29.7話 亮介の手記①~さようなら、愛しきアインシュタイン~
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今回は、趣向を変えて、変人・遠藤亮介視点でお送りします。
陽菜が遠藤家で必死に未来知識ハックをしながら働いているころ、裏ではひっそりと、物語が動き始めます。
1905年は何の年かと聞かれて、読者諸兄はなんと答えるだろうか。
かの夏目漱石が『吾輩は猫である』の連載を開始した年?。
あるいは、日本海海戦による華やかな快勝の果て、巨人露西亜を打ち負かした戦勝記念の年だろうか。
しかし、僕に言わせれば、そんな些細な出来事など数えるに値しない。
この年の出来事はより根源的であり破壊的だ。
世界の根幹が明らかになった年であり、人々が奇跡と出会った年。
この年、スイスの特許局員に過ぎなかったある男が、世界の秘密を明らかにした。
その男、アルベルト・アインシュタインが提唱した理論の名はこう呼ばれる。
『特殊相対性理論』
僕、遠藤亮介がまだ19歳の、ただの高校生に過ぎなかったころのことだ。
その時見た夢から、僕は未だ醒めずにいる。
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僕の一日が始まるのは10時ごろだ。
昨日の深酒がまだ残っているので、起き出してしばらくは二階にある下宿の窓から街をただぼんやりと眺める。
学生街、本郷。学生たちが立てる土埃と書籍から漂うインクとカビの匂いが混じり合う、他とは違う知的な空気が僕は気に入っている。
惜しむらくは、変わり映えがしないこと。
ここは時間が沈澱する場所なのだ。
古いものが集まりそれに人々が群がる街。勿論最新書籍もあるにはあるが、活発に飛び交ったりしない。
議論も自然沈澱する。最新の議論を交わしているように見えて、その実、いつも落ち着くべき場所を探している。
その空気をかき乱さんとする無軌道な学生の行動も、数年眺め続けていればいい加減見飽きてくる。
やはり、じっくり観察するなら、もっとエネルギーの集まる場所に限る。人間という現象を動かすエネルギーとは欲求である。欲求渦巻く場所というならば僕の古巣、日本橋はまさにうってつけだろう。
「ちょうどいい酔い覚ましだ。ぶらり散歩と洒落込もうか」
外行き用にさっと着替えると、僕は六十度の急勾配な階段をミシミシと音を立てて降りていく。
おっと、出かける前に一つだけ確認事項があった。
「大家さん、僕宛に電報は届いてないかい?」
「おはよう、センセ。今日も遅いお目覚めで。報せは特に届いてないよ」
「それは残念」
目黒競馬場にいきなり呼び出されてから早くも一週間以上、未だ姪の冴子から連絡はない。律儀な娘だから、すっぽかしではなくその自由が得られないのであろう。
「それでも何かやりようはあるだろうに。相変わらずつれないねえ」
「オヤ?もしかして相手はいい人かい?そりゃいいや。アンタもいい歳なんだからいい加減を固めちまいな」
「アハハ。一緒にボウフラ人生を送ってくれる奇特な相手がいるならね」
僕はそう言って帽子を被りさっさと下宿を後にする。何かの間違いで相手が姪っ子だとばれて、噂の一つでもたとうものなら今度こそ兄貴に殺されてしまう。
「桑原桑原。まあ、気長に待つとするさ」
当てのない待ちぼうけには慣れている。
幸い、思索の種には事欠かない。ここ最近、とんでもない事態にたびたび遭遇して居るのだから。
時間移動、精神感応、そして瞬間移動まで。
あまりにも馬鹿げた、それでも否定できない観測記録。
「ま、時間移動はおふざけの仮説だし、精神感応も偶然と説明できなくもない。でも、少なくとも、僕の姪っ子が突然目黒競馬場に現れたことだけは間違いなさそうだ」
亮介の認識では、冴子は静江により半ば監禁されていたはずだ。そんな彼女が、あのような洋服姿で目黒競馬場に来ることなどできるはずがない。
「はは。物理学的にあり得ないはずなのになあ」
神田須田町から目黒競馬場までは約15キロほど、それを瞬きの間、仮に1秒の間に移動するとして、速度は時速5万4千Km。ライフルの弾丸の15倍の速さ、第二宇宙速度よりなお速い。
そんな速度で移動したとしたら姪っ子は塵も残らず、その軌跡上は震災も笑える惨状となるだろう。
つまり、「彼女はそこを移動していない」。しかし、間違いなく彼女は15km先に居た。
頭をよぎるのは学者たちが狂った目で追い求める高次元空間の「ショートカット」である。三次元であるこの世界で測れば15kmの距離でも、別の次元の視点ではたった1mだったというやつだ。
別の次元。
その言葉で連想するのは、「別の時間」から来た少女。
朝霧陽菜。
冴子曰く、彼女は彼女しか見えない建物を生み出すらしい。元の世界に何があろうと関係なく。それはあるいは次元の異なる別空間と言えるかもしれない。
その想像に歯車がカチリとはまるような、そんな予感がする。
「フフフフ。いよいよ僕も夢から醒める時が来たのかな」
アインシュタインに魅せられ、憧れ、自らも又世界を解き明かすその日を夢見て。そして粉々に破れた日々。
そんな過去を塗り替えるかもしれない予感に、僕の歩みは早くなる。
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日本橋は通りを変えれば姿が変わる。
洗練された最新の都市の姿は、通りを変えればあっという間に江戸時代から続く古い顔ぶれになり、かと思ったら淫靡で猥雑な姿を現わしたりする。人間という現象の複雑さ。それがよく現れたこの光景もまた、僕が好きなものの一つだ。
いつもはこのまま無目的に歩き回ったり、目に付いたなじみの店にでも入って昼頃まで適当に過ごすところだが、今日のところはアテがある。
僕はカンカンと槌の音がやかましい通りにはいると、「相田製作所」という看板を掲げた木造工房の扉を開いた。
「やあ、僕だよ。宗一は居るかい?」
この工房の主人は先代から続く遠藤商店専属の金型師である。
読者諸兄はご存知だろうが念のため補足すると、金型師とは設計図やモデルをもとに製品の元となる精密な型を作る技師である。この型を用いることで同じ製品を数千、数万と寸分違わず作成可能となる。まさにビジネスの心臓部に当たる人材であるため、遠藤商店のような問屋は腕の良い職人を家族ぐるみで囲い込む。
なので宗一とは、彼が幼い頃からの付き合いだ。
「なんだ、いないのかい?」
工房はもぬけの殻だった。この時期ならば新製品の試作作りに取り組んでいるはずだ。そうでなくとも、工具・設備の手入れや自主研究のため工房に詰めているのが通常だ。そこを空けているというのは珍しい。
「さてはまたぞろ趣味の仕事を引き受けているな」
宗一は、幼い頃から取り憑かれているものがある。時計だ。
細部まで行き渡る精緻な細工と、それが複雑に組み合わさることで成立する機能美に心奪われ、あろうことか無理やり時計職人に弟子入りしようとしたほどの狂いっぷりだ。
そんな宗一は、先代が死に工房を継いだ後も、金型師の仕事とは別に時計の仕事を細々と続けている。
おおかた、そちらの仕事でも入って浮かれているのだろうと、僕は二階に上がり込む。
精密機器である時計にとって埃の類は天敵だ。鉄板を刻む一階で仕事するなどとんでもないと、宗一は時計仕事のときは二階で行うのが常だった。
「ほら、案の定だ」
予想通り、宗一は専用の机にかぶりつくようにして、何やら眺めているところだった。
「…あれ?亮介さん。いつ来たんだい?」
「ついさっきさ。一階で声をかけたんだが聞こえなかったかい?」
「ああ、それはすまなかった。この間の件だろ?ちょっと待ってくれ」
宗一はそう言って仕事机を慌てて片付けようとする。どうも、見られてはいけないものを隠そうとしている顔だ。
俄然興味が湧いてくる。
「そんなことどうでもいいよ。それより今のはなんだい?随分と執心のようじゃないか」
「その、なんでもないんだ。ちょっと時計をバラして遊んでただけさ」
「はは。下の工房をほったらかしてまでかい?僕に隠し事しようっていうなら、うちの番頭にお前さんがサボっていたと告げ口してもいいんだぜ?」
その言葉に宗一は端正な顔を歪める。眼福眼福。
「亮介さんには敵わないな。…じゃあ、あんたには特別に見せるけど他言無用で頼むよ。…かなり訳ありの品なんだ」
宗一がそう言って引き出してきたのは、美しい金属製の腕時計の部品だった。
「お、こりゃあ、なかなか上等な――」
そう言いかけた口を、僕はつぐんだ。
宗一がうなづく。
「あんたはわかると思ったよ。そう、これは上等なんてもんじゃない。
あるはずのないものだよ」
宗一の言う意味がすぐに理解できる。例えば文字盤を覆っていたであろう信じられないほど透明なガラス。
「この屈折率、この世界のどこにいったって見られるものじゃない。これはガラスのわけがないな」
「だろうな。ヤスリでも傷つかない程の硬度だ。あんたならこれが何かわかるかい?」
「…きちんと調べないとなんとも言えないが、とんでもない純度の結晶ではないかと思う。もちろん、こんなもの採集されることも、人工で製造されることも現代では不可能だ」
「だろう!それだけじゃないんだ!もう一から十までありえないものばかりだ!」
宗一は興奮した表情で、らしくもなく喚き散らし始める。革命的発想と超絶技巧による耐震機構、ローターの桁外れの機能性、工具の痕の全く見えない歯車の一つ一つ。
彼はこれを神の時計だと確信しているようだった。
――しかし違う。
「なあ、これを持ってきたのは、小汚い服に似合わない美しい髪と肌を持った、大柄の女性だろう?」
「な!」
「そうだなぁ、金が必要なんでこれを買ってくれと頼み込んでたんじゃないかい?言い値は、二十円か三十円、そんなところかな?」
「なんで、そんなことまで…?!」
「なに、その娘についてちょうど心当たりがあってね」
件の女性、朝霧陽菜を拾い上げたのは目黒競馬場だ。賭けにも参加していたらしい。
馬券に必要な最低金額は二十円。そのような大金を突然転移した冴子が持っているはずもないから、陽菜が工面したものと考えられる。
大方、足がつかないで賭けに必要な額を手に入れるために職人の宗一を選んでわざわざ売りにきたのだろう。
「しかし、そんな値段で買い取るとはお前さんも顔に似合わず悪いやつだなあ。こんな規格外の技術の結晶、そんな端金で済むわけがないだろうに」
「ぐ、それは、その…」
宗一という男は技術の話になると見境がつかなくなるところがある。まあ、そんなところも面白いのだが。
「なんでもいいや。とにかくその娘が売ってきたなら、これは神の御業でもなんでもない、多分ありふれたものだと思うぜ」
「ありふれた…?じょ、冗談じゃない!そんなわけがあるか!」
「あるんだろうさ。――彼女の住む未来の世界では」
ようやく確信できた。
これまでの戯れの仮説とは違う、無視のしえない物証。
「未来?また突飛な」
「そうでもないさ。さっき君が説明してくれたじゃないか。今の君たちを悩ませる問題を解決するかのような、耐震機能やローターの機能について。まさにその通り、この技術は君のいう問題があったからこそ、開発された技術だ。わかるかな?これは、今の君たちの延長線上にあるはずの技術なんだ」
ゼロから最適な機構を作り上げたのではない。
技術課題とその克服、それを支える社会全体の技術水準の向上、そういう積み重ねの果てに存在するのがこの時計だ。
その積み重ねそのものを無視してここに存在しているというだけで。
「だ、だが、まさか物理学者のあんたが、そんな空想小説みたいなことを言うのかい?」
「はは。僕は学者じゃない。ボウフラだ」
まあ、彼の言いたいことはわかるが。
相対性理論は、過去遡行の可能性を示しはした。
しかし、質量をもつ僕たちでは実現できないことも明白に証明したのが、相対性理論だ。
光の速さを超えれば物体は通常とは逆ベクトルの時間移動が可能となる。しかし、質量をもつ物体が光の速さを超えることはそもそもできない。そんな馬鹿なことをするためには無限のエネルギーが必要になる。
しかし、事実として、朝霧陽菜は未来のモノとしか説明のつかない物を持ってきた。
鼓動が抑えられない。
「物理学者が信じるべきなのは既存の理論じゃないぜ?目の前の現象だ」
理論など、所詮よくできた仮説だ。それを覆す現象の発見こそが、学問を進化させてきた。
こんな現象を僕は待ち続けてきた。
「宗一。僕も君の研究、手伝うぜ。嫌というなら、全力で邪魔をさせてもらうよ」
「……ああ、こうなると思ったから、あんたに見せたくなかったんだよ」
「ははは!こんな面白いもの、目の前にぶら下げていた自分を恨むといいさ!さあ、今日は泊まり込みだ。まずは成分分析からとことんやってやるさ」
「あの、絶対に、決して壊さないでくれよ…!あと、これとこれ、これにも絶対触れるなよ!」
「任せておけって!」
僕はそう言って羽織を脱ぎ捨てる。
さあ、心おどる時間の始まりだ―――。
と。
「ん?な、なんだ…!!」
僕たちは絶叫を上げることになった。
理由を聞けば読者諸兄も納得してもらえることだろう。
部品が消えた。
跡形もなく。
「ちょ、ちょっと、あんた!落っことしたんじゃないだろうな!探せ!」
「触れてもいないのを見ていただろう!誓って僕は何もしていない!」
「じゃあなんだ!物体が勝手に消えたっていうのか?!!」
その叫び声に脳髄が揺さぶられる。
物体が消滅する?あり得るはずがない!
物体はエネルギーの塊だ。それが消失しようものならそのエネルギーがこの空間を焼き切らなければおかしい。音もなく消えるなんて、エネルギー保存の法則はどこに行ったっていうんだ。
あらゆる常識、理論、経験を組み合わせても、この現象を説明することができない。
「…はは、ははは」
なんてことだ。
これは、物理学の夜明けだ。
「ハハハハハハハ!」
さようなら、愛しきアインシュタイン!貴方の理論は完全ではなかった!
貴方の理論では追い付かない、革新的現象を僕は間違いなく体験した!
夢見ていた。こういう瞬間を。
天才の彼に追いつくことができないことは、学び始めればすぐにわかった。
僕は彼ほど真摯に、彼の理論を愛することはできなかった。
でも、僕はようやく見つけられそうだ。僕が愛するに足る、僕の理論を。
朝霧陽菜――!!
「君を離さないぜ!是が非でも、話を聞かせてもらうさ!!」
そう叫び散らす僕に、宗一は激昂する。
「馬鹿笑いしてないで探せ!探せぇぇ!僕の、僕の時計がああ!!」
「ハハハハハ!宗一がはいつくばってるぜ!ハハハハハ!」
「笑うなああああ!!」
僕たち二人が正気に戻るのは、それからだいぶたった後だった。
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「いててて。宗一のやつ、意外といい拳持っているじゃあないか」
夕方、僕は頬を押さえながら下宿に戻る途中だった。
あの後、宗一はなんと僕と取っ組み合いのけんかなんてとんでもない蛮行に打って出た。
心当たりを当たるから落ち着けと言い含めて、何とかその場を切り抜けたが――
「さて、どうやってあの子たちとつなぎを付けるか…」
遠藤家のダニを自認する僕としては、兄貴の大事な姪っ子や静江さんが目を光らせる陽菜にアプローチをかけるのはなかなか骨が折れる仕事になる。
しかし、実は、心当たりがないわけではない。
「僕の人脈をなめてもらっては困るね」
向こうから連絡が来るのを待つなんて僕にできるわけがない。
なにしろ、今すぐにでも遠藤家に押しかけたい気持ちなのだから。
僕がそうやって算段を付けていると
「それはいいことを聞きました。その話、私も混ぜていただけませんか?」
下宿につく前に、声をかけられた。
振り返るとそこに居るのは上品な着物姿の女性だ。
帯につけている蜘蛛の根付が洒落ている。
「お久しぶりですね、亮介さん」
「ああ、正月も挨拶に行っていないから数年ぶりというところかな、お志乃さん」
僕の母、遠藤ふじの使いがそこに居た。
僕はアインシュタインにはなれなかった。
彼ほど、理論を信じられなかった。
理論を霞める存在を――遠藤ふじを、知っていたから。
「貴方にとってもいいお話だと思うんです。――今度は私たちに協力してはもらえません」
その誘いに。
僕は笑った。
お読みいただきありがとうございました。
そろそろやりたいなと思っていた亮介視点でした。
高等遊民の物理学者感が少しでも出せて居たら幸いです。物語の根幹をなす情報物理学。
それを解き明かす彼の物語も、ようやく始まりました。ここから日常テイストが続いた物語はまた揺れ動き始めます。
次回は再び陽菜視点。ずっとサバイバーだったり、メイドだったりしていた陽菜ですが、次回は久々に自身の本分を思い出します。学生です。
亮介とともに高笑いをしていただけましたら、ブックマークや下部の【☆☆☆☆☆】(評価)で応援いただけると、とても嬉しいです!




