表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役公爵の毒見役に転生したら、閣下が俺にだけ甘い  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/32

第17話「分からない毒が、たしかにある」

王都の裏通りに、看板を出していない店がある。


 教えてくれたのはマレンさんだった。毒に詳しい人を知りませんかと聞いたら、この人はしばらく黙って、それから鍵束を持ち直して言った。


「毒見役。知って得をする名ではございません」


「損はしますか」


「たいへんいたします」


「では教えてください」


 その受け答えで通ったのが今でも不思議だ。マレンさんは名と場所を口で言って、書いたものは渡さなかった。書かなければ残らないという判断だと思う。この屋敷の人はみんなどこかで俺と同じ商売の癖を持っている。


 王都へは閣下の用に乗せてもらった。


 塩の割り当てで王家へ出す書きつけがあるらしい。屋敷から馬車で半日、着いたのは昼前で、書役の建物へ入るこの人と俺はそこで別れた。


「鐘2つで戻る」


「はい」


「一人で歩くな、とは言わん。迷うな」


「迷いません」


 迷った。


 裏通りは同じ形の家が続いていて、目印になるものが少ない。しかも探しているのは看板のない店だ。看板がないものを看板で探すことはできない。


 結局、乾いた草の匂いで見つけた。


 戸を開けると、天井から草の束が何十も下がっている。壁は床から天井まで棚で、瓶と壺が詰まっていた。奥に卓が一つ。そこに男が座って、擂り鉢の中を木の棒で潰している。


 年は30の手前くらいだ。袖をまくった腕に、古い火傷の跡が斑に散っている。


「帰れ」


 顔も上げずに言われた。


「まだ何も言っていません」


「言われる前に断ると、こっちの時間が減らん」


「リオンさんですか」


「そう呼ばれてる」


 男は棒を止めずに、擂り鉢の中身を覗きこんだままだ。緑がかった粉が鉢の縁でかさかさ音を立てている。


「ユエル・メリクといいます。ヴァルドレイ公爵家の毒見役です」


 棒が止まった。


 止まってから、男はそこでようやく顔を上げた。


「毒見役の坊や」


「17です」


「聞いてない」


「若く見られるので先に申し上げました」


「若く見られるも何も、若いだろう」


 リオンは棒を鉢の縁に置いて、椅子の背にもたれた。値踏みの目だ。ドランさんのそれとは種類が違う。あっちは腕を測る目で、こっちは残りの日数を測る目だった。


「毒の話を聞きに来ました」


「金は取らん。帰れ」


「取らないんですか」


「金で毒の話をすると、俺が売った側になる。使われたときに面倒だ」


「では、話だけでも」


「ただでもやらん。ただほど後で高くつく」


 金も取らないし、無償でもやらない。


 道が両方とも塞がっている。こういうときはこっちの持ち物を先に机へ出すのが早い。もっとも俺の持ち物はほとんど屋敷の中にあって、外へ持ち出せるものが少ない。


 だから俺は質問のほうを先に出した。


「匂いがしなくて、色も濁らなくて、銀も曇らない毒はありますか」


 店の中の音がなくなった。


 草の束が空気の動きで少し揺れて、それも止まる。リオンは俺の顔を見たまま、指で卓の縁を2回叩いた。


「坊や。その質問はどこで拾った」


「自分で考えました。井戸端で」


「井戸端」


「屋敷の井戸端です。俺は匂いと色と銀で毒を見ています。その3つが全部黙る毒があったら、俺はどうやって見つけるんだろうと思って」


「思って、それで」


「それで、ずっと引っかかっていました」


 リオンは息を吐いた。長い息だった。


「座れ」


 俺は薬研の横の丸椅子に座った。座面が低くて、膝が胸のほうへ来る。


「ある」


 まばたきが一つ飛んだ。


「……あるんですか」


「ある。俺は術毒と呼んでる。呼び方は人によって違う」


「どんな毒ですか」


「物じゃない」


 リオンは擂り鉢を横へどけて、卓の上を手のひらで払った。


「お前の道具は物を測る道具だ。匂いは物が飛んでくるから嗅げる。色は物が光を食うから見える。銀が曇るのは、銀と物がくっつくからだ。全部、物がそこにある前提で動いてる」


「はい」


「術毒には物がない。媒介になったものに術式が定着して、そいつに触れたものへ移る。器でも布でも同じだ。触れた食い物に乗って、口へ入る」


 天井から下がった草の束が空気の動きでかすかに回った。


 俺は自分が今日まで何をやってきたのかを順番に並べ直している。匂いを取る。色を見る。銀を沈める。ひと匙を舌に乗せる。この4つを1日に3度、4か月やってきた。やりながら、この4つの外側があるという考え方をしなかった。


 膝の上の指が勝手に動いて、数を数える形になる。


「移ったものは、調べても」


「何も出ない。食材を刻もうが煮ようが、出るものがない。出るものがないんだから、お前の鼻も目も銀も黙る」


「銀は」


「曇らん」


 鼻の奥が急に熱くなった。


 匂いと色と銀。3つともこの人は一言ずつで片づけた。反論を探そうとして、探す材料が一つも出てこない。この人の言っていることは筋が通っていて、通っている理由が俺の手元にないところにある。


「発症は」


「早くない。半日ほど遅れる」


「半日」


「そこが厄介だ。昼に食ったものが夜に効く。効いたときには、卓はもう片づいてる。誰も昼の皿を疑わん」


 卓が片づいている。


 俺は毎日、皿を下げるところまで見ている。下げたあとは洗い場だ。洗われた皿からは何も出ない。


「なぜ、それが広まっていないんですか」


「高いからだ」


「値段が」


「作れる人間が片手で足りる。使うなら、値段に見合う相手にしか使わん」


「見合う相手」


「公爵とかな」


 リオンは笑わなかった。笑わずに言うから、余計に刺さる。


「媒介というのは、何になるんですか」


「匂いの強い油。蝋。染めた布。要するに、匂いや色が変わっても誰も驚かないものだ。変わって当たり前のものに乗せる」


 俺は口の中で言葉を止めた。


 喉のところまで来ていたものをそこで押さえた。屋敷の二階に鍵のかかった部屋があって、そこに瓶が15本並んでいる。そのうちの1本だけ匂いが違う。


 言えば、この人は答えを持っているかもしれない。


 言えない。


 あの部屋の話は俺のものではない。あの人が誰にも触らせるなと言った。掃除を止めたのもあの人だ。俺が今ここで喋れば、それは屋敷の内側の話を外の商人に渡すことになる。この人は金で情報を売ると自分で言っている。売る側の人間に、売り物を無料で置いてくる馬鹿がどこにいる。


「坊や」


「はい」


「今、何か飲みこんだな」


「飲みこみました」


「言わんのか」


「言いません」


 リオンは片眉を上げて、それから鼻で笑った。


「賢い。長生きするかもしれん」


「するといいんですが」


「毒見役の平均を知ってるか」


「知りません」


「知らんほうがいい」


 その言い方でだいたい分かる。分かったうえで、俺は今日ここへ来たことをよかったと思っている。分からない毒がある。たしかにある。知らないままだったら、俺は自分の道具を信じたまま卓に座り続けていた。


「代金だ」


「金は取らないと」


「金はな。知識には知識で払え」


「俺、毒の知識は今あなたに全部教わったところなんですが」


「毒じゃなくていい」


 リオンは棚から板と炭を取って、卓へ置いた。


「坊や。腐りかけの魚と、腐った魚を、匂いだけで分けられるか」


「分けられます」


「早いな」


「そういう仕事をしていました」


「どこで」


「……遠いところで」


 リオンは炭を持ち直した。俺の答えを追いかけてこない。この人は聞かないところを決めるのがうまい。


「肉を塩で漬ける。煙で燻す。うちの薬草も同じ悩みがある。仕込んだものが半分で駄目になる年がある」


「温度です」


「温度」


「塩の濃さと、抜く水の量と、燻す煙の熱さ。この3つのうち、みんな煙の熱さだけ勘でやります。熱くしすぎると表面だけ固まって、中に水が残る。残った水のところから駄目になります」


 リオンの炭が動きはじめた。


「熱くしないと燻せんだろう」


「燻すのに熱は要りません。要るのは煙です。低い温度で長くかけるほうが日持ちします。時間はかかりますが、失敗の数が減ります」


 喋っているうちに、自分の声が速くなっているのに気づいた。


 この話をしているときだけ、前世の自分が戻ってくる。白い上履き。年中同じ温度の部屋。誰も聞きに来ない話を、俺はあそこで5年続けていた。聞きに来ないくせに、間違えたときだけ全員が振り返る職場だった。


「どのくらい低い」


「手をかざして、しばらく我慢できるくらいです。我慢できないなら熱すぎます」


「数で言え」


「数で言える道具がここにないので、手で言いました」


 リオンが顔を上げた。


「……お前、それを毎回同じにできるのか」


「記録を取れば近づきます。何日目に何をして、どうなったか。当たった年の紙と外した年の紙を並べると、違うところが2つか3つに絞れます」


「紙を並べる」


「腐るのは目に見えないくらい小さいものの仕業です。相手が見えないので、こっちは条件のほうを見ます」


「見えないものの仕業。魔法使いみたいなことを言うな」


「魔法じゃありません。数の話です」


 リオンが炭を止めて、俺を見た。


 値踏みの目ではなくなっている。何かを勘定している目だ。前世の会議で、こっちの案を採用すると決めた人がする顔に近い。


「坊や。この取引はお前が損だ」


「そうですか」


「そうだ。俺はお前に話を1つやった。お前は俺に商売のやり方を寄こした。俺のほうが儲かる」


「じゃあ、もう1つ教えてください」


「図々しいな」


「損だと言われたので」


 リオンは口の端を曲げた。笑ったのだと思う。この人の笑い方は、笑っていない顔から2割だけ動く。


 店を出たのは日が傾きはじめた頃だった。


 裏通りは昼より暗い。石の壁が両側から迫っていて、上を見上げると空が細く切れている。王都の匂いはここでも強い。獣脂と、湿った石と、どこかの家の煮炊きが混ざっている。


 その細い通りに、外套の男が立っていた。


「閣下」


「遅い」


「鐘2つとうかがっていました」


「3つ鳴った」


 鳴っていた。俺は店の中で聞き逃していた。


「申し訳ありません」


「いい」


 背後で戸が開いた。


 リオンが敷居のところまで出てきている。腕をまくったままで、外套も羽織っていない。公爵が路地に立っていることに、この人は驚いた様子を見せなかった。


「公爵閣下。坊やをうちへ寄こしたのはあんたか」


「本人が行くと言った」


「止めなかったのか」


「止める理由がない」


 リオンは肩をすくめた。


「割に合わん取引をさせたぞ。俺のほうが得をした」


「何を取った」


「肉の漬け方と燻し方だ。うちの薬草に効く。来年の仕込みが変わる」


 クレイス・ヴァルドレイは俺のほうを見ない。リオンのほうも見ていない。路地の先の、たぶん何もないあたりを見ている。


「こいつの知識は有用だ」


 石の壁のあいだで、その一言だけが妙にはっきり響いた。


 俺は自分の足元を見た。靴の先に泥が乾いてこびりついている。狩場の泥だ。落としていなかった。


 顔を上げられなかったので俺は靴を見続けた。


「有用、ときたか」


 リオンが面白がっている声を出した。


「閣下。使い減りしない道具はない。壊れる前に測っておくことだ」


「言われるまでもない」


「そういう客がいちばん測らん」


 リオンは戸の中へ引っこんで、それきり出てこなかった。


 馬車が動きだしてからも、俺は自分の手のひらを見ていた。


 この手は匂いを取る。色を見る。銀を沈める。今日までそれで足りていた。足りない場所があると教わって、教わった礼に俺は前世を売った。


 悪くない取引だったと思う。


 有用だ、と言われた。


 褒め言葉として受け取ることにする。そうしないと、あれは値踏みでしかなくなる。


 値踏みでもかまわない。道具は壊れるまで使われる。使われているあいだは、あの卓に座っていられる。


 ……いや、よくない。今の考え方は全然よくない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ