第五話:ルミナリスの王宮と、理論を嗤う透明な殺意①
春の柔らかな日差しが差し込むアステリア王宮の謁見の間。
しかし、そこには魔王の襲来すら凌ぐほどの絶望的な叫びが響き渡っていた。
「な、なにぃぃぃーーーッ!?」
「隣国へ留学!? 断固反対だ! アリシア、パパは認めんぞ! そもそも隣国へ向かう道中に小石が落ちていたらどうする? お前が躓いて怪我をしたりしたら、パパはショックで……ああ…」
アルフォンス国王が頭を抱えて座り込むと、その傍らに立つ三人の兄たちが一斉に一歩踏み出した。
「父上に同意だ。アリシア、留学など無意味だ」
眼鏡を指で押し上げ、冷徹な光を瞳に宿したのは次男で第二王子のシオンだ。
「隣国の教育水準は我が国の魔術研究所の足元にも及ばない。君が何かを学びたいなら、私が今すぐ公務を全て凍結し、不眠不休でマンツーマンの特別講義を組もう。教科書はすぐにでも、私が一晩で書き下ろす」
(……公務を全て凍結したら国家の行政が止まるし、一晩で書いた教科書なんて怖くて読めないわよシオンお兄様……)
「いや、そうではないでしょう……」
殺気すら漂う笑みを浮かべたのは、三男で第三王子のライアンである。
「アリシア、もしどうしても行くというなら、私が近衛騎士団を総動員して同行し、留学先の学園ごと完全警護しよう。……だがそれだと王宮に残る父上や兄上の警護が手薄になり、我が国の防衛体制に欠陥が生じてしまうね?……ならばやはり、アリシアが留学を諦めるのが最も理にかなっていると思わないかい?」
(……国を守るための冷静な判断っぽく言ってるけど、結局私を行かせないための屁理屈じゃないのライアンお兄様……)
「……お前たち、落ち着け」
最後に重々しく口を開いたのは、長男のエドワード王太子だった。次期国王としての風格を漂わせる彼は、深く溜息をつき、アリシアの肩をそっと掴んだ。
「アリシア。いいかい、隣国は危険だ。かつてお前が五歳の時、庭で転んで膝を擦りむいた時のことを覚えているかい? 私は即座に国中の最高峰の治癒魔術師を集結させ、一瞬で傷跡すら残さず完治させた。……だが、それでもお前の涙を止めるまでに『三秒』もかかってしまったんだ…国内でもだぞ?私は己の無力さに絶望した。あの悪夢を、遠い異国の地で繰り返させるわけにはいかないんだ……」
(……いや、三秒で泣き止んだなら十分だし、ただのかすり傷に国中から集めすぎよエドワードお兄様……)
アリシアは引き気味に一歩下がると、必殺のカードを切った。
「でも、お兄様方。留学先はルミナリス王国……エレオノーラお姉様がいらっしゃる国ですわ!」
「…っ…!…!…?」
その名が出た瞬間、謁見の間は静まり返った。
かつてこの過保護な男たちをたった一言で黙らせ、アステリア王宮を恐怖(と完璧な秩序)で支配した最強の長女。
「…あぁ…エレオノーラが、いる国だったか……」
「……エレオノーラか……ん゛ッ…」
「……あのお方の監視下なら……物理的な危険だけは、ないかもしれないな……」
「……下手に連れ戻しに行けば姉上を怒らせ、私の近衛騎士団ごと返り討ちに遭う。我が国の王宮が物理的に解体されてしまう…か…」
パパと三人の兄たちは、顔を見合わせ、青い顔で渋々(本当に渋々)首を縦に振った。
こうして、アリシアの短期留学(1ヶ月)が決定した。
同行するのは、アリシアの専属メイドのセシルと、護衛のカイル。
さらに、嫁入り前に姉への挨拶を名目とした第四王女クラリスと、その護衛として名乗りを上げた(というよりライアンに強圧的に送り込まれた)近衛騎士のカインとボリス。
そして、ルミナリス王国出身であり、一時帰国のルカ・エインズワース。
「ふふっ……賑やかになりそうね。ねえ…ルカ様。ルミナリスは『氷と規律の国』と本で読んだけれど…実際のところはどんな雰囲気かしら?」
馬車の中でアリシアが尋ねると、ルカは窓の外の流れる景色を見つめたまま、低く答えた。
「…氷と規律……そして沈黙の国だ。アステリアのような暖かさは、そこにはないよ…」
ルカは手元で小さな氷の結晶を弄びながら、静かに続ける。
「アステリアの魔法が魔力を巡らせる《循環》なら、ルミナリスの魔法は徹底した《圧縮》だ。空気中の水分を一瞬で限界まで凝縮し、凍結させる。だが……極限まで圧力を高めた魔法は急速に周囲の熱を奪う。扱いを誤れば、術者自身の手すら一瞬で凍傷にかかるような諸刃の剣だ……」
「自分自身の手まで…? それは少し怖いわね…」
「完璧な精度を求める、あの国らしい魔法だよ…」
そう言うと、ルカは窓の外へ視線を戻した。
──ルミナリス王国
国境の険しい山々を越え、ついに姿を現したルミナリス王国の王都。
アステリアの暖かな色彩とは対照的に、街並みは白い石材と青い屋根で統一され、凛とした空気が満ちている。
王宮の階段の上、豪華な毛皮を纏った二人の人物が立っていた。
透き通るような銀髪を流した冷徹な美貌の青年─ルミナリス国王ヴィクトール。
そしてその傍らに立つのは、燃え上がる炎のような赤髪を靡かせ、一国を容易くひれ伏せさせそうな圧倒的な覇気を纏う女性─アステリア王国元第一王女にして、現在はルミナリス王妃のエレオノーラだ。
「よく来てくれた、アステリアの愛しき王女たちよ」
ヴィクトールの朗らかな歓迎の声に応え、アリシアとクラリスは揃って完璧な作法でドレスの裾を持ち上げ、深々とカーテシーを捧げた。
「お初にお目に掛かります、ルミナリス国王陛下。そして、お久しぶりでございます、王妃陛下」
一国の王女として、隙のない完璧な公式の挨拶。
エレオノーラは満足そうに口角を上げると、堂々たる王妃の立ち振る舞いで静かに頷いた。
「長旅、本当にお疲れ様。ようこそルミナリスへ。移動ばかりで大変だったでしょう?まずはプライベートなサロンへ案内させましょう……」
──王宮内 王妃専用 サロン
通されたのは、王妃専用の絢爛豪華なプライベートサロン。
エレオノーラは紅茶を一口楽しむと、控えていた給仕たちへ優雅に視線を向けた。
「美味しいわ。ありがとう…下がって頂戴……」
「はい。もったいなきお言葉でございます…」
給仕は深々と頭を下げて感謝を述べると、静かに後退り、扉の前で一礼した。
「では、失礼いたします…」
静かに重厚な扉が閉じられ、給仕の者が下がって完全な「身内だけの空間」になった瞬間──エレオノーラの纏うピンと張り詰めた空気がふっと和らいだ。
「……相変わらず、型に嵌まろうと必死なお転婆顔ですこと。二人とも、楽にしなさい…」
エレオノーラはすっと歩み寄ると、アリシアの額を指で軽く弾いた。
「お姉様……! 」
額を押さえるアリシアを見て、ヴィクトール王も穏やかな笑みを漏らしながら、アリシアたちに温かな視線を向ける。
「はは、公式の場ではあのように気丈に振る舞っているが、君たちが来るのを誰よりも楽しみにしていたのはエレオノーラなのだよ。『陛下』や『王妃』などという堅苦しい呼び方は抜きにして、私のことも義理の兄だと思って気楽に接してほしい…」
「ちょっと、ヴィクトール。余計なことを言わなくてもよろしくてよ?」
エレオノーラは少し頬を染めてレースの扇で顔を隠すが、その瞳には妹たちと再会できた喜びが溢れていた。
──王宮散策
その後、アリシア達は王宮内を案内されることになった。
案内役を買って出たのは、王室総務官オスカー・ヴァルハイト。
若くして実務を仕切る彼は、歩く百科事典のように王宮の歴史を淡々と語り、完璧な所作で回廊を歩く。
「ここは"氷晶の回廊"でございます。我が国ルミナリスでは、魔力を一点に《圧縮》する技術が発達しており、この回廊の壁面にも防犯用の圧縮魔導陣が施されております」
オスカーがそう説明しながら、右手の指先を気にするように手袋の上から揉んでいた。
そして、静寂な回廊を抜け、中庭を一望できるバルコニーへと立ち寄った時──アリシアはふと足を止め、手すり越しに階下を見下ろした。
庭園の片隅、冬枯れの木々の影で、二人の人物が対峙していた。
そこにいたのは、エレオノーラとルカ・エインズワース。
二人が親密に言葉を交わしているようには見えない。
エレオノーラの表情までは分からないが、ルカは一切の感情を消したまま、ただ静かに頷いている。
(……お姉様とルカ様? どうして二人が……?)
アリシアの視線に気付いたのか、二人は素早く離れ、ルカは影に溶けるように去っていった。
──ルミナリス王宮の大広間
その夜、盛大な夜会が幕を開けた。
美しい旋律が流れる中、アリシアはダンスの合間を縫って、エレオノーラの隣へ滑り込んだ。
「お姉様。少し伺いたいのですが…昼間、ルカ様と何を話していたのですか?」
エレオノーラは扇で口元を隠し、射抜くような鋭い視線をフロアへ向けた。
「……アリシア。あなたは賢い子だけれど、時としてその純粋さが命取りになるわ……」
姉はアリシアの耳元で、囁くように告げる。
「ルカ・エインズワースには気をつけなさい。決して誰も信じてはだめよ……」
姉の警告の真意を問おうとしたその時、フロアの中央で悲鳴が上がった。
ヴィクトールの弟であり、奔放な性格で知られる王弟エリックが、踊っていた令嬢を突き飛ばすようにして崩れ落ちたのだ。
「ぐあッ……!?」
静寂を切り裂く悲鳴の中、真っ先に動いたのはアステリア王族の護衛たちだ。
カイルと近衛副団長のカインが咄嗟にアリシアたちを庇うように立ちふさがる。
ヴィクトール国王を守るようにルミナリスの衛兵たちが壁を作り、その中の一人が倒れた王子に駆け寄って息をのんだ。
「えっ!? エリック王弟殿下が刺されています! 直ぐに治癒魔法か、医師を!!」
「血……!? 暗殺か!?」
現場は一瞬でパニックに包まれ、後から駆けつけた宮廷魔術師たちがエリックを取り囲み、慌ただしく詠唱を始める。
その混乱の隙を突くように、騎士のボリスが素早く人垣をくぐり抜けて現場に踏み込んだ。
アリシア達の安全を確保するため、暗殺に使われた『毒』や『飛来物』の有無をいち早く見極める──騎士としての冷静で的確な判断だった。
ボリスは床の血溜まりの状況と、王子の袖口にわずかに引っかかっていた異物を検分すると、即座にアリシアたちの元へと引き返してきた。
「…何だか妙です。凶器らしき刃物は落ちておらず、王子の傷口から垂れた血を拭った際、不自然なほどの冷気を感じ、血が溶けた水というより、透明な水滴が手に残りました。それと…袖口からこの小さな金属片が……」
ボリスはハンカチ越しに、拾い上げた破片をカインやアリシアたちに見せた。
(刺されたはずなのに…武器がない……? それに、この温かい広間の中で、なぜ傷口の血だけが凍りつき…血液ではなく水滴…?)
血に染まる衣装の中で、そこだけが異常な異彩を放っていた。
(……まさか、凶器が……ううん、そんなことあり得ないわ……!)
浮かび上がった不穏な仮説に、アリシアは背筋が凍りつくのを覚えた──
○△□●▲■○△□●▲■○△□●▲■○△□
◆エレオノーラ・ルミナリス(28歳)
・ルミナリス王妃(アステリア王国 元第一王女)
・正妃(皇后陛下)の子
アリシアを溺愛しているが、兄達とは違う。
ルカへの警告を囁くが……
◆ヴィクトール・ルミナリス(33歳)
・ルミナリス国王
涼しげな目元と整った顔立ち、非常に穏やかで誠実な人格者。ルミナリスの厳しい規律を重んじる。
◆エリック・ルミナリス(20歳)
・ヴィクトールの弟 (王弟)
ヴィクトールによく似ているが、外見だけ。
完璧すぎる兄と義姉に囲まれ、少しばかり劣等感を抱いている。
◆クラリス・アステリア(23歳)
・側妃Bの子
もうすぐ、アステリアの辺境伯へ嫁ぐ事が決まっている。アステリアの第三王女。
○△□●▲■○△□●▲■○△□●▲■○△□
つづきは、また明日。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




