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4話

 鼻をすすって先を急ぐ。喫茶店に箒屋が降り立つのが見えた。グレイスがあれに乗って帰れるように手配したものだろう。一瞬だけ俺も箒屋を使おうかと思ったが、すぐにやめた。足跡は可能な限り残さないほうがいい。

 あの喫茶店で目にしたのは指名手配書だった。帽子をかぶってきてよかった。

記憶の操作にも限度がある。ここまで大規模になったらとてもじゃないがお手上げだ。

 日も暮れ始めて人がまた増え始めた。なにかの祭りでもあるのだろうか。好都合だ。このなかで人を見つけるなんて――いや、違う。なんかおかしい。

 いくらなんでも人が多すぎる。雰囲気も祭りとは思えないほど殺伐としている。

「検問かよー」「なんで休日にやんのよ」「勇者探してんだってさ」「ああ、あいつ?ヒビノケイ」

 まずい、と気づいたときには検問所が見えた。

 逃げようにも人ごみに押し流される。万事休す。しかし、こちとら恩人と一生のわかれをしとるんじゃ。そう簡単に諦めてたまるか。魔王退治にはいっこうに役に立たなさそうな能力ではあるが、攪乱や逃走にはこの上ない。今こそ真価を発揮するとき――

「大人しくしてください。ヒビノケイさん」

 背後からの声には聞き覚えがあった。

「だから、俺はロトだって言ってるじゃないっすか。レインさん」

 身体から血の気が引く。見ないでもわかる。その声は一夜にしてトラウマに刻まれてる。背後にいるのはあの国部だ。

「お話があります。少しだけ時間をください」

「俺にお話ないのよね。ほな」

 さっきからずっと四方八方の人間に触れている。記憶を操作してパニックを起こすのは簡単だ。わざわざレインの話を聞く必要はない。


「グレイス・フォニア・リトロットを拘束しました」


「お話をしましょう。グレイスさんのことも含めてのお話です」



 レインの指示に従って路地裏に入る。奇しくも昨晩、彼女と対峙した場所だった。

「グレイスはどこに?」

 レインはフードを脱ぐと恭しく頭を下げた。

「申し訳ありません。あれはヒビノさんとお話をするためについた嘘です。拘束なんてしてません」

 とても申し訳なさそうな顔をしている。なんとなく本当のことを言っている気がする。けど「なんだぁ。嘘っすか。やだなもう」となるほどバカじゃない。

「じゃあ、どうして俺とグレイスの関係を知ってんすか?」

 森の屋敷はグレイスの許可のない人間は近づけない結界が張られている。一緒に街に出たのだって数回ほど。前はもう半年前になる。だったら、今日のはずだ。俺にとってグレイスが交渉の材料になると判断したのだろう。それをおめおめと逃がすわけがない。

「先日、別件の調査でとある地区を訪れたとき、そこの子供たちがグレイスさんと貴方の名前を呼んでいました」

「子供たちに屋敷の場所を吐かせたんすか。やっば」

「人聞きが悪いです。世界を救うための協力をしてもらったのです」

 仮にキッズたちがグレイスを売ったとしても、子供に罪はない。怒りの矛先は尖って目の前の女を向いている。

「グレイスをどうするつもりだよ。まさか天下の国部様が罪のないご令嬢を誘拐、監禁っすか?えぐいっすね」

「罪がなければそうですね。しかし、罪があれば私たちは女神カテーテの名のもと身柄を拘束することが許されています」

 国部様は皮肉においても達者であらせられる。

 グレイスは罪を犯している、レインはそう言っている。

 思い当たる節は、あった。脳裏でちらつくのはあの教室での子供たちの笑顔だった。

「国の許可なく難民への援助をするのは王法23条5項の罪にあたります」

 グレイスは体が悪いのにわざわざ不便な森の中に屋敷を構えて、そこにボロ着を着た、王都の言葉を喋れない子供たちを集め、教育をしている。

 どうやらあの子たちは難民で、そんな彼らに言葉や計算を教えることは罪のようだが、気持ちに揺らぎはない。俺にはそれが間違ったことだとは思えない。ならば俺はまだグレイスの味方だ。

「はぁ?アンタらの援助が足りないからグレイスがやってるんだろぉ?間違ってんのはその意味わからない法律の方だね」

 気づかれないようにじりじりとレインに近づく。2歩だ。そのくらいの間合いなら触ることくらいできる。

 それが思い上がりだって気づいたのは飛び掛かってから。

 相手はエリートでこっちは運動不足のパンピー。そこに魔法まであった日には身体どころか服にさえ触れることはかなわなかった。ぴかぴかに光る魔法のロープにぐるぐる巻きにされて前から倒れる。受け身もとれないから、とても痛い。

「髭は自分で剃らせるように、と忠告をいただきましたが、やはり貴方の能力は触れることが発動条件のようですね」

 俺のばか。なにいきっとんじゃ。おかげで大ピンチだわ。

「ヒビノさん。貴方の言っていることは正しい。難民救済は王都が行うべき責務です。それが滞っているのは国に奉仕する立場として申し訳なく思います。そのことを棚に上げてグレイスさんを捕まえるのは私としても心苦しいのです」

 レインはミノムシ状態の俺のそばに膝をついた。

「そこでどうでしょう。ヒビノケイさん。貴方は私たちに協力していただければ、グレイスさんのことは不問に処します」

「…………信用できるかーい」

「ギアスを結んでもいいんです。信用できないならグレイスさんの罪を私――いいえ、国部全体でも構いません。その記憶を消してもらっても構いません」

 なぜそこまで。とは聞かない。彼女らはなにを犠牲にしても魔王を討伐せんとしているのだ。

 目を瞑る。

 魔王と戦えば俺は間違いなく死ぬだろう。なにせ戦闘向けの能力じゃない。二度目の人生くらい平穏に80歳くらいまで生きたい。

 じゃあ逃げるか。レインが簡単に逃がしてくれるとは思わないが、それでも機をみて逃げることはできるはずだ。そういうことに関しては俺の能力は正しくチートだ。レインもわかっているから、実力行使ではなく交渉を持ち掛けたのだろう。

 俺が逃げればグレイスは捕まるのだろう。グレイスも一緒に連れていくか?現実的じゃない。半日街を歩いただけで体調を悪くするんだ。じゃあ俺一人で逃げるのが最適解か。そうだな。よく考えなくてもそれがいい。どうせグレイスは俺のことは覚えてない。俺が死のうが逃げようが、感謝もしないし恨みもしない。そんな相手のために頑張るとか馬鹿らしい。

 はぁ、と大きくため息をついて「わかった。勇者になる」と頷いた。

「勇敢な判断に敬意を称します。一緒に魔王を倒しましょう勇者ヒビノ」

 勇者ではない。

 が、自分のことなんて覚えてなければ、感謝もされなきゃ恨まれもしない赤の他人。そんな彼女のために死のうとする俺はどうやら本当のバカらしい。


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