ゾンビハザード
――静まり返る、薄暗い深夜の山道。
ポニーテールとショートカットヘアの二人の女子生徒が、一本の懐中電灯を身を寄せ合うようにして握りしめ、ビクビクしながら歩いていた。
「うう、怖いよぉ……頼むから手、絶対離さないでね……っ」
「そ、そっちこそ離さないでよ……っ! 」
お互いの手を力任せに握り締め、爪が食い込むのも構わずソロソロと歩を進める二人。
――ガサリッ。
突如として道端の茂みが大きく揺れ、二人は「ひゃいっ⁉」と情けない悲鳴を上げて跳ね上がった。
「ヒッ、今……な、何かがそこで動いた……っ」
「き、きっと風だよ! もしくは動物! 絶対そう!」
ショートカットの少女が怯えきった声を張り上げるのに対し、ポニーテールの少女は自分自身に言い聞かせるように気丈に振る舞ってみせる。
二人はゴクリと生唾を飲み込むと、意を決して懐中電灯の光を茂みへと向けた。
直後、ガサゴソと小さな影――一匹のタヌキが茂みから飛び出し、脱兎のごとく暗闇の彼方へ走り去っていく。
タヌキなのに脱兎とはこれいかに。
「ひぃっ……! って、なんだ……本当にタヌキ……?」
「いや、今の尻尾の模様……イタチじゃない?」
「えー、ハクビシンじゃないの?」
極度の緊張から解放された反動か、恐怖を紛らわせるようにどうでもいい考察を語り合い始める二人。
「と、とにかく! やっぱりただの動物だったんだよ」
「そうだね……。そもそも驚かせ役だって同じ生徒だし、そんなビビる必要なんて――」
安堵の息を漏らしたショートカットの少女が、何気なくポニーテール少女の《《背後へ視線を向けたまま固まった》》。
「? どうしたの?」
ピタリと動きを止めた友達の様子に首をかしげるポニーテール少女。
「う、うし……うしうし……っ」
「もう、牛がどうしたのさ。こんな山奥に牛なんているわけ――」
怪訝そうな表情を浮かべるポニーテール少女に対し、ショートカット少女は涙目で顔を蒼白にさせ、必死に首を縦横に振っている。
「う、後ろぉぉぉおっ!」
「へ?」
ただならぬ友人の悲壮感に押され、ポニーテール少女がおそるおそる背後を振り返る。
――そこにいたのは。
まず目に入ったのは、恨めしそうにこちらを射抜く二つの赤く血走った眼光。
この世のあらゆる存在を憎悪していると言わんばかりに、目頭からドロリとした血の涙を流している。
そして、緩く開いたその口元からは、ボトボトと百足や不気味な虫が地面へと零れ落ちていた。
「ウ……ア、アアア……ユリ……タスカル……ッ」
「「――ヒギャアアアアアアアアアッ!!!」」
あまりにもグロテスクでリアルすぎる異形の登場に、二人の少女は甲高い絶叫を山中に響かせると、手をつないだまま全力疾走していった。
……嵐のように去っていった二人を見送り、俺はクスリと笑う。
「――ふぅ、ごちそうさまでした」
そして胸の前で綺麗に手を合わせ、感謝の礼を述べる。
ていうか、正体は俺だった。
現在俺は、マキナのバックアップのもと、怪異に扮して通りかかる生徒たちを片端から恐怖のどん底へ叩き落としていた。
今のところ戦績は上々。女子ペアからは期待以上の最高に極上なリアクションを頂戴している。
『《《ご苦情の》》間違いではないのか?』
脳内で呆れた声を上げる相棒に、俺は心の中でフンと鼻を鳴らす。
何を言うか。俺はお化け役だ。
相手が恐怖で叫び声を上げて逃げ出せば、それは演出として100点満点の成功なのである。
おかげで、恐怖のあまり抱き合ったり手を繋ぎ直したりする様々な尊い青春の光景を最前線で観賞できて大満足だ。
ちなみに、久遠くんたちのペアは順番的に最後の方なので、まだここには到達していない。
「ていうかさマキナ。文句言いつつ、お前だってかなりノリノリじゃないか」
立ち込めさせる不気味な靄の雰囲気作りといい、目を血走らせる幻影や、口からボロボロ溢れ出す謎の虫エフェクトはすべてマキナによる演出だ。
流石の俺も、自分の口から本物の虫っぽいやつを排出するのは生理的にご遠慮願いたいからな。
『まあ……それは否定せん。人間の放つ負の感情や恐怖の波動は、我の好物だからな……』
心なしか、どこかバツが悪そうな声で言い訳するマキナ。
「くくく、貴様も相当な悪よのう」
『ふっ……貴様ほどではないがな。クックック……』
悪代官と悪徳商人みたいなやり取りを心の中で繰り広げる。
さて、無駄話はここまでにしていざ再開だ。そろそろ次のターゲットがやってくる時間だからな。
――しかし。
その後、どれだけ待っても次のペアが姿を現すことはなかった。
「……遅いな。来ないぞ?」
『ふむ……山道ゆえ、どこかでルートを外れて迷っているのではないか?』
「いや、それはないはずだけど……」
マキナの推測に、俺は首を横に振る。
確かに暗い山の中というロケーション柄、遭難のリスクはゼロではない。
だが、今回の肝試しルートは木々の間にロープがガッチリ固定されており、一本道で途中に分岐すら存在しないのだ。
もし仮に、先行した一組が奇跡的にロープを越えて迷子になったとしても、それ以降の後続組まで全員が示し合わせたように迷うなんてことは考えにくい。
ましてや、まだ久遠くんたちの組も来ていないのだから、肝試し自体が途中で終了したわけでもないはずだ。
『ならば、スタート地点で何らかのトラブルでも起きたのではないか?』
可能性としてはあり得るが……そういう事態に備えて、お化け役の生徒には連絡用のインカムとトランシーバーが支給されている。
山中ゆえにスマホは圏外だが、無線が通じるなら本部から何らかのアナウンスが入るはずだ。
しかし、そのインカムすらも静寂を保ったままである。
「試しに、こっちから本部へ連絡してみるか」
嫌な予感を覚えつつ、腰に装着していた無線機の電源ダイヤルを回す。
ランプは点灯したものの、スピーカーから流れてくるのは『ザザッ……ザザザ……』という不快なノイズ音だけだった。チャンネルを切り替えても一切応答がない。
「あれ……機械の故障か……?」
『壊したのではないか?』
「馬鹿野郎、俺がそんなお約束なポカをするわけないだろ」
マキナの的外れな疑いに反論しながら、アンテナの角度を変えたり受信部を叩いたりしてみる。
――トントン。
と、その時。
俺の肩を、誰かが後ろから小突いてきた。
「ええい、誰だ! 今インカムの調整で忙しいんだよ――」
鬱陶しそうに肩を振り返った俺は、言葉を失った。
「……」
「……」
――《《目と目が合う》》。
だが、そこに甘酸っぱい恋が生まれる気配など微塵もなかった。
俺の目の前に立っていたソレには、眼球が存在しなかった。
ぽっかりと空いた黒い眼孔が、こちらを無感情に見つめている。
血の気が完全に引いた土気色の皮膚、ボロボロに引き裂かれた衣服。
不揃いに砕けた歯の隙間から、腐臭の混じった生臭い息が吐き出されていた。
「……ア゛ア゛ー……」
濁った、この世のものとは思えない低音の呻き声。
「――ゾンビじゃねーか⁉」
「ッ! ブアアアアアアアアッ!」
俺の叫び声に反応し、ゾンビは威嚇の咆哮を上げながら、爪を振りかざして襲いかかってきた。
一瞬、生徒の誰かが仕掛けた高度なイタズラかとも疑ったが、その眼孔に宿るドス黒い殺意と死臭は紛れもない本物だった。
「マキナッ!」
俺は即座にマキナを顕現させ、一瞬でリライターへと変身を遂げる。
迫るゾンビの振り下ろしを間一髪で回避し、漆黒の大剣を一閃。
首を刎ね飛ばされたゾンビは、断末魔を上げる間もなく漆黒の粒子となって空間に溶けて消えた。
この消滅パターンは間違いない、業魔だ。
そして、俺はこの敵を《《知っている》》。
通常の業魔の上位種であり、業魔の女王に仕える幹部――原作における四天王『天魔』。
天魔はそれぞれ炎・土・風・水を司っており、その中でこうした死体やアンデッド型の業魔を自在に生み出し操るのは――土の天魔『羅刹女』だ。
だが……これはあまりにもおかしい。
「馬鹿な……《《時期が早すぎる》》……っ」
原作の展開において、土の天魔・羅刹女はもっと先だ。
そもそも、この合宿イベントの最中に急襲イベントなんて存在しないはずだ。
『宵! まずいぞ、このあたり一帯の空間……すでに異界ダンジョン化しておる!
我でさえ《《今になってようやく察知した》》!』
「……前々からちょっと怪しいと思ってたんだけどさ。君の索敵センサーって、実は結構ポンコツじゃないかい?」
俺が思わずジト目で指摘すると、マキナは心外だとばかりに脳内でギャンギャンと声を張り上げた。
『なっ……! そ、そんなわけあるか不敬者め! 我の感知能力は絶対だ!たまたま空間の歪みが特殊だっただけで、ちゃんと分かっておったわい!』
「その割には気づくの遅すぎだし、前も魔法少女の接近に反応したの私より遅かったよね……」
『それはお前が異常なだけだろっ!』
マキナの反論をサラリと受け流しつつ、俺は改めて周囲の状況を鋭く観察する。
確かに、空気が重く、強烈な死臭が漂っていた。
木々の隙間を漂うのはゾンビだけでなく、骨だけの魔物であるスケルトンや、青白い燐光を放つゴーストの群れだ。
本来、業魔の女王から生み出される業魔は有機物という縛りがあるためゴースト系は設定上グレーゾーンなのだが、「人々の未練や怨念が肉体を離れて結晶化した」という公式フレーバーテキストによってセーフ判定されている連中だ。
出現しているモンスターの生態系から見ても、ここが羅刹女の構築した墓場型の異界ダンジョンに変貌しているのは疑いようもない。
本来なら、成長した久遠くんたちが挑むべき相手なのだが……今の彼らにはあまりにも荷が重すぎる。
何より、原作シナリオから乖離した不確定要素が多すぎるのだ。
ならば――ここは俺が直接介入し、軌道修正を図るべきだろう。
「まったく……どいつもこいつも《《私の思い描く完璧なシナリオ》》を勝手に無視して……嫌になっちゃうよ!」
俺が愚痴をこぼしたその時――暗闇から、切迫した女性の悲鳴が風に乗って響いてきた。
「キャーッ! 誰か、誰か!」
間違いなく、この急激なダンジョン化に巻き込まれた被害者だ。
俺はすぐさま跳躍し、悲鳴の発生源へと疾走する。
「いやあああっ! 来ないでええっ!」
木々をかき分けた先で逃げていたのは、丸眼鏡をかけた白髪の女性――この合宿施設の職員である朝杜 栖夜さんだった。
朝に挨拶した時にはパリッと着こなされていたスーツが、必死に逃げ惑ったせいで大きく乱れ、肩口や胸元が強調されていて……不謹慎ながら大変エッチッチである。
……って、アホな煩悩を抱いている場合じゃないな。
俺は思考を切り替えると影から飛び出し、彼女に襲いかかろうとしていたゾンビの群れへ肉薄。
大剣を一閃し、二体のゾンビを一刀両断した。
まったく、ゲームの時も思っていたが、ゾンビの癖に走るんじゃないよ。
ゾンビは歩きなさい!(過激派)
「怪我はないかい、朝杜さん」
「あ、ありがとうございます……! ……えっ? あの、どうして私の名前を……?」
やっべ。
あまりに自然に名前を知っている前提で話しかけてしまい、俺はパシッと己の口を手で押さえた。
『お前……本当に土壇場でのうっかりが多いな。学習というものを知らんのか?』
うるさいやい! こんな不測の事態なんだからうっかりくらいするだろ!
脳内で呆れ返るマキナに心の中で逆切れしつつ、俺は咳払いを一つ。
「――《《そんな細かいことは、今の状況において大した問題ではないだろう?》》 それより、何があったのか説明できるかい?」
俺は胡散臭いミステリアス雰囲気を前面に押し出し、強引なゴリ押しで会話を煙に巻く。
「そ、それが私にも何が何だか……。生徒さんたちの安全を確保するため、肝試しルートの定期巡回をしていたのですが、急に周囲の景色が不気味に変貌して……っ」
やはり、何の前触れもなく空間そのものが異界ダンジョン化させられたらしい。
放置すれば合宿中の生徒全員に命の危険が及ぶ。早急に元凶である天魔を叩く必要があるだろう。
「どうやら、悪意ある何者かによってこの一帯がダンジョンへと変貌させられたようだ。私はすぐに元凶を討伐に向かうが……ここに隠れて待つか、私についてくるか、君自身で選びたまえ」
俺がそう問いかけると、朝杜さんは恐れに震えながらもしばらく葛藤し、やがて意を決したように顔を上げた。
「つ、連れていってください……! 一人でこんな気味の悪い場所に残されるのは……耐えられそうにありませんから」
「――わかった。ならば、離れずについてくるといい」
俺は怯える朝杜さんを背後に庇いながら、天魔『羅刹女』が潜むダンジョンの最深部を目指して足を踏み出すのだった――。




