第四話:吹雪の密室と、熱に揺らめく二重の毒②
雪山の洋館で惨劇の幕が上がったその頃──
──アステリアの王宮
アステリア王国の王宮内にある国王執務室では、一国の主とは思えぬ動揺が広がっていた。
「なにっ!アリシアについての定期連絡が途絶えただと!?」
国王アルフォンスは、報告に訪れた通信官を睨みつけた。手にした魔法通信機からは、砂嵐のような雑音しか聞こえない。
普段は威厳に満ちた王の顔が、今は溺愛する娘への不安で歪んでいる。
「吹雪による障害の可能性が高いなどと。 戯言を!ただの天候で遮断されるはずがない!」
アルフォンスはデスクを強く叩き、傍らに控える侍従に命じた。
「直ちにライアンを呼べ。近衛を動かす。」
──コンコンコンッ
数分後、執務室の扉が静かに開いた。
現れたのは、アステリア王国第三王子にして近衛騎士団長、ライアン・アステリアである。
「父上。緊急の召集、アリシアの身に何か?」
白銀の甲冑の上に、王家の紋章が入った深い青のローブを羽織り、腰には細身の名剣を帯びている。
その立ち振る舞いは優雅で、一寸の乱れもない。
冷徹なまでに整った美貌には知的な光が宿っている。
だが、アルフォンスが「ノース・スター別館との通信が完全に遮断された」と告げた瞬間、ライアンの周囲の空気が、一瞬で絶対零度へと凍りついた。
「ッ…通信遮断、ですか。」
ライアンは静かに目を細めた。
「父上。公務として、近衛騎士団の一部を率き、現地へ急行する許可を!アリシアの安否確認と、もし不逞な輩がいれば、この手で排除いたします!」
「うむ……。ライアン、お前に任せる。アリシアを、必ず無事に連れ戻してくれ!」
ライアンは優雅に一礼し、踵を返した。
その背中からは、王族としての品格と、シスコンという言葉では片付けられない、執着に近い狂気が滲み出ていた。
ほどなくして、王宮の厩舎から、三騎の魔馬が滑るように飛び出した。
先頭を駆けるのはライアン。その表情は、公務で見せる微笑など微塵もない、冷徹な氷の仮面であった。
背後には、副団長のカイン・ロードスと、団員のボリスが、一糸乱れぬ動きで続く。彼らはライアンが自ら鍛え上げた、騎士団でも指折りの実力者だ。
「アリシア、お兄様が…今すぐ行くからね…」
唇の端を微かに歪め、ライアンはさらなる加速を見せる。
──閉ざされた洋館
扉が開かれた瞬間、猛烈な吹雪が廊下まで吹き抜けた。
部屋の窓が全開になっており、雪が吹き込んでいる。ベッドの上には、雪で薄っすらと覆われたバルカスの遺体があった。
バルカスの傍らには、空になったワインボトルと、今もシュンシュンと蒸気を吐き出す「魔導加湿器」が置かれていた。
アリシアは、空になったワインボトルと魔導加湿器を交互に見つめた。
「バルカス先生ッ!?」
室内へ踏み込もうとしたユリウスたちを、後ろから駆けつけたエレナが制した。
「待ちなさい! 部屋の空気が危険かもしれないわ。全員、ハンカチを口に……!」
エレナは即座に自分のハンカチで口元を覆うと、吹き荒ぶ吹雪を押しのけ、自ら部屋の奥へと踏み込んで全開だった窓をピシャリと閉めた。
アリシアもセシルから差し出されたハンカチで口元を押さえながら、静かに部屋の中を観察する。
ベッド脇には、蒸気も出さずカチコチに凍りついた魔導加湿器。その横には、空のワインボトルと、強奪された温熱石。そして、床にこぼれたワインの跡。
アリシアの瞳に、いくつもの矛盾が映り込む。
(……おかしいわ。部屋の空気が危険とおっしゃったエレナ先生は、なぜ部屋に入るなり真っ先に窓を閉めたのかしら?)
さらにアリシアは、魔導加湿器のノズル付近に目を留めた。
(魔導加湿器の全体を覆っている氷…さっきまで蒸気を吐き出していたのに…誰が凍らせたのかしら?青みがかった歪な結晶……あれは…?)
その瞬間、アリシアの頭の中に、発見直後の違和感とエレナの行動が駆け巡った。
──『部屋の空気が危険かもしれないわ!』
──温熱石の熱に抗うように、加湿器のノズルを包み込む不自然な青い氷。
(なぜ部屋の"空気"が危険だと分かったの? まさか…魔導加湿器から出た毒蒸気とワインの反応痕を隠すために!?)
脳裏でバラバラだったピースが、カチリと音を立てて繋がる。
アリシアは静かに息を吐くと、確信に満ちた瞳でエレナを見据えた。
「エレナ先生。どうして部屋の空気が危険だと思ったのですか?この部屋の魔導加湿器を凍らせたのは…先生の魔法ですね?」
アリシアが凛とした声で問いかける。エレナは眉一つ動かさず、冷ややかに振り返った。
「急に何を言い出すのですか…?吹雪の夜に窓が開いていたのですから、魔導加湿器が凍結するのは物理の法則ですわ……」
「いいえ。物理の法則に反しているのです……」
アリシアは堂々と魔導加湿器を指さした。
「先生は、魔導加湿器とワインを組み合わせた毒蒸気でバルカス先生を殺害した後、証拠隠滅と凍死偽装のために窓を開け放ちました。けれど……毒の成分が残留していることを知っていたからこそ、廊下に毒が流出するのを恐れて真っ先に窓を閉め、全員にハンカチをあてさせた……違いますか?」
「……っ」
エレナの瞳に、初めて動揺の色が走る。
「さらに決定的なのは、その魔導加湿器を丸ごと凍らせた、ノズル周辺の青い氷です。先生は毒の蒸気痕を消すため、ご自身の魔法で"局所的な急速凍結"を行いましたね? その氷に刻まれた魔力紋の癖……学園で模範として見せてくださる先生の術式と、完全に一致しますわ!」
静寂が部屋を包み込む。エレナは深く息を吐き、ゆっくりと眼鏡を外した。
「ふふ、素晴らしいわ。術式の癖まで読み解くとは。教育者として、これほど無様な失態はありませんわね……」
エレナは窓の外、暗い雪山を見つめながら、バルカスから被害を受けていた生徒たちの名簿を握りしめ、静かに自白を始めた。
「公爵家の権力は、私の訴えを、未来を嘲笑いました。彼に未来を奪われかけた生徒たちや私自身が、これ以上傷つかないように…法が裁かないなら、私の魔法理論で裁くしかなかったのよ!」
そう静かに語るエレナの姿に、その場にいた全員が悲しみに包まれる。
ユリウスは「僕がもっとしっかりしていれば……」と呟き倒れてしまった。
──夜明け前
吹雪を切り裂き、騎士団の限界を超えた爆走で…駆けつけた一団によって、洋館の扉が魔法の衝撃で粉砕された。
「アリシア!」
吹雪の残滓を纏い、白銀の甲冑を月光に濡らした一団が滑り込んできた。
「ライアンお兄様…!?」
アリシアが声を上げると、ライアンの冷徹な仮面が、一瞬で春の陽だまりのような微笑へと融け落ちる。
「ああ、無事でよかった。」
ライアンは優雅な足取りでアリシアに歩み寄り、自身の厚手の青いローブを脱いで、そっと妹の肩に掛けた。
背後では、副団長のカインと隊員のボリスが、迅速に現場を制圧していた。
「団長、遺体を確認。容疑者は確保されています。アリシア殿下が、既にすべてを解決されたようです……」
カインの報告に、ライアンは眼差しを遺体の方へ向けた。バルカスの無惨な死体を見ても、彼の眉一つ動かない。
「グレンデル家の次男か。教育者としてあるまじき醜態を晒した挙句、私の可愛い妹にこのような惨劇を見せるとは。死してなお、罪深い奴め……」
ライアンの声は、低く、冷たい。彼はエレナの方をちらりと見たが、その動機や背景を瞬時に察したのか、深く追及することはしなかった。
ただ、事務的にボリスへ命じる。
「ボリス、学園側と騎士団本部と王宮に連絡を。現場の保存と、関係者全員の身元確認を徹底しろ。アリシアの学友たちには、丁寧なカウンセリングの手配も忘れるな……」
「はっ、了解しました!」
一通りの指示を出し終えると、ライアンは再びアリシアに向き直った。今度は、近衛騎士団長としての顔ではない。
「さて、アリシア。外には私の魔導馬車を待たせてある。王宮へ戻ろう…父上も待っているよ…」
「あ、あの、お兄様。まだ研修の後処理が……それに、お兄様もお疲れでしょう?」
アリシアが困惑気味に尋ねるが、ライアンの瞳には「連れて帰る」という選択肢しかない。
「疲れ? ふふ、アリシア。君の無事を確認できた今、私の魔力は全盛期の三倍は溢れているよ?カイル、セシル。アリシアをこれ以上一歩も歩かせたくない。馬車までエスコートを!」
「「はいっ、承知いたしました」」
カイルとセシルが慣れた様子で頭を下げる。
ライアンはアリシアの髪を優しく撫で、その耳元で、甘く、しかし断固としたトーンで囁いた。
「もう大丈夫だよ、アリシア。これからは、お兄様がすべてを整えてあげるからね」
その完璧な微笑みの裏側で、ライアンは(アリシアを危険な目に遭わせた学園の管理体制をどう解体し、再編するか)という極めて過激な計画を企み始めているのだった。
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◆エレナ・ウォーカー
貴族出身だが家は没落。
バルカスからの執拗なセクハラ(「指導」と称した接触や待ち伏せ)に耐えかねて告発するも、権力で握りつぶされ、逆に「名誉毀損」として巨額の慰謝料を突きつけられ絶望的な状況だった。
◆カイン・ロードス(副団長)
ライアンの右腕。冷静沈着で、ライアンの猪突猛進なところをサポートする苦労人。
◆ボリス(近衛騎士)
力持ちで気のいい若手隊員。
第四話【完】
いかがでしたでしょうか?
次回、第五話は9/5(土)に公開予定です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




