第2話 承認欲求の代償
商店街のアーケードに夕暮れのオレンジ色が溶け込み、路地裏の湿った影が色濃くなる頃。
古びたレンガ造りの隙間にある『喫茶店 月と魔法』のドアが開いた。
カラン。
「うわ、なにここ……マジ? レトロっていうか、ガチの別世界じゃん……!」
早足で飛び込んできたのは、制服のスカートを短く折った女子高生だった。
名前は結衣。
動画配信プラットフォーム『WouTube』でチャンネルを運営する、自称・企画系クリエイターの高校二年生だ。
片手には小型の三脚にセットされたスマートフォン。
画面の端には、撮影アプリの録画ボタンが赤く点滅している。
「いらっしゃいませ。『喫茶店 月と魔法』へようこそ」
カウンターの奥から、まぶしいほどの笑みをたたえたリラが出迎える。
陽光を編み上げたような金色の髪と、澄み渡る金色の瞳。
クラシカルなエプロンドレスを着こなした彼女の立ち姿。
まるで絵画から抜け出してきたかのようだった。
「うっそ、超美人……! あ、すみません! つい口が」
結衣はスマホの角度をさりげなく上に向け、レンズがリラと店内の全景を捉えるように調整した。
彼女の脳内は今、焦りと興奮でグチャグチャだった。
チャンネル登録者数は半年前から『324人』で完全に頭打ち。
同級生の女子が「メイク動画がバズって案件来たんだよね」と自慢していたのを聞き、悔しさと惨めさで胸が狂いそうになっていたのだ。
(これ……絶対バズる! 『隠れ家カフェ』なんてレベルじゃない、ガチの魔法屋敷じゃん! これを第一発見者として上げれば、万再生……いや、ミリオン行ける!)
「お客様。店内での撮影はご遠慮いただいております」
リラが静かに、だがはっきりと告げた。
結衣はビクッと肩を揺らした。
慌てて営業スマイルを浮かべる。
「あ、すみませ〜ん! 癖でカメラ回しちゃって! すぐ消しますね!」
そう言いながら、結衣はスマホの画面を伏せる振りをしつつ、指先で『録画継続』のタップを維持した。
画面の枠外から、こっそりと店内を盗撮し続けている。
「ここってお茶が飲めるんですよね? 正直、あたし今めっちゃついてなくて。YouTubeやってるんですけど全然伸びなくて……なんかこう、飲むだけで動画が超バズる魔法のお茶とか、ありません?」
半ば冗談めかして言った結衣に、表のリラは静かに目を伏せ、カウンターから白磁のカップを取り出した。
「ございますよ。あなたの『渇き』を癒やすお茶なら」
「マジ!? 凄っ!」
リラが白磁のポットから注いだのは、淡いピンク色をした透明感のあるお茶。
そこから立ち上るのは、甘酸っぱい苺と野ばらの、どこかすっと胸の奥が軽くなるような香り。
「これは『カーム・ミラー』……他人の視線という幻想に惑わされず、自分自身の等身大の姿を映し出すためのお茶です」
「等身大……? 噂のバズるお茶じゃないの?」
「結衣さん。他人の評価は、満ち引きする潮波のようなもの。膨大な視線を集めることは、時に温かな光となりますが、己の器を超えて買い求めれば、自分自身を焼き尽くす毒となります。あなたが本当に求めているのは、数字の羅列ではなく、誰かに『自分』を見てもらえる温もりではありませんか?」
リラの透き通る金色の瞳に見つめられ、結衣は息をのんだ。
図星だった。
登録者数という『数字』が欲しかったんじゃない。
クラスで浮かないように。
誰かに「すごい」と言われたい。
認められたい。
画面の向こうの顔も知らない他人に必死でしがみついている。
「……っ、何よそれ。お説教ならいいです!」
結衣は怖くなり、差し出されたカップに手をつけぬまま、逃げるように店を飛び出した。
手に握りしめたスマホには、バッチリと店内の幻想的な風景、そしてリラの姿が録画されていた。
「何が『等身大』よ! 綺麗事言っちゃって! あんな店、絶対バズるに決まってる……! あたしは証明してやりたいんだから!」
その日の夜。
結衣は自室で動画を編集し、投稿ボタンを押した。
タイトル:【閲覧注意】マジで異世界繋がってた。本物の魔女の店に行ってみた結果www
動画の爆発力は、結衣の想像を遥かに超えていた。
投稿からわずか三時間で再生数は十万回を突破。
十二時間後にはミリオンに達し、急上昇ランキングの一位に君臨した。
だが、そのバズり方は結衣が意図したものとは大きく異なっていた。
コメント欄を埋め尽くしていたのは、動画に映り込んだ「異常な映像」に対する困惑と恐怖。
カメラは確かにリラの正面を捉えていた。
しかし彼女の姿は光の屈折のように揺らぎ、ピントが全く合わない。
まるで陽炎の向こう側に立っているかのように輪郭が滲み、顔の細かいパーツが判別できない。
さらに不気味なのは、見る人によって動画内の店主の姿が違って見えることだった。
『この店主、金髪の外国人美女でしょ?』
『は? 何言ってんだ、黒髪ロングの和風の女性に見えるぞ』
『いや待て、俺には銀髪の幼い少女に見えるんだが……』
『CGじゃ説明つかねぇよこれ、マジで何なんだ??』
『集団催眠? ホラー体験型のアフォーダブル案件か?』
次元の繋ぎ目に位置するリラという存在は、特定の次元のカメラやモニターなどには正しく定着しない。
観察者の心や無意識のイメージを反射する鏡のように、見る者によって姿を変えてしまっていた。
この解明不能な怪現象は、ネット空間のオカルト好き、検証系YouTuber、さらには大量の野次馬を引き寄せ、動画は爆発的に拡散された。
不特定多数の狂ったような視線が画面越しに店へと注がれたことで、世界を繋ぐ次元の扉の歪みが急激に悪化していく。
投稿から二日目。
特定班によって結衣の高校と実家の住所が割れた。
『住所特定。この嘘つき動画出してるガキの家ここな』
『店主の顔が違って見えるとかどんなトリック使ってんだよ吐け』
『気味悪いんだよ消えろ』
『特定班突撃しろ』
さらに、動画に集まった無数の人間の執着、嫉妬、好奇心。
そして結衣自身が抱え込んだ泥のような承認欲求。
その巨大な闇の渦に惹かれ、次元の亀裂から精神を喰らう低級悪魔までが滑り込んできた。
結衣は家から出られず自室に引き籠っていた。
悪魔は画面を通じて結衣の体内に取り憑き、耳元でねっとりと囁いた。
『イイゾ……モット視線ヲ集メロ……不可解ヲ見セラレ……モット燃え上がらせろ……』
「あ……あ……再生数……増えてる……あたし、バズってる……」
正気を失いかけた結衣の肌は病的なほど白く透け、黒い隈が浮かんでいた。
悪魔は結衣の生命力を苗床にして増殖。
彼女のスマホを通じてネット空間へと闇を撒き散らそうとしていた。
限界を迎えた結衣は、引きずられるように家を抜け出した。
向かう先は、あの路地裏の店。
ネットの悪意という猛毒と、異世界の悪魔を体内に宿したまま、彼女は壊れた人形のように歩き続けた。
カラン。
「助けて」
店内に崩れ落ちてきた結衣の姿は、惨惨たるものだった。
制服は乱れ、スマホを握りしめる爪は割れ、その背中には漆黒の異形、無数の目が蠢く悪魔の影がはりついていた。
「動画が変なの! みんなが見る姿が違うって騒いでて……住所まで特定されて……怖い……怖いよぉ! 助けてぇっ!」
涙と鼻水で顔をグチャグチャにした結衣はしがみついた。
リラは深い悲しみと温もりの籠もった瞳で彼女を見つめ、その華奢な体を優しく抱きしめた。
「よしよし……怖かったですね。よく、ここまで戻ってきました」
「ごめんなさい! お茶、飲まなかった! 勝手に動画撮ってアップしたの! あたしがバカだった……目立ちたかっただけなの……っ!」
「ええ。この空間の理を知らぬ者に、観察者の姿を正しく結ばせることはできません。ですが、己の間違いに気づけたのなら、人はいつだってやり直せます」
リラは結衣の背中を撫でた。
結衣の背後にいる悪魔は、リラの光の魔力に威嚇されて甲高い悲鳴を上げる。
結衣の精神をさらに強く攻撃し抵抗する。
『ヒヒッ! 渡さねぇぞ! コイツはもう、俺の餌だ! ネットの歪みが枯れない限り、コイツは死ぬまで燃え続けるんだよ!』
リラは静かに目を伏せた。
「……私だけでは、人々に絡みついた現代の病を祓うことはできませんね。……結衣さん、少し目を閉じていなさい。裏の『私』が、あなたを自由にしてくれます」
リラが結衣の額に指先を触れると、店内の影がぐにゃりと伸び、結衣の体を丸ごと飲み込んだ。
ザザーッ……ザザーッ……。
テレビの砂嵐のような雑音が響く『喫茶店 月と魔法 ~裏庭の影~』。
紫色の暖炉の炎が、黒のリラを冷たく照らしていた。
床に倒れ伏す結衣と、その背中で毛を逆立てる悪魔。
黒のリラはつばの広い帽子の陰から、漆黒の瞳で二人(と一匹)を見下ろした。
「……他人の視線という毒でしか腹を満たせない、惨めな害虫。そして、その毒に群がる浅ましい悪魔。……ヘドが出るわね」
『ナ、ナンダお前は!? 俺様はネットの悪意を得て不滅――』
「うるさいわね」
黒のリラが軽く指先を振ると、黒い稲妻が走り、悪魔の口が物理的に縫い合わされた。
『むぐぐぐっ!?』
「レンズ越しに私たちの存在を覗き見ようなんて、一千年は早いのよ、おチビちゃん」
黒のリラは動けなくなっている結衣の前へ歩み寄ると、その胸元へと素手を突っ込んだ。
「あ……がっ……!?」
結衣が息を詰まらせる。
体の中に、リラの腕はずぶずぶと沈み込んでいく。
その手が掴んだのは、結衣の体内にへばりついていた悪魔の核。
そして彼女のスマホを通じてネット空間へと広がっていた歪んだ動画データ。
ゴリッ……!
黒のリラは力任せに、その黒い塊を握り潰した。
『ギャアアアアアアアアッ!?』
悪魔が絶叫とともに霧散する。
それだけにとどまらず、黒のリラは手中に集めた漆黒の毒を、そのまま己の口へと運び、ゴクリと飲み干した。
「……まずい。現代人の承認欲求と、不可解なものへの歪んだ覗き見趣味……泥水を飲むより胸が悪くなるわ」
黒のリラが吐き捨てると同時に、現代のインターネット空間で異常事態が発生した。
結衣が投稿した不可解な動画、拡散されたまとめサイト、検証動画、「店主の姿が違って見えた」という世界中の人々のアカウントの書き込み、果ては彼らの脳内にある記憶のデータ。
それらすべてが、影の魔導によって『最初から存在しなかったこと』として根こそぎ刈り取られ、消滅したのだ。
結衣のスマホの画面が暗転し、通知が完全に止まる。
ネットの野次馬たちも「あれ……俺、なんでスマホ見てたんだっけ?」と首を傾げて日常に戻っていった。
「ひ……あ……」
結衣は自分の中から、重苦しい恐怖と悪意が消え去ったのを感じ、涙を流した。
「助かった……の……?」
「勘違いしないで」
リラは冷酷な漆黒の瞳で結衣を見下ろした。
「私はあなたを救ったのではないわ。理を荒らした害虫を駆除し、不快なデータを消去しただけ。……二度と、私やあのバカ(表の私)にカメラを向けるんじゃないわよ。次はないと思いなさい」
リラが手を一振りすると、影の渦が結衣を包み込んだ。
「さあ、消えなさい。自分の手足を使って泥臭く生きる、元のつまらない日常へ」
結衣の姿が表の世界へと弾き出された。
その去り際、結衣のポケットに入っていたスマホの裏側に、肉眼では見えない小さな『黒い月と星の紋様』が刻み込まれた。
影の魔女の意地悪で気まぐれな魔法(お守り)だということに、結衣が気づくのはずっと後のことである。
またこんなことが起きないように、結衣の記憶は消えていない。
これは彼女を監視する、そしてまた悪魔に魅入られないようにする結界。
静まり返った裏の店。
黒のリラは渋い顔でカウンターに腰掛けた。
体内を巡る現代のネット悪意と「覗き見」の毒。
それは異世界の呪いとはまた違う、粘着質で気味の悪い激痛となって彼女の胃を苛んでいた。
「まったくあの、あの甘ちゃんがもう少しだけ様子を見させてなんて言っている間に大ごとよ」
そこへ、次元の隙間からすっと一杯の紅茶が届いた。
白磁のカップから立ち上るのは、甘酸っぱい苺と野ばらの香り。
リラが用意したお茶だった。
添えられたカードには、優しい丸文字。
『ありがとう。ブレブレの盗撮動画の処理、助かりました』
「……あいつ、絶対面白がってるわね」
リラは眉をひそめながらも、カップを手に取り、一口飲んだ。
酸味と甘みが口いっぱいに広がり、体内を苛んでいた不快な毒が、スーッと浄化されていく。
「……ふん。相変わらず甘くて不味いお茶ね」
文句を言いながらも、彼女は最後の一滴まで残さず飲み干した。
少女が二度と安易なバズりに頼らず、自分の足で一歩を踏み出したことを感じながら、黒の魔女は静かに目を閉じるのだった。




