第24話「茶会は招待制、指輪は貸与制」
招待状というものには、招く側の勘定が全部出る。
紙の質。宛名の位置。封の色。届ける手。ヴァルドレイの離れから公爵家へ届いた1通は、そのどれもが丁寧だった。丁寧な仕事は丁寧にやる理由があるからそうなる。
その1通は届いてから執務室の卓に出たままになっている。閣下は返事を書いていない。
俺はその横で、自分の言い分を述べているところだ。
「閣下。俺を行かせてください」
「断る」
「早いですね」
「断る」
「理由を申し上げてもいいですか」
「言え」
「離れの菓子は誰が作るのか、粉と蜜をどこから仕入れているのか、卓に出るまでに何人の手が触るのか。それを見たいんです。物ではなく、工程を見に行きます」
クレイス・ヴァルドレイは羽根ペンを置いた。
「毒見役は招かれていない」
「招かれていません」
「では入れん」
「はい。だから、通していただく方法を考えました」
俺は指を1本立てた。
「公爵家の使いとして入ります。使いなら招待は要りません。要るのは、公爵家の者だと分かるものです」
この人はしばらく俺を見ていた。
それから左手を上げて、自分の指から指輪を抜いた。
卓の上を滑ってくる。銀の台に、三本の月桂樹を彫った印が乗っている。この家の紋だ。書状の封蝋へ落ちるのを俺は何度も見ている。見ているだけで、この手に乗せる用事はこれまでなかった。
「閣下」
「持っていけ」
「これは公爵家の——」
「持っていけ」
俺はそれを取った。
重い。見た目より芯が詰まっている。俺は右手の薬指にはめようとして、第2関節のところで諦めた。すかすかだ。中指も駄目で人差し指でも回る。
親指に入れた。
止まった。
「……閣下」
「なんだ」
「親指に公爵家の家紋をはめた使いが門に立つと、たいていの家は怪しみます」
「なら紐を通せ」
「首から下げるんですか」
「落とすよりましだ」
この人は卓の引き出しから革の紐を出して、指輪を抜き取って、そこへ通した。
それから立ち上がって、俺の首にかけた。
結び目を作る手が、俺の襟のうしろで2度ほど迷った。迷ってから、たぶん一番きつい形で結ばれた。ほどけないほうを選んだのだと分かる結び方だ。
「閣下。これ、返すときはどうすれば」
「返しに来い」
「かしこまりました」
「必ず、お前が来い」
俺は返事をしそこねた。
口が動かないうちに、上着の内側へ指輪を落としこんだ。胸の骨のところに冷たいものが当たって、歩くと少し揺れる。
林を抜けるのに鐘一つぶんかかる。
マレンさんが仕立て直した上着は、俺の背丈より肩幅のほうを直してあった。使いに見える形にするなら肩から直すのだとマレンさんは言った。服にも守るべき順番がある。
離れの門で取次に止められた。
「ご用向きは」
「ヴァルドレイ公爵家の使いです」
「お名前を」
「ユエル・メリクと申します」
取次は俺の顔を見て、次に俺の靴を見た。靴で身分を見る人だ。手順としては正しい。
俺は襟から紐を引き出して、指輪を見せた。
取次の目が丸くなって、丸くなったまま止まった。
「……お通りくださいませ」
「ありがとうございます」
「あの、それは」
「お預かりしているものです」
嘘は言っていない。首から下げているのが公爵家の当主の指にあったものだという事実を、俺は今日いちにち抱えて歩くことになる。
離れの庭には幕が張ってあった。
林を背にした側の風を切って、内側に火鉢を7つ。卓は3つで、上に湯の器と菓子の皿が並んでいる。冬に外で茶会を開くのは無茶だと思ったのに、幕の内側は思ったより寒くない。人と火を集めれば箱になる。
客は20人ほど。ほとんどが女の人で、そのうち半分が黒か紺を着ている。喪の色だ。
それで俺はこの茶会の性質を1つ理解した。
招かれているのは、夫を亡くした家の人たちだ。
「ヴァルドレイ公爵家の使いの方ですね」
声のほうを向いた。
背の高い女の人が立っていた。黒に寄せた青。髪をきっちり結い上げていて、手に器を持っていない。持っていないのは動き回るためだ。
「アデール様でいらっしゃいますか」
「ええ。あなたがユエルね」
名を知られている。
俺の名を離れへ運べる人間は限られていて、そのうちの一人は秋に反物を届けに来た。
「はい。ユエル・メリクです。閣下の名代として参りました」
「公爵は」
「本日はご都合がつきませんでした」
「そうでしょうね」
アデール様は笑った。
笑い方に無理がない。目の下が動いて、口の端より先に頬が上がる。息子とは笑い方が違う。
「毎年お呼びして、毎年いらっしゃらないの。それでも呼ばないと、外の人は勝手に読むでしょう。あの家は離れと切れている、と」
「はい」
「あなた、お仕事は何をなさるの」
卓のあいだの通りに人が何人か立っていた。
近くの椅子で、年配の女の人が湯の器を持ったままこちらを見ている。少し離れた卓の若い夫人が、菓子の皿へ伸ばしかけた手を止めた。
俺は正直に答えることにした。ここで身分をごまかすと、あとで全部が嘘になる。
「毒見役です」
幕の内側の音が消えた。
誰かが器を受け皿に置いた。置いた音がやけに大きく響いて、その音のあとに、もっと大きい静けさが来る。
火鉢の炭が1つ、ぱちんと鳴った。
……やってしまった。
毒見役という単語は、茶会の卓に置いていい単語ではない。前世でいえば、よその家の食事会に呼ばれて「食品衛生の監査に来ました」と名乗るようなものだ。誰も何も盛っていなくても、全員が自分の皿を見る。
現に、20人ぶんの視線が一斉に菓子の皿へ落ちていた。
「まあ」
アデール様が声を出した。
「よい家ですこと」
全員がこちらを見る。
「みなさま。ヴァルドレイの家には毒見役がおります。ずいぶん古い役ですし、今どき置いている家は多くありません。うちの卓にはおりませんでしょう。置かなくてよいからです」
アデール様は器を1つ取って、俺の手に持たせた。
「あの家は毒で人が死にすぎました。だから置くのです。わたくしは、置かねばならない家にしてしまったほうの人間ですから、こういう方がいてくださると助かります」
卓のあたりから、ほう、という息が漏れた。
空気が戻る。若い夫人が菓子へ手を伸ばし直して、年配の女の人が隣の人に何か言って笑った。
場が動いた。
俺は器を持ったまま、横顔を見た。
湯の温度が指に伝わってくる。この器を飲む順番が俺にはない。先に口をつければ毒見になるし、あとから飲む相手もいない。舌に残っているのは、朝に卓で検めた汁の塩気だけだ。
自分の家を「毒で人が死にすぎた家」と呼んで、その責めを自分に引き寄せて、その勢いで場を明るくした。3つを1つの息でやっている。
会議で誰かが失敗を報告したとき、最初に頭を下げる人を俺は知っている。頭を下げられると部屋は前へ進む。
あの人は有能だった。有能さと、その人がやったことの中身は別の話だ。
「ユエル」
「はい」
「あなた、公爵の卓で何を出しているのかしら」
「ドランが決めております。俺は決めません」
「あの人はまだ厨房にいるの」
「20年おられます」
「変わらないわね」
アデール様は幕の外へ目をやった。
林のほうだ。屋敷の屋根はここからは見えない。
「わたくしが屋敷にいたころ、あの人は先の公爵に塩漬け肉の煮込みを出しておりました。冬になると必ず。公爵はお好きでいらしたのよ」
「先代が」
「ええ。息子は召し上がらないでしょうけれど」
それから、アデール様は少しだけ声を落とした。
「あの子の母上はね、口の細い方でした。あの子はそこだけ似たのだと、わたくしは思っています」
俺はうまく返事ができなかった。
先の奥方の話をするときの声には、作った角がなかった。継母が先妻の話をする場面を、俺はろくに想像したことがない。想像していた形と違うものが出てきたので、こっちの用意していた言葉が全部合わなくなる。
「厨房を見せていただけますか」
「まあ。仕事ですのね」
「はい。菓子の粉をどこから入れておられるかを知りたいので」
「ご覧なさい。何もありませんけれど」
実際、何もなかった。
離れの台所は屋敷の3分の1で竈が1つ。粉の樽が2つ。蜜の壺が1つ。仕入れの札は領内の市のもので、公爵家の帳簿にも同じ商人の名がある。触った人間は3人。名前も出てくる。
工程は短くて、隠す場所がない。
俺は帳面に書きつけながら、少し落ち着かなくなっていた。ここまで見せてもらえるなら、ここには置いていないということだ。
置いていないところを見せる人は、置いてある場所を知っている。
帰りぎわに応接へ通された。
冬の庭から入ると、部屋の中の空気が重く感じる。壁ぎわに書き物机があって、その上にインクの壺が出しっぱなしになっていた。蓋が開いている。
俺は近づいて、匂いを取った。
鉄と乾いた木の実。
この匂いには覚えがある。木の実の渋を鉄で黒くしたインクだ。時間が経つと茶色く沈む。
「毒見役の方」
振り返ると、セラン・ヴァルドレイが立っていた。
夏に会ったときと同じ笑い方をしている。同じなのに、顔の輪郭が前より細い。
「兄上はお元気ですか」
「変わりございません」
「そうですか」
「セラン様。1つ、うかがってもよろしいですか」
「どうぞ」
「この離れのインクは、いつもこれですか」
「はい。母が同じものを使い続けております」
「宛名を書かれるのは」
「僕です」
俺は上着の内側から、公爵家に届いた招待状を出した。
持ってきた理由は、門で身分を証明する必要があったからだ。使わずに済んだので、そのまま袖にあった。
宛名を見る。ヴァルドレイ公爵。払いが外へ逃げる癖のある字だ。
本文を見る。
字が違う。
字が違うのは当たり前かもしれない。宛名は息子、本文は母。分けて書く家はある。
問題はそこではない。
俺は紙を鼻へ近づけた。
鉄がない。
煤の匂いがする。煤を膠で練ったやつだ。屋敷でこれを検めたとき、俺はこの匂いを嗅いでいる。嗅いで判定を保留にした。離れのインクがどんな匂いかを俺が知らなかったからだ。基準のないものは異常にできない。前世でも校正の済んでいない計器の数字は採用しなかった。
今日、基準が手に入った。
この離れのインクは鉄と木の実で、公爵宛の招待状は煤だ。
「セラン様。この紙、少しお預かりします」
「それは公爵家へ届いたものでしょう」
「そうでした。うちのでした」
俺は上着の内側から銀の匙を出した。
卓の匙を1本、朝のうちに借りてきている。毒見皿は大きすぎて林を持って歩けない。
白い布に水を含ませて、招待状の隅の文字をこすった。
文字は落ちない。乾いてから時間が経っている。
俺はその濡れた布の上へ、匙の腹を伏せて置いた。
そのまま10まで数える。
持ち上げた。
縁が灰色に寄っている。
傾けると、その灰色は端のほうへ向かって黒くなっていた。均一ではない。雲のような濃淡がある。秋の狩場で、井戸の水を検めたときに見たのと同じ形だ。
指の関節に力が入って、俺は自分でそれをゆるめた。
「毒見役の方?」
「……セラン様」
「はい」
「この本文を書かれたのは、どなたですか」
セラン・ヴァルドレイは俺の手元へ目をやった。
匙から招待状へ、視線がゆっくり移る。笑顔は動かない。夏に反物の色止めを指摘したときと同じで、セラン様の顔は上と下が別々に動く。
上を止めたまま、下だけが開いた。
「……母だと、思います」
「思います」
「僕は宛名しか書いておりません」
嘘をついている顔ではない。
知らない顔だ。工程の異常を報告に来る人間には2種類いて、隠しに来た人間と、本当に分かっていない人間は目の動き方が違う。
セラン様は後ろのほうだ。
俺は招待状を畳んで、上着の内側へ入れた。
「ありがとうございました。本日はご馳走になりました」
「毒見役の方」
「はい」
「……いえ。林が暗くなりますので、お早めに」
林の道を、俺は日の落ちきる前に抜けた。
行きより時間がかかっている。上りでもないのに足の運びが重い。
歩きながら、頭の中で紙を1枚ずつ並べていく。
この招待状には銀を曇らせるものが乗っている。乗っているがこれは公爵家に届いた1通だけの話で、他の13通を俺は見ていない。書いた人間も特定できない。離れのインクと違うということは、離れで書かれなかったということでしかない。
誰の手が触ったのかを言えないものは証拠にならない。
言えないものを持って歩くのは、腹の中に石を1つ入れて歩くのに似ている。
屋敷の門を入るころには、もう灯りが点いていた。
俺は執務室へ上がって、首から紐を外した。
「閣下。お返しに上がりました」
「そうか」
「それと、ご報告があります」
指輪を卓に置く。この人はそれを取って、自分の指へ戻した。戻してから、俺のほうを見る。
「言え」
「離れから届いた招待状に、銀を当てました」
「曇ったか」
「曇りました。鉱物のほうです。紙に触った手が、そのまま口へ行きます」
この人は指輪をはめた手を卓の上に置いた。
動かさない。
「触ったのは」
「閣下とセラン様。取次と、俺です」
「量は」
「1通ぶんです。すぐにどうということはありません」
言いながら、俺は自分の言い方の弱さに気づいていた。すぐにどうということはない、というのは、すぐでなければどうにかなるという意味だ。
「閣下。手を洗ってください」
「洗った」
「いつ」
「あれが届いた日に、お前が洗えと言った」
俺は口を閉じた。
言った覚えがある。書簡は口に触れる物の扱いにすると、秋のうちに規定へ足した。足したときこの人は何も言わなかった。何も言わないまま、守っている。
「……ありがとうございます」
「礼を言うところか」
「言うところです」
この人は答えなかった。
卓の上の指輪をもう一度抜いて、しばらく手のひらの上で転がしている。それから、また指へ戻した。
その動きの意味は俺には分からない。
分からないものが今日は増えた。煤のインクで書かれた本文。それを書いた人間の名前。13通ぶんの行方。それから、あの茶会でひとつも嘘をつかなかった女の人のことだ。




