第1章エピローグ
――暗い、昏い、光の届かぬ深淵の闇の中。
歪んだ空間の各所に、ゆらりと不気味な複数の影が浮かび上がる。
「……羅刹女の反応が消えたわ」
床にまで届くほどの艶やかな漆黒の長髪を、真っ白な指先で静かにかきあげながら、白磁の肌を持つ少女がぽつりと呟いた。
その氷のように冷たい一言に、周囲を取り囲む影たちがざわめき出す。
「馬鹿な……羅刹女が、たかだか人間ごときに負けたとおっしゃるのですか?」
「何かの間違いではございませんか、夜摩様!」
動揺を隠せない部下たちの訴えに対し、夜摩と呼ばれた少女は静かに、そして力なく首を横に振る。
「……残念ながら真実よ。それも、ただ敗れたのではないわ。どうやら――あの忌々しい《《罪》》の手によって、一方的に滅ぼされたようね」
「罪……! あの悪しき旧時代の遺物が立ち塞がったというのですか……!」
「おのれ……よくも我らが同胞を……!」
「やはり人間という種族は業に染まりきっている! 一刻も早く、我が手で等しく浄化せねば……!」
夜摩の言葉を受けた三体の影たちが、思い思いに憎悪と憤怒を吐き散らす。
その中のひとつの影が、意を決したように夜摩の足元へ歩み寄り、恭しく片膝を突いた。
「夜摩様! 次はぜひ私めにお命じください! その《《罪》》とやらもろとも、人間どもを灰燼に帰してみせます!」
「――まだ打つ手を進めては駄目よ」
静かだが強い拒絶の意思を含んだ声に、ひざまずいた影は息を呑む。
「一年近く前に解き放ったプロトタイプはまだしも、羅刹女には私の力を存分に分け与えていたわ。……それだけの力を得ておきながら、反撃の隙すら与えられず完膚なきまでに屠られたのよ。迂闊に動けば、今度はあなたが狩られるわ。……今は少し、様子を見る必要があるわね」
夜摩の制止に到底納得がいかない様子で、影はなおも言葉を重ねようとした。
しかし、仰ぎ見た夜摩の顔を目にした瞬間、喉まで出かかった言葉を飲み込んで硬直する。
――なぜなら、夜摩の見とれるほどに美しい顔に浮かんでいたのは、静かなる激情。底知れぬ激怒と、深遠なる憎悪に満ちあふれていたからだ。
「《《罪》》め……絶対に、絶対に許さないわ……! 私が必ず、あなたたちを根絶やしにし……この愚かな世界と人間どもを正しく浄化し、救済して見せるわ――!」
本来であれば、《《罪》》と呼ばれる存在たちは夜摩の封印の力によって抑え込まれ、表舞台へ出てくるはずのない存在であった。
もし仮に封印が解け、奴らが目を覚ます時があるとすれば――それは《《夜摩自身が滅び去った》》時以外にあり得ないのだ。
だが、夜摩の力は今も衰えておらず、封印の結界も健在のはずであった。
それにも拘わらず、寄りにもよって長姉である傲慢の妄念具――デウス・エクス・マキナが目覚め、それに呼応するかのように各地に眠る他のディザイアまでもが覚醒し始めている。
「夜摩様……」
凄まじい殺気を漏らす彼女の背中を、影たちはただ息を呑んで心配そうに見つめることしかできない。
「――ごめんなさい。……ふぅ、大丈夫よ」
数秒後、夜摩はすっと表情を緩め、溜息を吐きながらいつもの優雅な笑みを浮かべた。
「今まで通り、下級の業魔は地上へ放ち続けなさい。人間の歪んだ欲望を回収し、浄化活動を進めるわ。……忌々しくも私の妹の力を借りて抗う魔法少女どもは胸糞悪いけれど、今は大した脅威ではないわね」
吐き捨てるようにそう語ると、夜摩は漆黒の闇の奥をじっと見つめる。
「まずは、あのリライターとかいう罪をどうにかしなければならないわ。奴が一体何者なのか、いかなる権能を持つ人物なのか……徹底的に洗い出す必要があるわね」
羅刹女が消滅するその直前、残された念波通じてリライターに関する映像が夜摩のもとへ届けられていた。
画面越しにも伝わる絶大な破壊力、理不尽なまでの無双ぶり、そして……正気とは思えぬ狂信的な笑み。何もかもが異常であり、不気味極まりなかった。
だからこそ、あの存在を放置することはできないと彼女は確信していた。
「覚悟していなさい、リライター……」
――そして。
ラスボスである夜摩が己に対して激しい憎悪を募らせ、ましても原作が崩壊を起こしているなどという事実を。
当の本人であるリライター――明星宵は、知る由もなかった。
(ふぁ~あ……やっぱり我が家のベッドが一番だな。合宿の疲れが一気に吹き飛ぶよ)
学園からの帰宅後、自室のベッドでゴロゴロと漫画を読みながら呑気にくつろぐ宵。
もし、自分が女王自ら『最優先排除対象』としてロックオンし、世界線が修復不可能なレベルな事実を知ったなら――
彼は間違いなく、その場で泡を吹いて倒れ、大量の吐血をすることになるだろう。
すでに原作の運命から大きく逸脱してしまった物語。
その結末がどこへ行き着くのかは――もはや、誰にも分からない。




