↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の喫茶店 〜異世界からのお客様、お待ちしております〜  作者: 志摩
魔女の喫茶店の噂

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/9

第一夜 異世界の扉



 その空き家は、昔から商店街にあった。

 いつからあるのかと聞かれても、誰も正確には答えられない。


 商店街の端にある、二階建ての古い木造家屋。

 昔は何かの店だったらしい。


 八百屋だったという人もいれば、駄菓子屋だったという人もいる。昔の商店街を知る年配の人に聞けば、「確か洋品店だった」と別の答えが返ってくる。


 ただ、誰が何をしていた店なのかは、いつも曖昧だった。

 今では窓は埃で曇り、軒先の看板は文字が剥げ落ちている。


 長いこと人が住んでいない。

 そういう場所だった。

 少なくとも、昨日までは。


「……あれ?」


 学校帰りの道。

 高校二年生の佐伯美緒は、その前で足を止めた。


 いつもの商店街だった。

 自転車屋さんのおじさんが、店先で水を撒いたのかホースを巻いている。


 八百屋には今日も段ボールが山積みになっている。

 パン屋からは焼きたての甘い匂いが流れてくる。


 何も変わらない。しかしその空き家だけが、違っていた。

 窓の奥に明かりが灯っている。


「……人、いるの?」


 美緒は目を細めた。

 古びた木枠の窓。その向こうで、オレンジ色の光が揺れている。


 それだけではない。


 入口の脇には、小さな木製の看板まで出ていた。

 白い文字で、こう書かれている。


 ――喫茶店 月と魔法。


「なに、それ……」


 昨日までは、絶対になかった。

 美緒はスマートフォンを取り出した。

 高校の仲良しメンバーのグループチャットを開く。


『ねえ、商店街にある不気味な空き家って何か店になったの?』


 送信。


 すぐに既読がいくつかついた。


『知らない』


『空き家じゃなかった?』


『看板なんてあったっけ?』


 やっぱり誰も知らないらしい。

 美緒はしばらく入口を眺めた。


 入ってみる理由なんてない。


 そもそも、本当にお店なのか怪しい雰囲気。


 それでも。なぜか、気になった。


 美緒は扉の前まで歩いた。

 古びた木の扉、その取っ手に手をかける。


 ――カラン。


 小さな鐘の音がした。店内には五つほどのテーブルがある。


 どれも形も大きさもばらばらで、揃っているものは一つもない。


 窓際には古びた木のテーブル。


 二人掛けの小さな席。


 そして奥には、暖炉の前に大きなソファが置かれている。


 暖炉には火が入っていた。薪が燃えているはずなのに、煙はどこにもない。


 炎の色も普通ではなかった。赤や橙ではなく、ときどき青や紫に揺らめいている。


 鼻をくすぐるのは、コーヒーの香ばしい匂い。


 その奥に、焼き菓子の甘い香り。


 それから、美緒には知らない香りが混じっていた。


 雨上がりの森のような。夜の花畑のような。


 どこか懐かしいのに、どこで嗅いだのか思い出せない香りだった。


 カウンターの奥には、たくさんの瓶が並んでいる。


 赤、青、緑、金色。


 中に液体が入っているものもあれば、粉末のようなもの、乾燥した花、羽根、木の実が入っているものもある。


 よく見ると、瓶の一つが微かに光っていた。


 その隣の瓶では、小さな雲のようなものが渦を巻いている。


 美緒は思わず近づいた。


「……これ、何?」


「夢です」


 カウンターの向こうから声がした。


 美緒は振り返った。

 金色の瞳をした女が、こちらを見ている。


「夢?」


「眠っているときに見る夢を、少しだけ瓶詰めにしました」


 あまりにも普通のことのように言われて、美緒は返事に困った。


 動揺を隠すように店内を見回す。


 壁には時計が一つ掛かっていた。


 しかし、針がない。


 代わりに文字盤の上を、小さな金色の蝶がゆっくりと飛んでいる。


 蝶が一周すると、時計の中から小さな鐘の音がした。


 カラン。


 その音を聞いた瞬間、美緒はなぜか安心した。


 不思議な店だった。奇妙なのに、怖くない。


 知らない場所なのに、どこか昔から知っているような気がする。


 まるで、


 ――ずっと前から、ここにきたことがあるような。


「お気に召しましたか?」


「……はい」


 気づけば、美緒はそう答えていた。


「それはよかった」


 女は微笑んだ。


「当店は、少し変わったお客様が多いものですから」


「変わったお客さん?」


「ええ。ようこそ、いらっしゃいませ」


 店の一番奥、カウンターの向こうに、ひとりの女性が立っていた。


 長い黒髪。白い肌。黒いワンピースに、白いエプロン。


 年齢は二十代半ばくらいに見えるーーけれど、不思議だった。美緒には、その女性が何歳なのか、どうしても分からない。


 若いようにも見える。

 どこか年老いているようにも見える。

 目を合わせているのに、輪郭がぼんやりとしているような。


 ただ一つ。

 その瞳だけは、はっきりしていた。ゴールド、金色。

 不思議と強く輝いて見える夕暮れの光を溶かしたような、綺麗な金色だった。


「……ここ、喫茶店なんですか?」


「そうですよ」


「昨日まで空き家でしたよね?」


「昨日まで、ですか?」


 女は少し考えるように首を傾げた。そして怪しげに微笑む。


「それは、お客様の世界ではそうだったのでしょうね」


「……え?」


「どうぞ。お好きな席へ」


 美緒は眉をひそめた。


 変な店、変な人だ。帰ったほうがいい。


 そう思ったのに、なぜか足は店の奥へ向かった。

 期待と不安の混じった妙な高揚感、心臓の音が大きく聞こえる。


 店内は外から見たよりかなり広かった。


 壁には見たことのない絵。本棚には古そうな本。


 天井から吊るされたランプには、火ではなく小さな青い光が浮かんでいる。


「……これ、電気じゃない?」


「魔法です」


「……」


 冗談なのかと思った。けれど女は笑わない。


「ご注文は?」


「えっと……コーヒー」


「かしこまりました」


 女がカウンターへ戻る。


 しばらくして、美緒の前に白いカップが置かれた。


 コーヒーの隣には、小さな皿。


 その上に、丸いクッキーが一枚乗っている。


「サービスです」


「ありがとうございます」


 美緒はカップに口をつけた。


 苦い。


 けれど、不思議と嫌な苦さではなかった。身体の奥が温かくなる。不思議とリラックスできる。ふう、と息を吐いた。


「それで」


 女が言った。


「今日は何を失くされたのですか?」


「……え?」


「お客様は、何かを探している顔をしています」


 美緒は黙った。胸の奥を、指で押されたような気がした。


「別に……」


「そうですか」


 女はそれ以上、聞かなかった。


 その代わり、カウンターの上で小さな瓶を磨き始めた。


 美緒は黙ってコーヒーを飲んだ。


 そしてーー


「……指輪」


 ぽつりと呟いた。


 女の手が止まる。


「おばあちゃんの指輪を、探してます」


 美緒は自分の手を見た。その視線は右手の薬指。そこには何もない。


「先月、おばあちゃんが亡くなったんです」


 祖母は、美緒が小さい頃からずっと一緒に暮らしていた。


 母親が仕事で遅くなる日は、いつも祖母が迎えに来た。


 学校から帰れば、「おかえり」と言ってくれた。熱を出せば、おかゆを作ってくれた。


 高校に合格した日には、自分のことのように喜んでくれた。


 そして亡くなる少し前。祖母は、美緒に古い銀色の指輪を渡した。


「これ、ばあちゃんが若い頃から持ってたんだって」


「私がもらっていいの?」


「いいよ。あんたに似合うから」


 そう言って笑った。


 けれど。


 美緒は、その指輪を失くした。


 葬儀が終わったあと、家の中を何度探しても見つからなかった。

 鞄も、机も、ベッドの下も。ゴミ箱まで探した。


 それでも、どこにもなかった。


「おばあちゃんから最後にもらったものだったから……」


 美緒は俯いた。


「見つけたいんです」


「指輪を?」


「……はい」


 女は美緒を見つめた。


「本当に?」


「え?」


「本当に、指輪が欲しいのですか?」


 美緒は答えられなかった。


「……どういう意味ですか」


「さて」


 女は笑った。


「では、一つだけ魔法を使いましょう」


 カウンターから、透明な小瓶を取り出す。


 中には液体、透明な水のようなものが入っている。


 女が指を一本、その水面に触れた。


 ――ぽう。


 水が淡く光った。


「目を閉じてください」


「……何をするんですか?」


「あなたが失くしたものを探します」


 美緒は言われた通り、目を閉じた。


 すると。


「ーーーー」


 どこからか、声が聞こえた。


『ーー美緒』


「……おばあちゃん?」


 目を開けそうになった。


 けれど女の声がする。


「まだ開けてはいけません」


 声が続く。


『美緒、今日は学校どうだった?』


 小さい頃の記憶だった。ーー夕方、ランドセルを背負った自分。


 台所に立つ祖母。


『ただいま』


『おかえり』


 それだけの会話。


 また別の日。ーー熱を出して寝込んだ自分。


『ほっといて』


『苦しくない?』


 また別の日。ーー高校の合格通知を見せた日。


『よく頑張ったねえ』


 祖母の笑顔。


 どれも、特別な出来事ではなかった。けれど。


 美緒の胸が苦しくなった。


 最後の記憶。ーー病院のベッドに横たわる祖母。


 弱々しい声。


『美緒』


『なに?』


『元気でね』


 美緒は泣きそうになりながら笑った。


『うん』


『ちゃんと、ご飯食べるんだよ』


『分かってるって』


『それから――』


 そこで記憶が途切れる。


「……」


 美緒は目を開いた。


 涙が頬を伝っていた。


 机の上に、銀色の指輪が置かれている。


「……これ」


 美緒は震える手で指輪を拾った。


「どこにあったんですか?」


「あなたの家です」


「え?」


「机の引き出しの奥」


 美緒は首を振った。


「でも、何度も探しました」


「見つからないものは、探し方を変えなければ見つからないこともあります」


「……魔法で、見つけたんですか?」


「いいえ」


 女は静かに答えた。


「魔法で見つけたのは、指輪ではありません」


「じゃあ……何を?」


「あなたが、本当に失くしていたものです」


 美緒は言葉を失った。


 店内は静かだった。


 窓の外では、商店街のシャッターが一つ、また一つと閉まっていく。


 美緒は指輪を握った。


 そして思い出した。


 祖母が最後に何か言おうとしていたこと。


 自分が、


「分かってるって」


と言って、聞かなかったこと。


 あのとき。


 本当は、祖母は何を言いたかったのだろう。


「……私」


 美緒は呟いた。


「ちゃんと、ありがとうって言ってなかった」


 女は何も言わない。ただ聞いているだけ。


「もっと話せばよかった」


 涙が落ちる。


「もっと一緒にいればよかった」


 もう戻れない。



「死んだ人を生き返らせる魔法はありませんよ」



「……そうだよね、でも」


 美緒は指輪を握りしめた。


「この指輪があれば、忘れなくて済みます」


「ええ」


「おばあちゃんのこと」


「ええ」


 美緒は立ち上がった。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


「お代は?」


 女は少しだけ笑った。


「もういただきました」


「何を?」


「今の笑顔です」


「……それ、お代になるんですか?」


「当店では」


 美緒は初めて笑った。


 扉を開ける。


 カラン、と鐘が鳴った。


「また来てもいいですか?」


 振り返る。


 女はカウンターの向こうで微笑んでいた。


「もちろんです」


「今度は友達と来ます」


「お待ちしております」


 美緒は店を出た。


 外はもう暗かった。


 商店街の街灯が、等間隔に道を照らしている。


 振り返る。


 そこには、古びた空き家があった。


「……え?」


 店がない。明かりもない。看板もない。


 ただの古い空き家。


 美緒はしばらく立ち尽くした。


 夢だったのだろうか。


 そう思った。


 けれど、手の中には銀色の指輪がある。


 祖母からもらった、あの指輪。


「……おばあちゃん」


 美緒は指輪を胸に抱いた。


 そして家へ向かって歩き出した。


 ――その翌日。


「ねえ、おじさん」


 商店街の八百屋で、美緒は店主に声をかけた。


「この前まで、あそこの空き家って空いてたよね?」


「ああ?」


 八百屋の主人が振り返る。


「昨日、喫茶店になってたんだけど」


「喫茶店?」


「うん。『月と魔法』っていう……」


 主人は怪訝な顔をした。


「何言ってんだ、お嬢ちゃん」


「え?」


「あそこはずっと空き家だろ」


「……でも」


 美緒は言葉を失った。


 その日の昼。


 商店街の掲示板に、一枚の紙が貼られた。


 誰が貼ったのかは分からない。


 そこには、子どものような字でこう書かれていた。


『昨日、あの空き家で喫茶店を見た人へ』


『私も見ました』


『店の名前は、月と魔法』


『金色の目をした女の人がいました』


『誰か知っている人はいませんか?』


 美緒はそれを読んだ。


 そして。


 小さく笑った。


 ――あの店は、やっぱり存在する。


 ただ…誰にでも見えるわけではないのだ。


 その日の夜。商店街の外れ。


 古い空き家の窓に、ぽつりと明かりが灯った。


 誰もいないはずの店内で、女が一人、紅茶を淹れている。


 カラン。


 扉の鐘が鳴った。


「いらっしゃいませ」


 振り返る。


 そこに立っていたのは、長い耳を持つ少女だった。


 少女は怯えたように店内を見回した。


「……ここは、どこですか?」


 女は微笑む。


「喫茶店ですよ」


「喫茶店……?」


「ええ」


 少女は震える声で言った。


「お願いがあります」


「どうぞ」


「私の国を、助けてください」


 女は静かに笑った。


「それでは、お客様」


 カウンターの上に、一冊のメニューを置く。


「まずは何か、お召し上がりになりますか?」


 少女はメニューを見つめた。


 その一番上に書かれていた。


 ――本日のおすすめ。


 『忘れられない人のための月夜の紅茶』


 店の外では、誰も知らない。


 商店街の片隅にある古びた空き家が。


 今夜もまた。


 別の世界への扉を開いていることを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。