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魔女の喫茶店 〜異世界からのお客様、お待ちしております〜  作者: 志摩
世界の監視者 魔女のリラとリラ

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第1話 光と影の魔女


 夕暮れ時の日本の商店街は、どこか懐かしく、そして少しだけ寂しい匂いがする。


 惣菜屋から漂うコロッケの香ばしい匂い。

 魚屋の威勢の良い掛け声。


 そして下校途中の小学生たちが鳴らすランドセルの音。


 そんな賑やかなアーケードの路地裏。

 古びたレンガ造りの建物の隙間。

 その店はひっそりと佇んでいた。



 木製の重厚な扉には、小さなプレート。


 『喫茶店 月と魔法』



 カラン。


 鈴の音とともに扉が開くと、外の雑踏は嘘のように掻き消えた。



 店内に満ちているのは、芳しい珈琲とハーブの香り。

 そしてどこか別の世界から漂ってくるような、神秘的な空気。


「……うわっ、なんだここ。こんなところに喫茶店なんてあったか……?」



 突如として迷い込んできたのは、くたびれたTシャツにペンキの汚れがついたジーンズを穿いた青年だった。


 佐々木翔太(ささき しょうた)、二十三歳。


 ボサボサの髪。

 死んだ目。

 そして手に固く握りしめられた、何本もの絵の具で汚れたスケッチブックが、彼の行き詰まった現状を雄弁に物語っていた。



「いらっしゃいませ。『喫茶店 月と魔法』へようこそ」


 カウンターの向こうから、鈴を転がすような美しい声が響いた。


 そこに立っていたのは、一人の女性。



 陽光を溶かし込んだような澄み渡る金色の髪に、同じく輝く金色の瞳。


 エプロンドレスを身に纏った彼女は、極上の微笑みを浮かべて翔太を迎える。


「あ……どうも。すみません、間違えて入っちゃったみたいで……」


 翔太は圧倒され、気圧されるように後ずさりした。



 だが、その視線が店内の棚に固定された。


 棚に並んでいるのは、ただのアンティークではない。

 無数の色の光を放つ鉱石。

 妖しく揺らめく液体が入った小瓶。

 


 一筆描くだけでキャンバスの上に鮮やかな世界を出現させるような、不思議な輝きを放つ絵の具の数々。



「お客様。当次元の店では、お茶とともに『あなたが本当に求めているもの』をお出ししております」


 リラは穏やかに言い、手元の白磁のポットから湯気を立てた。


「求めているもの……?」


 翔太の喉が、ゴクリと鳴った。


 彼は画家を目指して美大を出た。

 しかし現実は厳しかった。


 公募展には落選続き。

 SNSに投稿しても「いいね」は数えるほど。


 バイトに追われ、絵を描く時間も削られる。

 最近では筆を握ることすら恐怖に感じていた。



 才能の限界。

 他人の評価への恐怖。


 彼は追い詰められていた。


「……あるのかよ」


 翔太の口から、掠れた声が漏れた。


「画力を……爆発的に高めるようなものが。一瞬で誰もがひれ伏すようなすげえ絵が描ける、魔法みたいな絵の具が……ここにあるのかよ!?」



 彼の目は血走り、縋るようにカウンターへと走り寄った。スケッチブックをドサリと叩きつける。


「俺は……俺は諦めたくないんだ! でも、もう自分の手じゃ描けない! どんなに努力してもダメなんだ! 魔法でも何でもいい、俺に圧倒的な才能をくれよ!」



 叫ぶ翔太に対し、表のリラは怒ることも、呆れることもなかった。



 ただ、深く悲しそうな、そしてすべてを包み込むような温かい金色の瞳で彼を見つめた。


「……努力を重ねてきたのですね。自分の表現と向き合い、傷つき、それでも絵を嫌いになれなかった。あなたの手にある歴史が、それまでの時間を物語っています」


「な……」


「ですが、お客様。一瞬で天才になれる絵の具をお探しなら、それはこの店にはございません」


 リラは静かに首を振ると、一杯のカップを翔太の前に差し出した。


 透き通った琥珀色のお茶。

 そこから立ち上るのは、ミントと柑橘系が混ざり合ったような、脳の奥まで清涼感で満たされる香りだった。



「これは『クリア・アイズ』……あなたの目を、そして心を覆っている濁りを払い、素直な視界を取り戻すためのお茶です」


「お茶……? 俺が欲しいのはそんなもんじゃ――」


「お飲みなさい。近道を探すのは、その後でも遅くはありません」



 リラの言葉には、不思議な強制力があった。


 翔太は半信半疑のままカップに口をつけた。


 温かい液体が咽喉を通り、体内へと広がっていく。


 次の瞬間。

 翔太の視界が、一気に弾けた。


 体中の細胞が芽吹くような感覚。


 脳裏に怒涛のように押し寄せてきたのは、かつて幼かった頃の記憶だった。


 幼少期、初めてクレヨンを握った時。


 上手に描こうなんてこれっぽっちも思っていなかった。

 ただ、白い紙に赤い線を一本引く。

 それだけで胸が跳躍するほど嬉しかった。



 夕焼けの空を見て「綺麗だ」と心から感動した。

 夢中で手を汚したあの日々。



 誰かに褒められたかったからじゃない。

 金が欲しかったからでもない。



 ただ、世界が綺麗だから。

 愛おしくて、それを自分の手で表現したかったから。

 ただ描いていたのだ。



「あ……ああ……」


 翔太の目から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。


 いつからだろう。

 他人の評価ばかりを気にし、「バズるか」「売れるか」でしか選べなくなっていたのは。



 他人の目を気にするあまり、自分自身の目を塞いでいたのは、他ならぬ自分自身だったのだ。 



「思い出せましたか?」


 リラが優しく微笑みかける。


「絵を描くということは、世界をあなたの瞳で愛すること。他人の評価というレンズを外し、あなただけの目で見た世界を描けば、そこには既にあなただけの『魔法』が宿っているのです」


 翔太は袖で涙を拭い、何度も頭を下げた。


「……ありがとう、お姉さん。俺、バカだった。楽して魔法に頼ろうとして……。泥臭くてもいい。もう一度、俺の好きだった絵を、最初から描いてみるよ」


「ええ。あなたの歩む道に、素晴らしい光が満ちていますように」


 翔太はスケッチブックをしっかりと抱え直した。

 すっきりとした晴れやかな笑顔だった。


 軽やかに扉を開けて出かけて行った。



 日本の商店街の夕焼けが、彼の背中を温かく照らしていた。



















 翔太の姿が消え、扉が静かに閉まった。


 リラは、彼が座っていた席の白磁のカップを片付けながら、ポツリと呟いた。


「……ふう。これで一人、救えましたね」


 すると、店内の影がぐにゃりと歪んだ。


 影の中から響くのは、リラと寸分漏れぬ美しい声。


 だが、そこには酷く冷ややかで、刺すような棘が含まれていた。


(甘いわね。あんな甘いお茶一杯で帰すなんて。……それに、気づいていなかったわけじゃないでしょう?)


「ええ……もちろん、気づいていましたよ」


 リラは金色の瞳を少し細め、店の奥の影を見つめた。


「あの青年のスランプ……あれは、ただの心の迷いではありませんでした。彼の描く絵の才能に嫉妬した『害虫』が、彼の精神に呪いをかけ、絶望へ追い込もうとしていた……」


(ええ。彼が自暴自棄になって『魔法の絵の具』を求めた瞬間を狙い、悪魔の契約を結ばせる手筈だったのよ。……全く、胸糞悪いお膳立てだわ)


 影の中から、すっと黒いドレスの裾が現れる。


 つばの広い帽子、漆黒の髪、そしてあらゆる光を飲み込む漆黒の瞳。



 『もう一人のリラ』

 黒の魔女が、冷酷な笑みを浮かべて現れた。



「表のあなたが光を当てて彼を追い払ってくれたおかげで……害虫の尻尾が完全に掴めたわ」



 黒のリラはつばの広い帽子の陰で妖しく瞳を輝かせると、華奢な指先を鳴らした。


「さあ、開店の時間よ。『裏の店』へお招きしなくっちゃ」


 黒のリラは楽しそうに笑い、その姿は影に消えた。


「全く……イタズラ好きね」


 リラはふっと息をつくと、その意識を影のお店へ向けた。







◇◇◇




 カラン。


 不吉な紫色の炎が燃える『喫茶店 月と魔法〜裏庭の影〜』。


 突然空間が捻じ曲がり、店内へと転がり込んできた男がいた。



 派手な刺繍が施されたローブを纏った、痩せぎすの男。

 異世界の闇市で暗躍する詐欺画商ガイルだった。


「な、なんだ!? ここはどこだ!? 俺は確か、あの青年の精神が破滅するのを陰から観察していたはず――」



「いらっしゃいませ。害虫さん」


 カウンターの奥から響いた冷ややかな声に、ガイルはハッとして振り返った。


 そこにいたのは、ハイバックチェアに深く身を沈めた黒のリラだった。


彼女は漆黒の瞳でガイルを見下ろし、蔑むような笑みを浮かべている。


「な、なんだお前は……! 魔女……!? 待て、俺の邪魔をする気か! あの青年はもう少しで俺の作った『魅了の絵の具』を買い、魂を悪魔に売り渡すはずだったんだぞ!」


 ガイルは叫ぶ。

 懐からは一本の絵の具の小瓶を取り出した。


 妖しい紫色の光を放つ絵の具。


「この絵の具を使えば、どんな凡人でも一瞬で人を狂わせる絵が描ける! あの青年の持つ『本物の才能』が邪魔だったんだよ! だからスランプの呪いをかけ、追い詰めて、悪魔に売り渡してやろうとしたんだ! 何が悪い!」


 ガイルの身勝手な欲望と嫉妬の叫びが、店内に響き渡る。


 リラは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


 漆黒のドレスが静かな音を立てた。

 彼女が歩を進めるたび、周囲の空間が圧迫され、ガイルは息苦しさに膝をついた。


「罪深き害虫。自分の才能の無さを棚上げし、他人の光を嫉妬して泥を塗る……最も見苦しく、最も醜い悪意ね」


「ひっ……!? な、なんだこの威圧感は……魔法使い……いや、魔王……!?」


「安心しなさい。私はあなたを殺しはしないわ」


 リラはガイルの前に立つと、冷たい笑みを深めた。



「あなたは絵が好きだったのでしょう? 人を魅了する絵が描きたかったのでしょう? ならば永遠に、自分の絵の世界に閉じこもっていなさい」


 リラが素手を掲げると、ガイルが手にしていた紫色の小瓶が破裂した。


「ぎゃあぁぁぁぁっ!?」


 絵の具は漆黒の液体となって空中に飛び散る。

 それは巨大な「キャンバス」となって空間を覆い尽くした。



 そのキャンバスには、苦悶の表情を浮かべ、ドロドロの絵の具に飲み込まれていくガイル自身の姿がリアルタイムで描かれていく。


「やめろ! 止めろぉぉっ! 体が……身体が絵の具になっていくぅぅぅっ!」


「あなたの描いた呪いは、すべてあなた自身へ還る。自分が作った偽りの絵の具に塗れ、永遠にキャンバスの中で苦しみ続けなさい」


「嫌だぁぁぁぁぁぁっ!!」


 絶叫。

 

 ガイルの身体は完全に絵の具の液体と化し、一枚の禍々しい絵画となって床へと落ちた。


 リラはその絵画を冷ややかに見下ろすと、爪先で軽く突いた。


「……ハッ。不快な絵ね。飾る価値もないわ」


 彼女は指先から小さな黒い炎を放ち、絵画を跡形もなく焼き尽くした。


 数分後。


 表の店と裏の店を繋ぐ次元の隙間を通って、一客のカップが運ばれてきた。


 立ち上るのは、甘い果実の香りと、たっぷりのミルクの匂い。


 表のリラからの、労いのお茶だった。


 添えられたカードには、可愛らしい文字でこう書かれていた。


『お疲れ様でした。害虫の処理、助かりました』


 リラはカードを見て、呆れたように鼻を鳴らした。


「……相変わらず、甘っちょろい手回しね。感謝されたくてやったわけじゃないというのに」



 文句を言いながらもリラはカップを取り、一口飲んた。


 甘い温もりが、害虫を断罪した後の不快感をそっと溶かしていく。



「……ふん。相変わらず甘くて不味い紅茶」


 彼女は不機嫌そうに呟きながらも、最後まで飲み干した。


 表の店は世界の歪みに落ちた人間を導き、正しい選択を考えさせる場所。


 裏の店は影で悪意を刈り取る、正さない歪みを取り去る場所。


 二人のリラが揃い、初めて機能する世界の均衡。


 新たな日常の扉は、今、静かに開かれたのだった。





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