6話
授業を終えた子供たちが森の方へと帰っていく。
空っぽの教室で彼らが難民であることをグレイスに尋ねると、あっけなく認めた。それが罪だということも知っていた。
なんで、と聞くだけ野暮だと思った。浮浪者だった俺を雇ったのと同じ理由なんだ、きっと。グレイスはそういう少女だ。
今度は俺の番だった。昨日、なにがあったのか、これからなにがあるのか。これまでになにがあったのか。今度はちゃんと本当のことを話した。
「まぁ、そういうわけなんで家政婦の仕事はしばらく休みがちになるわ。あ、でも給料はこれまで通りでよろしくね」
極めて明るく話したつもりだったんだけど、さすがにノッてはくれなかった。「納得できん」とか「べつにうちは捕まってもええわ」とかぷんすか怒っていたのがやがてしんみりしてきて「魔王とかどうでもええ。ケイが無事なら」なんて言われた日には、せっかく固めた決意が揺らぐ。
「大丈夫よ。べつに俺戦う気ないし。危なくなったら全力で逃げるから」
情けないことに本心だ。
「じゃあ約束して」
「なにを?」
「夜までにはちゃんと帰ってきて」
なんだ、そんなことか。小指を差し出す。
「なに?」
「俺の前にいた世界でのギアスみたいなもん。魔法は使えないからさ」
「なんやそれ」とグレイスはやっと笑ってくれた。小指を結んでハリセンボン飲ます約束をする。グレイスは指切りげんまんのリズムにツボってた。もしかしたら、俺は音痴なのかもしれない。
「じゃ、俺これからまた王都に行かないとだから。夕飯はキッチンに作り置きしてある。食器はシンクに置いといて」
昨日は俺の能力の実証実験で終わった。今日はいよいよ魔王討伐の作戦会議が開かれるらしい。
「うん。気を付けてな」
扉の前まで見送られて、そういえば大事なことを忘れていたことに気付く。
「グレイスさ、記憶ってどこまで戻ってる?」
「ん?どこまでって?」
「や、ほら。最後あの喫茶店で別れるときにさ、俺がなんか言ったの覚えてるかなーって」
--ケイの気持ちはどうやったんよ。
今生の別れだと思っていた。グレイスにそう聞かれて俺は思い出したくもないことを言った記憶がある。果たしてその記憶は消えてくれているのだろうか。
顔が熱くて振り返れない。「ふふっ」と背後で笑う声が聞こえた。
「どうやろねぇ」
俺は逃げるように屋敷を飛び出した。
夕日の差し込む執務室で魔王討伐の作戦会議―――は行われなかった。
「我々がするのは魔王の探索です」
魔王はすでに討たれている。
当たり前のようにレインさんは言った。
「それってどういう……?」
前提が崩れて頭のなかはクエスチョンマークでいっぱい。さぞ間抜けな顔をしていることだろう。レインさんも不思議そうな顔をしていた。見覚えがあった。この世界の常識を外れたとき、よくそんな顔をされた。
「異世界から来たってのは本当みたいだな」
「あ、そうでした。まずそこから説明しないと」
クラウドが説明を引き取った。彼はこの世界の常識を懇切丁寧に教えてくれた。
曰く。俺の前の転生者と思われる人間が魔王を討伐したらしい。しかし、魔王は死に体ながらも逃げおおせた。今回、俺に課せられた使命はその大部分の力を失った魔王を見つけること。殺すこと。
「お?ああ。んん?おー。え?」
ハードルが下がったような、上がったような。
わりと衝撃的な事実のなかで無視できない点が一つあった。
「いたの?俺以外の転生者」
「そう……ですね。いました」
なんか歯切れ悪いな。いや、でもいるんだったら
「そいつでよくね?」
俺も察しが悪かった。万全の魔王を倒せる奴がいるなら、俺みたいなよくわからん能力を持った奴より、そいつに任せりゃいいじゃん。なんて、たぶんここにいる誰もが思っていた。なのに、そうしないのには当然、理由があるわけで。
「勇者、正確には勇者一行の足取りは掴めていないのです」
「……………ああ、ね。死んだってこと?」
レインさんは首を振った。答えたのはサニーだった。
「それもわからないんすよね。というか勇者一行に対する情報が皆無っす」
レインさんの歯切れが悪かったのはそれでか。
勇者は突然現れて、わずか数日のうちに魔王を討伐した。王都に姿を現すことはなく、彼の情報は各地の散文からしか得られなかった。
「いや、でもそんな偉業を成し遂げた勇者ならちょっとくらいは情報あるだろ」
「あー」とサニーは都合が悪そうな視線をレインさんに向けた。
「……ヒビノさんの言う通りです。王都も各地から勇者の情報収集に努めました。集めた情報を記録したり、勇者の動向を新聞にしたりもしました。魔王討伐の情報が入ったときには号外だって出たんです。なかには勇者と直接会った人間もいました」
一同の微妙な表情と語り口からは一筋縄ではいかない事情が察せられた。長い沈黙のあとでレインさんは重く口を開いた。
「国王様から勇者にまつわる全ての情報を消去せよとの勅令が発せられたのです」
わーお。なにやっとんじゃあのクソジジイ。
どうやらはじめて向かい合ったときに感じた狂気は間違いではなかったらしい。
「記録や新聞は焚書。勇者と関わりのあった人間は処刑。以後、彼に関するものを作ることは禁じられました。いまこうして話していることも国王様がお聞きになれば、ただでは済まないことでしょう」
「……なんでそんなことを」
単純な疑問には、単純な言葉で返される。
「狂ったんすよ。あの爺さん」
サニーを不敬と咎める奴はいなかった。レインさんでさえ沈痛な面持ちでこう付け加えるだけだった。
「恐らく国王様は長年、王都で募ってきた勇者ではなく、どこからともなく現れた勇者が魔王を倒したことに憤慨したのでしょう。勇者が一度も謁見に現れなかったことにも」
その一件から国王は癇癪を頻繁に起こすようになったらしい。
「なるほど。だからか」
俺の前の勇者が制定の儀で多く殺されたこと。
力のなくなった魔王を見つけるだけの人間に勇者などという大層な名を与えること。
俺がそんな事情を知らずに異世界で長く時間を過ごしてきたこと。
漠然とした違和感に辻褄があっていくのを感じた。
「ところで皆さんは勇者のこと覚えてるの?」
記録は消され、人は殺されたと言っても、人の記憶はそう簡単に消せるものではない。記憶操作能力を持った俺が言うのもアレだけど。
しかし、一同は首をかしげた。
「それがなぁ。号外とかで勇者の顔は見たことがあるはずなんだがな、どうも上手く思い出せんのだ」
クラウドが代表して言うと、全員が同調した。
「そんなことある?」
「そうだろう?オレらもみんな不思議だった。だがな、ここで一つオレらのなかでとある説が浮上している」
ドヤっとクラウドの口ひげが弧を描く。
「ヒビノよ。実はお前がその勇者なんじゃないか?」
「いやいやいやいやいや。ないないないないない。アレでしょ。みんな記憶がないってことは俺が消したとかそう思ってるんでしょ?」
そんな展開なら激熱だけどさ。魔王を倒した記憶なんかない。
「それだ。お前が自分自身の記憶を消してる可能性だってあるだろ?」
「それもないね。俺は俺の記憶を消せない」
「自分の記憶を消せないって記憶を書き換えてるんじゃねぇのかい?」
クラウドにガシッと肩を組まれる。これあれだわ。おっさんのダルがらみ。めんどくさいし、普通に臭い。加齢臭。加えて髭が痛い。
「しつこいなぁ。そんなの悪魔の証明みたいなもんだろ。俺が何言ってもムリじゃん」
「いーや、そうでもない。悪魔の証明だって神様は解けるはずだ」
「はぁ?なに言ってんの?へい。皆さん。どうかこのおっさんから俺を助けてくれよ」
クラウドに付き合っていられず、周りに助けを求めてみたが、間違っていた。「そうだな」「たしかに確かめてみる価値はある」「今日は新月だしな」と団員たちに両手をホールドされた。
「れ、レインさん?助けて?」
最後の頼みの綱であるレインさんに哀願するも、「……すみせん」と気まずそうに目を逸らされた。
あとで聞いた話。この説を最初に言い出したのはレインさんだったそうな。




