21.5話【捌】目黒競馬場怪事(裏)~引き寄せる運命の手~
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狂騒の目黒競馬場の裏側、冴子パートです。
閉じ込められるまま、ただ絶望的な光景を見せつけられる冴子。
そんな彼女に――さらに魔の手が襲い掛かります。
昭和三年四月八日。
冴子はまんじりともせずに自室で立ち尽くしていた。
――何もできず、当日になってしまったわ
陽菜からの、あの奇妙な映像を信じるならば、今頃彼女は無謀にも競馬場に向かってしまっているかもしれない。それも、あんな古着の着物姿で。
それを思うといてもたってもいられなかった。
冴子はふさがれた窓を眺めてはどうしようもなく座りこみ、そのまましばらくしてまた立ち上がるという行動を繰り返す。ふすまの外の様子を探れば、そこには椅子に座って微動だにしないお松の気配がある。
――ああ!せめて叔父様が動いてくださればいいのに!
様子をうかがう限りでは、おそらく亮介は遠藤家を人知れず訪れたようではあった。お松がこっそりと伝えてくれた内容を信じるならば、彼は冴子が訴えた内容を肯定し、さらに追加で志乃のよからぬ噂をいくつか披露して後押しまでしてくれたらしい。
しかし、それだけだ。特に冴子を開放することも、今すぐ志乃をとらえることも求めず、ただ普通に帰っていった。
それを聞いた冴子としては、仕方がないと理解する一方で、もどかしい気持ちが抑えられない。
せめて、一言冴子と話をするよう持ち掛けることはできなかったのだろうか。そうしたら、競馬場の情報を伝えることができたのに。
――わたくしには、本当にもう、何もできないのかしら
そう思い返してみて、ふと思いついたことがあった。
冴子は自身のタンスを開けて、その奥の方にしまい込んでいる風呂敷を引っ張り出した。中には、美しい洋装のドレスと大きな帽子が入っている。
ちなみに、これは冴子本人のものではない。 こんな洋装、何となくはしたなく感じられてとても着る気にもならない。
そんな服がなぜここにあるかと言えば、モダンガール、いわゆるモガを気取る友人に頼まれたからだ。
彼女は、つい買ってしまったはいいものの、親に目を付けられて家においておけなくなったというのだ。基本的にいろいろな友人とまんべんなく付き合いのある冴子は、彼女にとってちょうどいい隠れ蓑だったのだろう。あまりにしつこく泣きつかれてしまい、仕方なく預かったというわけである。
――この服ならば、競馬場でも浮くことはないでしょう
聞くところによれば、競馬場というものはある程度着る服に決まりがあるらしい。和装なら当然訪問着以上、出来れば振り袖が望ましく、そうでなければきちんとした洋装で行く必要がある場所だ。
この預かった洋装ならば、きっとその点は問題ないだろう。
――これを、せめて何らかの方法で陽菜さんに届けられれば
そんな未練がましい思いで冴子は風呂敷包みをなでた。
内心、無理であることは百も承知である。
どう考えても、この軟禁状態の中、どこにいるとも知れない陽菜に対してこの服を届けるなんてできる
はずがない。
わかっている。
せめて何かできることを探して、すがって、自分をごまかしたいのだ。
陽菜を見て、浮かれた気持でいろいろあがいてみたところで、結局自分の無力さを思い知らされる。無暗にふるう刃は、ただただ空を切るだけだった。
冴子を包む檻は、こんなにも厚く、重い。
――せめて、せめてまた、あの映像がみれたなら。今無事であるかどうかだけでもわかったらいいのに
そう思い、冴子はあの時の感覚を思い出し、再現しようと努めてみた。しかし、霞をつかむようでまるでとりとめがない。ただあの異様な視界を思い出しては首をひねるだけだ。
あれは冴子が制御できるようなものではない。
そんな直感がある。
しばらく、冴子は目をつぶって、何とはなしに集中をしてみるものの、成果はなく、諦めかけた―――
その時だった。
『ぎゃー!あの時の謎の女が現れたー!お嬢様ヘルプー!』
またも奇妙な声がして、冴子は三度目となるあの異様な光景が降りてくるのを感じた。
ガリガリガリという嫌な音が、今まで以上に耳につく。
ゆがんだ映像で映し出されるのは、志乃の姿だった。
「し、志乃!やっぱり現れたのね!」
冴子は思わず立ち上がった。しかし、当然その声は届かない。
『あのお方が御待ちです。いい加減、観念なさいませ』
志乃は淡々とそう続ける。あのお方とは、間違いなくふじだろう。そのことに冴子はどうしても忸怩たる思いがわいてくる。何も手が出せないまま、陽菜があの時のように捕まる光景をただ見るしかないなど、拷問と言っても差し支えないだろう。
さらに、志乃の口からはとんでもない言葉が出てくる。
『あなたをお迎えしたのは我々なのですから』
その言葉に、冴子は動揺を抑えることができなかった。
あれは、冴子の鎮魂の失敗の結果、そう思っていた。しかし、志乃が言うにはそうではないらしい。
「ま、まさか、わざとああなるように仕向けていたというの?!」
それは志乃の意図なのか、――あるいは、それすらも、ふじの意図だということなのか。
ならば、冴子はふじに言われるがまま、陽菜をこの世界に引きずり込む手助けをしてしまったというのだろうか。
そんな思いがどんよりと湧き上がる。
すると、映像の雰囲気が変わってきた。
文字が異様に飛び出して見えるようになってきたのだ。
『やばすぎ!悪の組織決定じゃん!もうお嬢様に助けてもらうしかない!』
『いいや、陽菜は召喚勇者だったんだよ!お嬢様がきっとこの世界を救うために呼び寄せたんだ!』
『お嬢様、マダー???』
異様に、「お嬢様」という不快な言葉が飛び交い始める。
それが、まるで見えざる手のように冴子をからめとっていくような、そんな妙な感覚に襲われてきた。
「――え?」
妙な感覚どころではなかった。
実際に、冴子のみている世界そのものがゆがんでいることに、冴子は遅ればせながら気づいた。歪みはやがて洞のような真っ黒なものを出現させ、冴子を引きづり込もうとしてくる。
「な、なんなのこれは?!」
思わず叫んでしまった。
気のせいではない。事実風が生まれている。床に置いてある湯呑が倒れる音が聞こえてくる。
「お嬢様?どうかなさいましたか?」
お松の声が、ふすまの向こうから聞こえてきた。お松もこの異常事態に気づいたらしい。つっかえ棒を外す音が聞こえてくる。
まずい。これではお松を巻き込んでしまう。
「来ては駄目よ!何か危険なものが出てきたみたいなの!絶対にふすまを開けては駄目!」
「な、なんですって!お嬢様、今行きます!」
逆効果だった。
ふすまが大きく開かれた時、冴子にまとわりつく手の重みが増した。
『お嬢様、ヨルをたすけてー』
『お嬢様カモン』
『てかお嬢様が映ればそれでいい』
『お嬢様』
『お嬢様』
『お嬢様』
それらの手はそのまま冴子を洞に引きづり込む。
叫び声すら、あがらなかった。
⚔
そこは、言い表すとしたら混沌だった。
上も下もない。明も暗もない。同時にすべての状態を満たすような場所。そこに、不快な声がただただ冴子にまとわりつく。
『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』『お嬢様』
悲鳴を上げたくなる。
やめてほしい。お嬢様と呼ばないでほしい。
その呼び方は嫌いだ。
逃げたいのに逃げられない。背負う義務のある大切な重荷であり、呪わしい枷でもある。その呼び名のおかげで生きているのはわかっているのに、ただただ息がしにくくなる。
だから、やめてほしい。
自分には名前がある。そこに自分はいるはずなのに――
自分は、自分は―――?
――わたくしは、いったい、誰だというの?
その時、混沌に何かが差し込んだ。
「……ああ。会いたいな…冴子さん」
自分の名前だ。
自分の名前を呼んでくれる人がいる。そのことが泣きたくなるほど嬉しかった。
そして、その名を呼んでくれる相手を思い出す。
――陽菜さん。わたくしも、あなたに会いたい
それは突然だった。
混沌が急に秩序を取り戻したかと思うと、見たこともないカフェーのような店の中に、冴子は自分の存在を認めた。
「―――え?」
そんなとぼけたような声がした方を見て
「陽菜さん」
冴子は、会いたかった人に会えたことに、ただ喜んだ。
お読みいただきありがとうございました。
見えざる神の手(物理)によって、再び出会った二人。
現象のあれこれはいったんおいておいて、二人の行く末を見守ってください。
(一見ご都合主義に見えるこの事態は実は結構深刻です、とだけ言っておきます)
「この先の二人に期待!」と思っていただけましたら、ブックマークや下部の【☆☆☆☆☆】(評価)で応援いただけると、とても嬉しいです!




