最推しとデート
「――つまりだな。君の魔法少女を応援したいという純粋な気持ち自体はよくわかる。それに、他人の嗜好に野暮な口出しをするのも無粋だとは理解しているのだ」
拝啓、この世界では存在すらしないお母様。
どういうわけか現在、私は最推しである軍荼利姉さんとオシャレなカフェで対面し、お茶をご馳走になっております。
……どうしてこうなった⁉
『何をさっきから内心で狼狽しておる。素直に喜んだらどうだ? 貴様、この娘のことが大層お気に入りなのだろう?』
好きだよ⁉
でも、恋人になりたいとかそういう次元の話じゃないんだよ!
なんというか……俺の理想としては、壁か空気になって、遠くの特等席から彼女の尊い日常を眺めていたいのだ。
その素晴らしい画面の中に、俺というノイズが直接混ざり込むのは解釈違いというか、何かが違うのである。
『人間というのは本当に面倒で不可解な精神構造をしておるな。……いや、貴様の脳内がおかしいだけか』
脳内で呆れ果てた溜め息をつくマキナ。
違うんだって! オタクの心理として全員がそうとは言わないが「推しは観賞対象であり、交際対象ではない」という層は確実に存在するんだよ!
「おい、少年。聞いているのか?」
俺が脳内でマキナと必死に解釈バトルを繰り広げていると、向かいに座る軍荼利姉さんがジロッと眉をひそめて睨んできた。
「あ、はい! もちろん聞いてます! 俺が急に倒れたから膝枕で介抱してくれたというお話で……っ」
「それはもうだいぶ前の話題だ! まったく……私は君の身を本気で心配して話しているのだぞ」
いかん、推しが至近距離で会話してくれているという現実の破壊力が高すぎて、いつも以上に思考回路がショートしている。
「いいか? 君の安全のためにも、異界化の予報が出ているような危険な場所には極力近づかないでほしいのだ。私たち魔法少女が、いつも君を守れるとは限らないのだから……」
姉さんはそう言うと、真剣そのものの眼差しで俺を見つめてくる。
その声には、市民の安全を心から願う魔法少女としての優しさと責任感が満ちあふれていた。
ここは「はい、分かりました」と素直に頷いて自重するのが、正しい回答なのだろう。
――だが、こればかりは絶対に譲れない。
『魔法少女を推す』という行為は、俺にとって単なる趣味や娯楽ではない。
俺の魂そのものなのだ。
画面の向こうのゲームだったカルマレイドが現実となった今、彼女たちの戦いを見守り、応援し続けることは、この世界に生を受けた俺の生き様であり、魂に刻まれた宿命なのだ。
これを否定してしまえば、俺は自分自身を見失ってしまう。
もはや理屈を超えた本能なのだ。
「――ご心配いただき、本当にありがとうございます。ですが……これだけは譲れません。だけど安心してください。絶対に無理はせず、異界化した危険区域には決して立ち入らないと約束します」
俺は真っ直ぐに姉さんの瞳を見つめ返し、真摯に言葉を紡ぐ。
「……はぁ、まいったな。君のその目は、なにを言われても意地でもやり通す男の目だ。……魔法少女としては君を厳しく諌め、強制的に遠ざけるべきなのだろう。だが、そういう強い信念を持った者にただ制限をかけるのが、かえって逆効果になることも知っている」
姉さんは盛大に溜め息を吐くと、呆れつつもどこか降参したように目元を緩めた。
「ならば、私と三つの約束をしてくれ。第一に、危険には絶対に近づかないこと。第二に、万が一業魔に出会ったら真っ先に逃げるか、身を隠すこと。第三に、絶対に無理をしないこと。……いいな?」
「はい、固くお約束します」
――俺としては、そう約束しよう。
実際、素の俺はただの無力な人間だからな。
だが、リライターとしては話が別だ。
あれは俺であって、俺ではない。
推したちの平穏と青春を守るために生まれた舞台装置。
無理をしてでも運命を書き換えるのが、あの姿の役目なのだから。
「うむ、分かってくれれば――」
姉さんが満足そうに頷こうとした、まさにその瞬間だった。
ガシャンッ‼ と凄まじい衝撃音が響き渡り、カフェのガラスが粉々に砕け散った。
店内を切り裂いて飛び込んできた《《何か》》に対し、姉さんは反射的に身を乗り出し、俺を庇うように立ち塞がる。
「グ、ギエ……グ、ギエ……っ!」
室内に転がり込んできたのは、ドロドロとした黒い泥のような不定形の物体だった。
その中央には、充血した巨大な目玉が一つ、ギョロギョロと不気味に蠢いている。
さらにその下には、不釣り合いなほど整った人間の歯並びをした口が開かれ、歪な鳴き声を撒き散らしていた。
「フングル……イ……フタ……グン……イア……アザト……ス」
泥の塊は、呪詛のような意味不明な単語をブツブツと溢し続ける。
「なんだこれは……⁉ 業魔……なのか……?」
アーケインデバイスを構え、警戒を最大に高めながら姉さんが戦慄の声を漏らす。
彼女が困惑するのも当然だ。なにせ、原作を熟知している俺ですら、こんな不気味な個体は見たことがない。
業魔の形態は多種多様だが、姿は実在する動植物や伝承のモンスターだ。
ゴーレムなどのような無機物は存在しない。
ドロドロと増殖するように蠢く泥の塊。
姉さんは瞬時に危険を察知すると、店内に向かって毅然とした声を張り上げた。
「皆さん! MAHO所属の軍荼利焔華です! 落ち着いて速やかに店外へ避難してください!」
「えっ、軍荼利焔華!? 本物だ!」
「キャーッ! 業魔!? 業魔が出たの!?」
最強の魔法少女の宣言に、店内は一気にパニックと喧噪に包まれる。
「いいから逃げてください! 業魔と思しき未確認個体です! まだ異界化の侵食は始まっていません、今のうちに遠くへ!」
姉さんの指示で事態の異常さを理解した客たちが、悲鳴を上げながら一斉に店の出口へと押し寄せた。
「少年、君も早く逃げるんだ」
「は、はい! 軍荼利さんもお気をつけて!」
ここで俺が足を引っ張るわけにはいかない。
一般人のフリを全うするため、俺は周りの客に混ざって出口へと走ろうとする。
「テケ……シャメッシュ、シャメッシュ……‼」
――だが、その脱出は叶わなかった。
泥の物体が、あたかも詠唱を完了させたかのように甲高い咆哮を上げた。
直後、泥の塊が爆発的な勢いで膨張し、津波となって店内を飲み込み始める。
「なっ、これは……っ!?」
姉さんの驚愕の叫びが聞こえた瞬間、俺の視界は黒い泥の濁流で塗り潰された。
強烈な衝撃とともに店外の歩道へと激しく吹き飛ばされる。
普通なら骨の数本は砕けている衝撃だったが、衝突の直前、マキナが障壁を展開してくれたおかげで、俺の身体は無傷だった。
『危なかったな、宵』
「ああ、助かった……! それにしても何なんだアイツは……! 姉さんは無事なのか!?」
咳き込みながら立ち上がると、先ほどまでいたカフェは窓という窓から溢れ出た黒い泥で完全に埋め尽くされていた。中の様子は一切伺えない。
『分からん。あの泥の素体自体は業魔の瘴気だが……内部から我の同胞――いや、《《妹》》どもの力を感じる』
妹……? ということは、他の妄念具の力か。
『そうだ。業魔の悪臭が強すぎて察知が遅れたが、間違いなく妹の誰かの力が混ざっておる』
脳内のマキナの言葉に戦慄が走る。
つまりこれは、ラスボスである女王が生み出した業魔ではなく――ディザイアと契約した別の魔法少女が介在しているということになる。
だが一体何のために、こんな人通りの多い中心街で暴れさせる?
「どのディザイアか分かるか? 目的はなんだ」
『おそらく……憤怒のグランギニョルだ。そして奴らの目的は……我だろうな』
憤怒のグランギニョル。
まさかこんなにも早い段階で、他のディザイア契約者と接触することになるとは。
「そういえば、最初に出会ったとき妹どもをぶん殴るとか言ってたな……」
『あぁ。我らディザイアは基本的に不和であり、互いを喰らい合う宿命にある。故に、遭遇すれば殺し合いは避けられん』
つまり軍荼利姉さんは、俺とマキナを狙ったディザイア同士の争いの巻き添えを喰らった形になるわけか。
「今すぐ助けるぞ! 変身だ、マキナ」
俺は路地裏の物陰に滑り込み、周囲に人の目が無いことを確認すると、マキナを大剣の姿へと戻して変身する。
そして、泥で満たされたカフェへ引き返そうとしたその瞬間――黒い泥が周囲の空間を侵食し、ギギギと歪な音を立てて《《異界化》》が急速に広がり始めた。
「くそっ! ちゃんと業魔の性質も持っていやがるのかよ! 教えはどうなってんだ教えはっ」
それも生半可な規模ではない。
泥を起点とした異界化の領域は、中心街の広場全体を呑み込む勢いで拡大し、あちこちから一般人の絶叫が上がり始めていた。
「さっさと中心にいる本体を叩き潰すぞっ」
『待て、宵。あのカフェの中に本体はおらん。あれは泥を撒き散らすための単なる端末だ。本体はもっと別の場所に潜んでおる』
「めんどくせぇタイプだな。 どこにいる?」
『方向は分かる。ここから北西だ』
ならば、まずは元凶である本体を叩くのが最優先だ。
俺は瞬時に思考を切り替えると、マキナが示す方角へと強く足を踏み出した。
『おい、宵。あの軍荼利という魔法少女を救出せんでよいのか?』
走る俺の脳内に、マキナが懸念の声を投げかけてくる。
確かに、最初は姉さんを救い出すことを考えた。
だが――俺の知る軍荼利焔華が、あの程度の泥の不意打ちに屈するはずがないのだ。
原作『カルマレイド』において、彼女が本来死ぬはずだった過去の戦い。
あれは人質を取られ、攻撃を封じられた末の悲劇だった。
そんな絶望的な状況下ですら、彼女は相打ちに持ち込んで街を守り切ったのだ。
人質という枷が存在しない状態の軍荼利焔華は――文字通り無敵の最強魔法少女なのだ。
「姉さんを信じて、俺が本丸を叩く。それが一番確実だ」
俺はリライターとしての高揚感と確信を胸に、ビル群を飛び越えるべく跳躍するのだった。
泥のつぶやきに気づいたあなたは1d/100のSANチェックです。




