深きもの
――さっちゃんと出会ってから数日後。
試験勉強は順調であったが、息抜きを兼ねて異界化の確率が高い某所へとやってきていた。
「というわけで、今日はここら辺に業魔が出るらしい」
「それは良いけど……試験は大丈夫なの?」
お互いに魔法少女の姿になってビルの屋上に立っていると、さっちゃんは俺の方を心配そうに見上げてくる。
「なぁに、構わないさ。根を詰めてばかりいても効率が悪いからね。たまにはこうして息抜きも必要なのさ」
「まぁ、言いたいことは分からなくもないけど」
俺の言葉を聞いて、さっちゃんは複雑そうにしながらも一応は納得したように頷く。
そして「あ」と何かを思い出したかのように小さく声を上げた。
「そういえば、前から気になってたんだけどさ。なんでリライターの時はそんな芝居がかった喋り方なわけ?」
「なんで……と言われてもねぇ。初めて変身したときから自然とこの口調が馴染んじゃってさ。まぁ、今ではすっかり板についたし、むしろ喋っていて楽しくなってきたくらいだね」
最初こそ照れもあったが、ミステリアスな第三勢力の美少女として振舞うのはなかなかにテンションが上がって楽しいのだ。
「ミステリアス……美少女……?」
『魔法少女オタクのやべー女にしか見えねぇよな』
さっちゃんと、グランが失礼な感想を投げつけてくる。
「なんと! どこからどう見ても底知れぬミステリアスさを放っているだろう? なぁ、マキナ」
『え、あ、そっすね』
相棒のマキナから同意を得られたので、俺は満足げな笑みを浮かべてさっちゃんたちを見る。
「ほら、相棒もこう言っている」
「……まぁ、宵――じゃなかったリライターがそれで満足してるなら、別にいいけど」
さっちゃんもこれ以上はツッコむまいと、苦笑しながら視線を逸らした。
「さて、雑談もここまでにしようか。――そろそろ来るよ」
さっちゃんたちとの会話をパッと切り上げ、周囲に神経を研ぎ澄ますと、背筋にゾワゾワと嫌な悪寒が走り始める。
異界化特有の空間の歪みの前兆だ。
直後、ブワッと不気味な黒い瘴気が周囲の空間を塗りつぶしていく。
足元のコンクリートがまるで泥水のようにぬかるみ、足が取られて動きにくくなる。鼻腔を突くような生臭い潮の香りが漂い始め、澱んだ空間のあちこちから、おぞましい気配が這いずり出てきた。
「ギョ、ギョギョ……!」
「ギョオオッ!」
現れたのは魚だった。
いや、魚の姿を模した、何か別の悍ましい生物と言った方が正確だろう。
サイズは人間大ほどもあり、不気味に発達した人間のそれに酷似した手足が生えている。
陸上を嫌がるようにパクパクと大きな口を荒く開閉させながら、濁った死んだ目玉で周囲をキョロキョロと見渡している。
それが次から次へと地面から湧き出し、あっという間に群れを形成していた。
「うわっ、何あれ……めちゃくちゃ気持ち悪いんだけど」
そんな悍ましい魚群の群れを目の当たりにし、さっちゃんは思わず口元に両手を当てて青ざめる。
カルマレイドでは定番の雑魚敵なので俺自身は見慣れているが、知識のない人間からすれば悪夢のような光景だろう。
こいつら1体1体の戦闘力はそう高くはないが……とにかく数が多いのが厄介な点だ。
「――深きもの達さ。とにかく数が多くて処理に手間取るから、ここは手分けして片付けよう」
そしてついでに、現場に駆けつけてくるであろう本物の魔法少女たちの雄姿を見届けさせてもらおう。
「え、アタシも戦うの……?」
「当然さ、そのためにこうして連れてきたんだからね」
グランのせいとは言え、さっちゃんには前科がある。
こういう実戦の場で社会奉仕をしてもらい、少しでも罪滅ぼしをしてもらわねばならない。
それに、自分たちが敵ではないとアピールする狙いもある。
どうやら、こちらが思っている以上に俺たちのことを警戒しているようだからな。
こんなに友好的で無害なオタクなのにね。
「もし気が進まないなら、無理をせず引いてもいいけれど……」
「……ううん、やるわ。アタシも、ちゃんと戦う」
ディープマーマンの群れを見て最初は怯えていたさっちゃんだったが、すぐに表情を引き締め、覚悟を決めたように力強く頷いた。
「この力を正しく使って、いつかみんなに認められたいの……。それに、リライターの言葉にも応えたいから」
「その言葉が聞きたかった。それじゃあ、私はあちら側を。君は向こうを頼むよ。何かあったらすぐに連絡してくれ」
俺が指示を飛ばすと、さっちゃんは「分かったわ」と返事をし、華麗に飛び出していく。
「さて、私も行こうか」
そう独りごちると、俺はビルの屋上から軽やかに跳躍し、群がるディープマーマンたちの頭上へと舞い降りた。
◆
今回の異界化はダンジョンほどの規模ではないものの、それでも商店街を丸ごと飲み込むほどの広範囲に及んでいる。
一歩間違えばダンジョン化しかねない危険な瀬戸際だ。
思った以上に一般人が巻き込まれているらしく、現場に駆けつけている魔法少女たちの数も明らかに足りていないようだった。
「――雷光!」
少し離れた路地裏から、鮮やかな雷属性の魔力を纏った魔法少女の声が響く。
彼女は両端が鋭く尖った金属製の法具――独鈷杵型のアーケインデバイスを力強く振り回し、群がるディープマーマンたちを次々と感電させて奮闘していた。
今回の敵の属性を考えれば相性自体は悪くないはずだが、いかんせん物量が多すぎる。
彼女はすでに息を荒くし、汗だくになりながら必死に戦っていた。
「くっ、倒しても倒してもキリがないじゃない……! 最近、こんな面倒なんばっかりじゃないのよ!」
「ギョギョギョーッ!」
「しまった……っ!」
疲労から生じたわずかな隙を突くように、泥の中から這い出た1体のディープマーマンが背後から彼女へと飛びかかる。
魔法少女が慌てて振り返り魔法を放とうとするが、体勢が崩れていて間に合わない。
さらに悪いことに、足元の地面からさらに2体の同族が飛び出し、彼女の両足をガッチリと掴んで完全に自由を奪った。
「ひっ……!」
死を予感したのか、少女は恐怖にぎっとりと目を閉じる――だが、いつまで経っても衝撃はやってこなかった。
「大丈夫かい、お嬢さん」
「……っ? あ、あなたは……リライター! どうしてここに!」
どうやら、俺の姿や二つ名はすでに一部の魔法少女たちの間ではそれなりに周知されているらしい。
目の前で襲いかかっていたディープマーマンを一瞬で両断した俺を見て、少女は驚愕と警戒が入り混じった顔で叫ぶ。
「君たちを手伝いに来たのさ。なに、困っている美少女を見過ごせない性分でね」
そう言って俺は、敵意の無い笑みを浮かべてみせる。
「ひいっ……!」
にもかかわらず、少女はなぜかガタガタと全身を震え上がらせてしまった。
――前々から薄々感じてはいたんだけどさ、俺が微笑みかけると、みんなもれなく怯え始めるのはなぜなんだい?
『知らぬが仏ってやつだな』
ねぇ、待って。どういうことだ、マキナ。
脳内で問い詰めるが、相棒はなぜか完全な沈黙を貫く。
くそ、俺が一体何をしたって言うんだ……!
「と、とにかく……君は一般人の救助を優先してくれ」
気まずすぎる空気に耐えかね、俺はそう言うと誤魔化すようにその場を後にする。
気を取り直して、俺はこの異界の元凶であるボスを探し、エリアの最奥へと足を向ける。
やがて、周囲の建物の影から、ひときわ巨大な異彩を放つ影が姿を現した。
――それは、見上げるほどに巨大なタコ型業魔だった。
そして、そのグロテスクにうねる無数の触手の一つに、一人の黒髪の少女が縛り上げられて宙吊りにされている。
「助けて、誰か――!」
奴が全身から発散させるドス黒い瘴気の濃さからして、間違いなくこいつが今回のダンジョンのボスに違いなかった。
「ターコタコタコーッ!」
タコ型業魔は気色悪い吸盤のついた触手をクネクネとうねらせながら、周囲の電柱や建物の外壁を破壊して暴れ回っている。
いや、タコは絶対にそんな鳴き方しねぇよ!
「いやぁぁぁ……っ!」
業魔が暴れるたびに、触手に絡め取られた少女が悲鳴を上げる。
これ以上放置するわけにはいかない。俺はマキナを構え直し、地面を蹴って一気に空中へと飛び立った。
「そこまでだ、軟体動物の分際で乙女を弄ぶとはいい度胸じゃないか!」
俺は叫びながら、マキナの刀身に濃厚な魔力を漲らせ、少女を縛り上げる太い触手へと肉薄する。
――一閃。
漆黒の軌跡を描いた刃が、ゴムのような弾力を持つ触手を鮮やかに両断した。
「タコッ!?」
突然の闖入者、しかも一撃で自身の一部を断ち切られたことに、タコ型業魔は間抜けな驚愕の声を上げる。
「レディーを雑に扱うものじゃないさ」
落下していく少女を、俺はそのまま華麗に優しくお姫様抱っこで受け止める。
助け出された少女は、サラサラとした長い黒髪に、どこかあどけなさを残した愛らしい顔立ちをしていた。
そして――驚いたことに、彼女はなぜか身に纏う衣服がほとんどない、文字通りの全裸状態だった。
いや、これはどう考えても事案不可避である。
あまりの目のやり場なさに冷や汗を流しながら、俺は即座に自分の肩から羽織っていた漆黒のマントを外し、彼女の体を包み込んでやる。
ふう、危ない危ない。リライターじゃなかったら致命傷だったぜ。
「あ、ありがとうございます……」
少女は震える手でマントの裾をキュッと掴み、おずおずとお礼を口にする。
俺は安心させるために柔らかく微笑もうとして――直前でその動きをぴたりと止めた。
さっきの魔法少女の反応を思い出すと、ここで変に笑うとまた恐怖心を煽る気がしたからだ。
その代わり、言葉の代わりに彼女の頭を優しくポンポンと撫でてやり、それから冷たい視線をタコ型業魔へと向けた。
「さて……《《活け造り》》の時間だ」
「ギョエエエッ!」
俺に触手を切り落とされたタコ型業魔は、青紫色の体表を怒りで真っ黒に染め上げながら、残された十数本の触手を鞭のようにしならせて一斉に叩きつけてきた。
その一撃一撃はアスファルトを粉砕し、周囲に砂煙のクレーターを穿つほどの重い破壊力を持っている。
『おい、少しは手加減しないと形が残らんぞ。タコ焼きにするなら細切れの方がいいがな』
たこわさもいいぞ。
脳内でマキナの軽口をいなす間にも、全方位から数多の吸盤が目にも留まらぬスピードで迫り来る。
だが、リライターとしての身体能力と研ぎ澄まれた動体視力の前には、単なる大振りな攻撃にすぎない。
俺は抱えていた少女を安全なビルの庇の下にそっと降ろすと、一歩前に踏み出した。
「甘いね」
至近距離まで迫った巨大な触手を、俺は紙一重の軌道で華麗にステップを踏んでかわしていく。
すれ違いざまにマキナの刀身を滑らせ、タコ型業魔の皮膚を浅く、しかし確実に切り裂いていく。ツルツルとした外皮から紫色の粘液が飛び散り、タコ型業魔は激痛に身悶えするように身をよじった。
「タコタコァッ!」
怒り狂った本体が、巨大な頭部を丸ごとこちらへ向けて突進してくる。体当たりと同時に、口元から強烈な高圧水流が放たれた。直撃すればビルの壁面すら貫通する水圧のレーザーだ。
「――ふっ、ずいぶんと面白い水芸だ! 芸人に向いているよ」
俺は身を翻し、飛来する高圧水流を鮮やかに跳び越える。
空中で一回転し、マキナの柄を両手でしっかりと握りしめる。内部の精巧な歯車がガチリと噛み合い、刀身から眩い漆黒の魔力が奔流となって吹き上がった。
「これにて終幕だ!」
重力を無視して急降下しながら、俺はタコ型業魔の頭頂部に向かって渾身の一撃を振り下ろす。
刀身に纏った漆黒の魔力がドリル状に変化し、タコ型業魔の硬い外殻を豆腐のようにたやすく穿ち抜いた。
「ギ……ガ……ッ……!」
断末魔の叫びをあげる間もなく、業魔の巨体は中心から真っ二つに裂け、次の瞬間には黒い粒子となって夜空へと霧散していく。
周囲を覆っていた澱んだ異界の気配も、ボスの消滅に伴って急速に薄れ、見慣れた日常の景色へと戻っていった。
「――ふぅ。これにて一件落着、といったところか」
俺がカッコよく納刀のポーズを決めて振り返ると、助け出した少女はきょとんとした顔でこちらを見上げていた。
「――助けていただいて、本当にありがとうございます。私、ヤマ……山田 花子って言います」
おや、なんとも古風な名前。
「山田花子ちゃん、か。いい名前だね。怪我はないかい?」
「はい、おかげさまで……」
こうして、俺と山田花子ちゃんという少女は出会うのだった。




