29.5話【拾】ジョブチェンジは明日を晴らす
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今回は冴子回。朝の登校から別れてからの学校での彼女の様子をお楽しみください。
その後、陽菜と冴子は、リベンジを企みます。
冴子は、陽菜の作り上げた異空間の中で、不思議な思いに浸ってた。
思っても見なかった。
朝はあれほど曇っていたその気持ちが、こんなにも浮き立つなんて。
⚔️
昭和三年四月九日朝。
冴子は怒っていた。
後輩や級友に対して。――そして、誰よりも自分に対して。
「随分とみすぼらしい女中ですこと。遠藤先輩には不釣り合いですわ」
「遠藤家にはもっとよい女中はおりませんの?」
そのような考えなしの言葉に対して、体面を気にして強く言い返すこともできない自分が歯がゆくて仕方がない。
――みんな、あの子がどれだけすごい子か、知りもしないくせに
ただ心の中でそうつぶやく。そのたびに胸のうちに澱のようなものがたまっていく。
それが冴子の呼吸を重くする。
だからこそ
「聞いたよ。遠藤さん、女中を連れて登校したんだって?」
友人の河合和子からの問いかけに、冴子はついぶっきらぼうな答えをしてしまった。
「…貴女までその話?貴女には関係のないことでしょう?」
「おや。我らが貴公子、遠藤冴子は朝から随分とため込んでいるようだね」
文学少女らしい少し気取った口調で、和子は答える。冴子の棘のある言葉も特に気にしたりしない。
彼女のこういうさっぱりしたところが冴子は好きだ。だからこそ彼女は、冴子の仮面の下の素顔を知る数少ない相手となっている。
「流石に会う人みんなからその話をされたら疲れもするわよ。そこまで大したことではないでしょうに」
「そこが君の甘いところだね。皆にとっての君は物語から抜け出てきたような憧れの存在なんだよ?そんな君に、ちょっとでもおかしな点があれば気になって仕方がないというのが人の性というものさ」
「……物語から抜け出てきた存在は、もっと別にいるわよ」
「ん?何だって?」
「何でもないわ」
冴子はため息をつきながら、教科書とノートを揃えていく。和子は最新の空想科学小説も読んでいたはずだ。そんな彼女が陽菜のことを知ったら、なんというのだろう。
未来から来た超能力者。
帝都東京で一人生きていく勇気と知性を持った傑人。
それこそが、皆が侮るあの女中の正体なのだ。
――本当に、小説よりも奇想天外ね
と、冴子の視線に江川瑠璃子の姿が映った。
彼女には一言伝えておかなければいけないことがある。まだ人が少ない今のうちにさっさと済ませてしまおうと、冴子は和子に一言断ってから席を立ち、瑠璃子のもとに向かった。
「江川さん。ちょっといいかしら」
「あらぁ?遠藤さんから声をかけてくるなんて、珍しいんじゃなぁい?」
級友と高い声で話していた瑠璃子だったが、冴子が声をかけるとすこし間延びのした声で返してくる。この今どきの女性らしいしゃべり方が、冴子は少し苦手だったりする。
「ごめんなさい。少し江川さんと二人で話したいのだけれど、いいかしら」
「あらまぁ、いよいよ珍しいわぁ。わたし気になっちゃう」
「江川さんと二人っきりなんて、なんだか意味深よね」
「はいはい、行きましょう、遠藤さん。このコたちと一緒だと話してくれないんでしょう?」
瑠璃子はふざける級友をあしらいながら教室の隅のほうに冴子を誘った。
「それでぇ?なんの話なのかしら?あたし、ドキドキしちゃうわ」
「…ごめんなさい。あまりいい話というわけではなくて、…ちょっとあなたに謝っておきたかったのよ」
「謝る?貴女が私に?」
「ええ。…ほら、わたくし、貴女から預かっていたものがあったでしょう。貴女がこっそり買ってきたという」
そういうと瑠璃子は何の話かすぐに理解したようだ。
そう、瑠璃子がつい買ってしまったものの親から隠しておく場所もなく、冴子に預かってほしいと頼んできた、あの洋服の話である。
「あれがどうかしたの?…もしかして、見つかってしまったのかしら」
「いえ、それは大丈夫よ。……ただ、必要があってなのだけれど、貴女に無断であの服を使わせてもらったのよ。…新品だったのに、ごめんなさいね」
目黒競馬場で志乃たちの目を欺いて一等館に紛れ込むため、やむを得ず着させてもらったのだ。しかし、あれはそれなりに高い買い物のはずだ。それを勝手に着てしまったのだから、怒られても仕方はない。
しかし、その言葉に瑠璃子は逆に目を輝かせた。
「え!もしかして、遠藤さん、洋服に興味を持つようになったの?それとも、殿方との秘密の逢瀬のためなのかしら!まあ!まあ!大ニュースだわ!」
「あ、あの、少し声を落としてくださらない?」
「あらいやだわ。あたしったら」
瑠璃子はわざとらしくそう言った後、にんまりと笑って見せた。
「――いいわぁ。許してあげる。……でも、後で詳しい話を聞かせてくれることが条件よ。いいわね」
その言葉に冴子は再びため息をつく。
「…わかったわ。でも少し時間を頂戴。込み入った話なので、少し整理をさせてほしいの」
「いいわよぉ。その分きっと楽しい話が聞けるのでしょう?」
そう目を瞬かせる瑠璃子に、冴子の気持ちはさらに重くなる。
――何をどう説明したらいいのかしら
どう説明してもややこしくなりそうな未来に、冴子は朝からげんなりしてくる。
もういっそ帰ってしまいたい。そんならしくもない気持ちを抱きながら、冴子は朝礼に臨むのだった。
⚔️
その後も、冴子の気持ちは一日中ずっと沈んだままだった。
心の持ちようすら制御できない自分の未熟さが嫌になる。
特に悔しかったのが、その気持ちが薙刀にも現れてしまったことだ。
「今日の遠藤さんの薙刀は、いつもにもまして迫力がありますこと」
撃剣部の主将、綾乃森雅代からそう指摘された時は正直堪えた。本人は褒めてくれているつもりだったようだが、とんでもない。乱れた気持ちで刃を振るうなど決してあってはいけないことだ。
『心に、常にするがぬ月を持て』
そう冴子に教えた師匠の忠之が今の冴子を見たら、なんと言うだろう。
――ああ、師匠に会いたいわ
至らぬ冴子を叱ってほしい。正して欲しい。
しかし、それはもはや許されないのだ。だからせめて、撃剣部の稽古はきちんとこなしたいと思ったのだが、それが逆に心を乱してしまった。
――夜の個人稽古で取り戻せるかしら
陽菜は昨晩、冴子の稽古場所を工面すると受けあってくれた。きっと、あの不思議な空間を作ってくれるつもりなのだろう。
前に作ってくれた建物ではスペースにやや難があるが、贅沢は言っていられない。
ほんの少しでも、稽古ができるのであれば十分だ。
そう思っていたのだが――
その晩、陽菜はそんな冴子の期待に似た諦めをあっさり覆して見せた。
空想未来小説からそのまま出てきたような金属製の壁とドア、一見木造に見えるのにまるで触感の異なる素材不明の床、大きな一枚ガラスの間仕切り。そんなとんでもない秘密基地に、彼女は平然と冴子を案内した。
なによりその広さ。遠藤家の建物より広く天井も高い。これならどんな稽古でも問題なく行えるだろう。
――まったく、貴女って人は
静江に閉じ込められたはずなのにそれを完全に忘れていそうな陽菜の顔に、冴子は感嘆する。
どんなに追い込まれ、踏みつけられても、彼女は諦めるということをしない。
相手の思いもしない方法で、彼女は必ず立ち上がるのだ。
さらに陽菜は、これでもまだ序の口とばかり、次なる企みを冴子に相談してきた。
思わず笑ってしまった。
今日一日の沈んだ気持ちなど嘘のようだ。
彼女を笑ったものたちは皆、明日の朝、きっと彼女に魅せられる。
――本当に
なんて、痛快なんだ。
⚔️
翌日、朝早くから冴子は静江に談判を持ちかけた。
「おヒナについて、なんとかなりませんか?」
「なんとかとは、どう言うことです?」
「昨日はお友達から、おヒナについて歩き方がおかしいとか身長が大きすぎるとか、いろいろ言われてしまいました。今日からおヒナと二人で登校でしょう?このままでは、わたくしずっと笑い者ですわ」
その言葉に側に控えていたお松が顔を歪め、静江も目を瞑ってため息をついた。
「まったく嘆かわしい…!奥様、本日は私をおヒナにつかせてください!みっちりと仕込んでやらないと」
「…あまり女中頭の貴女を新人にかかりきりにするわけにも参りません。それにあの様子だと振る舞いが一朝一夕に直るわけがないでしょう。かと言って神隠しのことを考えればあの子を付けなけないわけにもいかない…。まったく頭が痛いこと」
珍しく静江は本当に困っている様子だった。
陽菜のような異分子を遠藤家は取り扱ったことがない。だから、何をどうしたらいいかわからないのだろう。
この問題に当の本人はあっさり答えを出した。
『慣れない服装や仕草が問題なら、無理にやらなければいいと思わない?』
「…お母様、一つわたくしに考えがございます」
冴子は昨日ひなと打ち合わせた作戦を口にする。
「女中姿では様にならないなら、格好を洋装に変えてみるのはどうでしょう」
なんでも、和服と洋服の制服が入り混じる光景を見てこの作戦を思いついたらしい。
『和服って私着慣れてないし、作法とかわかんないんだけど、洋服ならまだわかると思うんだよね。昔バイトで着たことあるし。
女中からメイドさんにジョブチェンジだよ!』
「確か以前お父様が海外のお客様をお招きする際、女中用に仕立てた洋服がありましたよね?」
「…確かにあります。ですが、あの服は当家のものが着るとなんとも不恰好に見えるので、あの時以来しまい込んでいたはずです」
「それならきっと大丈夫ですわ」
冴子はここぞとばかり畳み掛ける。
「私の学校には英語の教師として外国の方もいらっしゃいますが、その歩き方や姿勢があの子のものとよく似ています。きっと、洋服に合った振る舞いなんですわ。それにあの子は身長も高く、体格もしっかりしています。洋服の方がずっとあの子には合っているんですよ」
その言葉にお松も思いつくことがあったようだ。
「…確かに、昨日お春が聞いた話では、あの娘は洋食のレシピに妙に詳しいとか、いろいろ渡り歩いていると言っていました。海外の生まれというなら、あの非常識ぶりにも納得がいきますね」
その言葉に静江はしばし目を瞑って黙り込む。
それを見てお松は慌てて声を上げる。
「わ、私は反対です!いくら海外の生まれとはいえ、当家の女中は着物を着るべきです!一人だけ特別な格好をさせるなど示しがつきません!」
「ですが、これ以外に方法がありますか?あの子に見窄らしい格好をさせて遠藤家としての体面に傷つけてもいいとお松はいうんですか?」
「ですが」
「二人ともお黙りなさい」
シンと澄んだ静江の声が響いた。
そして静江は目を開く。
「お松の言う通りあの娘だけ異装をさせるわけにはいかないでしょう。あの娘のためにもなりません。しかし、冴子の言うことももっともです。――仕方ありません。あの娘が外出する際に限って、洋装を許可しましょう」
静江はそのままお松に命じる。
「急ぎあの給仕服を用意しなさい。おそらく軽く仕立て直す必要もあるでしょう。時間がありません。すぐ取り掛かりなさい」
「かしこまりました」
「これは一時的な対応になります。お松は引き続きあの娘に遠藤家の作法を叩き込むように」
「勿論でございます」
続いて静江は冴子の方に向き直る。
「冴子。貴女は陽菜の振る舞いや着こなしを確認しなさい。残念ですが洋服の着こなしに関しては普段外国の方に接する機会の多い貴女が一番詳しいでしょうからね。ただし、もし少しでもおかしな点があれば隠すのではありませんよ。奇抜な格好をさせた上それが様にならないなど決して許されません」
「承知しております」
冴子はそう答えながら、確信していた。
きっと、そのようなことは起こらない。
彼女は、また、私たちを驚かせてくれるだろうと。
そして、それは現実になった。
「うわー!新鮮!ワンピースにエプロンかあ。これはカフスで、これはストッキング?いや、普通に靴下かな?」
そうやってよくわからない軽口をたたくのも気にならないくらい、彼女の着こなしは完璧だった。
黒の洋服の下からすらりと伸びる長く美しい脚。白の前掛けを付けることでわかる、豊かな胸のふくらみ。白い布巾からのぞく茶色がかった美しい髪は、日本人離れした美しさを秘めている。
その姿には、流石の静江も、お松も、一言もなかった。
「ちょっと歩いてみてくださる?」
「了解ですー」
そうやって少し大股に歩く彼女に合わせて洋服の裾が美しくたなびく。
ああ、やっぱり彼女は特別だ。
「いかがでしょう。わたくしの目からは問題ないように見えますが」
冴子は少し鼻を高くしてそう二人に問いかける。
「……口は決して開かせないように」
静江はそれだけ言うとそのまま去っていった。
冴子は、それだけで笑い出したい気持ちでいっぱいだった。
⚔️
道を歩く。
人々は振り返っていった。
その目にさげすみの色はない。思いがけない驚きだけだ。
「ふふふ」
「ご機嫌だね、冴子さん」
陽菜が自分にしか聞こえない声でそうささやいた。
「当たり前じゃない。やっとみんなに貴女の素敵さをわかってもらえたのよ」
「冴子さん大げさ。ちょっと目新しいだけだって」
相変わらず、陽菜には自分の特別さの自覚がない。
「見てらっしゃい。貴女はきっとみんなをひきつけてやまない人になるの」
「ないない。みんなのヒロインは冴子さんだから」
そうやって軽口をたたきあうのも心地いい。
自然、冴子の足取りは弾んだ。
「遠藤さん、ごきげんよう。――あら?もしかして、その女中は昨日の…」
「ええ。昨日はなれない和服に難儀していたようだから、今日からは着慣れた服装に着替えさせたのですわ。どう?似合っていて」
「そうだったんですのね!そう言われてみると納得ですわ」
「背が高いと洋服がよく映えるわねえ。なんだか羨ましいわぁ」
「和装の遠藤さんと洋服の彼女、不思議な取り合わせですけど、なんだかよくお似合いですわね」
その言葉が、冴子には飛び上がりたいくらいに嬉しかった。
昨日の光景が嘘のようだ。
どう考えてもどうしようもない事態でも、ここまでも鮮やかに塗り替えることができる。
諦めに満ちたこの世界には、きっとたくさんの可能性が隠れている。
――わたくしも、戦わなくちゃ
彼女の勝ち得た鮮やかな勝利を見習わなければいけないと、冴子は自分に言い聞かせる。
特別な彼女に釣り合うように。戦友であり続けるために。
ならば冴子ができる戦いは何だろうか。陽菜を助けるため、陽菜が苦手な領域で生かせる自分の力はなにか。
――諦めるしかないと思っていた薙刀、何とかできはしないかしら
その考えが頭によぎった。
冴子の常識からすれば、それはもう無理なことである。
あの静江が、女だてらに小太刀に手を伸ばした冴子を許すわけはないのだから。
しかし、陽菜があの静江を黙らせたように、自分にもきっとまだ出来ることはあるのではないか。
そう考えるのが楽しい。
――ああ、この子といるのはこんなにも楽しい
冴子はそう思い、笑った。
陽菜はその横顔を眩しそうに見つめていた。
お読みいただきありがとうございました。
ということで女中からメイドへジョブチェンジでした。チェンジできてない?まあ、恰好が変わればジョブチェンジでいいでしょう!
洋風の制服が取り入れられるようになったのもちょうどこのころになるため、洋服姿には新しさの象徴的な意味合いがありました。ある意味、未来人の陽菜にはぴったりの格好かもしれませんね。
さて、次回は、ちょっと毛色が変わります。
番外編として、あの変人の日常をちょっと覗いてみましょう。
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