46.5話【拾五】冴子、翔ける~心に揺るがぬ月をもて~
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ただならぬ気配を感じて、冴子は飛び出した。
隠れていたのは、陽菜が作った異空間内にある納骨堂だ。
初めから映像に映っているよりは少し焦らして後から登場する方が効果的、という陽菜の言葉に納得しての行動だった。
しかし、外の光景を見る限りそれは失策だったようだ。
辺りには二十を超える亡霊の群れ。
その姿を見ると今まで何度か現れた作業着姿の亡者の他、震災の被害者と思しき焼け焦げた炭のような人影も散在している。
これほどの数のも亡霊が出てくるなど想定していなかった。
これまでの目撃談からしても、出ても数名程度。むしろ全く出ないまま現実世界側に湧いてしまってはまずいので、様子を見て志乃の部下達が亡者を装って画面に映り、改めて亡者が出るのはこの異世界であると主張するはずだったのだ。
それが、これほどの数の亡者が現れたものだから、冴子と陽菜達は完全に分断されてしまった。
今、陽菜等がいるのは亡者を挟んだ向こう側だ。彼らの元に駆けつけるには、この亡者たちの真っ只中に突っ込んでいくしかない。
顔を引き攣らせた陽菜と亮介、亡者を前に身構える志乃の姿を認め、仕方がないと冴子は覚悟を決める。
こうなったなら無理に合流するのは諦めるしかない。
幸い陽菜達の近くには志乃がいる。
いざとなったらきっと何か手を打ってくれるはずだ。
ただ、志乃にはあの亡者を封じる手段はない。
だからこそ――可能な限り引きつける!
「 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!」
冴子は剣戟映画の剣豪の如く名乗りをあげた。咄嗟に思いついたのがこれなのだから、自分の武士への傾倒ぶりに我ながら笑ってしまう。
その言葉に、陽菜がこちらに気がついた。陽菜は思わずという感じで手に持っているすまほをこちらに向ける。確かカメラの役割を果たすという話だったはずだ。ということは、今、冴子の姿は未来の世界に映し出されているということだろう。
それを思うとなんとも恥ずかしいが、今はそれどころではない。
冴子は思い切りをつけるため、黒のマントを脱ぎ捨てて思い切り亡者の一角に投げつけた。
それですっかり亡者達の注意はこちらに向けられたようだ。
冴子は納骨堂の壇上で小太刀を抜き放つとさらに叫ぶ。
「我こそは神田明神の血を引く巫女にして、この地に住まう生者の一人!神田須田町の遠藤商店が主、遠藤勝右衛門の娘、冴子なり!
迷える数多の霊魂よ!その無念をここに祓い落とし、迷うことなく天に召されよ!」
その言葉に対する亡者達の反応は劇的だった。ほぼ全員の亡者達がこちらを振り向くとこちらに殺到してきたのだ。
――!はやい…!
これまでの経験で、亡者達の動きは緩慢なものであろうと予測していた。
それが常人とそう変わらぬ速度でこちらに迫ってくる。
――このままでは囲われる…!
多勢に無勢は覚悟の上だが、流石に四方を取り囲まれたらひとたまりもない。
せめて体勢を立て直さなければと地面を蹴って――さらに冴子の予測は裏切られる。
冴子はその跳躍で納骨堂の屋根まで軽々と飛び乗ってしまった。
「え?」
冴子は固まってしまった。
亡者たちが思いもしない動きをするのはまだわかる。彼らのことを冴子はほとんどわかっていないのだ。想像もしないような特徴や能力を持っていてもおかしくはない。
しかし、冴子自身の能力は自分が一番よくわかっている。冴子にはこんな跳躍力はないはずだ。
というか、そもそも、こんな軽々とお堂の屋根に飛び乗れる人間などいるわけもないだろう。
「す、すごいです!IPOの皆さん、ご覧ください!これが、冴子さんの実力なんです!」
急に、素っ頓狂なほどに大きな声がした。
見ると、陽菜がこちらにすまほを向けながら解説をしているようだ。陽菜は、なんだかしきりに冴子に目線を合わせ、瞬きをしたり映っていない手で何か表現をしようとしている。
どうやら冴子に伝えたいことがあるようだ。
「皆さんがご想像した通り!冴子さんは普段は隠していますがとても強い霊力を持っていて!屋根にジャンプで飛び移ったり、そこから余裕で飛び降りたり、たった1歩で4~5メートル移動することだってできるんです!皆さんが思った通り!」
想像した通り、とか、思った通り、という言葉をやけに強調する陽菜。
それで、冴子もようやく今の状況を理解した。
冴子が突然人智を超えた力を発揮したのは、つまり、そういうことだ。
情報物理学。
人々が思ったことが本当になる。
その、あまりに突拍子もない仮説は、どうやら本当のようだ。
陽菜が放映をしている映像を見た人々は、冴子にとんでもない能力があると勝手に想像をした。そしてその結果、冴子に本当にそんな力が宿った、とこういうわけだ。
――そんな馬鹿な話と思っていたけれど、わが身に起きれば納得するしかないわね
正直それでも信じられない気持ちは残るものの、そういう余計なことを思い悩むのは今は後回しだ。
まずはそういうものとして動くしかない。
冴子は先ほどと同様の強さで屋根を蹴ってみた。
すると、不安定な足場と思えぬ確かな足の感触と共に体が矢のように前進、屋根の端まで難なくたどり着く。
一歩、二間半ほどといったところか。ちょうど先ほど陽菜が説明していた4~5mという距離と符合する。
――なるほど。陽菜さん、私が動きやすいよう映像を見ている人の考えを具体的に誘導したのね
目安が分かればだいぶ動きはとりやすくなる。
ならば、この動きだって難なくできるはずだ。
冴子は陽菜の言葉を信じてそこから思い切って飛び降りる。
高さにして三間弱、約6メートルの高さから飛び降りれば、本来その衝撃はかなりのものだ。しかし、陽菜は簡単に飛び降りれると言ってくれた。ならば人々もまたそう思うだろう。
そして。冴子はまるで階段から降りるような気軽さで、地面に音もなく着地した。
さらに、一歩一歩刻むように前進。
それは側から見ていたらほとんど風が通り過ぎるように見えただろう。
冴子はあっという間、亡者の群れを置き去りにして、雛の元まで辿り着くことができた。
「さ、冴子さん…?!え、いつのまに?!」
陽菜がスマホをこちらに向けながら何度も目を瞬かせる。その表情を見て、冴子はようやく張り詰めていたものが緩んだ気がした。
「大丈夫よ、陽菜さん。これならなんとかできそうだわ」
「そ、その、大丈夫なんだよね?体に無理がかかったりそんなことはないんだよね?」
陽菜は視聴者に聞こえないよう、囁くようにそう聞いてくる。
冴子はそれに軽く頷き返す。
「むしろ嘘みたいに体が軽いわ。まるで羽が生えたみたい。ただ、多分制御はしきれないわ。下手をすると巻き込んでしまいかねないから、あなたは少し離れてみていて頂戴」
冴子はそれだけ伝えると、亡者の一角に切り込んでいった。
抜き放った小太刀がまるで自ら光り輝くように銀の軌跡を描く。地をかける流れ星のようだと思いながら、冴子はとどまることなく走り抜ける。
振り返ればその一刀で二体の亡者を切り裂いていた。彼らの像が霞み、やがて光の粒となって消えていく。どうやら冴子の刀であれば彼らを祓えるのは本当のようだ。
しかし――
――もう二体はとらえられたと思ったのに
冴子は改めて、今の自分の体が制御できていないことを自覚する。
いくら亡者たちを圧倒できる機動力を得たとしても、冴子の頭がそれに追いついていけない。
立った一歩踏み込めば視界がとんでもない速度で流れていって気づいたら目的地にいる感覚だ。その間に正しく刃を振りぬくことが思いのほか困難だ。
そしてそれ以上に厄介なのが、現状の把握に一息の間が必要なことだ。わざわざ振り返らなくては、自分が何体切り付けられたかすら認識できない。
――今自分がどこにいるかすら、おぼつかないなんて
せっかく稼いだ時間がそこで失われる。引き離した亡者がもうすでにこちらをとらえて動き始めている。すぐに次の行動に移らないといけない。
冴子は再び亡者めがけて飛び込んでいく。
――あ、いけない!
その途中で冴子は慌てて上に飛び上がった。
かすかにだが、冴子の軌跡をとらえるように亡者たちが手を伸ばして待ち構えていたのだ。
その手を飛び越えるような形で、冴子は反対側に着地する。途中何とか刃をふるって一体の亡者を切り裂くことには成功したが、それに喜ぶよりも捕まりかけた恐怖に冷や汗が出る。
直線的動きであれば亡者であっても読みやすいらしい。おまけにこの暗い中、ぼんやり浮かび上がるような方の軌跡。それをめがけて反応されたということだろう。
ひとたび捕まれば、おそらく振り切ることはできないことは、以前陽菜を助け出したあの階段での戦いを思い出せば明らかだ。
あの時は攫まれたのがさやだったからとっさにそれを手放すことで何とか切り抜けたが、これが袖や腕などであったならばもはや冴子に活路はない。
冴子たちを取り囲む状況は、引き続き暗雲が立ち込めているままだ。
ちらりと陽菜たちの方を見やる。どうやら、冴子の言葉に従って、少し遠巻きになってくれたようだ。亡者もほぼこちらにひきつけられている。冴子はほっと息をついた。
これで、自分のことにだけに集中できる。
できるだけ細かく刻むように動きながら、冴子は心を落ちつけようと努める。
とにかく敵の姿に集中して―――
『未熟者。あまり一点を見つめるな。そのままだとすぐに自分を見失うぞ』
ふと、そんな言葉を思い出した。
こんな時なのになんだか懐かしく感じるその言葉。
ちょうど、冴子が成長期にさしかかり、変わりゆく自分の体に戸惑いながらも必死に稽古についていこうとしていた時に、師匠に言われた言葉だ。
その時の自分は、言われたことがうまくこなせず、師匠にかみついたものだった。
『でも、ただでさえ自分の体が思う通りに動かないのに、相手のことをよく見もしないで、どうやって戦えというのですか?』
『相手のことを見てはいけないと言っているのではない。一点を見つめるなと言っているんだ。もっと広く空間全体を見なさい。そうしたら相手のことも、自分がいる場所のこともよくわかる』
『…空間全体、ですか?』
首をかしげる冴子に師匠はそっと空を指さした。無理を言ってずっと稽古をつけてもらっていたせいか、気づいたら美しい月が冴子たちを照らしていた。
『ごらんなさい。夜空がとてもきれいだろう?この夜空をそっと眺める。そのような心持ちで空間を見てみるんだ』
『でも、それはぼうっとしているだけではないですか?それだと相手の動きもわからなくなってしまいそうです』
『大丈夫だ。ほら。夜空には月があるだろう。夜空を見上げれば、あのまぶしい月を見逃すことはない。その月を基準にすれば、夜の深さも、自分の向いている方角も、正確にわかる。月との比較をすることで星々のおおよその位置関係も見えてくる』
そういう師匠が、透き通るような月の光のなかで静かに微笑んでいたことを、冴子は今も鮮明に覚えている。
『冴子―――心に揺るがぬ月を持ちなさい。どれだけ目まぐるしく世界が動いていても、それさえとらえていれば、お前は全てをつかむことができるはずだ』
――ああ、師匠の言葉は、いつだってわたくしをを導いてくれるのね
そっと冴子は視線を空に向けた。
真っ黒の壁のようなものに囲われたこの世界も、見上げれば変わらず空がある。
そこには、どこにいっても変わらぬ白銀の月が、いつだって冴子たちを包んで切れているのだ。
その月を目の端に写し込んで――冴子は再び駆け出した。
もう、自分が今どこにいるか目で必死に追うことはやめた。どれだけ早く動いていても月は変わらずそこにある。それを心にとめながら、激動する世界を一つの流れとして理解する。
そうすれば、そこに移る光と影の陰影が、意味を持った形として浮かんでくる。
例えば亡者たちの差し伸べられる手や身をひるがえす動き。例えば足元に差し込む冴子の影の姿。例えば小太刀の切っ先が生み出した銀色の光の軌跡。
それを理解して、そしてそれにとらわれない。
ただ、その流れの中に入っていく。
そっと踏み出す足の向きを変えれば、あの恐ろしい手は冴子の流れにぶつからない。そこにそっと刃を添えるだけで、銀の川が亡者たちを光の粒に変えていく。
それを見て、心臓が高鳴る。
今なら、いつまでだってこの世界の流れの中で走り続けることができる気がする。
この武道の高嶺を。どこまでもどこまでも登っていくことができる。
――今この時、わたくしをここに導いた、すべてのものに感謝を
そう心で唱えながら、冴子は駆け抜ける光と影の世界の中で、そっと一人の姿を探していた。
そしてそれは、まるで月を見つけるように、容易に探し出すことができた。
誰よりも感謝をささげたい相手は二人いる。一人はもちろん、武道の心を教え導いてくれた師匠だが、それだけでは冴子はここにはたどり着けなかった。この夢のような舞台を一緒に作り出してくれるその人がいなくっては。
だからこそ、彼女の姿を認めて、その瞳がやはりこちらに向いているのがわかって、冴子はなんだか泣きたくなるくらいに心が満たされるのを感じた。
――お願い。そのままわたくしを見ていて。陽菜さん。そうしたら、わたくしはどこまでもいけるから
冴子はそのまま駆け抜けた。
もはや、刃の軌跡は流麗な一つの文様のように、悲劇の地を美しく彩った。
空に伸びていくいくつもの光の粒が、まるでこの地を極楽のように彩って―――
しかし。駆け抜ける冴子は、まだ気づかなかった。
初めは20名程度だった亡者たちが、祓われるそばから次々に現れ続けるこの地の異常を。
志乃、亮介――そして陽菜は、その光景を前に呆然と立ち尽くしていた。
お読みいただきありがとうございました。
久々の冴子回は、冴子無双回でお送りしました。情報物理学はバフにもなる。
ただし、意図しないバフなので実質デバフかもしれませんが。急にあらゆる挙動がスピードアップしたら多分止まることすらままならないんじゃないですかね。
そこで思い出すのが祖父の言葉です。おじいちゃんはそろそろ本格登場させたいところですね。
さて次回。まだまだ終わらぬ天長節。再び陽菜視点にてお送りします。
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