追及に錯乱しすぎた正直者ヨンサムからは悲壮感が漂う。
「誤解しないでください、グレン様。俺、あのエルがエルである限り、あいつを女としてはどう頑張っても見られません、本当です、信じてください……!」
「全面的に同意するが、その言い方だとあれを妻にしたグレン様を侮辱しているようにも聞こえるな……粛清対象にするか?」
「キール様も勘弁してください……」
必死に頑張った挙句空回って一人埋葬されそうになっているヨンサムを死刑執行人と目された当の本人は余裕の顔で眺めた。
「安心しなよ。僕、君のことはそういう対象に入れてないから。大体さ、一番エルの近くにいた君が本気でそういう目でエルを見ていたら、君はとっくにこの世からいなくなっていたと思わない?」
「グレン様……!」
ぱぁっと顔を明るくさせたヨンサムを、鬼畜ドS野郎は一息に地獄に叩き落とす。
「さっきの話を知る前は、だけど。うーん、やっぱりぎりぎりアウトにしておく?」
「………イアン様すみません。俺、ほぼ冤罪で死刑宣告されました。遺言だけは作っておきます」
「グレン、念のために言っておくが、俺の隊のやつに手を出すなよ?」
「やだなイアン。軽い冗談に決まってるでしょ?僕がヨンサム殿を抹消しようと思ったらもっと前にしてるよ」
ヨンサムが完全におもちゃにされたまま、飲み会は進んでいった。
どれくらい時間が経っただろうか。
俺が騒いでいる奴らを見ながら酒を飲み進めている間に、いつの間にか騎士二人が沈んでおり、クロフティン殿と殿下は騎士たちの快方に当たっていた。
ヨンサムの方はただ一人で一方的にいじめられて酒におぼれた挙句酔いつぶれたような感じだ。
この面々で騎士が一番酒に酔いつぶれてるって、それで護衛は大丈夫なのか?大いに疑問だ。
「ねぇ」
突然かけられた声に弾かれたように振り返れば、いつの間にか、俺が一番会いたくない相手と俺の二人だけになっている。
「……なんでしょう」
「まぁそう警戒しないでよ。僕、君に言っておきたいことがあったんだ。立って話すことでもないし、座れば?」
少し酔っているのか、軽く頬を染めたその男は椅子に座ってから俺にも座るように促した。
俺は少し迷ったものの、目の前の男にいつものふざけた気配がなかったので、勧められるがままに正面の椅子に座った。
ルビー色の瞳がまっすぐに俺に向けられる。
最初にこの男を見たときには警戒する手負いの獣のような目をしていたのに、いつの間にか眼光がずいぶん柔らかくなったな、と思う。
少しの沈黙の後、相手は言った。
「ありがとう、って、礼をね。君に言いたかったんだ」
「……は?」
空耳だろ、と動きを止めたが、酔った勢いなのかなんなのか、相手は特に否定も訂正もしない。それが薄気味悪くて思わず顔が歪む。
「なんの気の迷いですか。気持ち悪い」
「君、本当にあいつの双子の兄妹だよね。言うことが最初に会った頃のあいつとそっくり」
懐かしいなぁとおかしそうに笑ってからそいつは続けた。
「あいつが僕を救って自我を失った時、君だけが諦め悪くあいつに呼びかけ続けていたでしょ?」
エルが銀色の獣になった時のことが昨日のことのように思い出されて、全身の血の気が引いた。失いたくないものが手の中から零れ落ちたあの瞬間は今でも悪夢に見るくらいだ。
「あいつが、僕が迎えに行くまで人間として保ったのは、君が呼びかけていたからだと思う。君たちアッシュリートンの家族がいなきゃ、あいつは早々に魔獣の命とやらに吞まれてたんじゃないかと僕は思うんだ」
あながち間違いではない、と思う。エルはいつ向こう側に行ってもおかしくなかった。だから俺はあいつを救うため、方々に手を尽くした。
でも結局、俺ではあいつを救えなかった。
「――それを言うなら、俺もあなたにお礼を言わなきゃいけない。あいつを救ったのはあなただから」
「まぁね」
くす、と得意げに男が笑う。
本当に、この男は妹のことになると忌々しいほどに人間らしく、そして素直になる。
もっと怪物じみたままでいてくれれば俺も遠慮なく警戒できるし、妹のことを軽く扱えば俺も遠慮なく嫌いになれるのに。
そうではないところが引っかかって一番会いたくない義兄弟という立場になることも、反対できなかった。
これが言いたくてこの会を開くように裏で根回ししたんだろうな。
回りくどいことこの上ないが、相手が正面切って言った以上、俺もあいつの肉親として伝えなきゃならない。
「……妹を救ってくれて、ありがとうございました」
俺が言ってからお辞儀を終えるまで、義弟はいつもなら言いそうな皮肉一つ言わず、俺をじっと見ていたようだった。
が、俺が頭を上げると、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「じゃあもろもろの清算も終えたところで、その大事な大事な妹を命がけで救った僕も、今日からはお義兄ちゃんと呼ばせてもらえるのかな?」
「それだけはお断りですね。大体エルからだってそういう風に呼ばれたことはないですから。寒気がするのでやめてください」
「これだからシスコンは」
「そんなこと言ったらあんたはエルのストーカーだろ!?普通声をかけたくらいの男を社会的に抹殺するか?!」
「僕とエルは公的に夫婦になった身だよ?妻に群がる害虫駆除をするなんて当たり前のことじゃない?」
結局その後も延々と義弟と口げんかしながら夜は明けた。
二度と義弟と酒なんか飲むものかと決意した夜になった。
おしまい
※※※おまけだよ※※(前話の女子会のおまけの続き)
「そういえば、帰った時グレン様ご機嫌でしたよね。グレン様も殿下や兄様たちと酒を飲み交わしてたって聞きましたけど、どんな話してたんです?」
「んー?僕がヨンサム君を抹殺するか否か」
「どうしてそんな話になるんですか!?ダメですよ?あいつ、あれでも、死ねばもろともだと誓った僕の唯一無二の親友なんですからね!」
「今この場で他の男の名前出して、一緒に墓に入ると約束したって、この僕に言うんだ?」
「同じ墓じゃないですよ。それにさすがに冗談です」
「そうじゃなきゃ彼はとっくに墓の下にいただろうね」
「えぇー?もしかして嫉妬されてます?前から思っていたんですけど、グレン様、結構可愛いところありますよね。そういうところ、僕、結構好きですよ?」
「そっかそっか。夫の愛を受け取る準備はできていると」
「ついさっき十二分に受け取りました。もう寝かせてください」
「徹夜で疲れてるって言ってたから手加減してあげたのに、要らなかったみたいだね」
「あれで手加減!?そんな馬鹿な……」
「僕はお前の可愛いところが見たいなぁ」
「ちょ、人の話聞いてくださいって!か、勘弁してください!」
本当におしまい
【裏話】
ヨシュア君出すとヨンサムが助けられちゃうので助っ人はお留守番になりました。すみません!
近日中に別の新連載作品をスタートさせる予定なのでよろしければそちらでもお会いできたら嬉しいです。




