第3話「贈り物は疑ってはいけないらしい」
贈り物というものを、俺は前世から信用していない。
品質管理の部署に届く差し入れは、たいてい何かの前触れだった。菓子折りの下に「今回だけ検査を通してほしい」が敷いてある。善意の包装紙はたたむと要求書になる。
だから玄関広間に木箱が運び込まれてきたと聞いたとき、俺が最初に考えたのは中身ではなく差出人だった。
ヴァルドレイ邸の玄関広間は、天井から吊るされた鎖が長い。先端のランプは背の高い男が二人がかりで下ろすらしく、その滑車のきしむ音が来客の合図になっている。今日はその音が鳴った。つまり、外から人が来ている。
木箱の前に、旅装の使者が立っていた。
「アデール様より、閣下へお届けものにございます」
アデール。先代公爵の後妻で、この屋敷を出て離れに住んでいる人。俺はまだ顔を見たことがない。
使者が箱のふたを開けると、布にくるまれた細長い硝子瓶が1本だけ収まっていた。琥珀色の油が光をとおしてゆるく動く。栓は蝋で封がしてある。
「月桂樹の香油でございます。夏に向かうこの時季、お体を労わっていただきたいと」
言葉づかいが丁寧すぎて、逆に耳に引っかかった。
使者は懐から手紙を出し、封を切らずにマレンさんへ渡した。マレンさんが目を落として、そこにある文言をそのまま読み上げる。
「『暑気に入ります。あなたの母上には及ばぬ身ですが、あなたのお体のことだけは案じております。アデール』」
行き届いた文章だった。角のない字でございますね、と使者が言い添える。
行き届きすぎている、と俺は思う。前世で読んだ差し入れの礼状も、たいていこういう文面だった。読んだ人間が疑うことを恥ずかしく感じるように書いてある。
俺は箱の横へ寄って、瓶を手に取った。マレンさんの声が飛んでくる前に、規定を口の中で唱える。主人の食事と飲料、および口に触れるいっさいの物について、主人より先にこれを検める者。
香油は体に塗る。塗ったところへ手が触れる。触れた手で人はものを食う。
だったら、俺の仕事の範囲だ。
「検めます」
「毒見役。それは召し上がるものではございません」
「規定に『口に触れるいっさいの物』とあります。マレンさんが暗唱してくださったやつです」
マレンさんの口が一度閉じた。自分の言葉で足を止められる人だと分かって、俺は少し嬉しくなる。
蝋の封に指をかけた。爪で縁を起こして、栓を回す。硝子と硝子がこすれる小さな音がして、瓶の口から匂いが立ち上がった。
その匂いを、俺は最後まで嗅げなかった。
手首を掴まれたからだ。
「使うな」
声が近い。いつのまにか階段を下りてきていたクレイス・ヴァルドレイが、俺の手首を掴んで瓶ごと持ち上げていた。
掴まれた場所が熱い。この人の手は思っていたより体温が高くて、指の力の抜き方を知らない。
広間の空気が固まった。使者が息を止めているのが、離れた場所からでも分かる。公爵が使用人の腕を掴む場面を、この人はきっと帰って報告する。書かれる側の俺には、どうしようもない話だ。
「閣下。まだ何も使っていません。匂いを見るだけです」
「使うな」
「検めないと、安全かどうか分かりませんが」
「使うな」
同じ言葉が三つ並んだ。この人の命令には差し戻しの窓口がない。
俺は瓶を卓に置いて、掴まれていた手首をさすった。指のあとが薄く残っている。逃げ足自慢の男が、この屋敷ではもう二度も動きを止められた。記録としては最悪だ。
「では、閣下がお使いになるということですか」
「使わない」
「……使わないんですか」
「私室へ運べ」
「閣下。一つだけ教えてください。中身が安全だと、なぜ言えるんですか」
「言っていない」
「では、危ないと思っていらっしゃるんですか」
「運べ」
使わない。捨てない。私室に置く。
前世の言い方をするなら、保留中の在庫だ。判定を下せないまま倉庫の隅に積んである箱。いつか処分するつもりで、いつまでも処分されないやつ。
使者が深く頭を下げて出ていった。滑車がきしんで玄関の扉が閉まる。
残された木箱を、下働きが小脇に抱えて運び出していく。俺は瓶の口から漏れていたわずかな香りを、鼻の奥で確かめ直した。
月桂樹。乾いた葉と樹脂の匂い。焦げる寸前の木の皮に似ている。
この家の紋は三本の月桂樹だ。それを贈り物の中身に選ぶ人の気持ちを、俺はうまく想像できない。
「マレンさん。あの香油、前にも届いたことがあるんですか」
「季節の変わり目ごとに。先代がご存命のころからでございます」
「閣下は毎回使わない」
「一度も」
一度もがこの屋敷では便利な言葉になっている。
その晩、使用人棟の相部屋に戻ると、トビが寝台の上で待ち構えていた。膝を抱えて前のめりになっている姿勢は、噂を仕入れた日の姿勢だ。
「ユエル、香油見た?」
「見た。嗅ぐ前に取り上げられた」
「うわ、閣下やっぱりそうなんだ」
「やっぱりって何だよ」
トビは声をひそめた。壁の向こうに人がいるわけでもないのに、噂話には作法があるらしい。
「あの香油ね、離れのアデール様から来るんだけど、閣下は絶対に使わないんだ。でも捨てないんだよ。私室の棚に、届いたぶんが全部並んでる」
「全部?」
「全部。並べてるとこ、掃除の子が見たって」
「何本くらいあるんだ」
「数えた子がいてね、10本より多かったって。棚の一段が全部それだって言ってた」
背中の産毛が少し立った。封も切らない贈り物を並べて、目に入る場所に置いている男。想像はできるのに、うまく飲み込めない。
「なんで捨てないんだろうな」
「捨てたら怒られるからじゃない? アデール様、こわいらしいよ。屋敷にいたころ、気に入らない侍女を全員替えたって」
「今は離れに住んでるんだよな」
「弟君と一緒にね。離れは林の向こうで、歩くと鐘一つぶんかかる」
弟。この家には弟がいる。
聞いてはいたけれど、名前も顔も知らない。屋敷の中に一度も気配がないのが、かえって不自然に思えてきた。
「トビ。お前、なんでそんなに詳しいんだ」
「洗い場にいると全部聞こえるんだよ。みんな手が動いてると口も動くから」
「便利な耳だな」
「便利でしょ。だから街に出たいんだ、僕」
その一言が思ったより真面目な声で出てきた。
トビは膝を抱え直して、窓の外を見ている。そこから見えるのは林の黒い輪郭だけで、あとは塩の匂いが入ってくるばかりだ。
「屋敷の噂って、狭いんだよ。同じ人の話を、みんなで何回もする。街だともっといろんな人がいるでしょ。市場とか、宿屋とか。僕、そういうところで働きたい」
「向いてると思うよ」
「ほんと?」
「宿屋の下働きが噂に強かったら、たぶん出世する」
トビは笑って、それから急に真顔になった。
「ユエルはさ、外から来たのに、なんでここに残るの」
答えに詰まった。
金だ、と言えば一番早い。仕送りが止まって困る人間が故郷に一人いる。実際そのとおりだ。
でもそれを言うために口を開いたのに、出てきたのは別の言葉だった。
「あの人、香油を捨てないだろ」
「うん」
「毒かもしれないものを、捨てられない人なんだ。そういう人を置いて逃げるのは、なんか、寝覚めが悪い」
「よく分かんない」
「俺も分かんない」
トビが先に油皿の芯を短くした。暗くなりきらない部屋で、俺は寝台に座ったまま膝を抱える。
規定にはこう書いてある。主人の食事、飲料、および口に触れるいっさいの物。
香油は俺の仕事の範囲にある。範囲にあるのに、俺は今日それに触れることを禁じられた。禁じた本人はその瓶を自分の部屋の棚に並べている。
贈り物は疑ってはいけない。この屋敷の作法では、そういうことになっている。
なら、作法の外側から見るしかない。あの棚に何本並んでいるのか、この目で数えるまでは終われない。




