10.5話【肆】貴女一人にはさせない
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本日は冴子パート。
陽菜に「対等でありたい」と拒絶された冴子。
完璧なお嬢様として生きてきた彼女は、ざわつく心を鎮めるために木薙刀をふるいますが……。
昭和三年三月二九日夕方。
遠藤家の土蔵裏で、鋭い気合の声とともにヒュンヒュンと空気を切り裂く音が響く。
冴子は日課の稽古と称し、一心不乱に木薙刀をふるっていた。
習いとして薙刀を許してくれているとはいえ、客の目の届く範囲や店子が行き来する場所では稽古などできない。自然稽古場はこのような場所に限られる。
「ハッ、ヤッ、セイッ」
上段より切り落とすと同時に手の内で柄を滑らせて回転するよう切り上げる。そのまま振り返るように体を変え反対方向へ斜め袈裟切り。間髪を入れずに鋭く二度突く。
とにかく一歩も休むことを許さずに冴子はただ木薙刀を振り続けた。そうしないと、後悔がにじみ出てしまう。そんな未熟を、冴子は自分に許したくなかった。
しかし、どれだけ激しく稽古をしても、思いが消えていかない。
――まさか、何にもできないまま、あの子が行ってしまうなんて
これほどまでに自分が無力だとは信じたくなかった。
自分の儀式によって遠い地に迷い込んだ陽菜。そんな彼女の力になるのが、自分の使命だと考えていた。そして、自分にはきっとそれができると、どこか信じ込んでいた。
「ヤア!」
それは違っていた。冴子の考えなど、行いなど、彼女にはまるで届かなかった。
つくづく不思議な子だ。
年は多分自分とそこまで変わらないと思う。どう見たって鍛えているという風ではない。
なのに、なぜあそこまで彼女は強いのか。
見も知らぬ場所に突然放り込まれ、金もなく、頼る先もない。
おまけに、二度も亡者に襲われ、命を失いかけた。
なのに、なぜ、一人生きていくなんて、そんな選択ができるのか。
「トオ!」
普段より気合に迷いがあるのが、自分でもわかる。
それくらい冴子は衝撃を受けている。
なぜなら、冴子は考えてもいなかったから。
放り出された身になれば、誰かに頼る以外の考えがなかった。
生きていくなら、どこかに身を寄せる以外の選択を知らなかった。
『どうしても無理なら、自分で何か売るなりなんなりして、自分で稼ぐ方法考えるよ』
自分で、稼ぐ。
しかも、冴子の友人や先輩のように、どこか就職するという意味ではない。
本当に、何もないところから、ただ一人の才覚で生きていくなんて。
「ハァァァァ!」
裂帛の気合で空気を切り裂く。
――力を付けたつもりの冴子は、そんな生き方、思いつきもしなかった。
「あ」
そんなことを考えてたら、手が滑った。
木薙刀が無様に飛び跳ねて転がる。
「……こんな失敗、小学校以来だわ」
未熟。
未熟だ。
「なんで、わたくし、こんなに弱いのかしら」
⚔
思えば、冴子は初手からしくじっていた。
昨晩の冴子は、女中たちが着ていた古着くらいなら何とでも融通が利くと、それくらいに考えていたのだ。そのため、震災でまだ生活が安定していない娘の援助がしたいと静江に頼み込んだ。しかし、静江は淡々と冴子を諭していった。
「女中とはいえ、遠藤家の一員なのです。そのお仕着せをほかの者が着ていたら、人は、遠藤家のものだと思うでしょう。その者の不始末も含めて、全てを。あなたにその責任がとれますか」
そう言われてしまえば、言い返す言葉なにも浮かばなかった。
「貴女は、近い将来、嫁ぎ先で奥の一切をあなたが仕切らなければならないのですよ。そのような不心得でどうするのですか。…貴女は小器用な割に、そういう目端がまるで育ちませんね。来年からは、少し奥周りを学ぶ時間を増やしましょう。よいですね」
「…はい。お母様」
「それともう一つ。そのような、身寄りのないものに関わることは許しません」
静江は宣告するようにそう言い切る。
「で、ですが、お母様」
「これは決定です。その様な者たちのことはしかるべき筋が考えればよいことです。少なくとも、嫁入り前の貴女が考えることではありません。もう少し自分の立場を自覚しなさい」
そう言われ、冴子は奥歯を少し噛みしめる。
――わたくしは、確かに行くとそう約束したのです
それを破るなど許されない。どうにかして、静江の目をごまかす必要がある。そんなことを考えていると、静江はさらに続けた。
「それと――まさかとは思うのですが、貴女、夜に出歩いてなどいないでしょうね」
冴子は一瞬息をのんでしまった。しかし、ここで間を開けてはならない。
「もちろん、そのようなことは致しません。なぜそのようなことをお聞きになるのでしょう」
「…すこし、気になることを耳にしたのです。まあ、よいでしょう。彼女も見間違えかもしれないと言ってましたし、私もさすがに信じてはいません」
静江の語る『彼女』。それは誰のことだろう。
冴子は誰の目もないことを確かめてから、あの場に赴いたはずだ。むろん美代子もありえない。そのような告げ口を黙ってするような子ではない。
そこでふと、頭の隅のよぎったのが、志乃の姿だった。
秘儀の為、一緒に人目を忍んで歩いた。志乃はあのとき、冴子が夜歩きに慣れていることを察してしまったかもしれない。
「ですが、万が一ということもあります。少し夜回りのものを増やすことにします。――心得なさい」
……わざわざそう言ってくるなら、静江は冴子の冒険を確信しているのかもしれない。冴子を取り巻く檻がさらに厚くなった。
冴子は、これで諦めがいい方だ。
無暗に言いつけに無理に逆らうことなどしたりしない。
しかし今回は、どういうわけか諦めがつかなかった。
――だって、わたくし、約束したのよ
きっと、陽菜は待っているだろう。頼る先がない彼女に、不義を働くことなどあり得ない。
そう思い詰めた冴子は忠之の遣いであると嘘までついて、なんとか外出の許しを得た。急いで古着屋に駆け付け必要なものを買い付けた後、陽菜のもとへと急いだのだ。きっと、自分は彼女の力になるのだと信じて。
しかしできなかった。
助けてあげなければいけないと思っていた彼女は、冴子の力など不要だった。
彼女は見たこともない不思議なペンを冴子に残し、そのまま迷いなく去っていった。
ただ、やり場のない思いを持て余した冴子だけが、その場に一人残された。
⚔
「なんだ、お前まだそんなことをしてるのか」
冴子が、木薙刀を拾い、そのままたたずんでいると、後ろからそんな声がした。
振り向けば、そこにいたのは兄の勝一郎だ。
「まったく、いい年の娘がそんな男勝りな真似をしているとは呆れるな。父上も母上も、よくもまあまだ許しているな」
そう言って勝一郎は顔をしかめる。普段、大学寮で暮らしているから、冴子が行為して稽古をするのを見る機会は少なかった。だからこそ気に障るのだろうが、流石にちょっと腹が立つ。
「…お言葉ですが、薙刀はれっきとした女性のたしなみですわ。うちの学校にクラブもありますのよ」
「ふん。お前のそれは度を越していると言ってるんだ。まったく、女のたしなみというなら茶道でも華道でもいいだろう。女が戦うまねごとなんてどうかしているぞ」
「…戦うのではなく、こころを整えるために薙刀をふるうのですよ。お兄様も武士の血をついでいらっしゃるのに、流石にその言葉は不見識だわ」
「僕はそんな古臭くて役に立たないものには興味ないんだ」
まったく、この兄とはつくづくそりが合わないと、冴子は嘆息する。
おかげで、すっかり熱が冷めてしまった。もう今日の稽古はこれくらいにするかと、冴子は片づけを始める。
それが無視したようで癇に障ったらしい。勝一郎はさらに続けた。
「そういえば聞いたぞ。お前、乞食に施しをしようとしたそうじゃないか」
その言葉に、冴子の手が止まる。
「こじき…?」
「ああ、お前の非常識も極まれりだな。そういう行いは確かに女学校とかではもてはやされるんだろうさ。だが、少しは世間ってものを――」
「乞食じゃないわ」
思わず、声がとがってしまった。
「は?なんだ急に。服を恵もうとしてたんだろう?服も買えないなら乞食に決まってるじゃないか。そりゃ世間じゃ失業者は社会問題と言われるが、震災から五年もたつっていうのにただ求めるだけなんて性根の卑しさが――」
ヒュン
空を切り裂く木薙刀の切っ先が勝一郎の鼻先でぴたりと止まった。
「それ以上は言わないで」
「な、なんだ急に」
勝一郎は目を白黒させている。
それはそうだろう。冴子は一度だってこんなことしたことはないのだから。それほどに、自分でも不思議なくらいに、冴子は勝一郎の言葉が許せなかった。
「あの子は、そんな子じゃない」
彼女が、ただ誰かに乞うような子であるわけがない。
力もないのに。
金もないのに。
助けもないのに。
彼女は、自分で生きることをあきらめない。
それを愚弄されるのは我慢がならなかった。
「お、おまえ、このことは母上に報告するからな!」
勝一郎はそんな情けない捨て台詞を残して、うちの中に逃げ帰っていった。
だがそんなことはどうでもいい。
冴子は、木薙刀をもってそのまま自問する。なにか、わかった気がしたからだ。
普段は聞き分けのいい娘の仮面をかぶっていたはずなのに、なぜこんなことをしてしまったか。
なぜ、ほとんど何も知らないあの娘のことを愚弄する勝一郎が許せなかったか。
決まっていた。
冴子も、陽菜のような生き方がしたいからだ。
その答えに、冴子の中に渦巻くもやもやとした感情が消えていくのが分かった。
彼女を助けたいのだと思っていた。
それができない無力な自分が許せないと思っていた。
それは違った。
冴子はただ、陽菜と一緒に行きたかった。
自分で稼ぐなんて、考えたこともないようなことをあっさり言う彼女に、驚く自分と同時に、どうしようもなく沸き立つ自分が確かにいたのだ。
思えば、あの時とっさに色々反対してしまったのは、彼女に置いて行かれる予感があったからだろう。
そして、それは事実だった。
彼女は、驚くほどにあっさりと、冴子を置いていってしまった。
陽菜。彼女との縁は本当に不思議だ。
突然、降ってきたように現れた彼女。それも普通では考えられないとんでもない異変を抱えて。
しかし、だからこそ冴子は、いつも彼女を取り巻く何重にも積み重なる澱から解放され、冴子自身として振舞うことができた。
隠していた武術も、秘めていた振る舞いも、あっという間にさらけ出して、ただ自分の思いのままに力を開放した。
それが心地よかった。そんな経験はしたことがなかった。
彼女との時間は、冴子が冴子として生きるためにふるまえる、そんな時間の連続だった。
「なんてね。…難しく考えすぎよね」
そう冴子は独り言つ。そう、さらに突き詰めれば本当に、単純な衝動だ。
「私はただ、あの子とお友達になりたいのね」
だからおいていかれたくない。それだけだ。
こんな気持ちにも気づかないなんて、何だか笑ってしまう。
「ふふ。わからないものね。あんなにお稽古しても気づかないものが、急に不意にわかるなんて」
でも、わかってしまったなら、あとはさらに単純だ。
なぜなら、ことは何も終わっていないからだ。
なにせ、彼女が、自分からはっきり言ったのだ。
『よかったらこれからも友達でいさせて』
そうだ。そう言った。否定なんてさせない。
ならば、話は簡単だ。冴子と陽菜はお友達だ。ならば、一人で行かせてなんてあげない。
「…あの子、嘘ついてたわよね。」
あの子は、これでお別れじゃないと言っていた。だが、なんとなくわかる。あれは嘘だ。きっとあの子は冴子に心配をかけまいと、冴子の前に現れないようにするつもりなのだろう。
そうはさせない。
友達ならば、別に相手の意思を尊重しすぎることはない。冴子のほうがわがままを言ったっていいはずだ。
「貴女一人にはさせないわよ」
そんなズルい真似はさせない。
彼女一人で、自分の力で生きるのではなく、冴子と一緒に、自分たちの力で生きる。そういう生き方に変えさせてしまおう。
「だってお友達ですものね。わたくしあきらめないわよ。陽菜さん」
お読みいただきありがとうございました。
吹っ切れるお嬢様。
ここまでお読みいただいて気づかれたかもしれませんが、冴子はこれで結構バーサーカー的なところがあるんですよね。
冴子はここからわき目もふらず突っ走ります
ということで、第一章の前半戦は終了。
次回は陽菜パート。いよいよ本格的に陽菜の1928年攻略が始まります。
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